旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

自己紹介

2007年07月26日 22時36分00秒 | Weblog
           王陽明の筆跡


つい最近のことです。思うところあって、「人類の知的遺産 王陽明」を買うつもりが、何かの拍子につい間違えてしまって、「人類の知的遺産 朱子」を買ってしまいました。

後悔しているところに向けて、同行していた女性から、「ふーん、じんるいのちてきいさん、『たまこ』かあ?たまこって、もちろん日本人でしょ?きっと有名なひとなんだ、ちーとも知らなかったわ。何をしたひと?」と追い討ちをかけられました。

怯まず、王陽明の「伝習録」だけは読み終えました。ところが、いきなり王陽明じゃ、無理があるということに気がついて、「大学 中庸」まで戻り、先週の日曜日に「論語」を買い求めて目下耽読中です。

ワイド版岩波文庫のおかげで、ようやく儒学に親しめるようになってきたものの、儒学がすんなり腑に落ちるようになって来た自分に年齢を感じるようにもなりました。

儒学は、自分の心と自らの経験で読むものじゃないかと考えています。いまどき、儒教・・・!?なんてえひとは、周りになかなか見つかりません。ネットあってのご縁じゃないかと思います。よろしくお願いします。いろいろ教えてください。

もう一度人生を

2007年07月24日 23時47分16秒 | Weblog
もう一度 もう一度人生を
あまりにむなしく過ぎていった
指からこぼれる砂のよう
踏んでも踏めない影のよう

道端に 小さな足跡を残して
すりきれた古い靴よ
歩くのに疲れて 傷ついた私に
新しい靴をおくれ

もう一度 もう一度人生を
涙と憂いの月日だけれど
何処かに落として来たらしい
自分をさがしにでかけたい

道端に 小さな足跡を残して
すりきれた古い靴よ
歩くのに疲れて 傷ついた私に
新しい靴をおくれ

もう一度 もう一度人生を
遅くはないのさ 今からでも
何処かに落として来たらしい
自分をさがしにでかけたい

         歌手 ザ・ゴールデン・カップス
         作詞 なかにし礼
         作曲 鈴木邦彦






ワイド版岩波文庫「海舟座談」

2007年07月23日 02時13分45秒 | Weblog
勝海舟の筆跡

羊頭狗肉というか、語りに切れがないというか、岩波文庫にふさわしくない著作である。「幕末明治の体験談、歴史的証言として貴重」と銘打ってはいるが、海舟の語り口は完璧に老人に固有の曖昧模糊としたそれであって、歴史的証言にしてはお粗末極まりない。

編者である巌本善治は、海舟73歳から77歳の間のインタビューだからやむをえないとでもいうのであろうか。「麒麟も老いては駄馬」とでも表現したくもなろうというもの。

もっとも、最近読んだ丸山真男の岩波新書「日本の思想」にしたがうならば、

「人々のふるまい方も交わり方も、封建制度の下では彼が何であるかということから、いわば『自然に流れ出て』きます。武士は武士らしく、町人は町人にふさわしくというのが江戸時代のモラルであります。各人がそれぞれ指定された『分』に安ずることが、社会の秩序維持にとって生命的な要求になっております。」

という時代に生まれ育った幕臣で野心家の海舟が、江戸城引渡という無血革命によってもたらされた新政府による業績本位の時代をどのように要領よく生き抜いたかを語る、ギャグとしての「歴史的証言」なのかもしれない。


聖湖畔の「ミネルバ」

2007年07月23日 01時29分00秒 | Weblog
アジサイ街道の終着地点から島根県に向けてさらに進むこと数キロ、聖湖畔の「ミネルバ」という喫茶店の名前に惹かれて寄ってみることにした。狭い侵入路は緑に覆われている。案内板にしたがって到着してみれば、2000坪余りの敷地にかなり広い山荘が構えている。

どのようにみてもかなりグレードの高い別荘風であるし、店の看板もない。場所を間違えたものと思い退散しようとすると、品の良い女性が2階から駐車場の案内をしている。

案内にしたがって表にまわると、広い駐車場があって緑に覆われていた。緑を傷つけないようにゆっくりと駐車して正面を見ると、喫茶店らしい佇まいの山荘が眼前にあるのでようやく安心した。

お店では、コーヒーをいただいた。彼方に望む臥龍山の山頂付近には霧が流れていた。山荘の庭は小雨にぬれていた。アジサイ街道の鮮やかさと対照的な渋い光景に思わずうなってしまった。

