旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

訳本と原著の出会い

2015年03月31日 21時48分08秒 | Weblog

『ジョン・デューイ Logic: The Theory of Inquiry (1938) 英文』を落札して『世界の名著 バース・ジェイムズ・デューイ』の巻頭、上山春平の「プラグマティズムの哲学」から読み始めようとしたら、その前に目次があってデューイの著作が日本語訳「論理学ー探究の理論」であることを確認できた。何か引っかかるので「論理学ー探究の理論」と「Logic: The Theory of Inquiry」 を照らし合わせてみた。
logicの和訳は①論理学、②論理だ。探究を和英辞典で引いてみたら、a research, an investigation , a study, an inquirry, a questとある。theoryはもちろん①理論、学理②学説、説、論③意見、考えであるから『世界の名著デューイ「論理学ー探究の理論」』は「Logic: The Theory of Inquiry 」の翻訳に他ならない。「プラグマティズムの哲学」には、私が落札した本と同様の写真までのっていた。昨日決済した原著(郵送料込みで614円也)が届くのを楽しみにしている。

https://youtu.be/kphLv3KHWFM


山桜

2015年03月30日 07時33分38秒 | Weblog

 

侍・ニッポン

作詞:西条八十  作曲:松平信博 昭和6年4月(1931)

一、
人を斬るのが  侍ならば
恋の未練が  なぜ斬れぬ
伸びた月代(さかやき)  さびしく撫でて
新納鶴千代  にが笑い

二、
昨日勤王  明日は佐幕
その日その日の  出来心
どうせおいらは  裏切り者よ
野暮な大小  落し差し

三、
流れ流れて  大利根越えて
水戸は二の丸  三の丸
おれも生きたや  人間らしく
梅の花咲く  春ぢゃもの

四、
命とろうか  女をとろか
死ぬも生きるも  五分と五分
泣いて笑って  鯉口きれば
江戸の櫻田  雪が降る


https://youtu.be/ti_phCjhLSU

 


陶淵明

2015年03月29日 19時22分10秒 | Weblog

片道4キロをトコトコ歩いてブックオフ八木店で本を漁った。岩波文庫のコーナーで「唐詩選」上中下3冊と「中国名詩選」上中下3冊(いずれも岩波文庫)をみつけて購買意欲をそそられた。ところが最近買う気をそそられる本は数年か数十年前に買っていて、すでに本立てや本棚の肥やしになっていることが多い。さらに困ったことに、ふたつの選集ついてはその昔に買ったような薄っすらとした記憶が残っている。
衝動を押さえて他の表題を追い続けていたら、赤本「陶淵明全集」上下(岩波文庫)が目にとまって、陶詩かデューイの青本「学校と社会」(岩波文庫)かどうかで迷った。プラグマティズムのデューイにはかなり以前から漠然とした興味を抱いていて目下、彼の英文原著「Logic: The Theory of Inquiry」(1938年版)に入札している。というのにいまだデューイの「世界の名著」にさえ目を通していない。購入するのは陶淵明全集に決めた。


  ジョン・デューイ

訳注をした枝松茂夫は全集 上巻末の「陶詩のすすめ」で「陶淵明を『静謐』などといってあがめ奉る人があるが、それは陶淵明が撰文家や摘句家によって縮小されているがためにほかならない。」と魯迅晩年の随筆から引用して、詩文選集や摘句をあまり信用してはならないと繰り返し忠告している。わたしも日頃から、摘句を諳んずるだけで読んだ気になることを戒めている。


10キロウォーキング・デー

2015年03月29日 08時27分37秒 | Weblog

さてさて本日は10キロウォーキング・デーなので、ブックオフ八木店かフタバ図書メガまで歩く。商品の豊富さではブックオフに軍配があがるが、本の質や雰囲気ではギガが勝る。すでに漫画本をのぞいた商品の数でもギガがブックオフをうわまわっているのかも知れない。今日はギガ詣でに決めた。バスで矢口停まで行ってそこから歩く。


繋がる

2015年03月28日 19時58分58秒 | Weblog

十分な休養が奏効して呆気ないほど順調に仕事の「勘」が戻ってきた。難なく仕事をこなしている。久しぶりの休日なのでご先祖様の墓に参ってから病院に母を見舞った。遅い昼食は「王将」で餃子2人前をタレなしラー油のみでいただいて、野菜の蒸籠蒸しを塩なしタレなしで味わった。
ここ数日は本の点検を進めている。今日は、自らの好奇心の多様さに感心しながら書棚の整理にあたった。そういえば書斎の掃き出し窓側にある駐車スペースの拡張工事が進んで工事がほぼ完了した。2日前にうったコンクリートもまもなく乾く。これで公道からの進入が随分楽になる。ようやく本屋の駐車場とわたしの書斎が繋がった。


