旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

内定

2009年06月29日 17時36分37秒 | Weblog
最終面接後、前回は採否がヒフティー・ヒフティーとみていた。こちらの手落ちで前回は呆気なく落ちた。面接を終えて、今回は採用される可能性が極めて低いとみていた。今回は呆気なくうかった。本日、「内定」との電話があった。

任用してくれたのは官庁である。コネクションがモノをいうものと思い込んでいた。正真正銘の「コネなし応募」だから記念受験の様なものと割り切って面接に臨んだ。

内定の電話を受けてもしばらくは実感がわかなかった。「何かの間違いじゃないですか。」とつい口走ってしまった。追って正式な通知があるそうだからどうやら夢でも幻でもないらしい。

5月以降合計で6件の求人に応じた。かなり厳選したので今回がダメならば次の求職からは選り好みをしないで片っ端から応募するつもりでいた。戦績は2勝3敗1引分といったところだ。この不況の中でよく健闘したと思う。

暗澹とした気持はすっかり晴れた。わたしのような社会的動物はひとと関わりをもたないと生きてゆけない。内定したのは『他人さまのお役にたてる職業』だから、新しい仕事を天からの授かりものとして全うしたいなどと、つい柄にもないことを考えてみたりする。


雑草

2009年06月29日 10時03分56秒 | Weblog
それにしても水分それに日照と肥料に恵まれるとキュウリとトマトの成長は凄まじい。3日まえに収穫した3本の蔓に新たに11本のキュウリが実った。隣の隣の農園の先達から束ほどのシソをいただいたので、お返しにキュウリを進呈しようとしたら別の菜園で豊作なのでキュウリは食傷気味だと丁重に断られた。実をいうとわたしもキュウリは食傷気味である。ナスも似たようなものだ。キュウリほどではないが3日もたつと7株に10のナスが収穫できる。ナスが好きなのでこちらは飽きることがない。だから進呈することもない。

はちきれそうな玉をたくさんつけたトマトの株も実りの季節だ。これから赤みを増していく。カラス対策を急がないといけない。間引く暇がなかったインゲンは伸び放題だ。強風対策を施しておかないといけない。オクラは漸く根がついたようだ。肥料をやらないといけない。ゴボウにネギ、落花生は放置している。ラディシュと二十日大根はやや肥満気味だ。しかもプランターとは違って成長が早い。繊維質が優勢になる前に収穫を済ませた。サツマイモは勢いがある。放置しておくのがいい。

自然の恵みに感謝するばかりであるが、ひとつ厄介なことがある。雑草の成長である。1週間も雑草むしりを怠ると畑は雑草で覆い尽される。もちろん有機農法志向であるから野菜と雑草が共存するするくらいで丁度いいと思っていた。ところが、雑草の勢いが尋常ではない。昨日の農作業3時間のうち2時間半は雑草むしりに追われた。散水その他が30分、これじゃ雑草対策のための農作業の様なものだ。手はマメだらけで手のひらに疲労感が残る。それでも作業は半分も済んでいない。雨があがったらまた畑に出かける。

晴耕雨読

2009年06月25日 20時54分10秒 | Weblog
暇な時は本の整理と決めている。長く整理を怠っていたのでここ数年は分野別の整理をしていない。まず全集ものと経済学関係を別の部屋に隔離してから、東洋哲学、西洋哲学、英語の原著、新書、文庫の順に整理を始めたが、新書、文庫も分野別に整理しないと不便だ。手間がかかる。小説やノンフィクションもかなりあるし、古くなってきたものの人権論や商品交換法、企業法等にも読み直してみたい著作は多い。

