旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

ひとは何のために働くのか

2009年08月28日 23時07分51秒 | Weblog

ようやく仕事が身に付き始めたようだ。末端とはいえ行政を担う立場であるから、まず諸手続に通暁しなければならない。公務員的な働き方を始めて2ヶ月になろうとしている。概ね理解できた。それにしても毎日毎日、時間がたつのが早いことに慄いている。時間の経過を忘れるためにがむしゃらに働いているのだからやむを得ない。一週間があっという間に過ぎ去るので不安を覚える。この2ヶ月で5キロばかり体重が落ちた。脂肪の肉襦袢を脱いだようで爽快だ。鏡を見るとぷっくらした顔が鋭角的になり、ウエストは85を上回るメタポ水準から80前後までスリムアップしている。

デスクワークでは、ひと通りの仕事を覚えるのに3カ月かかるといわれる。デスクワークの経験が全くない私が、2ヶ月弱で事務屋の仕事を身につけ始めたことは、称賛に値するとひとりほくそ笑む。既に、公務員的な働き方に違和感はない。公務員の掟の中に、やり過ぎないこと、目立たないことというのがある。根がまじめだから、つい働きすぎてしまう。声がでかいものだからつい目立ってしまう。この道はいつか来た道の延長線上にあるようだ。日に平均十数人の相談に応じている。仕事であるにしてもこの職種は私の肌に合う。つい夢中になってしまう。現況、役所の中でもっとも多忙な官署だから働き過ぎることを心配する必要がない。


アドルノ

2009年08月26日 22時40分22秒 | Weblog
「対象を概念に同一化」するとは。異質かつ多様な形で与えられた「他なるもの」を、思考が自らにとって望ましい、把握しやすい形へ改変することを意味する。思考が「他なるもの」を対象化し概念規定することによって、領有化する作用を意味すると言い換えることもできる。「判断の遂行に適合しないもの」を抹殺するというやり方で、思考は対象に「暴力」を行使している。思考が対象に概念との同一性を強制するからである。」

中公新書 熊野純彦著「現代哲学の名著」 アドルノ
を改竄のうえ引用

クオリア

2009年08月25日 20時44分09秒 | Weblog
『私が目の前のマグカップを知覚するとき、表面の質感や色の感じ、あるいはそこに満たされたコーヒーの香りなど、様々なクオリアが意識に現れている。確かにこのとき私の脳では一定のニューロンの活動がおこっているだろう。その意味で、特定の物理的過程と私の特定の知覚が対応していると言うことはできる。しかし、ニューロンの活動はマグカップの色の感じそのものではないし、コーヒーの香りそのものではない。いったい、クオリアは物理的過程とどのような関係にあるのか。物の因果連鎖の中でどのような役割を果たしているのであろうか。』
中公新書 熊野純彦著「現代哲学の名著」 大森壮蔵

仕事と読書

2009年08月22日 23時00分06秒 | Weblog
何が解らないのか解らない状態から、何が解らないのか解る状態に進化を遂げた。ここまで解ってくれば万事、解らないことを解っているひとに聞けばよい。ようやく職場のメンバーのひとりになれたような心地がしている。なにはともあれ、旧態然と仕事を楽しんでいる事に変わりはない。

末端とはいえ担当する行政は皺の数がモノを言う世界だ。にもかかわらず故あって最大の集中力をもって最短で仕事をマスターしようとしている。膨大なマニュアルの山となお格闘中だ。もともと面の皮の厚さで勝負するというのが私の作法だから違和感がある。


混乱気味の頭を整理するために「岩波講座現代思想 8 批判理論」の目次に目を通していたら「初期批判理論と精神分析」とある。学生時代の教養ゼミでフロイトの精神分析を齧ったことがあるので無性に懐かしくなって読んでみた。

ところがその内容たるや、フロイト・フロム・マルクーゼ・ホルクハイマー・アドルノといった著名人たちの個人的な交友を淡々となぞっているだけで、最も重要であると思われる思想的な相克の原因を解明しようとする意図を感じない。羊頭狗肉ぶりにかなり落胆した。

世界の名著「フロイト」あたりを読めば済むような退屈な話を42ぺージにもわたってしたり顔で書き綴られた先生は、出版の当時、御年65歳である。東大出の学者にはこの手の客観性の罠に嵌った人畜無害な方が多い。

こちらはその昔、フロイトの「夢判断」に始まり「文化芸術論」を読み耽った。当時流行のフロム「自由からの逃走」、マルクーゼ「エロス的文明」も夢中で読んだ。なけなしの金をはたいて買ったものであるだけに、社会心理学に関しては相応の年季が入っているのだ。





朱子学と陽明学

2009年08月11日 23時24分33秒 | Weblog
岩波新書「朱子学と陽明学」は儒学を理解する上で極めて有用だ。朱子学や陽明学の潮流について詳しいし、朱子や王陽明という思想家が出現した時代背景や先哲の影響についても明晰な検討を加えている。

王陽明が、「大学」「孟子」の解釈論を展開した思想家というよりも朱子以上に道徳を重んじた信念の人であったことを明らかにする。農民の蜂起を徹底的に弾圧した当時の陸軍次官王陽明は、中国共産党が依って立つ農民を弾圧した軍人であったので、中共支配下の中国では人気がないことにまで言及している。

学者の手によるものだけに曖昧さがない。安岡正篤の人生論ものより遥かに知的な文体で書かれていることを十分に読んで取れる。

救い

2009年08月09日 23時22分42秒 | Weblog
3年前に脳梗塞で倒れた先輩が2年前に癌を発症して転移、手術を重ねていることを今日奥さんから聞かされた。脳梗塞を発症して半年くらい経って見舞ったことがある。後遺症が痛ましかったのでお見舞いは控えていた。後遺症は当時のまま固定しているそうだ

昨日の同窓会で先輩の話がでたばかりだ。脳梗塞の後遺症に加えて癌の転移だから奥さんも大変な思いをされていることだろう。中学時代、いっしょにサッカーをやっていた頃を思い出した。スポーツマンであった。サッカー部の創部に関わり初代のキャプテンに就任した。キャプテンとして、サッカー部をよくまとめた。(不肖、はやとが2代目のキャプテンを務めた。が、力量不足だった。)。

他人なつこさが際立った先輩は、高校・大学とサッカーを続けて中学の教員になった。脳梗塞で倒れた当時は中学の校長だった。生徒指導の心労が祟り脳梗塞を発症したといわれている。奥さんは、脳梗塞・癌ともに症状の改善は見込めないとおっしゃった。現実を現実として受け止めることができる気丈な魂をお持ちのようである。

八甲田山 死の彷徨

2009年08月09日 00時13分52秒 | Weblog
朝の6時に起き出して7時に家を出る。ディーゼル車に揺られて8時前には職場に着く。始業早々から仕事に追われて瞬く間に夕方の5時になる。そして帰路を広島駅に向かい、6時過ぎには自宅に到着する。

こういう生活を始めてようやくひと月が経過した。どうにか仕事もこなせるようになった。毎週毎週、1週間が経つのが著しく早い。それでも、なんだか納まりが悪いような心情だ。

通勤だけで1日に4キロばかりを歩く。この1月間で体重が3キロ落ちた。血圧の方も下落傾向にある。充実した日々の仕事にわれを忘れて励んではいるのの、何かが不足している。

ホームドクターの診療所で番が来るまで「八甲田山 死の彷徨」に目を通した。組織と指示命令系統について興味深い内容に触れたので借りることにした。ところが、同窓会に農事(草むしり)、墓参りやその他で読む暇がない。