この喫茶店、実は渓山社「西中国山地」の著作で知られる故桑原良敏広島女学院大学名誉教授の奥様が、土曜と日曜限定で開いているカレーとコーヒーの専門店なのであった。


ミネルヴァの梟(フクロウ)

2007年07月22日 13時39分45秒 | Weblog
    アテナ




『ミネルウァ(Minerva) はローマ神話における知恵と工芸を司る女神である。英語読みはミナーヴァ。ギリシア神話の女神アテナと同一視され戦いも司るようになった。古代ローマでは人気を集めカピトリヌスにユピテル、ユノと共に三柱の神として神殿が立てられた。また軍装のミネルウァは女神ローマのモチーフとしてたびたび使われている。』フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)

「ミネルヴァのフクロウ」という言葉は、「ミネルヴァのフクロウは、迫り来る黄昏れを待って初めて飛び始める」というヘーゲルの『法哲学』の一節から一層有名になった。「哲学がその灰色を灰色と描き出すとき、生の姿はすでに年老いている。そして灰色を灰色に描き出すことによって、生の姿は若返らされることなく、だだ認識されるだけである」という文章の後に、「ミネルヴァのフクロウは・・・」というこの言葉が続く。真の認識は、事柄の矛盾が次第に明らかになる時節の到来を待って、つまり「迫り来る黄昏れ」を待って初めて獲得できるのだ、とヘーゲルは考え、それを飛び立つフクロウに喩えたのだ。(東京学芸大学学長 鷲山恭彦)



翻訳例
「ミネルヴァの梟は暮れ染める黄昏とともに飛翔する」
「ミネルバのフクロウは、迫り来る黄昏(たそがれ)に飛び立つ」
「ミネルヴァのフクロウは、迫り来る黄昏れを待って初めて飛び始める」
「せまりくる黄昏れをまって、はじめて飛び立つミネルヴァのふくろう」
「ミネルヴァの梟は暮れ染める黄昏を待って飛び立つ」
「ミネルバのふくろうは黄昏に飛びたつ」
「ミネルヴァの梟は黄昏とともにようやく飛び始める」
「ミネルヴァのふくろうは 夕暮れ時に飛び立つ」
「ミネルヴァのフクロウは、黄昏どきに飛び立ち始める」





和製英語

2007年07月19日 23時14分19秒 | Weblog
製英語       正しい米語

フロントガラス    windshield
バックミラー    rear-view mirror
サイドミラー    side-view mirror
ナンバープレート   license plate
クラクション    horn
ハンドル    steering wheel
サイドブレーキ    parking brake
アクセル    accelerater
バックギア    reverse
チェンジレバー    stick shift
ウィンカー    turn signal
ガソリン    gas
ガソリンスタンド   gas station
パンク    flat tire
エンスト     stalled engine
満タンにする    fill up the tank
ダンプカー    dump truck
講談社「これを英語で言えますか?」


これじゃアメリカで車を運転できない、とほほ。

茶の湯

2007年07月19日 22時48分53秒 | Weblog
千利休の筆跡


『晩年の利休は、茶の湯の世界から徹底的に装飾性を排している。最後には2畳の茶室を造ります。部屋には明かり窓もなく、墨跡を掛ける床の間も不要で、壁床で充分。道具も名物を見せ合うのではなく、茶入は漆喰棗(なつめ)、茶碗は黒い楽茶碗、掛物は紙表具が理想と言う境地に達したのです。
また、貴人口と従者口に分かれていた茶室の入り口は、小さな躙(にじり)口ひとつにしてしまい、手水鉢も、貴人が手を洗う背の高い手水鉢を排して、ひとつだけにしてしまいました。つまり、茶室に入るときは身分上下も関係なしということです。
薄暗くて狭い茶室で、地味な道具を使いながら、身分上下を忘れて亭主の点てたお茶を客がいただく。それが、離宮が完成した究極の「わび・さび」の茶の湯でした。そうなると茶の湯は、利休という非常に精神性の高い亭主がいてこそ成り立つものであり、誰にでもできるものではなくなってしまいます。』小堀宗実著「茶の湯の不思議」

単なる抹茶好きも、こういう説明を受けると、つい「茶の湯」の境地がわかったような気になります。それでも、茶筅と茶碗は揃えたもののヤカンからお湯を注いで一服では、・・・なかなか。

