旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

朝生

2008年09月27日 05時37分12秒 | Weblog
久しぶりに「朝まで生テレビ」を見た。政局がらみのアメリカ論と国内の社会福祉問題を中心にした討論との前宣伝であった。ところが、アメリカの金融不安情報がマスコミを賑わせているせいであろう、概ねアメリカの没落に対する日本の対応策に議論が絞られた。

日本の金融機関の不良債権問題を解決したことが小泉内閣の最大の成果であると称賛する一方で、郵政改革をも含めたアメリカ追随型のグローバリズムや規制の緩和というキャッチフレーズはアメリカ経済を救済するための方便であった。しかもそれは日米間のしがらみから避けることのできない選択であったと、今頃になって小泉のブレーンから手の内を明かされるとこちらも当惑せざるを得ない。

確かに経済評論家の森永は竹下・小泉改革はインチキだと言い続けてきた。じゃ、あの小泉時代に他に打つ手があったのかという質問に森永がは答えることができない。評論家の本性を暴露されてしまった。しかし、森永が単なる元日銀マンではなくて国際金融に通暁していることを知った。それでも森永が風貌・主張ともにショボいことだけは確かである。

現在、金融不安に見舞われているアメリカで顕在化している危機は、未だ40%程度にしか過ぎない。実体経済の不振も含め、基軸通貨としてのドルへの信認が揺るぎかねないような事態も想定せざるをえないほどにアメリカ経済は衰弱していることだけは確かなようだ。あと5年間はアメリカ経済の低迷が続く。しかも、5年後以降もアメリカが従前のような経済的活力を回復する可能性は低い。したがってわが国は活力のある韓国・中国・東南アジア諸国との交易に軸足を移していかざるを得ない。

枝野議員が、日本国政府によって救済されて、しかも国内では税金を納めていない三菱UFJ銀行が、アメリカのモルガン・スタンレーに出資するのはおかしい。そんなお金があるのならば国内の企業に融資をするべきだと2度繰り返した。正鵠を得ている。

同じく、経済評論家の水野はアメリカ経済の金融不安の原因について明快な分析を示した。70年代の世界に冠たる産業国家であったアメリカは90年代に金融大国へと変貌した、あるいは変貌せざるを得なかった。そしてアメリカがこれから没落への道をたどる原因について、各国の通貨のレートが通貨の実力に応じて評価されていないことを挙げる。アメリカドルに先立つ基軸通貨であったイギリスポンドの命運も同様であったと解説する。財と金融・貿易・為替について学び直してみる予定だ。

脱線した議論の中で、日本を占領した当時の米軍には優秀な人材が多かったが、ベトナム戦争の悪夢を経験したのち、優秀な若者は軍を忌避してウォール街や大学、大企業の研究所に職を求めるようになった。がために米軍の人材不足は決定的なものになった。そしてアメリカはイラクとの戦争に負けるような弱い国になったと評論家のひとりが言うと、他の論者たちも賛同していた。

今アメリカで何が起きているかを知ることができた。以上は出演者たちの議論の一部の要約である。進行役の田原に苛立つこともある。それでも「朝生」は面白い。


ある体験

2008年09月24日 00時56分22秒 | Weblog
旧通商産業省の元高級官僚が衆議院選に出馬するというので、参謀といいますか事務局長といいますか事務局の運営を任されかかったことがあります。この候補者、地元随一の進学校を出て現役で超一流大学に合格、一発で国家公務員採用上級試験に合格、トップで通産省に入省したとのことです。50歳を前にした退職時のポストは本省の部長職でした。
この男の頭が悪いのなんのって、自分が衆議院議員選に打って出ようというのに、何をしたらよいのか全く理解できていない。しかも、わたしに要請があった時点で既に2年間も選挙の準備をしてきたと豪語するくせに、実は何もやっていない。決起大会に人を集めるように頼むとエネルギー関係の部長職だったので、選挙区と関係がない電力会社やガス会社からの動員でお茶を濁す。これじゃ選挙にならないと問い詰めると、事務局が動かないから動員できないのだと開き直る。

「おい、お前さんは2年間選挙の準備をやっていたのだろ。こっちは事務局を引き受けて1か月も経っていない。」と対面で言い返すと憮然とした表情。「一緒にチラシを配るなり、支持者を訪問するなりして汗を流せ、有権者の声を聞け。」と言えば、「あなたに選挙は任せたはずだ。」と開き直る。決起大会の予算でもめ続けて2ヶ月、これも頭が悪い癖に名誉欲だけが旺盛な彼の妻(これも著名な国立大出)に旦那を何とかしろと言ったところ、細君の方が逆上してあっけない喧嘩別れとなりました。

