旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

抱負

2011年12月30日 09時42分22秒 | Weblog
窓口業務を振り返れば短い1年だった。前半は苦手な事務処理に忙殺された。後半に至って降って湧いたように新制度が立ち上がった。手続の手順を理解するのに七転八倒した。法の施行直後から気が付いていた。私にいわせると新制度には致命的な欠陥がある。制度そのものは有益なはずなのだが、予想通り施行後は利用を躊躇する求職者が多い。新制度の浸透には尚時間がかかりそうだ。

「相手の理解力を計ったうえで法を説け。」という。この場合の法は仏法を指す。私はこの言葉を窓口相談時の戒めにしている。窓口での相談業務に置き換えれば「相手の理解力を計ったうえで制度について説明せよ。」ということになる。今年も数人の求職者への制度説明に失敗したようだ。求職者から不満が出た。改めて行政法やキャリアコンサルティングのテキストを読みなおしてから出直す。最も重要なのは「制度内での求職者の利益」だ。求職者から不満がでることを自戒しなければならない。理由は何であれ、説明責任を果たしていないことの証だ。

一昨年の7月に思いもよらず任用されてから、まず労働行政全体の中に与えられた職務の位置づけをすることから始めた。2年目に当たる今年に入ってようやく労働安定行政の姿がみえ始めた。そして、3年目の道のりに入っている。行政窓口の流れとか行政内での約束事が見え始めた。効率的な業務の推進が求職者に利益をもたらすとは限らないことを知っている。私は、これからも行政の効率よりも求職者の利益を優先させる。私の芯になっている哲学だ。組織との間に軋轢が生じないことを祈っている。



年の瀬

2011年12月29日 18時52分29秒 | Weblog
今日は里の母親がデイケアで留守だった。兄に挨拶を済ませてから墓に参った。冷たい空気の中の墓前に、きれいな花が手向けられていた。誰が手向けたものかしばし思いを巡らしてみて想像がついた頃に墓を後にした。この墓参りで本年は終った。

帰りに、本年も随分お世話になったブックオフに寄った。原田尚彦著「行政法要論」(学陽書房)と杉村太郎著「絶対内定2010 自己分析とキャリアザインの描きかた」(ダイヤモンド社)を買った。いずれもに仕事関連だ。

来年の7月で末端の公務員に任用されてまる3年が経過する。最近、行政の現実と理念が著しく乖離していて戸惑うことが多い。前者は、このあたりで憲法や行政法の理念と行政の現実の落差について私なりの考え方を確立しておきたいので、後者については「内定をもらった人たちがすすめる就職本1位」というキャッチフレーズに騙されてさしあげて買ったものだ。

ある学校法人が日本国憲法の教師を募集している。得意な法哲学に隣接する法分野なので応募してみることにした。月に4~10コマ(1コマ45分)なのでさほどの精神的負担、報酬にはならない。「捕らぬ狸の皮算用」的になることを承知でいえば、報酬は日本国憲法の専門書を買う費用の足しにする。

憲法を学ぶことは法の精神を学ぶことだ。法の精神に就いて学生さんにうまく説明できれば、学生さんの多くは自らの意思で法を学び始める。自発的に学びはじめた学生さんを鍛える。これが教師の仕事じゃないかと考えている。この単純を絵で描いたような応募者に対してどのような審判が下るのか、来年の1月末には採否が判明する。

談笑

2011年12月25日 20時27分08秒 | Weblog
生徒さんの出席は4人に止まり本日の日本語教室は開店休業状態だった。日本語の勉強はやめてペルー、台湾、中国、韓国(子供)、フィリピンからやってきた人たちと、教師3人の総計7名でフリーディスカッションをした。

女性たち(日本人教師を含む)は頼りにした日本男児の傲慢さと頼りなさを嘆き、ペルー人妻が当初はご主人に散々手を焼いたことを告白した。一同さもありなむと同情した。ところが双方の親の支援を受けて、今では旦那を尻に敷きおえ思いのままだと昔の乙女が胸を張る。ここに至る道のりの長さを考慮しても、今となっては旦那の方がより哀れに思えてならなかった。

しばらく話してるうちに、7年前までこの日本語教室で教えていた女性が教室を訪れた。先輩教師の中にはいっしょに教えていた人もいてこの訪問に驚いた。イギリス北部の大学で日本語を教えているという。清楚な美人だ。異国で教員となった感想を聞かれて「どこの国でも大学生はやんちゃだから手を焼いています。」と爽やかに応えた。

フィリピンから来た女性に中国人と間違えられた話をした。目前の本人曰く「先生から、いきなり英語で話しかけられて英語でもOKだと言われた。私も英語OK、でも私日本語習いに来ている。日本人にないかっこ良さだったので中国人かと思ったよ。」よく意味がわからないまま一同大爆笑。フィリピンから来た女性は一児の母、お腹に次の子がいる。チャーミングな女性だ。