雨後の畑に出かけた。3日間空けただけでキュウリは40㌢近くに成長する。30㌢を超えるキュウリを6本収穫した。日照と風通し、それに肥料が効いている。ナスも10余りを収穫した。これからインゲン(つゆまめ)が実る。勢いがいいので豊作は間違いない。ラディッシュに二十日大根、コーンにオクラ、サツマイモに落花生、ネギ、ゴボウも順調に生育している。明日「官庁もどき」の面接がある。面接を終えたら農園で草むしりに励む。畑も心も雑草だらけだ。だから、せめて畑の雑草だけでもきれいに始末しておこう。

ヘーゲル「宗教哲学」

2009年06月18日 22時29分18秒 | Weblog
余りにも情けないとしかいいようのない結末に気分が落ち込んでいる。気を取り直して再挑戦といきたいところである。が、すべてが億劫になってしまった。この落ち込み様は尋常ではない。健康診断の件について知人2、3人に参考意見を求めた。「ばか、あほ、間抜け」の大合唱である。「史上最大のポカ」と呆れる人もいた。だからもう口外しないことに決めた。頭の上を時間が通り過ぎて行くのを待つばかりだ。

ヘーゲルの「宗教哲学 全5巻」がヤフオクにでていたので入札に応じた。入札が終了する5分前に最高価額の入札であると表示が出たので落とせたものと思っていたら、つい先ほどあと100円上乗せされた価額で他人の手に渡ったことを知った。好きな岩波のクラッシックな装丁がいたく気に入っていた。残念だ。何をやっても、うまくいかない時はうまくいかないものだ。それにしても求職先に蹴られたこととヘーゲルの「宗教哲学」を落とせなかったことに同程度の喪失感しかない。早くも立ち直りつつあるのかも知れない。

宗教と哲学こそが自称「世界観の探求者はやと」の研究対象である。ところが、腹が減っては戦ができぬの喩に弱い「はやと」はとても痩せたソクラテスにはなれそうにもない。根が俗物なのである。65歳まではのんびりと居座れたであろう人事のマネージャーのポストが、身から出た錆によって夜霧の彼方に消えたことを今日も恨んでいる。ひとは衣食足りて礼節を知るのである。食い詰めたのでは哲学どころじゃない。

覆水は盆にかえらない

2009年06月17日 18時16分20秒 | Weblog
最終面接3名に残ったというのに余りにあっけない結末だった。「不幸の手紙」が届いた。返却された資料を見て担当のキャリアコンサルタントは呆れていた。

「なんですかこれ?なんで人間ドックの結果なんかを提出したのですか。F判定しかも要治療と明記されてるじゃないですか?1年も前の結果ですよ。腎臓は精密検査の要ありと書かれています。それに成人病のオンパレード。応募先では役員面接に合わせて1年以内の診断書を提出してくださいといっていたのです。診断書なら血圧と尿検査それに問診で足ります。人間、生身ですから体調が悪い場合もありますからわざわざ役員面接の後でもいいといってるでしょ。それをなんでまた異常値だらけの人間ドックの結果を提出するのですか。これじゃわざわざ自分の方からあそこが悪いここが悪いと言って選考からはずしてくれと申し立てているようなものです。で、じっさいにはやとさんはどこが悪いのですか?どこを治療中なのですか?血圧の件は知っています。ベストの状態で測ればそれでいい。降下剤を飲むという言い方だってできます。そうすれば、こんなことで躓かずにすんだというのに・・・。わたしゃもう知りませんよ。ほんと、神経を疑うなあ・・・。」

立場が逆ならば、こういうたわけ者にはきっと似たようなことを言いたくなるだろう。わたしには社会人として求職以前の問題があるようだ。即ち脇が甘い、すこぶる甘い。人間ドックで指摘された「要治療」「要精密検査」は後日の精密検査で殆ど治療の必要がないという診断を受けている。あえていえば高血圧について降下剤の服用を検討する時期にあると注意書きがされていた程度である。

返す言葉もなかった。正直かなり後悔をした。昨夜、中高年の就職状況をみて愕然としたばかりだ。55歳を過ぎると転職に成功できるのは100人に7人以下だという。というのに、みずから上場会社の人事マネージャーの選考から下りてしまった。対抗馬があと二人いたのだからこの愚挙が落ちた原因のすべてではないとは思う。それにしても「覆水は盆にかえらない。」

6番目7番目の求職先は怪しい「官庁もどきだ」、気持ちを入れ替えてこれからはもっと慎重かつ真面目な態度で就活に取り組もうと思う。不謹慎を承知でいえば、いくら考えなおしても釣り逃がした魚はでかい。なにしろとっくに賞味期限を過ぎた食材の様な身の上なのだから。嗚呼!就活の日々!