言うことには寸分の隙もないのだが、やってることが滅茶苦茶、本気でこいつは馬鹿だと思いました。自分の知力と経歴があれば世の中、どうにでもできると思っているのです。今はどこかの大学で教鞭をとっているそうです、あの欠陥人間。妻もコメンテイターとして時折テレビに登場して相も変わらぬくだらない発言をしています。高級官僚といってもこのレベルです。こういう類の選良たちの生態をみるにつけ、日本の教育システムには根本的かつ致命的な欠陥があるような気がしてなりません。

黒幕

2008年09月23日 14時19分20秒 | Weblog
小泉元首相の世論迎合ぶりはなかり有名で、執務時間以外は殆ど世論の動きに目を光らせていたといわれます。ポピュリズムの申し子のような政治家であったからこそあれだけの支持率を維持できたのでしょうね。

安岡正篤の著作を2・3冊読んだことがある程度で、正直、その著作から何の感銘も受けませんでした。また、現在、「王陽明全集」を読んでいます。監修安岡正篤となっていることにかなりの違和感を覚えています。

現実との格闘に疲れがちな軍人や政治家という、どちらかというと思索する余裕がないひとたちには福音でも、、「為にする中国思想の解釈・流布」という意味では、安岡は全くアカデミニズムとは無縁であると思われます。

わたしの周りにも東大や京大を出たよく勉強ができるひとはいますが、知能がある一定の線を上回ってさえいれば、よく勉強ができることと頭の良し悪しは全く別ものではないかと確信して現在に至っています。

ひとは、やはりその人格ではないでしょうか。わたしのような凡俗には、安岡が人格者であるようには到底思えません。じゃ、日本の政治的指導者たちに影響を与えた偉い人か。そのようにも思えません。

田中清玄に至っては、いい年をして腕力を振りかざして相手を威嚇するような下衆野郎じゃないですか。インテリは暴力に弱い。そこをうまくついたのが歴代の黒幕たちであった。カリスマの正体というのはこの程度のものじゃないかと考えています。

AIG

2008年09月18日 00時16分40秒 | Weblog
AIGグループの資金繰りが悪化した。元信用調査会社の調査員としてはその原因をつい探りたくなる。7年間にわたる調査員生活で染み付いた悪い癖だ。新聞やテレビなどのマスコミは事後に解説を加える。しかも行き詰まりの原因についてその本質を衝いていないことが多い。

事後評価は「後出しジャンケン」のようなものだから原因の究明をしたように装うことができる。一方、行き詰った企業や倒産してしまった企業に抗弁する手立てはない。破たんした側は平身低頭でお詫びするか夜逃げをするしかない。抗弁どころではない。

それに、無責任なマスコミはネガティブな信用不安を煽るばかりでポジティブな信用情報を流さない。したがってマスコミから倒産をするかもしれないという烙印を押され日からビジネスは成り立たなくなる。

また、その水面下ではTSリサーチや帝国DBなどの民間の信用調査会社が暗躍している。手形のジャンプや支払の延滞といった噂やどこどこの会社が危ないらしいという情報を聞きつけるとそのニュースソースを徹底的に究明してゆく。この過程で標的になった企業は倒産予備軍の烙印を押されてしまう。

つい最近までトリプルAという最良の評価をしていたAIGに対して格付け会社のムーディーズやS&Pがいきなり評価を下げた。根拠も糞もあったものではない。究極の評価は風評なのだ。

民間の信用調査会社や格付け機関からネガティブな情報を流され続けて、資金がショートしているらしいという情報を公表されると、企業は息の根を止められてしまう。追い打ちをかけるかのように評価付けの根拠すら不明な格付け機関の評価下げがマスコミ等で公表される。

民間の信用調査会社の場合、調査員は何かにつきあってもらえたら(会員になったり広告や情報誌の購入をすること)評価に手心を加える。評価はある程度お金で買えるのだ。

それでも特定の企業に対して信用不安情報を流さざるを得ない点は格付け機関も同様であろう。危ない会社がないことにはこの業界は存続できないのだ。この無責任に嫌気がさして民間の信用調査会社を辞めた。20年前の話である。参考までにいうと給料は上場企業並みで悪くはなかった。


