旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

サイモン&ガーファンクル

2009年12月31日 11時29分57秒 | Weblog
サイモン&ガーファンクルの詩集を買った。
サウンド・オブ・サイレンス(”The Sound Of Silence”)、お気に入りの一節は、

Peaple writing songs that voices never share
And no one dare,
Disturb The Sound Of Silence.

”Foolish” said I,”You do not know,
Silence Like a cancer grows.
Hear my words that I might teach you,
Take my arm that I might reach you.”

But my words like silence raindrops fell,
And echoed in the wells of silence.
 
だ。

同じく、”I Am A Rock”なら、

I have my books,
And my poetry to protect me,
I am shielded in my armor,
Hiding in my room,safe within my womb,
I touch no one and no one touches me.

I Am A Rock,
I am A island.

And a rock feels no pain,
And an island never cries.

とは・・・、うまいこと表現するものだ。

今年をふり返って

2009年12月29日 20時30分46秒 | Weblog
休暇があってないような保険会社から転職してちょうど半年が経過しようとしている。来月からめでたく年に10日間の有給休暇がとれる。年休権は、労働者が6ヶ月間継続勤務し全労働日の8割以上出勤した場合に発生する。この半年間で1日しか休んでいないから、117÷118≒99.15%>80%、実に立派な出勤率だ。有給休暇は有効につかわせていただくことにする。

当初は、慣れないデスクワークとコンサルティングで大いに戸惑った。官民のカルチャーショックすら覚えた。しかも、朝6時に起床、7時過ぎには家を出る。この数10年間経験がない規則正しい生活を送った。転職したのがちょうど夏場であったことも手伝って体重は2か月で5キロほど落ちた。前歯が虫歯にやられて土日のいずれかに治療をした。

この間、サバイバルを賭けた資格試験に挑んだために休日にゆっくりと休養した覚えがない。歯の治療で神経まで抜かれたから尋常な状態ではなかった。歯を削ったり磨いたり、麻酔をかけられたりで体況が万全なはずがない。当初は趣味で取り組んだ農業もいつしか義務化して尻すぼみになっている。

それでも気が張っていたせいか風邪ひとつひかなかった。毎日毎日さまざまな要望の方と話し、粛々と手続きを進めるのが職務であるから気が抜けない。相手は自らの職業生活を賭けて来所しいているのだ。この半年で飲みに出たのは3回に留まる。月曜から金曜までのこの緊張感は過去に経験したことがない。なにしろ失敗が許されない職種なのだ。

休日の虚脱感から解放されつつある。見かけ以上に公務というのは消耗するのだ。すべてを役所や役人のせいにする傲慢な市民やマスコミの責任は重い。自分の権利ばかり主張して義務を負う習慣を身につけていない市民には辟易とする。いくら善意で臨んでも言葉が通じないのだ。言葉が通じないことに諦念しているわけではない。当方の力量不足と考えて言葉と経験を磨いている最中だ。末端公務員は職務から逃げることができない。

仕事に関していうと、キャリコンの資格試験に挑戦して「傾聴」(自らの意見を語る前に相手の話を聞けということ。)の重要性に気がついた。

今年の成果は、歯の治療によって長年のコンプレックスが解消したので他者との会話が容易になったこと、通勤の列車の中で改めて読み始めた「大学・中庸」の通読によって儒学学習の足場を築くことができたこと、「ブッダ最後の旅」の通読によって仏教に親しみが持てるようになったこと、農業の基本が解り始めたこと、このあたりに尽きる。 


西部 中島

2009年12月27日 20時17分33秒 | Weblog
西部邁著「学問」 副題 学歴より学問を選べ!!
中島義道著「醜い日本の私」 副題 「美しい国」が好きな人には、読んで頂かなくても結構です。
共著「労働法の世界」第7版
日本経済新聞社編「働くということ」
情報処理教科書「初級システムアドミニストレーター」2005年版

久しぶりに一気に〆て5冊の本を買い込んだ。西部は明快な文章を書く。ところが私からすると、どこに足場があるのかいまだに不明だ。にもかかわらず文章がまるで高校生が書いた読書感想文のような平易さだから肩が凝らない。読むたびに、その読書の量には圧倒される。(もっとも、論評するからには論評する相手の代表作くらいは読んでいるのだろう、という推論が成り立つのならばという前提でいえばの話だが・・・)。すでに10冊は読んだ。1度は西部の講演にも出かけた。この本も解りやすい内容だ。が、読んで数時間もすると何も残っていない。西部の表現に見られる過剰な客観性がそうさせるのだと思う。

中島の著作も5冊は読んでいる。性根が座った御仁で随分と挑発的な言動が目立つ。専門書を読んでいないから尚更なのかもしれない。来年は彼の「生きざま論」にとどまらず専門書に挑みたいものだ。

「労働法の世界」は大学もしくは法科大学院のテキスト向けに書かれた。すでに3版はもっているが、労働審判法、公益通報者保護法の施行があったことに加えて雇用機会均等法、労働基準法等に重要な改正が加えられた。この4月には8版が発行されている。判例も含めたこの10年余りの間の労働法の変遷を眺めてみたい。

翻訳

2009年12月23日 09時39分31秒 | Weblog
原著「Moby Dick」と「The Wealth of Nations」、それに「白鯨」「諸国民の富」(岩波文庫)を並行して読み始めた。古典は、英文でわかりにくい部分を和訳で、和訳でわかりにくい部分を英文の原著で読むというのが私流の読書法だ。 

英文で読む限り、「The Wealth of Nations」は平易であり、「Moby Dick」は難解だ。経済学の場合、用語が定義されているので、基本的なterm(学術用語)さえしっかりと押さえておけば論旨はおのずと読んでとれる。ところが文学作品の場合は、語彙を駆使して「あること」を表現している。学術論文の読解のような具合にはいかない。表現も多様を極める場合が多い。

最近、知り合いの若い女性から、「はやとさんは若い女性から電話番号を聞かれたことがありますか?」と尋ねられた。「自慢じゃないが、わたしはもてないことに自信がある。聞かれた経験が一度もないし、身のほどを知っているから相手に尋ねたこともない。」と即座に答えた。

若い女性の質問が学術的質問であり、私の回答が文学的な回答ということになるのではあるまいか。実をいうと私の場合、意外にモテるから電話番号を聞く必要などないのだ。

思えば、好奇心の赴くままに濫読を続けてきた。ブレッド&バターのための不規則な生活が系統的な読書の妨げになっていたようだ。30数年ぶりに規則的な生活を取り戻せたので、これからは系統的な読書を心がけようと思う。もっとも読書の世界では、読む側に著作の取捨選択の権利がある。まずは己の頭の整理をしながら、好奇心が赴くままに蔵書した本の整理を始めることにする。