遠州茶道宗家十三世家元の小堀宗実さん、茶の湯の歴史について「闘茶」あたりから語り始めます。「茶の湯は『もてなしの心』」の節では、ある茶人に茶の湯の極意を尋ねられた利休が、次のように答えたと紹介されています。

一、花は野にあるように
一、炭は湯の沸くように
一、夏は涼しく
一、冬はあたたかに
一、刻限は早めに
一、天気にても雨の用意
一、相客に心をつけ候事

この7箇条を聞いた茶人が、「そんなことは、だれでも知っている。」と言うと、利休は、「あなたが、このことをすべてできる方であれば、わたしがあなたの弟子になりましょう。」と答えたのである。

門外漢からは見えにくい茶道の心や茶事の作法について、最初から最後まで様ざまなトピックで解りやすく説明してある。すいません、ちょいと文章に問題があります。が、しかし、実用書だと思えば、久しぶりにいい本を読んだという実感です。かなり為になりました、はい。



「流川安さん創業50周年記念の会」

2007年07月15日 23時47分40秒 | Weblog
久しぶりに街で飲みたくなって、つい同僚の誘いに乗ってしまったのです。動機は極めて不純でした。しかも、会の日付を間違えました。前日の夕刻にひとり会場付近をうろついていたというおまけまでつきました。

「記念の会」は6時半から始まりました。前の並木パラストの6階大ホールが会場です。ママさん、みこちゃん、大いに気をもまれたことでしょう。観測史上空前の大型台風4号が列島に近づいていました。にもかかわらず、小料理屋さんが主催する会に200名以上の常連さんが押しかけたのには畏れ入りました。

ママ(女将さん)が三味線を嗜むのです。三味線や篠笛・尺八をまじえた演奏や、民謡の披露がありました。もともと邦楽が好きなので存分に楽しませていただきました。次いで、昔の歌声喫茶を髣髴とさせるような「青い山脈」と「見上げてごらん夜の星を」の飛び入り歌唱があって場は盛り上がりました。料理も結構いけました。

ママは苦労人なのです。30年ほど前にご主人をなくされてからというもの女手ひとつで2人の娘さんを立派に育て上げられた。その娘さんが本業の傍らで愛らしく店を手伝っているというのも感謝の気持ちの表れなのでしょうね。

最後の中〆で、なんだか怪しい「正しい万歳三唱のやり方」の披露、指導がありました。「おそれ多くもかしこくも・・・」と、ご出席の皆さんにご起立を請うたうえで「流川 安さん 万歳!」の音頭をとったお調子者が約1名いました。

「青い山脈」の斉唱では躊躇する皆さんに先駆けて、壇上でいきなり2番から歌い始めたお調子者でもあるそのひとこそ、恥ずかしながらほろ酔いの「このわたくしめ」なのでありました。年配の常連さんたちの前で誠に僭越でございました、恐縮しました。

私も含めて、酒飲みにはシャイな人が多いのです。ほろ苦くも甘い「安さん」とのご縁につきましては・・・、またの機会にゆずらせていただくことにいたします。本当に楽しいひと時を過ごさせていただきました。感謝。

朝食

2007年07月12日 23時00分18秒 | Weblog
トウモロコシと向日葵の栽培を予定していましたが、事情があって叶いませんでした。それでも丸くて赤い実を結ぶプチトマト3本と長くて黄色い実を結ぶプチトマト1本が収穫期を迎えました。それぞれ4つから5つの房に7から10の実をブドウ状につけています。

早朝の庭に出て完熟したプチトマトを噛みしめると鼻の奥に向かってツンと新鮮な風味がひろがります。庭で大きく深呼吸をしてから、芳しいコーヒーの香りにつつまれた書斎でコーヒーと芳醇なパン、サラダをいただきます。困ったことに、日本人でありながらお米よりじゃがいもの方が好きなので、ポテトサラダをたっぷりとることが多い。

