旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

BREAKFAST AT TIFANY'S

2006年11月28日 20時44分11秒 | Weblog
「ティファニーで朝食を」は、ヘップバーン主演の映画であまりにも有名だ。ところが、この小説の著者であるTruman Capoteが「冷血」というノンフィクションで、世界に衝撃を与えた、かのカポーティそのひとであることは意外に知られていない。昨年、カポーティが映画化された。そのタイトルは「カポティ」である。

カポーティなのかカポティなのか、英語の辞書で当たってみた。Capoteという単は見当たらない。グーグルで検索をかけてみた。「カポーティ」で186万、「カポティ」で4万が拾えた。

capote[ キャポオゥティ ] [名]
1 フードつきの長い外套(がいとう);闘牛士の肩マント.
2 (馬車などの)折りたたみ式のほろ.

  出典: フリー百科事典
『ウィキペディア(Wikipedia)』

トルーマン・カポーティ 
  詩人・小説家

トルーマン・ガルシア・カポーティ(Truman Garcia Capote, 1924年9月30日 - 1984年8月25日)は、アメリカの小説家。誕生時はトルーマン・ストレックファス・パーソンズ(Truman Streckfus Persons)だった。

ルイジアナ州ニューオリンズで、父アーチ・パーソンズ、母リリー・メイ・フォークの息子として生まれた。両親は彼が子供の時に離婚し、ルイジアナ、ミシシッピー、アラバマなど南部の各地を遠縁の家に厄介になりながら転々として育った。その中には高齢者同士の孤立世帯や精神障害をもつ高齢者もあり、その当時の思い出では、『誕生日の子どもたち』という短編集に収められている。引越しの多い生活のため、ほとんど学校に行かず、独学同様に勉強した。母親は後年ジョゼフ・ガルシア・カポーティと再婚した。彼女は後年自殺した。

彼はアラバマ在住当時、後年の女流作家ハーパー・リーと幼なじみで、リーの『アラバマ物語』(To Kill A Mockingbird)中の登場人物ディルは彼がモデルである。ちなみにこの作品は、映画化されてよく知られたものになり、原作自体も学校の教材として取り上げられることも多い。

17歳で『ニューヨーカー』誌のスタッフになり、23歳で出世作『遠い声、遠い部屋』を発表し、若き天才作家として注目を浴びた。1作ごとに華やかな話題をふりまき映画にも出演し、ノーマン・メイラーとともに作家としては珍しくゴシップ欄の常連になるなど、公私の両面で活躍した。

彼は1984年8月25日にカリフォルニア州ロサンゼルスの友人ジョーン・カーソンのマンションで心臓発作で急死し、カリフォルニア州ウェストウッドのウェストウッド・ヴィレッジ・メモリアルパーク墓地に埋葬された。

ちなみに彼は1957年にマーロン・ブランドが日本で映画を撮影していた時、ブランドに会見をするために来日を果たしている。その時に三島由紀夫とも会っている。後に彼は三島を「おもしろい人であった反面、大変傷つきやすい人であった。」と評している。

2005年彼が犯罪ノンフィクション『冷血』を書き上げるまでを映画化した『カポーティ』が映画化された。 アカデミー賞5部門にノミネートされ、フィリップ・シーモア・ホフマンが主演男優賞を受賞。


[編集] 主な作品
『遠い声、遠い部屋』 - Other Voices, Other Rooms (1948)
『夜の樹』 - A Tree of Night (1949)(短篇集)
『草の竪琴』 - The Grass Harp (1951)
『わが家は花ざかり』 - House of Flowers (1954)(ブロードウェイ・ミュージカル。オリジナル戯曲と作詞)
『詩神の声聞こゆ』 - The Muses Are Heard (1956)(ノン・フィクション)
『ティファニーで朝食を』 - Breakfast at Tiffany's (1958)
『冷血』 - In Cold Blood (1966)(ノン・フィクション・ノベル)
『クリスマス・メモリ』 - A Christmas Memory (1966)
『カメレオンのための音楽』 - Music for Chameleons (1980)(短篇集)
『叶えられた祈り』(未完) - Answered Prayers (1986)

