旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

ブッダ 最後の旅

2014年04月30日 21時00分37秒 | Weblog

ここ一週間ばかり鼻炎に悩まされていて、やはり全身の免疫力が低下しているのではないかという漠然とした不安を抱えていた。きのう広島城の青葉のなかで気心が知れた仲間と飲み、食べ、語らっているうちに鼻炎は霧散してしまったようだ。きょうはなんの症状もない。免疫力云々は杞憂だったのだろう。それ以上は詮索しないことを心に決めた。

1時間ばかりかけてエクセルで入力した名簿約100件をみずからの誤った操作で消失させてしまった。家路についてから、2か月ばかり心が散漫になっていたことに気づいてひとり苦笑する。心の整理をするために、折り目だらけの中村元訳「ブッダ 最後の旅」(岩波文庫ワイド版)を読んだ。この本をこれまでになんど読み返したことだろう。


雨上がり

2014年04月30日 06時56分38秒 | Weblog

職場と書籍とマイ・ホームだけが住処(すみか、住家は当て字)ではない。広島市郷土資料館や広島城にも寛げる場所があった。雨模様から晴れ時々曇りへ、午後の散策は新緑と春の光で満ちていた。難しい談話は次回のビア・ガーデンに持ち越される。今日から私は揺らぐことのない日常生活に復帰する。


空港

2014年04月27日 20時24分14秒 | Weblog

                                                           

春先から気にかかっていた、バラとさくらんぼ、オリーブに肥料をやった。それから広島空港にでかけた。台地では山々の若葉が燃えていた。


鈴蘭

2014年04月26日 08時10分37秒 | Weblog

バラの手入れから始めた。5年ほどかけて挿し木からここまで育てあげた。12、3本がつぼみをつけている。根が張ったので近いうちに大きな鉢に植え替える。オリーブは売れ残っていた形が悪い特売品を二本仕立てにした。昨年は裏作だった。小さくて白い花の結び具合からみて今年は多くの実を結びそうだ。ようやく若葉をつけたヤマボウシのつぼみの数に勢いがある。まもなく黄緑から白い衣装に衣替えをすることだろう。可憐なスズランが咲き始めた。一坪余りの庭の一角から庭に向けて根を張り続けている。赤紫の沈丁花と紅赤の山茶花はすっかり花を落としてこれから黄緑の新芽を出す。ユキヤナギも勢いが失せた。お隣との境界の金木犀が赤緑の新緑に覆われた。ザクロも新芽を吹き始めたばかりだ。ビラカンサスは黄赤の実を落としてこれから新しい葉に覆われる。2本の紅葉は手で枝をちぎって形を整えた。野ブドウの葉も張り始めている。そんなに広い庭でもないのだけれど、菫にグミ、紫陽花に枝垂れ、梅に杏子、千両・万両の蘇鉄、幾種類もの名も知らない花木、この連休は忙しくなりそうだ。

 


緑の連休

2014年04月25日 07時01分42秒 | Weblog

金曜日のトンネルをくぐると緑の連休が待っている。自然に身を任せる格好の時節が到来した。庭木に肥料をやって数日馴染ませてから水をやる。庭の小さな菜園にきゅうりにトマト、なすを植える。時間が許せば近くの白木山に登りたいし、植物公園や緑化公園を歩いてみたい。久しぶりに石見海浜公園やキララ多伎の海辺もよいと思う。

 


春の夜長

2014年04月24日 22時21分49秒 | Weblog

軽い夜食を済ませてから久しぶりに本を漁った。週刊誌的新書は食傷気味だ。一般書のコーナーで吉本隆明著「真贋」(講談社)と日本心理学会編「心理学ワールド」50号刊行記念出版の2冊を買い求めた。

「心を描写するためのことばが日本語に豊富にあったとしても、研究者たちが日本語を生かすことを徹底するのが稀となる傾向も強かった。しかし、翻訳や紹介の価値を否定するのではなく、外国から学ぶと同時に日本語を生かした研究や日本文化を強く意識する理論化も大事であり、特に患者と共有しにくい非日常的言語や外国語が臨床理論に多いという傾向は心を取り扱う仕事に相応しくない。」北山修の記事「心理学ワールド」8号から引用。

「真贋」は吉本隆明83歳の著作だ。確か数年前にも購入した。行方は不明。睡眠薬代わりにこれから読む。といって私に睡眠薬がないと眠れなような症状があるわけではない。正しく言えば睡眠薬や寝酒の代わりに読むのでもない。子守唄代わりに読むのだ。子守唄代わりに?これも考えてみると妙な譬えだ。


回転が止まるとコテンと倒れてしまいそうなコマ

2014年04月23日 19時44分13秒 | Weblog

あと2日間仕事に勤しむと連休に雪崩込む。友人たちとの広島散策のほかにこれといった予定がない。来週の月曜日か金曜日のいずれかを休暇にして4連休、または5連休で体の寝息に耳を傾けることになりそうだ。

                                 ランボー 

「この土地はおさらばだ、何処へでも構わぬ。志を立てた壮丁ら、俺たちは、猛悪な哲学を持とう。学識には文盲を、慰安には獄道を、歩み行くこの世には決裂を。これこそ真の発展だ。前進せよ、出発だ。」 ランボウ作 小林秀雄訳「地獄の季節」 (岩波文庫)