スイカが成長期を迎えました。大きな葉、ぶっとい茎に長いツルが育ち盛りです。早朝から家庭菜園という小宇宙で遊んでいます。だから早朝の食欲も旺盛です。

テロメラーゼ酵素

2007年07月10日 22時32分27秒 | Weblog
「もともと人体を構成する細胞は約50万回の分裂で活動を停止するという限界がある。分裂する回数は染色体の両端にある「テロメア」によって計算できる。テロメアには「TTAGGG」という塩基配列が一万字以上に渡って繰り返し並んでいる。これが細胞分裂のたびに短くなり、やがて活動を終える。細胞としての機能が低下すると、例えば物忘れや視力の減退となって表れる。こうした老化現象を経て人体はやがて死にいたるのである。
テロメラーゼと呼ばれる酵素がある。テロメアを再延長させる働きをする。したがって、テロメラーゼをコントロールできるようになれば、「あらゆる機能の寿命を倍に伸ばすことができるようになる可能性が高い。」、一部の研究者の間ではかなり以前から注目されているらしい。レナード・へイフリックの「細胞分裂限界説」によると、条件によっては人間の細胞は120歳まで分裂を繰り返す。テロメラーゼ酵素をコントロールできようになれば、人間の寿命が150歳まで延びる可能性がある。」浜田和幸著 「未来ビジネスを読む」

①近未来は「パックス ジャポニカ」の世界。
②近い将来、人間の寿命が飛躍的の延びる。

以上の2点について、過去15年間にわたって事あるごとに主張してきた。直感であるから具体的な根拠は薄弱である。だから、こういう報告記事をみるとなんだか嬉しくなる。ただ、未来学者というのはなんだか怪しい。その怪しさが文体に現われているんだよなあ。

クレーム

2007年07月10日 09時55分29秒 | Weblog
他人様の意向を汲み取るのは難しい。こちらでその意向らしきものを推測するしか術がないのだからなお更だ。ひとは合理性でのみ行動する動物ではない。各々の感情が介在するから厄介なのだ。だから、合理性という衣装をまとった感情論ほど手ごわいものはない。5時間に及ぶ説得の後、鉛のような疲労感のみが残った。

蟹の肩

2007年07月07日 23時47分59秒 | Weblog

今日は、美味しそうなマツバ蟹(ズワイガニ)の肩(蟹を二つに割いたものを肩と呼ぶのだそうだ。)3つを威勢のいい兄さんから買った。そして偶然にも紹興酒が一本残っていたので、さっそく試してみることにした。酒に蟹のハサミがあうと詠んだのは李白である。

季節はずれの蟹は、既に茹でてあるにもかかわらず妙に身がしまっている。肝心のハサミを真っ二つに切って、身のしまり具合をアッピールしていた。その見本をつけてくれと言うと、兄さん少し動揺したようである。店主にことわったうえでしぶしぶまけてくれた。

紹興酒に蟹、なかなかいける。果たして李白はどのような酒に蟹のハサミが最高の肴であると詠んだのであろうか。まさか、甘口このうえない紹興酒にマツバガニはないであろう。多分、モズクガニにもっと辛口の老酒あたりじゃないかと想像してみる。

主食は安芸津でとれた新ジャガとトウモロコシ、これは隣のおばさんからいただいた。紹興酒の甘いあとくちを飛ばすための冷たいビールのつまみとして、季節を満喫した。

顛末

2007年07月06日 13時45分00秒 | Weblog
責任者のサインとともに、本社から2行の説明文と付表が送られてきた。この内容ではクライアントからのクレームに対する回答になっていない。担当部署に抗議した。担当者は「じゃ、どのような回答をすればよいのか、あなたが書いてみてください。」とそっけない。

クライアントの要望に沿った形の回答文を自分で作成したうえで、添付ファイルにして本社宛に送った。翌日、ほぼそっくりそのままの文章に役員の署名と役員の印が押された文書が手元に届いた。実に呆気なかった。

クライアントに正式な文書が届いたと伝えた。「遅い!」と多分に呆れた様子であった。とりあえずFAXでクライアントの元に送った。既に1ヵ月が経過している。電話で延々とクライアントの小言が続く。

何はともあれ、役員の権威とやらをうまく利用して、どうにか説明責任を果たした。後は野となれ山となれである。「これでなお、会社を信じていただけないのであれば解約しかない。」と胸を張って言える。

今回は会社組織というものについて考えさせられた。一匹狼を気取っていても、会社という縄張りを失うと一匹狼転じて野良犬になりかねない。会社員というものは安泰に見えても意外に危うい立場に置かれているのだ。

「これ以上本社を追求すると、あんたの首が飛ぶような予感がする。あんたには会社にとどまってもらって、しっかり面倒をみてもらわないといけないからもういい。」とクライアントが言い放った。