むらさき

2015年03月27日 21時48分32秒 | Weblog

この2か月で体重が5~6キロ落ちた。筋肉まで落ち始めたのじゃないかと思うくらいスリムになったので、今日は「スシロー」で15カンばかりの寿司を食ってタンパク質と炭水化物をしっかりと補給した。寿司は減塩のためにむらさき(醤油のことです)につけないで、ネタ本来の風味を味わった。
そういえば、2か月ぶりに会う皆さんがわたしを見て例外なく「痩せた痩せた」と仰る、「後遺症はないのですか」と尋ねる。「そうです。血圧を下げるには減塩・減量が効果的です、塩分は日に5グラム以上取らないようにしています(食事の風味がかなり損なわれているということです)。肥満防止のために摂取カロリーを落としています(空腹に耐えているということです)。この2か月間というもの1日の例外もなく減塩とカロリー制限に耐えてきました。後遺症はありません。」と答えることになる。
生活習慣病は快楽病だといわれる。「分っちゃいるけどやめられない」ために多くの先人が寿命を縮めた。今回の摂生に挑んでみたら禁欲的な食生活に耐えることができるようになった。もっとも未来永劫、歯をくいしばって禁欲的な生活を送ろうというのではない。できれば自然体で禁欲的になれればそれでよい。したがって「分っちゃいるけどやめられない」という「スーダラ節」をわたしの愛唱歌から外した。頭の中に刷り込まれた歌詞を消していった。そしてわたしは、2か月に及ぶ療養という名のトンネルを抜けようとしている。

 

スーダラ節

作詞 青島幸男  歌 クレージーキャッツ

チョイト一杯の つもりで飲んで
いつの間にやら ハシゴ酒
気がつきゃ ホームのベンチでゴロ寝
これじゃ身体(からだ)に いいわきゃないよ
分かっちゃいるけど やめられねぇ
ア ホレ スイスイ スーダララッタ
スラスラ スイスイスイ
スイーラ スーダララッタ
スラスラ スイスイスイ
スイスイ スーダララッタ
スラスラ スイスイスイ
スイスイ スーダララッタ
スーダララッタ スイスイ

ねらった大穴 見事にはずれ
頭かっときて 最終レース
気がつきゃ ボーナスァ
すっからかんのカラカラ
馬で金もうけ した奴ぁないよ
分かっちゃいるけど やめられねぇ
ア ホレ スイスイ スーダララッタ
スラスラ スイスイスイ
スイーラ スーダララッタ
スラスラ スイスイスイ
スイスイ スーダララッタ
スラスラ スイスイスイ
スイスイ スーダララッタ
スーダララッタ スイスイ

一目見た娘(こ)に たちまちホレて
よせばいいのに すぐ手を出して
ダマしたつもりが チョイとだまされた
俺がそんなに もてる訳ゃないよ
分かっちゃいるけど やめられねぇ
ア ホレ スイスイ スーダララッタ
スラスラ スイスイスイ
スイーラ スーダララッタ
スラスラ スイスイスイ
スイスイ スーダララッタ
スラスラ スイスイスイ
スイスイ スーダララッタ
スーダララッタ スイスイ


除籍本

2015年03月26日 19時10分49秒 | Weblog

50日余りの休職を余儀なくされた。幸運にもこの月曜から復職が叶って、明日で5日の通常勤務を全うすることになる。あとは土日の休日が待っている。休職中も何度となく土日はあった。しかし、今回の連休は喜びに満ちているところが従前と違う。連休はしっかりと自分の足で歩く。他人のためではない。自分の身体のためにだけ歩く。10キロ見当の、のんびりした散策になる。幸いなことに私の仕事はこの季節が閑散期になるので思考を巡らせる煩わしさがない。尻上がりに気候もよくなっていることだし、理学療法士さんやかかりつけ医の先生が仰るように、頭をからっぽにしてただ街を歩く。

     出口王仁三郎          狩野亨吉   


「近代日本 哲学思想家辞典」は読んで楽しい。除籍本なのでこれ見よがしの蔵書印や書き込みを懸念していた。ところが届いた辞典は関西学院大学社会学研究所の除籍図書だった。1982年に備えられて2004年の3月に除籍となっている。想像していたよりも本体はきれいで辞典自体には風格がある。この種の書籍に興味を示す季節外れのアホはわたしぐらいのものなのかと妙な感慨にふけっている。宗教家についてもかなり詳しい。久しぶりに、大本教の出口王仁三郎の人物像や宗教観の片鱗に触れることができた。また思想家では、安藤昌益を発掘した狩野亨吉や宗教哲学の波多野精一(波多野精一全集 全6巻を蔵書している)の気骨ある探究心に感動を覚えた。なんどめくっても興味が尽きない辞典だ。


