旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

楊貴館

2005年07月27日 10時10分40秒 | Weblog
『この日曜は周防長門の油谷湾でくつろいだ。

妙見山の千畳敷や棚田を眺めてから、その夜はちょいと足を伸ばして、仙崎港に面した小奇麗な店で海鮮料理を食べた。サザエの刺身に、うに・いくら飯、刺身の盛り合わせや、鯛の兜煮を肴に冷たい吟醸酒ということで、もうたまらないようなひと時だった。宿泊は油谷湾を一望するホテル「楊貴館」であった。窓から一望できる油谷湾と家族風呂が特に良い。最近の流行なのであろう、浴衣は自分で選ぶのだ。

翌月曜は、伝説の「楊貴妃の墓」(楊貴妃には油谷湾で最期を迎えたという伝説がある。)に行ったり、サーフィンを楽しんでいる若者たち以外に人気がない、二位の浜海水浴場や大浜海水浴場で砂と戯れたり、雄大な「川尻岬」や辺境「俵島節理」を散策したりで、自然の息吹を感じることができる小旅行とあいなった。

あの辺りは、余りひとの手が加わっていないから、自然のままだから…良い。』

空の終列車

2005年07月26日 20時44分04秒 | Weblog
ザ・スプートニックスという東欧のエレキバンドが一世を風靡した。ほかにも「霧のカレリア」というヒットがあって、必ずと言ってよいほど「エレキ名曲選」の類には選ばれている。ところが、「空の終列車」はなぜか選ばれない。個人的には、「空の終列車」こそがスプートニックスの代表作だと思っているから、「夢のオレンジ特急」というエレキの演奏らしからぬ作品や「スプートニックスのテーマ」などという軟弱なのが、その類に選ばれるのは心外であり遺憾である。

数年前から、新作(といっても、恐らくリメイク)や中古のCDの販売店で探したが、スプートニックス自体のアルバムがない。ネットで検索しても見当たらないので、「懐かしのエレキ…」的なカーラジオ番組で、一過的にひとり感動しながら痺れていた。「空の終列車」を聞くと、それこそ「空にも昇る気分」になるのである。

ところがつい最近、たまたまスプートニックスを検索にかけたところ、CDの新品をamazonで販売しているのがわかった。早速、買い求めた。全部で24作品、スプートニックスの世界に入り浸っている。やはり、「空の終列車」と「霧のカレリア」には血が騒ぐ。オリジナルではないが「ジョニー・ギター」や「ゴーストライダー・イン・ザ・スカイ」もいい。ロシア民謡が好きだから「ロシアの灯」にもつい聞きほれてしまう。40年ほど前の作品である。


女友達への手紙

2005年07月24日 19時45分57秒 | Weblog
ステロイド服用のお蔭で全身が湿疹だらけになってしまった。内科の主治医に相談すると、中毒症状を呈しているので即刻ステロイドの服用をやめるようにという意見だった。だから・・・、耳鼻科に通うのはやめた。結局、耳鼻科の医師とおれとの間に信頼関係を築けなかったということになる。

人間ドックでは聴力の検査がある。先週の検査では前回と同様に高い音の聴取に難点があるが、日常生活には全く支障がないという。それでも耳鳴りが続くので、ネットで調べたり、あちこちに治療法を聞いてみた。

(参考までに左右の視力はともに1.5、体脂肪率は18.1で肺活量が4200cc、これには医者もかなり驚いていた。あとは悲惨なので、内緒・・・)

鍼が効くという意見が多かった。しかし、注射嫌いのおれが鍼に恐怖感を覚えるのはある意味当然で、按摩に頼ってみることにした。東洋的な治療が血行の改善に効くらしい。突発性難聴というのは、ある種の血行障害が原因であるといわれているからだ。

毛細血管を潰さない程度の軽い按摩だったので治療を委ねることにした。按摩の後で、血行を良くするには鍼がいいから試してみないかと説明を始めた。腕と足の2、3箇所試しに打ってみた。意外に相性がいいようだ。

一昨日、鍼による頚椎椎間板ヘルニアと突発性難聴の本格的な鍼治療が始まった。腎臓・胆のうが弱っているからというので、その治療もした。因みに、一時間の治療代は3000円だ。おまけに治療法について、こちらの意向をすべて聞き入れてくれるし、保険も効く。

お蔭で耳鳴りも、時折鳴り止むまでに回復した。昨日は、錦町の寂地峡と吉和の魅惑の里でグリーシャワーを楽しんだ。帰りには、ウッドワン美術館で絵画を鑑賞したから気分も良好だ。加齢もあるのだろう、自然の息吹の中にいると癒される。


初体験

2005年07月22日 22時23分22秒 | Weblog
普通の注射針の10分の1の太さだといわれても鍼は針、恐怖心が先にたつ。鍼灸師が「大丈夫ですか?」と聞くものだから「命を預けてるんだから、ひと思いにやってください。」と観念したら、体から力が抜けた。

首筋と背、肩甲骨の脇に計3本の鍼が打ちこまれた。「響きますか?」と問われたから、「鍼がすすむにつれて重くなるような感じします。たまりませんなあ。」と応える。確かに痛みはない。意外だ。ちょこちょこ鍼を移動させるたびに軽い痺れに似たような快感すら走る。鍼は初体験だというのに・・・。

倉橋 

2005年07月22日 09時57分21秒 | Weblog
昨日、同僚のお母さんの葬儀があった。朝7時に自宅を発ち、片道2時間半をかけて倉橋島の先端まで車を走らせた。普段が広島市内のビジネス街で仕事をしているので、ビルや車のラッシュがない山と畑と海だけの景色に心が和む。