カルメン・マキ

2009年06月16日 22時43分51秒 | Weblog
なんでも所属事務所があると事務所の都合でスケジュールを決められてしまう。たとえばCDの販売日が先に決まり、広告宣伝からエベントまで曲が決定してもいないのにスケジュールだけが先走る。その先走るスケジュールに合わせて作詞や選曲をするような商業ペースに限界を感じて現在はフリーである。フリーであるということは何から何まで自分で裁量決定をするということだ。この生活に満足しているとマキは語った。

マキの音楽は4つの顔を持っている。ひとつが良く知られた「時には母のない子のように」や昨日のコンサートで披露した「ふしあわせという名の猫」(この曲は寺山修司が作詞して浅川マキが歌っている。)にみられる抒情歌。ふたつ目がロックで、みっつ目がジャズ、よっつ目が言葉と音楽の境界に位置するような朗読だ。もはや売りだすことを捨てて自分が納得がゆく音楽を追求し始めているマキだから、観客に対するサービス精神というものは殆どない。「わたしの生きざまを見てよ。そしてわたしの音楽を聞いてよ。」娘さんが20歳になるそうだ。彼女との幸せのために歌っていると語っていた。相も変わらずシャイなひとなのである。

「戦争は知らない」
フォークルセダース

野に咲く花の名前は知らない
だけども野に咲く花が好き
帽子にいっぱい摘みゆけば
なぜか涙が 涙が出るの

戦争の日を何も知らない
だけども私に父はいない
父を想えば ああ荒野に
赤い夕陽が 夕陽が沈む

戦で死んだ悲しい父さん
私はあなたの娘です
20年後のこのふるさとで 
明日お嫁に お嫁に行くの 

見ていてください 遥かな父さん
いわし雲飛ぶ空の下
戦知らずに二十歳になって
嫁いで母に母になるの

野に咲く花の名前は知らない
だけども野に咲く花が好き
帽子にいっぱい摘みゆけば
なぜか涙が 涙が出るの

寺山修司作詞

マキは長い間この歌を歌いたかった。でも歌えなかった。娘さんが成長するにつれようやくこの歌を歌う心境になったそうだ。照明こそ手が込んでいなかったが、バイオリニストやピアニストの衣装や演奏、風貌、雰囲気は昔見た渋谷「天井桟敷」のそれであり、今もなお寺山修司と「天井桟敷」の影響を色濃く残しているマキとは、30数年前に東京のどこかで聴いていた「カルメンマキとOZ」のコンサート以来の巡り合いであった。マキがロックに転向したのはジャニス・ジョップリンの影響であるという。わたしも今は亡きジョップリンのファンのひとりである。


6度目の正直

2009年06月13日 09時05分48秒 | Weblog
果たして人事や労務、総務の経験がない人間を人事のマネージャーとして採用するものだろうか。わたしが人事の担当なら少なくとも経験があるひとよりも採用は慎重になる。

人事部門の経験があるふたりが採用する側の企業文化に合っているかどうかを検討してみて、ともに難点があるという結論がでた場合に限って営業出身のわたしにお鉢が回ってくる、まな板の上にのせてもらえるのではないか、そういう気がしてならない。

畑違いの職種に応募したわたしもわたしであるが、最終選考に残した企業も企業である。しかし曲がりなりにも相手は東証一部の上場企業である。結果は採否のいずれかであるとはいえ分が悪い。