読む Ⅲ

2008年09月15日 11時17分10秒 | Weblog
フロイトのエディプス・コンプレックスという言葉に惹かれて、ギリシャ悲劇「オイディップス王」を読んだ。運命の悪戯に翻弄されるオイディップス王の悲劇に打たれた。確かにフロイトの精神分析を適用すると文学作品の鑑賞が容易になる。ところが、文学作品をいくら解説・解明してもいい小説や詩を書くことができるわけではない。創作する者と解説する者、小説家と評論家の関係に似た、解説する者・評論家的な精神分析に急速に興味を失っていった。

ゼミの後半はバイトが忙しくて殆ど出席できなかった。否、出席しなかった。大江健三郎著「我らの狂気を生き延びる道を教えよ」や漱石の「こころ」を題材にして大江や漱石の作品の精神分析的解釈を試みたそうである。前述したように高校時代から殆ど小説に興味がなかった。しかも課題図書となると鳥肌が立つくらい暗澹とした気分になる。古本屋をめぐり、表題を眺め、気に入った著作を立ち読みする。そして興味がもてる著作のみを買い求め、ひたすら読むという独学がようやく始まる。

2回生になると法律の専門科目の講義が始まる予定であった。当時は、難解この上ないテキストや参考書で、しかもとてつもなく高価である。古本屋めぐりでその殆んどを調達した。ところが学園紛争のあおりでまともな講義がない。たまの講義であっても、たとえば不動産を売り買いしたこともない、お金を借りたこともない、結婚した経験もない学生に物権・債権法だの親族・相続法が理解できようはずがない。もっとも、理解できるひともいたことを後に知った。専門科目はやむなく「法哲学」という実用法学(民法や刑法)とは程遠いゼミを選択した。

ところが、この「法哲学」ゼミは典型的なマルクス主義法学で、いきなり加古祐二郎著「近代法の基礎構造」が課題図書に指定された。最低限「経済学批判序説」、できれば「資本論」を通読すること、しかも商品の物神性や剰余価値論について一定の知識がないとゼミのレベルにはついてこれないないと指導教授が言い切る。労働法の気鋭の学者であった指導教授は、社会経験のない学生が法律を学ぶことには限界がある。何年か留年してもよいから社会や世の中の仕組みというものを体験してから法律を学び始めても遅くはないという信念の持ち主であった。この教授が働きながら学んだ夜間部の出身であることを間もなく知った。このゼミには2度だけ出席して以降は出なかった。

時間は十分にある。神田の古本屋で買った高橋和巳の「邪宗門」、アルベール・カミユの「反抗的人間」、加藤周一の「読書術」、三島由紀夫の「金閣寺」からわたしの本格的な読書遍歴が始まる。以降も新本屋で本を買うことは殆どない。今でもベストセラーはブックオフや古本屋で1年ほど後に105円で買ことにしている。もともとベストセラーに関心が薄いのだ。

22歳の春のころのことである。


新司法試験

2008年09月13日 10時15分59秒 | Weblog
わたしの母校のロースクールが今回の司法試験の合格実績で東大に肉薄する健闘をみせました。合格率では東大のそれを若干上回り、合格者数ではわずかの差です。母校同窓会の幹事の末席を占めるだけに感動もひとしおです。

ご存知のように偏差値で輪切りにされ、マーチなどと二流大学としてひとくくりにされている大学のロースクール。多分、トップクラスのブランド校と併願して両大学に合格したら蹴られるであろう大学のロースクール(学内出身者が過半以上であるといわれています。)が、合格率で全70数校のロースクール中の3位、合格者数で東大200名にわずか4名及ばない2位の実績を残しました。

各ロースクールには定員があって、東大・中大・早大が各300名で慶大・明大と共に定員が突出しているにしても快挙であると言わざるを得ません。京大をはじめとした旧帝大や私学の雄・早稲田は見るも無残な合格率に甘んじています。入学者の地頭はともかく、少なくともわが母校のロースクールは「法律学の教育力」という点で高く評価されてしかるべきでしょう。

たとえば、敬愛する文芸評論家斎藤美奈子も成蹊大学の文学部の卒業生であったように記憶しています。安倍寛信さんの出身大学の件、母校の健闘等を見るにつけ、ようやく学校歴社会も終焉を迎えつつあるあるのではないか、そして、学校歴社会の最後の牙城が旧帝大の事大主義であり崩壊しつつある官僚社会ではないのかと考えるようになりました。