台湾から来た女性は料理が好きだ。今日は長野産の大きな大根と、茶ガラで炊いたゆで卵、野菜で作った「練り物もどき」をいただいた。練り物にはふつう魚のすり身がはいる。いただいた練り物はすべて野菜からできているらしい。純朴で溌剌とした女性だ。どこかの宗教団体に所属しているらしい。私は個人の信仰に先入観を持たない。

ネット

2011年12月24日 22時41分54秒 | Weblog
昨日からネット接続がうまくいかなかった。たまりかねて、朝一番にプロバイダーに電話をした。古くなったモバイルが原因だという。モバイルに耐用年数があるのならば前もって連絡のひとつもくれればよいのにと思いはしたが、使い方で耐用年数に差が出るであろうことは容易に想像がつく。私はモバイルを酷使している。使い始めてから優に10年はたつ。いつ、くたばってもおかしくはないモバイルだ。プロバイダーの方から至急取り替えるといってよこしたので苛立ちは収まった。

1時間ほどで指定業者が来て、素早くモバイルの交換を終えた。モバイルはリースなので当面の費用はかからない。快適な環境でのネット散策に満足している。この間、もしも接続ができなかったらどのような禁断症状が出るのだろうかという不安が胸をよぎった。軽い(と思う)ネット中毒にかかってしまっているようだ。

山田史生著「寝床で読む『論語』」ちくま新書、ひろさちや著「『狂い』のすすめ」集英社新書の2冊を買った。かなり不真面目な表題だ。論語を寝床で読むとか、狂えとか尋常ではない。しかし、いづれの著作も学者にありがちな理屈っぽさがない。しかし、奇を衒った著作でもない。それどころか内容は幅があって道理に叶っているので腑に落ちる。

敬愛する主治医の先生の待合で池波正太郎著「人を斬り半次郎」新潮文庫を読み始めた。半次郎、後年日本で最初の陸軍少将になった桐野利秋の生涯を描いた作品だ。この類の小説は好きではない。それでも医院から借りて帰った。著者池上は小学校しか出ていない。株式仲買をやったのち、東京都の職員として下谷区役所に勤めた。

行政

2011年12月21日 20時24分09秒 | Weblog
原因が分からない。暇だった。17:00ちょうど、随分のんびりした1日の勤めが終わった。

暇な時には自分が依って立つ行政について考えてしまう。行政は国会で成立した法の個別的な実現作用なのだから、「法の支配」という概念を持ち出すまでもない。公務員たる者は法に従わなければならない。ところが、この原則に疎い者が行政を担うとどうなってしまうか。国民にとって使い勝手の悪い行政がまかり通ることになる。

人間、暇になると碌なことを考えない。

一般国家学

2011年12月16日 20時14分43秒 | Weblog
めまぐるしくものんびりと師走の夜は更けてゆく。冬至前の夜長の暇つぶしにケルゼンの「一般国家学」を読む。

その第3編第7章第35節 行政
「行政と指称される国家の作用も、法律の個別化または具体化としてのみ把握されうること、および立法との関係における、行政と宣法(司法)との間の本質的区別、あるいは立法との本質的差異は認められえないということは、おのずとわかる。」

雑感

2011年12月15日 22時32分51秒 | Weblog
不覚にも今日が花金だと思い込んでいた。役所を出る際に「じゃ皆さん、また来週!」とやってしまった。笑いを誘うどころか冷たい視線が返ってきた。

この日曜日にはキャリアコンサルティングの技能検定がある。したがって日本語教室は2度目の休みになる。半年で20数回のボランティア、2日間の休みだからわれながら立派だと思う。検定終了の後は白菜をくくって玉になり易くする。また、間引きが済んだ人参の生育が気がかりだ。それから4日仕事に出て3日間休むと3日目に御用納めとなる。

休日のことばかりが気がかりな人間になり下がってしまった。随分堕落したものだ。

パスカルの賭け

2011年12月14日 22時50分28秒 | Weblog
加賀乙彦著「不幸な国の幸福論」(集英社新書)を読んだ。特に『第3章 幸福は「しなやか」な生に宿る』が興味深い。

パスカルの賭け
神が存在する方に賭けた場合、勝てば得るものは大きく、負けても失うものは何もありません。いや、神に愛されたいと務めたことで、より良い人間になれるだろう。一方、存在しない方に賭けた場合は、勝っても得られるものは現世の幸せだけで、死ねば来世での幸福すべてを失ってしまう。ならば神を信じた方が得ではないか。