採否の決定権が先方にある以上、妄想しても始まらないし座して事態を見守るのは精神衛生上も良くない。4対6の確率(当然、採用の確率が4割だ。)で落とされるものと観念している。根が小心者なのである。

そこで昨日ハローワークに足を運んで次の応募先を決めた。3件の見込み客を押さえておけばそのうち1件は決まると営業時代に体で覚えた。「条件がすべてそろい、こちらの意向通りにことが進んでも成就するのは3割」というのが長い営業経験から導いたわたしの「需給の法則」である。

求職を始めた当初は希望を営業に絞っていた。ところが求人票を数読むうちにキャリアコンサルタントとかジョブサポートとか呼ばれる職種に興味を持ち始めて現在に至っている。

経験が生かせるであろうという年齢的な強みと、さほどの集中力が要求されないであろうという甘い観測、それに、酷使してきたからだと精神を休養させることができそうな癒し系の職種であるという要因による。

そして今回はまたしても「官庁もどき」が求職先である。ハローワークから紹介状をもらったところ望んだ3件のうち2件は、すでに予定していた応募者数を超えたので応募は不可(公募を開始してまだ2日目である。)残った1件のみの応募になった。来週早々面接がある。面接後2~3日で採否の連絡をするという。

以前の「官庁もどき」と同様になんだか怪しい。来週中には採否が決定する民間企業だって応募から約1か月の日時を要した。ところが、限りなく官庁に近い「官庁もどき」は15名の応募で募集を打ち切り、来週早々に面接のみを実施して2、3日で採否の結果を出すという。

コンサルタント的な職種である。わたしが担当ならば非正規の職員、たとえば契約職員や派遣、あるいはパートの職員の中から採用者を決定する。部外者が応募しても採用される確率はとてつもなく低いように思う。

採用が厳正に行われることを疑っているわけではない。採用の選考とはこうものなのだとうっすら解り始めた。「引かれ者の小唄」を気取っているわけではない。こちらにはそんな余裕などない。

この老骨には、数年にわたって職業訓練校で「労務管理論」の講師をやっていたという経験がある。週明けの面接は、この経験を前面に押し出して、当たって、そして砕け散るのだ。


賽はふられた

2009年06月10日 22時58分55秒 | Weblog
応募先の本社から一次面接に合格したという電話を受け取ってからというもの何名の応募者が二次選考に残っているのかとにかく気にかかっていた。早めに到着した会場のホテルにそれらしい人影が少ない。かなり絞られているのではと感じた。そして予想は当たった。開口一番で「50名を優に超える応募者の皆さんを、書類選考で10有余名に絞って一次面接をしました。そして本日二次面接に臨まれる皆さん3名が残られています。」と選考の担当者は言った。

面接は50分間に及んだ。人事部門の経験があるかないかといった種類の質問はいっさいなかった。まるで初対面の2人の前でわたしが自己紹介をしているようなぎこちなさはあった。それでも面接の担当役員はわたしがどういう種類の人間なのかについて少しは理解してくれたように思う。

二次面接に残ったひとりの方と言葉を交わす機会があった。やはり人事畑の方であった。他のひと方も風貌からして内勤の方であるとみた。わたしのような営業畑の人間ではない。賽はふられたのである。あとはmixi仲間のrさんがおっしゃるように「良い巡りあわせ」を期待しながらじっと結果を待つしかない。どうしようにもわたしは新聞広告とハローワークの求人票以外の方法で職をみつけた経験がないのだ。

日照り

2009年06月09日 00時58分40秒 | Weblog
求職に没頭しているのでつい農園の方が疎かになる。わたしが住んでいる地域では一昨日(とはいっても一昨日の一日前)の夕刻に凄まじい降雨をみた。それこそ土砂降りに見舞われたので水やりの労が省けたくらいに考えてホッとした。