勘違い

2006年11月26日 22時17分25秒 | Weblog
うさぎ美味し かの山
こぶな釣りし かの川
夢は今もめぐりて
忘れがたき ふるさと

田舎では、
ウサギの肉を食べるのか、 小鮒を釣って食べるのか。
ウサギやフナってまずそうだけど、
きっと田舎には、 美味しいウサギやフナがいるんだな。
都会には美味しい食べ物がたくさんあるのに、
いまだにフナやウサギの味が忘れられないなんて、
このひと、都会でも貧しい生活を送ってるに違いない。


夕焼け小焼けの 
赤とんぼ
追われてみたのは
いつの日か

今日もいじめっ子たちにやられてしまった。
いじめっ子たちに追われながら見た赤とんぼは、
赤い夕日に映えてその赤さもなお更だった。
赤とんぼの赤さに思わず涙がでちゃったよ。
今じゃ、いい思い出だけどさあ。
あのいじめっ子たち、
今頃どこで何してるんだろ・・・。

あの戦争は何だったのか

2006年11月23日 20時52分29秒 | Weblog
「あの戦争は何だったのか」大人のための歴史教科書 保阪正康著

天皇は統帥権の当事者であるにもかかわらず、2.26事件以来、軍の決定に直接反対することはなかった。著者は、大本営(陸軍)や軍令部(海軍)という天皇の統帥権をよりどころにした組織の迷走が講和への道を閉ざしたとみている。 開戦にやまれぬ事情があったにしても、アメリカ相手の戦争を1年以上続けることが無謀であることを知る佐官・将官は多かった。陸大出のエリート中のエリートで固められた参謀本部の精神主義者たちは、こういう意見にいっさい耳を傾けなかった。大本営の決定が統帥権によって不可侵とされていたので、軍政を担う陸軍省や海軍省ですらその決定に逆らえなかったのである。ここに日本帝國の悲劇があったでも言いいたそうである。非現実的な統帥権の濫用と現実のギャップがゆえに、「負け方の研究」が疎かにされ、悲惨な戦争を継続せざるを得なかった要因になったと著者は分析する。

「生きて虜囚の辱めを受ける事勿れ」という軍人勅諭の一節が、捕虜になってでも生き延びるという選択肢を奪った。国際的な軍事法規と照らしてどれだけ時代遅れの規定であったか容易に見て取れる。軍の上層部の責任は免れ得ない。 先の戦争が大本営(軍令部)の責任であると確信しているようだが、戦後の経済成長もバブルもその国民的集中力が功を奏したように、是非はともかく、幻の統帥権に盲目的に従った国民の戦時中の「集中力」に戸惑っているように思える。

その前日まで「本土決戦」「一億火の玉」と叫んでいた軍隊や国民は、8月15日の玉音放送によって終戦の聖断(天皇の判断)を聞かされた。玉音放送である。ところが「戦争が終わった日」は翌月の2日の降伏文書への正式調印の日であるというのが世界の常識である。日本の終戦記念日は8月15日とされている。筆者は最終章で、この終戦記念日の日付に大いなる疑問を投げかけている。
大人のための歴史教科書と銘打った割には解り易い文章である。2時間ほどで一気に読みきることができた。戦前の軍隊の組織や教育制度、天皇と軍部との関係、東条英機の人物像にもかなり詳しく言及している。


日本語力向上会議

2006年11月22日 00時16分27秒 | Weblog




「逆鱗に触れる」
逆鱗は龍のあごの下にある逆向きに生えた一枚の鱗。この逆鱗に触れると、龍が激怒して触れたひとを殺してしまうという伝説にもとづく。

「おっとり刀で駆けつける」
「おっとり」は漢字で「押っ取り」、即ち、急いで何かを取り上げること。だから、「おっとり刀」とは、突発的な事態が発生して、腰に差す余裕すらないままに刀を手に取って駆け出す様。