神への誓い

2015年03月25日 07時33分43秒 | Weblog

今日で復帰して3日目になる。あれをする、これをやめると決めて実行できるかどうかは3時間、3日、3週間、3年、30年が目安になる。今日で無事3日目を迎えることができた。復職できた喜びがこみあげてくる。しばらく今の職場に留まることができそうだ。
療養中のある時期は神頼みになったこともある。真摯に神仏に感謝し祈った。神社では神様にお願いするのではない、神の面前で誓うのだというひとがいる。健康になれますようにと祈るのではなくて、「健康になる」と誓うのだという。すっと腑に落ちるし、確かに一理ある。
ところが、この仕事をやり遂げるための気力・体力を失ってなお、「この仕事を続ける」と神に誓うのは傍迷惑な話だ。この歳になると、「引き際について思慮しながら、日々の仕事を全うできるように努力する」程度で足りるのではないだろうか。


職人さん

2015年03月23日 23時19分37秒 | Weblog

5時過ぎに家路に就いた。途中でかかりつけ医の先生に降圧剤を処方していただく時間を割いても、帰宅したわが家にはまだ陽が残っていた。居間先の庭で職人さんがテラスの塗装をやっていた。好きな薄緑色だ。帰宅に気がついて、「きっとご主人の気にいっていただける思いまして。」とにこやかにほほ笑んた。こうして復帰の初日が暮れた。


ニーチェ本

2015年03月20日 17時30分07秒 | Weblog
プラトン全集を落札できなかった腹いせに、「悲劇の誕生」「道徳の系譜」「善悪の彼岸」「ツァラトゥストラはこう言った 上・下」「この人を見よ」(以上、岩波文庫)、「喜ばしき知恵」(河出文庫)、「 キリスト教は邪教です  『 アンチクリスト 』」(講談社α新書)、「若き人々へのことば」(角川文庫)、「知の教科書 ニーチェ」(講談社選書メチエ)のニーチェ本計10冊セットを送料込み2500円足らずで落札した。
定価だと8000円を上回るにしても古本だから安いのが当たり前だ。ところが、今日届いた商品をみたらいずれも新本同様(特に岩波文庫は新品と紛いそうだ。)なのでかなり気をよくしている。上記の内、岩波文庫分は20有余年前に古本で買い揃えている。哀しいことに紙の酸化が進んで紙面が褐色に変色した。思い切って古い岩波文庫のニーチェ本3冊は資源ごみに出すことにした。
 
 
そして今日は、落札した「近代日本 哲学思想家辞典」(東京書籍)の到着を待っている。

 


プラトンのイデア論

2015年03月19日 21時13分30秒 | Weblog

ヤフオクでデカルト著作集とプラトン全集を落とせなかった。昨今はたかがオークションくらいでむきにならない。デカルト著作集は最高入札価額が5000円を、プラトン全集は12000円を超えた段階で降りた。プラトン全集、デカルト著作集はともに図書館で読むか図書館から借りて読むことになる。
そもそも、プラトンの対話篇は「国家」「法律」ほか10有余冊(いづれも岩波文庫)が本棚で眠っているし、書斎には、R・S・ブラック著「プラトン入門」(岩波文庫)や世界の名著「プラトンⅠ・Ⅱ」ほか概説図書が多数積んである。西洋思想大事典も「プラトンのイデア論」に詳しい。

 

                       プラトン


プラトンの「イデア論」は学生時代に理解した気になっていたというのに、木田元著「反哲学史」(講談社学術文庫)の第五章「プラトンのイデア論」を読んでもなかなか腑に落ちない。やむなくあれこれのプラトン著作を渡り歩いていたら、いつの間にか「プラトン全集」のオークションにたどり着いていた。(以降は、こういう盲目的な本漁りは止めようと思う。)
「反哲学史」の中で木田元は、プラトンのイデア論についての言及を「古来神のように崇められてきたプラトンの思想について『 随分乱暴な議論 』を展開することになりました。」と結び、そのような乱暴な議論・解釈を裏付ける傍証としてアリストテレスの証言を挙げている。ということは木田元が、アリストテレスを参照しながら第5章「プラトンのイデア論」を書きあげたことになる。腑に落ちないはずだ。


検診

2015年03月19日 18時55分55秒 | Weblog

本日の「退院して一か月目の検診」で憂慮されるような所見が認められなかった。親からもらったこの身体を愛おしく思う。気をよくして、克服すべきターゲットを懸案の食習慣に絞った。
この2か月で難なく体重が5キロ落ちた。摂生や禁欲にはやたら強いのだ。15年ほど前に禁煙して肥満が始まった頃の体重は65キロだった。あと2キロばかり落とせば当時の体重に戻る。塩分の摂取は入院前の3分の1から4分の1になった。摂取カロリーは半分以下に収まっている。改めて体感した、危機感は惰性を容易に克服するものだと・・・。私は120歳まで生きる予定だから摂生を続ける。