南部はスコール並みの大雨なのに農園のあたりでは全く降っていないことが2、3度あった。不安になったので本日(とはいっても、もう昨日)の夕刻に農園まで行ってみた。やはりお湿り程度の雨しか降っていない。土の表面を軽くなぞるだけで全く水気がないサラサラの土が露出する。

慌てて野菜たちにたっぷりと水をやった。コーンとインゲンは育ち盛りである。渇いているようだ。特に念入りな水やりを心懸けた。週に3日の農作業で野菜たちは逞しく育ち始めている。ピーマンやナスはもう実り始めた。

インゲンの蔓も支柱を求めるまでに成長した。コーンはもう脇芽を摘まなければならない。サトイモ5本は皆んな芽をふいた。トマトはたわわに実をつけ始めている。サツマイモの葉にも勢いがある。ネギとゴボウも芽をふいた。ラデッシュも双葉の芽をふいた。

何やら寂しいのはまだ芽が出ない落花生と勢いがないマクワウリにスイカ。ウリとスイカはしっかりと根を張ってから葉や茎の成長が始まることを知っているので心配はしていない。キュウリの支柱と網の準備が終われば一ヶ月後の収穫を待つばかりだ。

農園に見学者が訪れた。「そこの畝には何を植えとってんですか?」と声をかけられた。「落花生を試しています。」と応えたついでに、農園を借りるように売り込んでおいた。だからというわけではない。見回りに来た管理人さんから「良い野菜を作っとってじゃ。」と称賛された。

誇らしかった。この農園に週に3回も足を運ぶ暇な人間はわたしを含めて数人くらいしかいない。しかも、わたしは管理人さんの指導通り野菜たちに話しかけるところから農作業を始めるセミプロの農夫なのだ。

不幸の手紙

2009年06月06日 16時17分12秒 | Weblog
予想通りというべきか週明けを待たずして「官庁もどき」から採用見送りの文書が届いた。履歴書も同封されていた。違和感は的中した。ご縁がなかったということであろう。呆気なかった。

週明けには別途1次面接にうかった民間企業の適性検査と、役員面接がある。もともと民間企業で糧を得てきた。だから、ある程度先方が読める。3度目の不採用を乗り越えて4度目の求職に臨む。

ところが、である。適性検査と2次面接に何名が残っているのかが判明しない。ホテルの一室で適正検査を済ませた後、役員面接がある。つい妄想してしまう。10名ばかりが一斉に適正検査を受けてから、逐次面接ということになると採用される可能性はかなり低くなる。

最悪の事態を想像するとそれこそ「身の毛がよだつ。」。改めて5番目6番目の求人先を探さなくてはならない。肉体労働とマニュアル化された業務オンリー以外の職業なら応募するつもりであるがこういう条件を満たすような仕事がほとんどない。弱った。

戦い済んで日は暮れて

2009年06月04日 21時39分09秒 | Weblog
「官庁もどき」とわたしはそう呼ぶ。所在地は市内でも知られた施設の中にある。その施設に生まれて初めて出向いた。まずその施設の荘厳さに圧倒された。荘厳な建築物は好きだ。しかし、わたしが日々勤務するような場所ではないという直観が閃いた。会場は講義室のように広く、しかも間仕切りはなかった。この点については面接担当者のひとりから詫びがあった。

なぜここを志望したのか、自己アッピールをどうぞといった類の質問や誘導が続いた。進行役のほかに3人の面接担当者がいた。肩を落としてじっと聴き耳を立てる人、腕組みをして彼方を睨みつけたままの人、せっせとメモをとる人。個性的な担当者が揃っている。こういう環境下でたじろぐようなわたしではない。2、3度、進行役から発言の制止を受けるほど饒舌だった。