話の「さわり」
義太夫では、他の音曲の旋律を取り入れた箇所があるとそこが目立つので、他の節に「さわっている」と評する。転じて、邦楽の聞かせどころを「さわり」というようになった。さらに転じて、「話のポイントとなる部分」「話の要点」を指すようになった。話の冒頭という意味ではない。

「あわや」
発言している人が、自分が望んでいないことが起こりそうになったが、かろうじて回避できたというニュアンスの言葉。

知らなんだ・・・。

『デキる人は 「喋り」が凄い』 日本語向上会議 角川新書

なお、上記解説はかなり改竄しています。



紅葉狩の「狩り」

2006年11月20日 00時15分59秒 | Weblog


「日本国語大辞典全20巻」で調べてみました。

「狩る」には、鑑賞し楽しむために野山に草木を尋ね求める、求めて行くという意味があると「奥義抄」に記されているそうです。

【奥義抄】(アウギセウ)おうぎしょう
平安後期の歌学書。3巻。藤原清輔ふじわらのきよすけ著。天治元年(1124)から天養元年(1144)の間に成立。序と式(上巻)、釈(中・下巻)に分かれ、式は六義や歌病などについて解説、釈は和歌の語句の注釈。

その奥義抄によると「さくらがりとは、桜を尋ね求むるなり。何をも求むるをば「かる」と云う也」なのだそうです。そして、「狩り」は動詞「狩る」の連用形の名詞化ですから、「山野に行って、花などの美しさを観賞すること」を、「狩り」と言うようになりました。典型的な用例が「さくら狩(り)」や「もみじ狩(り)」です。ならば、「山つつじ狩り」や「ぶな狩り」だってありうるのでしょうね。

そういえば、謡曲「紅葉狩」の稽古で腿を痛めたことがあったっけ。旅路を急ぐ紅葉狩ぃ~・・・

☆ 東京

2006年11月18日 23時39分14秒 | Weblog



最終電車で 君にさよなら
いつまた会えると 聞いた君の言葉が
走馬燈のように めぐりながら
僕の心に 灯を灯す
何も思わずに 電車にとび乗り
君の東京へ東京へと出かけました
いつもいつでも 夢と希望をもって
君は東京で 生きて来ました
東京へは もう何度も行きましたね
君の住む 美し都
東京へは もう何度も行きましたね
君が咲く 花の都

君はいつでも やさしく微笑む
だけど心は 空しくなるばかり
いつか二人で暮らすことを夢見て
今は離れて生きて行こう
君に笑って さよなら言って
電車は走る遠い道を
今すぐにでも戻りたいもんだ
君の住む町 花の東京
東京へは もう何度も行きましたね
君の住む 美し都
東京へは もう何度も行きましたね
君が咲く 花の都

           森田貢 作詞

中小企業のオヤジ的なサラリーマン

2006年11月18日 09時40分16秒 | Weblog


私立大学の法経商学部では、できの悪い学生に対して大企業の社員や公務員になるための総論的な講義をたらたらと続けています。実務能力については専修学校や入った企業なり官庁なりに任せておけばいいというわけです。悪しき意味での教養主義ですね。なのに殆どの学生は就職に優位な大学を目指しています。なぜなんでしょうね?