外資の実力主義の企業に20年間身を置きながら、大筋で欠陥人間だらけのブランド校出身者を見るにつけ、エリートたちの知的堕落や知的怠慢によって日本にも実力主義の土壌が醸され始めたのではないかと、ようやくこの年になって実感できるようになりました。よい時代風潮であろうかと思います。

ヒラメ

2008年09月09日 00時52分57秒 | Weblog





アジを釣るために電動リールをさびいて(オキアミの入った籠を激しく上げ下げすること)から間もなくかかったアジがゆする竿先の様子がおかしい。竿がぐいぐいと海面下に引き込まれてゆくのである。その引き込みに竿はしなり、なお海面下に引き込まれてゆくというありさまである。

「みんな竿をあげて!邪魔になるよ!」と叫びながら、船長が飛んで来てわたしのリールを巻き始める。ところが、電動リールでは巻き上げることができない。ハリスは右に左に海面を走る。船長はリールを手動に切り替えて巻きあげ始めた。まるで獲物と船長の綱引きのようなやり取りが続く。

やがて青い海面の奥の方に褐色の大きな魚影が浮かんで、2、3度底に向けて潜り込もうとするが、船長の太い腕はそれを許さない。「タモ!」と船長が叫ぶ。白い腹を上に向けたヒラメがあがった。釣針は腹部にかかっていたのだ。53センチの大物である。

餌がオキアミであるから、てっきりアジ釣りかと思っていた。ところが、船長はなぜかさびいたあと、明らかにアジが数匹かかっているというのに竿をあげてはいけないという。逆に底に落とせという。妙な釣りだなあと思いながらにしてこのヒラメである。

操縦席の直ん前がわたしの釣り席であった。まことにうるさい船長である。やれ「電動リールの使い方も知らんのか。よお船釣りに来ちゃったね。」「電動リールでさびくというのはこういうことです。何度言えばわかるんかいの、アホ。」「また、重りを底まで沈めるから根がかりするでしょ。何度言うたらわかるんですかいの、バッカじゃないんですかお宅。」と悪態の付き放題である。

ところが罵声を浴びながら6時間ほどかけて習得した技術は並みならないことを自負している。「アホとかバッカじゃないの」は言いすぎにしても、原則、船長は不要な罵声は飛ばさない。今回、船長が言う通りに素直に従った結果、餌になるアジの食わせ方とヒラメの釣り方について十二分に体得できた。

船長はすべての釣り人にうるさく口をたたく。殆どの釣り客はプライドを傷つけられてふくれるか無視して言うことをきかないかのいずれかである。終盤でヒラメがあがらない人たちに対して「わたしも、釣ってもらおうと必死なんですから、皆さんも必死で釣ってくださいよお。」と言った船長。わたしは今回が3度目である。

わたしはもう1尾のヒラメを釣り逃がした。13名の釣り客のうち老獪な釣り師が73センチのヒラメをあげた。全体の釣果は、大物のヒラメが2尾に、小ぶりの鯛が6尾、アジが500尾ほどであった。下船前に船長曰く。「今日はアジやタイは外道で、ヒラメを釣ってもらいたかった。」とのことである。この船長、業界ではかなり著名な方であるという。

読む Ⅱ

2008年09月06日 10時19分02秒 | Weblog
世界の名著「ニーチェ」の「悲劇の誕生」は、形式を司るアポロン的なものに潜むディオニッソス的な陶酔を、ギリシャ悲劇の誕生にまで遡って解明しようと試みる歴史書、というよりも一種の芸術・音楽論である。作曲家ワーグナーに捧げられた著作である。しかし、のちにニーチェはそのワーグナーを俗物とみなして訣別している。

ディオニッソス的陶酔という感じ方は理論や理屈と無縁である分、詩的であり直接こちらの心情に訴えてくる。確かにニーチェには独断と偏見が行き過ぎているとしか思えないような著作もある。それでも「ツゥラトストラはかく語りき」を手にすると未だにニーチェはわたしに勇気を与えてくれる。

フロイトの「夢判断」は人間の潜在的な意識をリビドーという性的なエネルギーの賜であるとみなして、潜在的意識の解明を試みる。人間の潜在意識や夢、ヒステリー症状などを何もかも性と結びつけるパラノイアじゃないかと感じざるを得ない危うさすらある。