ところが、以下の指摘には返答に困った。「官庁もどき」が求めるコンサルタントには①人事の経験と管理職の経験がなければならない、②わたしがコンサルタントの仕事内容を理解していないという厳しい指摘である。面接に滞りが生じたわけではない。が、しかし当方は職歴書に管理職経験はないと明記しているし、「官庁もどき」の業務一般についてはきっちりネットで確認をした。(帰宅後に読んでも求人票には特定の職種についての募集である旨は記載されていない。)

無性に抗弁したくなった。「人事部門に身を置きようがありません。なんとなれば、置こうにも前職には人事部というものがありませんでした。管理職経験について言うと肩書はありましたが部下はいませんでした。フラットな組織なので肩書きにもかかわらず上下関係の指示命令系統がありません。したがって管理職経験もありません。」と応えてしまった。進行役の口車にまんまと乗せられたようだ。

特定の職種の募集であることが記されていなかったことについてはこちらが呆れて抗弁する気にもなれなかった。予告通り「官庁もどき」の面接はきっちり40分間で終わった。週明けには採否が判明するそうだ。最も大切な要件と志望職種の問題で大きく躓いたので採用はないとみている。「こんなことなら最初から書類選考で落としておけよ。」と思いながら、口と態度では「今日はしゃべり過ぎました。よろしくお願い致します。」と言いながら面接担当者4名の方々に深々と頭を下げていた。

きっと人事部門の管理職経験があって、わたしには知らされていなかった職種の詳細について面接前に知る応募者が採用されるのであろう。わたしを推薦してくれたやはり「官庁もどき」の職業紹介業の担当者の方、このようにできの悪いわたしのために骨を折っていただいて誠にありがとうございました。感謝しています。

仮面の告白

2009年06月03日 20時08分58秒 | Weblog
そういえば近日中に別口の面接がある。官公庁と民間の中間に位置するような組織だ。これも書類選考には残っている。面接は40分間と通知されている。民間なら想像力が働く。ところが官庁が絡んでくると選考の方法が皆目解らない。想像すらできない。

こちらで採用が決定して、役員面接で件の企業も採用を決定した場合にどうすればよいのかをハローワークの担当者に尋ねた。「ま、その時はその時のことで。」とそっけない。両求人先ともにわたしの採用はないとみているような印象を受けた。

既に、中高年というが中年はともかく高年齢の就職は絶望的だとハローワークの雇用保険説明会で聞かされている。知る人は知っているように「特殊な事情」でわたしは安定的な仕事を求めて躍起になっている。リスクはあるが好きなことをやろうとすれば自営の方がよい。中間搾取がないからだ。

官庁もどきならば南に企業ならば北に向けて出勤することになる。間はない。それにもうひとつ自営という選択肢が残されている。ともに不採用で自営の場合はほぼその中間地点ということになる。自営こそがわたしの道である。

仮面をつけたわたしの本性を見抜けるかどうか、求人先にとってはいよいよ来週が山場ということになりそうだ。




電話

2009年06月03日 15時00分20秒 | Weblog
一次面接に合格した。予想よりも早く電話がきた。中旬に役員面接と適性検査があると案内があった。適性検査はSPIではないらしい。それだけは確認することができた。ほっとした。

国語と算数の入試問題のようなあの適性検査が苦手だ。情報量が増えるとアウトプットに時間がかかるようになるのは当たり前の話だ。それに、頭の回転がいい人間には碌なのがいないという先入観がある。

SPI適性検査の本旨が頭の回転の速さを測るのが目的ではないことは知っている。しかしこの歳になって、あの検査をやらされると否が応でも衰えを感じないではいられない。中学の入試の頃に難なく解けた問題がすらすらと解けない。あのもどかしい思いを2度も3度も経験したくないのだ。

健康診断書のコピーを準備しておくように指示があった。本社が西日本とは反対側にあるので採用担当の役員がいつ広島に来るものか、なぜか気にかかった。昼過ぎから役員面接というからきっと当日に広島に入るのだろう。

まな板の上の鯉、じたばたしても仕方がない。役員のお眼鏡に叶うことを祈るばかりだ。