公立図書館

2014年04月23日 07時38分24秒 | Weblog

仏教に親しむと抹香臭い。儒学はジジ臭い。プラトン・デカルトにカントは無色で味気ない。それでも読む本に思いを馳せるだけで心が弾んでくる。
この連休は、読みかけの「孟子」か、変遷を強いられている憲法・法の精神を追ってシュミット、ケルゼンか、心理学で国分康孝、フロイトの「文化・芸術論」か。「岩波講座 東洋思想」「岩波講座 哲学」か、それとも久しぶりに県立図書館か市立図書館で本探しか。


復帰

2014年04月22日 19時52分18秒 | Weblog

脳を解き放って心を澄ませ、対戦前のボクサーのように、じっとゴングが鳴るのを待つ。体が整い始めると再び、精神が先哲の言葉を追い始めた。知恵熱に脅かされない範囲で思想・哲学に戻る。西洋哲学の日を浴びながら東洋哲学で畑を耕す。そして今年のお盆過ぎにまたひとつ歳をとる。


読書疲れ

2014年04月20日 20時12分27秒 | Weblog

ふかしたジャガイモに塩をふって食べる。チョコを3、4粒と熱いコーヒー、それに昼寝と読書、散策と庭の掃除。これらの処方は心因性の高熱には効きそうだ。
過ぎたるは猶及ばざるが如し。それにしてもエマニエル・カントと中島義道を読んだぐらいで知恵熱とは情けない。


心因性高熱

2014年04月19日 20時03分35秒 | Weblog

14日の火曜は実質病欠になった。高熱でダウンして昼前に学校を早退したのだ。体温が前日から38度を越え、昼前には38度8分に達した。何しろ体に力がはいらないうえに震えがとまらない。食欲がない。病院計測で体温は38度2分だった。喉は痛くないし咳もない。鼻水はでない。頭痛もない。
浅薄
な医学知識から、高熱というとインフルくらいしか思い浮かばない。予防接種を受けているので熱だけが症状としてでたのだろうくらいに考えていた。私の自己診断はよく外れる。今回も見事に外れた。
まず、鼻の奥をつつかれたあげくにインフルではないことが判明した。次いで、血液検査で、医師が懸念したような病気でないことが明らかになった。原因は不明ながら、抗生物質の点滴を受けて2度解熱剤を服用したら熱はおさまった。
ネットで原因を調べてみた。子供の知恵熱と根が同様の症状で、処理能力を超えるストレスに見舞われたり能力を超えて頭脳を酷使すると、子供でも大人でも高熱という症状に見舞われることがあるのだ。能力を超えた云々には身に覚えがある。
この症状を心因性高熱という。内科的・外科的には原因が不明で心療内科の範疇ということなのだろう。ここはまた迷惑を承知で、かかりつけ医の先生のところで解明することになる。先ほど熱を測ってみたら1回目が34度2分に2回目が35度7分だった。


枝垂れ

2014年04月18日 07時23分10秒 | Weblog

ここのところの日照りと雨に高温で、庭木がみるみる枝垂れてゆく、スズランの芽が一斉に吹き出す、嬉しい季節になった。黄緑に萌えあがる西広島山地のブナ林を思う。
ようやくプラトンとカントの思考法の輪郭がみえてきた。それにしても読書が過ぎた。明日は街を歩き野山に遊ぶ。

                庭のゆきやなぎ 


中島義道

2014年04月17日 20時50分43秒 | Weblog

初っ端で、「失業中の身であって、どうしたらいい仕事にありつけるかというような人はコンナ本を読んでる暇があったら、職業安定所にでも行って相談するほうがよろしい。易者にみてもらう方が、まだマシかもしれない。」と宣言する中島義道著「働くことがイヤな人のための本 仕事とはなんだろうか」(日本経済新聞社)を読む。
寝床で読んでいるうちに翌日になってしまって、本日は睡眠が十分にとれていない。中島義道は難しい言葉を使わない。だからよく読む。引きこもりの経験があるというのに多弁で戦闘的で無頼派だ。なにしろ「とにかく、私は働きたくないと思いつつ、長い長い(ウィーン時代を含めて16年間に及ぶ)大学生活を送りました。そして定職に就いたのは、實に37歳の時。」という猛者だ。


春爛漫

2014年04月17日 04時56分11秒 | Weblog

今朝は早くから目が覚めた。ひさかたの早朝ランニングにでかけようとしたら雨音がする。やむなく新聞で時間をつぶすことに決めて庭にでた。赤い月がぼんやりと天上にあった。雨は落ちていない。部屋に戻って気がついた。雨音だと思い過ごしたのはコンピュータのモーター音だったのだ。
一昨日に発熱があったことだし、もう少し自重しろということなのだろう。そういう方向に気持ちが転んでしまってランニングの意欲は萎えてしまった。熱いコーヒーを飲んでからしばし読書にふけったあとで新聞で気を引き締める。それから春爛漫の市街地を抜けて海辺の職場に向かう。

                                       庭のすずらん