ところが「文化芸術論」あたりまで読み進むと、ようやくフロイトの文化論が見えてくる。社会を社会たらしめ、文化文明を築き上げるのは(性の衝動に対する)禁欲・抑制に他ならないとフロイトは説く。のちの社会心理学に指標を与えたのである。

サルトルの「実存主義入門」は「人間は将来に向かって投企する存在である。」「実存主義はヒューマニズムである。」「実存は本質に先立つ。」とかいった、実存主義のキャッチフレーズがいい。サルトル個人の生活ぶりに関して言うと、ボーボワール女史とのハチャメチャな関係が面白い。

にもかかわらず、実存主義とは何かと問われてもいまだに答えることができない浅学である。浅学を承知で言わせていただくならば、実存主義とは既成の哲学体系に対する異議申し立てに過ぎないように思う。一種の哲学批判である。

ヤスパースはともかくハイデガーやフッサールについては何を言いたいのかサッパリわからない。特に「存在と無」など、解説書を読んでも何を言いたいのかよくわからない。むしろ、カミユ・サルトル論争でアルベール・カミユを知り、彼の著作である「反抗的人間」に魅せられる。

さっぱり理解できない著作を避けて通るところから、21歳にしてようやく読書に目覚める。

読む Ⅰ

2008年09月05日 19時50分13秒 | Weblog
期待に夢を膨らませて入った高校の担任が国語の教師で、ある日のクラス会で逆らいに逆らいまくった挙句、あの温厚な教師でもこんなに怒ることがあるのかと周りを戦慄させるくらい怒らせてみせた。

以後、この教師が目をかけてくれて、わたしをじっと見つめながら国語の授業をする。この担任、のちに「国語の教授法」を出版してわたしを驚かせるのである。やはりわたしらしき生徒は出てこない。よくよく考えてみれば4頭身のチビで妙に騒々しいクラスの問題児を、威圧懐柔しながら講義をせざるをえなかっただけのことだったのかと振り返ってみる。

器械体操に没頭。予習復習なしで眠い授業に目をあけておくのが精いっぱい。全科目を通じてまともな成績は体育のみ。高校の高学年にして新聞記事もろくに読めないような体たらく。気がつくと受験シーズンが到来していた。3年のクラス分けでは国立理系を選択した。

模試のたびに泣きたくなるような結果が届く。特に国語がからっきしダメで、採点者の評価によれば読解能力はほぼゼロ、国語でいい点が取れる同級生がただ羨ましかった。物理も著しく弱かった。

このころ、美人の従妹から「人間の条件」を読むように勧められて、つまりつまり読んでいたのだが、テレビドラマ「人間の条件」が始まったので途中でやめた。「人間の条件」を返しに行ったわたしに、「もう全部読んだん?」と聞く。ああ、と曖昧な返事でお茶を濁した。この従妹は20代の若さで急逝した。

例年、夏休みの課題として芥川「地獄変」や太宰「斜陽」、森鴎外「高瀬舟」などの読書感想文が課せられるのである。正直読む気もおこらないし読んでも何が書いてあるのかわからないようなありさまであった。

友人におそろしく国語のできるのがいて、三島がどうのサルトルとボーヴォワールがどうのと丁寧に解説してくれるのであるが、こちらは眠気をかみ殺すのが精いっぱい。かれはのち、平岡公威の恩師で三島由紀夫のペンネームを創案した清水文雄が学長を務める大学で教鞭をとることになる。

苦しまぎれ気味にスポーツを本気でやったことがある作家がいないかと、経歴を探るのである。なかなか見当たらない。確か三好達治が経験者であった。それだけの理由で三好達治の詩集を読んだ。体育会系に固有のの何ものかを感じた。件の国語教師がしきりに伊東静雄がよいというので読んでみた。2、3の詩に心を動かされた。

東大入試がなかった翌年、東京の大学に進んで法律を学ぶことになった。それがなぜか応援団に入って、退部をする際に猛烈なリンチを受けた。学生部からしばらく大学に来ないようにという指導があった。あとで聞けば、学生部は応援団OBの巣窟である。ようやく世の中の裏側が見えてくるようになった。

