旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

公務員

2009年09月27日 12時15分31秒 | Weblog
たとえばハローワークでは求職に訪れる皆さんひとりひとりを公平に扱わなくてはなりません。公平に扱うとは特定のひとを特別扱いしないということです。これって結構骨が折れることなのです。究極的には国会で定められた法律が判断基準ですから、行政と市民の解釈が一致することが行政処分の前提になります。ところが、その前提に理解がない市民がいかに多いことか。自分できっちり法律を理解したうえで自分の主張をされるのならよいのですが、感情論が先行して説明に当たる責任がある職員の法律の解釈論が全く耳に入らない。法律で定められていること自体が問題であるような発言をされるとつい「じゃ、立法府に責任を問いなさいよ。」と言いたくなってしまいます。

最近の雇用対策で面白い現象を目撃しました。8月からの実施に向けて本庁から次々に手続き・解釈に関わるマニュアルが届くのです。結局、高さにして50センチほどの書類の山を一方的に送られた末端では恐る恐る手続きにかかろうとしました。ところがその内容が豹変するのです。終いには政権が代わってこの政策は風前の灯と相成りました。事態はともかく、ここで私が確信したのは、その書類を本省から送り続けた官僚さんたちの頭の悪さです。受付窓口の誰が読んでも理解できない。職員が理解できない。非常勤職員はなおさら理解できない。つまりこんなマニュアルで窓口業務ができるわけがない。行政を指導してゆくべき立場にある(高級)官僚に事務的な整理能力があるとは到底思えません。窓口の末端公務員とちょぼちょぼ、却って彼らが事務を混乱させているのじゃないかとすら思えます。20代のある時期によく勉強ができたことを既得権と考える(高級)官僚たちの無能さを垣間見ました。もっとも最近では東大生にとって公務員は魅力のない職業になってしまったようです。

私は○○さんとは違って、「日本の政治の屋台骨を支えてきたのはやはり末端の官僚(公務員)」であると考えるようになりました。私の部署に約25名の職員がいます。が、そのうち本当の職員は7名(殆どは役職者)に過ぎません。残りは非常勤の職員(準職員)で、多くの職員の月俸は15万円、専門職の月俸ですら28万円で、もちろん職員さんとは違って準職員にボーナスはありません。しかも準職員の場合は1年の契約です。私が勤めるハローワークの職員総数の約60パーセントは準職員であり、他のハローワークもほぼ同様です。ハローワークで職業相談や訓練相談にのっている職員の殆どは準職員であるということになります。管理業務を除くと正規の職員とほぼ同一内容の労働に従事して行政を担当しています。この報酬にこの待遇、市民のために歯を食いしばって行政を支えているのは末端の公務員じゃないかと思い至っている所以です。準職員を含めた平均値でいうと公務員は豊かでも身分が保障されているわけでもありません。


諸行無常

2009年09月13日 20時09分56秒 | Weblog
Weekdayは濃い時間が流れているから頭を使うような読書から遠ざかっている。行き帰りに利用するJRディーゼルの車両で読むのはもっぱら「ブッダ最後の旅」だ。

【 「もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成なさい。」これがブッダ最後の教えであった。この教えを踏まえると仏教の要訣は無常をさとることと修行に精励することに尽きる。無常の教えは釈尊が老いて死んだという事実によって何よりもなまめかしく印象づけられる。それが経典作者の意図であった。ところが年代の経過とともにゴータマ・ブッダは仏として神格化され、仏の出現は稀であるとか、仏の体がみごとであったとかいう神学的思弁が諸異訳のうちに付加されるようになった。 】
「ブッダ最後の旅」中村元訳 岩波文庫 訳注より引用

中村訳の「ブッダ最後の旅」(大パリニッバーナ経)は非常に解りやすい経典だ。

返信

2009年09月12日 21時08分21秒 | Weblog
ご拝読ありがとうございます。忌憚のないコメントありがとうございます。以下、少々見解や意見の相違があります。

「勤労の義務」には、義務を怠った場合の懲罰規定がありません。「黙って働け」というニュアンスとは異なるように思います。また、日々、職業相談に応じつつ様々な求人票を見ています。求人の90%以上の企業の月の基本賃金は、13万円から20万円までの範囲に収まります。これで中流とはいえません。

ソ連が崩壊し、中国が市場経済に移行しつつある現在、資本主義経済のネガティブな部分よりもポジティブな面を評価してみるのも悪くはないと考えています。男女雇用機会均等法の制定に象徴される男女共同参画型の社会は、これからの労働や消費経済にとって望ましい制度なのではないでしょうか。

久しぶりに敬愛するドクターと話しました。「最近の中若年層はなぜ故に競争することや努力することに億劫なのか?」という話題になりました。「ゆとり教育」のせいだとドクターは断罪しました。社会であれ学校であれ、目標に対して激しく競争した者、懸命に努力した者には得るものがある。怠った者には得るものがないであろうという推論です。

人間の意欲の源泉について考えることが多い日々が続いています。

勤労の権利と義務

2009年09月09日 20時16分16秒 | Weblog
窮すれば鈍するという。しかし、日本で働く中国人は窮しても貪欲だし、南米から出稼ぎに来ている日系人は窮してもなお野性的だ。求職者の群れの中で日本人のみが野性味や貪欲さを失ないかかっているようだ。何が日本の労働者をここまで無気力にしたのか掴めない。

誤解を承知で言わせていただくならば、成熟した社会の高福祉が原因のひとつであることは間違いない。勤労の権利と義務を負う日本人の間で、本当に経済的な支援が必要なひとたちのために制度化された公的支援に、ぶら下って恥じない癖をつけてしまった不埒な者が増えつつあるのだ。




雇用問題

2009年09月08日 21時09分00秒 | Weblog
雇用問題が深刻だ。求職者は溢れているのに求人がない。ハローワークは早朝から夕刻まで、仕事を探す人、応募のために紹介状の発行を求める人、雇用保険の受給手続きに訪れる人でいっぱいだ。求人の検索をするために来所するひとが日に500人以上、雇用保険の受給手続きをするために来所するひとが日に100人以上、求人先への紹介状の発行がおそらくは300件以上(職を求めている人は200人以上)にのぼる。

職業紹介の窓口に座る私が相談に応じるひとの数は日に20人近い。少ない求人の内から厳選して応募しようとした求職者のうち3名ばかりは、年齢や性別のせいで不採用の意思表示が下される。門前払いだ。従業員数が二桁の会社でも、正社員・社会保険ありとなると2、3日で20から30名の応募が殺到する。典型的な買い手市場が続いている。この頃は、無気力な人が増えているように思う。どうせダメなのだがという諦念つきの応募が増えている。