古賀茂明さん

2011年12月14日 18時58分54秒 | Weblog
「官僚の責任」を読んだ。

斜に構えるわけではない。末端の国家公務員として、この新書を買った者として、ひとこと言わせていただきたい。古賀さん、あなたが仰っていることは理に叶っている。現在の公務員制度は柔軟性を欠くし、行政は非効率だ。しかし、この国の公務員が本気で柔軟性を発揮したら、この国の行政はどうなるのだろうか、行政が効率的になったら、国民は幸せになれるのだろうか。

連休

2011年12月13日 19時22分55秒 | Weblog
1日目は耕し、2日目は思索し、3日目は街と戯れた。

採れたての春菊をほおばった。
シュペングラーの「西欧の没落」に目を通した。
三越でマフラーを買ってから、ヒロコシグループの「八雲」で食事をした。
鯛の兜煮が美味かった。

同僚や上司の皆さんが働いている時間に月曜日の街を歩くのは、実に爽快だ。

弁明

2011年12月12日 09時49分17秒 | Weblog
早朝から菜園でホウレン草と春菊、姫ピーマンに大根の収穫に励んだ。

自宅で少し休息してから健康診断結果について協議するために敬愛する主治医の先生を訪ねた。自分の判断でいきなり治療をやめて半年がたつ。健康診断の結果、この1年で中性脂肪血が倍増していた。高脂血漿の処方を願い出た。半年ほど前には先生の処方によって良い結果が出かかっていたというのに、独断で治療をやめてこのザマだ。治療が必要であることを健康診断で再び指摘されたこの患者の態度は、先生からみれば不遜以外のなにものでもないことだろう。

あの日の朝は特に冷えた。いつも通り熱いシャワーを浴びて健康診断をうけたのが悪かった。シャワーで温めたのち冷気に身体をさらしたのだから血管は慌てて収縮する。だから、あの日は血圧が急上昇していたのではないかと弁明した。「それもしてもあそこまで上がることはない。」というのが診断だった。血圧については小康状態だ。血圧は下115に上170程度に落ち着いている。

最近、メンタルヘルス関連のテキストを読んでストレス関連疾病のトップが本態性高血圧であることを知った。私は同僚から「はやとさんは規定を覚えることよりも、なぜそういう規定ができたのかが気にかかる人だ。」と言われるくらい制度について深く考える。「だから血圧が・・・。」と言いかけた。しかし「やはりそれにしてもあそこまで上がることはない。」と言われそうなので口をつぐんだ。

虹色の休日

2011年12月08日 21時44分26秒 | Weblog
積年の不摂生とカロリー摂取の過多、12年前までの喫煙、運動不足、ストレスからきたであろう十二指腸潰瘍、随分身体を痛めつけてきた。にも拘らず、これが問題なのだが、血圧と高脂血漿を除くとまずまずの健康診断結果で、意外だった。明らかに前回より改善している。これから取り組むべきは血圧の降下に絞られた。

あと1日のお勤めを済ませると3日間の休日が待っている。胸は弾むし心は躍る。週末に金・土と飲み会が続くので飲みすぎないように注意しなければならない。心は若いが身体の方が先に守りに入ってきたようで複雑な心境だ。

健康診断の結果が出たので、土曜日は高血圧の診断を受ける。眩しいように若くて美しい女医が言ったように「放置すれば1年以内にどこかの血管が破れて深刻な事態を招く。」という脅迫と、どのように対峙してゆくか決めなければならない。「中高年は上110~下180内の血圧だったら降下剤を飲む必要がない。」とある著書で明言している医師の神託がここで検証されることになる。

研修

2011年12月06日 21時55分35秒 | Weblog
職場は相も変わらず閑散としている。役所だから暇でもどーってことはない。8時半から17時まで担当窓口に座ってさえいれば所定の口座に給与が振り込まれる。堕落したものだ。制度の要領や法規を読み、関連文書にパンフレットに目をとおしていれば日は暮れる。

こんな給与でここまでこき使われたのじゃたまらないと考えた半年前が嘘のようだ。私の民間企業での経験から言うとマネージメントに問題がある。こういう閑散期に思い切った職員の研修をやって職員の質を高めて行政の効率化を計ればよい。

ところが期間業務職員は1年間の任用だ。年が明けた2月頃、来年度の4月からは任用しないと言い渡される可能性がある。小文字で150ページにおよぶ実施要領(行政マニュアル)の理解を終えかかっている。確かな任用を前提にしてこそ研修には意義があるのだ。不確かな任用を前提にした研修に、これ以上本気で取り組めようはずがない。

より専門的な知識を身につけたにしても再任用されない可能性がある、というのであれば努力する方がアホだということになる。このような雇用形態で窓口を担う期間業務職員の質を高めることなど不能といってよい。