日本の教育が変わるのは野心がある中小企業の経営者層向けの訓練が始まる時、即ち、大学でより実務に即した教育が始まる時でしょうね。エキサイティングな講義になると思います。研究課題は山積しているし、講義を受ける方も必死にならざるを得ません。だって中小企業の世界は大企業とは異なって経営環境が過酷なのですから、学生に既得権を認めるほどの余裕がありません。

わたしが所属するクラブのメンバーは大半がオーナー企業の創業者かその2代目、3代目です。皆さん、お金持ちですから遊ぶ時には自分の身銭を切ります。時間に厳格で約束を守ります。知的好奇心が旺盛でよく勉強します。自分の失敗を人のせいにしません。野心家です。例外的なパープリンもいますが自然淘汰されます。平均値で見るとストイックで真面目なひとたちです。

経営者として自ら従業員に給料を支払う立場にならないと経営の本質は見えてきません。また、従業員の上前をハネ続けることを業とするわけですから経営者には相応の人間哲学が必要になります。中小企業のオヤジたちについては、人間一般で括るよりも、フツーのひとたちとは別の人種だと考えるくらいで程よいのではないでしょうか。

こうゆう中小企業のオヤジ的なサラリーマンが増えれば、世の中も変わっていくような気がします。ひとの3倍働いて2倍の報酬しか受け取らないことに何の抵抗も感じないようなタイプのサラリーマンって増えてきているように思います。彼らって、いずれは中小企業のオヤジになることを夢見ているのです。善しにつけ悪しきにつけ、人生に貪欲ですよ彼ら・・・。きっと、お金儲けの醍醐味を知っているのでしょうね。

わたしにはとても真似ができません。


恐羅漢の黄葉

2006年11月17日 23時38分42秒 | Weblog



原因不明の激しい痛みに襲われて一時は死すら覚悟した女友達を誘って恐羅漢まで出かけた。恐羅漢は県下の最高峰だ。途中、「紅葉を楽しむことを、なんで紅葉狩りというの?」という質問に答えることができなかったがまあいいさ、家に帰れば自慢の「日本国語大辞典全20巻」がある。

戸河内のインターを降りてから恐羅漢に向かう。山は茶色と黄色のさながら絨毯のような装いだ。以前女友達から「秋だというのに、あの山はなぜ青いの?」と聞かれたことがある。「ありゃ松だよ。松の葉が散ったら松枯れ病だよ。」と言ったら女友達から大いに受けて、ふたりで笑い転げたものだ。ところが残念なことに恐羅漢の黄葉を際立たせているのは松ではなくて檜のようだ。檜枯れというのは聞いたことがない。

内黒峠の展望台から三段峡あたりを見渡すと褐色と茶色、黄色の絨毯に様々な衣装の赤が点在している。絨毯は遥か彼方の深入山まで続く。その山頂あたりは夕日を浴びて枯れ草色に輝いていた。随分奥行きを感じる光景だ。

山を下ってから三段峡の上流に車を走らせる。谷間の黄葉はなんだか侘しい。女友達は病み上がりで、こっちはビジネス上の難問を抱えているのだ。渓谷の日が落ちようとしているというのに、ひとりの管理人が集金鞄を抱えて佇んでいた。広くて薄暗い駐車場に1台の車が駐車していた。

☆ 色づく街

2006年11月17日 21時17分43秒 | Weblog


今もあなたが好き まぶしい想い出なの
  あの日別れた 駅にたたずみ
  あ~ 青い枯葉かんでみたの

    街は色づくのに 逢いたい人は来ない
    母に甘えて 打ち明けるには
    あ~ 少し大人過ぎるみたい
    
      愛のかけら 抱きしめながら
      誰もみんな 女になる気がするの
      さよならは その日のしるしね

    人に押されて 歩く夕暮れ
    あ~ 貴方だけがそこにいない
  
      愛のかけら抱きしめながら 
      誰もみんな女になる気がするの
      さよならは その日のしるしね

     街は色づくのに 逢いたい人は来ない
     人のやさしさ 人のぬくもり
     あ~ 通り過ぎてわかるものね


        有馬三重子 作詞

学校

2006年11月13日 23時48分30秒 | Weblog
万引きは窃盗であり、ゆすり・たかりは脅迫で、いずれもりっぱな犯罪である。
校内暴力といえども、校内でおきた暴行事件もしくは傷害事件である。
わが国には、こんな単純なことすら理解できないマスコミ人、政治家、教育関係者が多いようだ