が、いまだ、わたしの読書が始まる気配はない、全くない。

斎藤美奈子

2008年09月04日 01時40分56秒 | Weblog
時間を持て余すと本屋に寄る。今日は広島駅北口(新幹線口)のフタバ図書(古本が主体)に寄った。大規模店なら広島バスセンターの「紀伊国屋」、広島インター近くのフタバ図書「メガ」、広島駅南口前のサンモールにある「ジュンク堂」、手ごろなところで、勤務先近くの「ブックオフ」、食事の後には本通の「金正堂」にもたまに寄る。規模の割には珍しく岩波文庫のワイド版がそろっているのがうれしい。家の近くの「フタバ図書」は新本売場の一角に古本の売り場がある。最近「花いち」の古本の動きが鈍いので足が遠のいている。商品の手入れが悪いことも鼻につく。

新幹線口の「フタバ図書」で30分ほどあれこれ立ち読みをさせていただいて、結局、文庫本を2冊買った。定価の約半額である。ちくま文庫の斎藤美奈子著「文章読本さん江」と岩波文庫のニュートン著「光学」の2冊である。

斎藤美奈子についてわたしは、その軽妙な語り口というか文体というか、非常に切れ味のいい評論家であるとみているし、何よりも斎藤の著作は読んで肩が凝らないのが良い。たとえば「光学」のような難しい本を読んだあとに読むと心が軽くなる。文庫本でちぃと読みにくいが、読みとおすに3時間もかからないであろうから、難しい本を読んだ後の精神安定剤代わりに読もうと買い求めた。

「静かな抗争 副題 定番の文章読本を読む」にざっと目を通してみた。谷崎潤一郎著「文章読本」、三島由紀夫著「文章読本」、清水幾太郎著「論文の書き方」の3人の著者を文章読本界の御三家。本多勝一著「日本語の作文技術」、丸谷才一著「文章読本」、井上ひさし著「自家製 文章読本」を新御三家であると選定するところから「静かな抗争」は始まり、その抗争の顛末を書きあげた挙句、「文章読本というジャンルには、並みいる文筆家を刺激してやまないよっぽどの魔力が秘められているのであろう。」という文でその最後を締めくくっている。

実をいうとわたしは、御三家・新御三家の6名の文筆家が書いた「文章読本」6点のうち、井上ひさし以外の読本は、実際に読んでいる。ところがその内容について比較検討しようなどという大それた気持はおこらなかった。わたしにとって5人の文章はある意味、お手本であった。その文章読本を個別に解剖してみせたうえに、その類似と異質について的確な指摘をしてみせた斎藤美奈子は、やはり只者ではない。

30歳台から40歳の前半にかけて文章読本を遮二無二に読んだ時期がある。本棚には新古併せて100冊近い「文章の書き方」(文章読本の類)がある。本の読み方に関しては加藤周一の「読書術」ほぼ1冊だけで済ませていることと比べると「書き方の本」の数があまりに多い。「文章読本さん江」を読みながら、つい当時の苦境を思い出してしまった。そういえば当時わたしは、取材し書くことを業としていたのだ。

孤高

2008年09月01日 00時12分50秒 | Weblog
                高島野十郎 からすうり



デカルトは小貴族の出自であるから生涯お金に困ったことがない。22歳で外国に渡って軍隊に入る。行く先々でこれと思う学者たちと交流して見聞を広めた。食べるために軍隊に入ったのではなく、世間を知るために従軍した。軍隊を4年ほどでやめてイタリア旅行等で時間をつぶしたのち、1628年、32歳の時にオランダに移住する。当時のオランダは先進的な貿易国家あるから世界中の情報を手に入れることができた。

パリでは友人・との付き合いが面倒なので、自分の人生をもっと有意義に使うためにオランダに移住したと言われる。「よく隠れるものこそ、もっともよく生きる。」をモットーにしていた。この世界に自分以上の人間はいないという自信があったデカルトはメルセンヌというひとにしかオランダの住所を教えていない。オランダでも頻繁に住所を変えた。以上は「エピソードで読む西洋哲学史」を参考にしながら改竄。


今日、NHKの新日曜美術館という番組を見た。高島野十郎の特集であった。久留米の出身で東大の金時計組(首席で卒業した)であったにもかかわらず、金時計の恩賜をことわって卒業とともに写実画家を志し、養老院で死亡するまで約4000点の作品を残している。

本格的に油絵と取り組み始めてからの生活は清貧そのもので師も弟子ももたなかった。寸時を惜しんでひたすら写実的な作品を描き続けた。デカルトと同様に生涯独身を通した高野はデカルトとは違って、無名のまま昭和50年に85歳で生涯を終えた。番組の中で「雨の法隆寺塔」「からすうり」等の作品が披露されている。「お見事!」の一言に尽きる。