読経と線香の香りの中で厳かに葬儀は営まれた。1時間ほどの葬儀の間、日陰に突っ立っていた。目前に貼られたセメントは白く輝き、仰ぐ空は雲ひとつない淡い群青色だった。飾り気のないいい葬儀だった。長く連れ添った遺族は悲しみに打ちひしがれている。長患いの末の逝去なので、何がしかの安堵感が漂っているようにも思えた。

式の後、狭い港町を歩いた。葬儀場は小さな漁港に面していて、上から眺めると4から50センチの鯛やら黒鯛やらがのんびりと泳いでいる。この島には数年に一回程度釣りにくる。意外に砂浜が多くこの季節ならキス狙いだ。冬場には小型のメバルも数釣れる。しばらく、この島で釣りをするのは控えることにしよう。

同行した同僚と取り留めのない話をしながら帰路を急いだ。ラジオの気象概況によれば広島市内は今日の気温も34度を越えたそうだ。2時前に家の近くの「いよ路」といううどん屋さんで冷たいうどんとてんぷらをかき込んだ後、駐車場のアスファルトに目をやって「今日は臨時休暇だね」と同僚に目をやった。「ですね。」と応えた。

家まで送ってもらうと、夏の高い日差しを受けて、きゅうりやらプチトマト、朝顔が水を欲しがっているように感じたので、思いっきり水をやってから庭に水を撒いた。ついでにプチトマトを10ばかりときゅうり2本を収穫した。庭ではクマゼミが激しく鳴いていた。

応援団

2005年07月19日 21時33分05秒 | Weblog
大學の同窓会から母校にエールを送るように依頼された。諸先輩を差し置いて高いところからエールの音頭を取る名誉に浴するのは、今回で3回目になる。多分、諸先輩方のノスタルジアがなせる業なのであろう。懇親会の余興のようなものなのだが、高齢の先輩たちの受けがいいのだそうだ。今年もリクエストをいただいたということらしい。実は小生、母校の応援団に籍を置いたことがある。

時は流れて、学ラン(学生服)に時代錯誤的な帽子の応援団は、残念ながら既に過去の遺物になってしまった。数年前にはバラエティ番組で、母校の応援団が存亡の危機にあることを、面白おかしく取り上げていた。一方で、チアガールや吹奏部は希望者殺到で、入部待機者が続出しているとか…。質実剛健がキャッチフレーズの大學であったから、なお更時代の移ろいを実感する。

幹事から、口上も時間無制限で好きなようにやってもいいとは言われたが、出席者全員の前で好き勝手な口上をやるわけにもいかない。昼の記念式典には著名な政治家や学長も列席するので、そのまま懇親会までとどまる可能性だってある。1回目は、県議や市議、市長の前で済んだが、2回目の昨年は、来賓の元厚生大臣の前で声を張り上げた。同窓会というものは、それなりの序列社会だから、今回のように大物政治家や学長が出席するとなると、単なるエール以外に、相応の謝意をも表せねばならない。権威に弱いわけではないが、同窓会だけは別物だ。諸先輩に配慮した口上を思案中である。

昭和

2005年07月19日 00時35分14秒 | Weblog


身長についてはやや縮んだように思われた。昨年の結果を問い質したところ、同じ数値だったのでひとまず胸をなでおろした。まだ縮むような年齢ではない。

体重については、禁煙の直後から5キロばかり太って重位安定、4年前から肥満と判定されている。(1mと72cmで76キロだから、確かにでぶい・・・とほほ)ところが、体脂肪率が18㌫と出たものだから再測定。やはり昨年並みということで、測定のミスではないという結論。「筋肉質なんですね?」と、やけにぶよぶよしたナースから熱い目で見つめられた。これには目の置き場に痛く困った。

視力検査も面白かった。左目が2.0になりかかった、しかしどうやら5つのうち2つ間違えたらしく1.5の判定。右目の検査の際は、なぜか2.0のチェックすらやってもらえなかった。この年齢に、2.0を出したのじゃ沽券に関わるのだろう。右目は、2.0のところがちゃんと見えたのに…。

肺活量もかなり落ちたのではないかと心配した。測定の結果は4200ccだった。標準を14から15㌫上回っていたので一安心。

と、順調なのはここまで。例えば、血圧については、早めに降下剤を飲めだし、肝臓は、フォアグラ状態。ある臓器に至っては、ポリープに石。よって、以後の検査結果については、自己都合により割愛。

最近、定例の人間ドックを受けたのである。

同窓生が寄れば病気や体調の話がやけに増えてきた。つい最近までこっちは恋とか美味しい料理店について、ひとりで熱く語っていたというのに、とうとう、おれも奴らの仲間入りかと思うと暗澹たる気分になる。

最近のルーキーはおれの娘より年少だ。それに、おれひとりで所員の平均年齢を2歳ほど引き上げている。「おれ」なんていきがっているような事態ではない。明日からは、「おれ」を「わたくし」に改めて、もっと年相応な、お利口さんになろうと心に決めても、きっと、明日も性懲りもなく、今までと同じようなことをやって行くのだろうと思う。

平成生まれのルーキーが同僚になる日も近い。「嗚呼、昭和は遠くなりにけり!」である。


2005年07月15日 21時49分08秒 | Weblog
ステロイドもビタミンB12も血行をよくする薬も無効であった。わたしの症状に関して言うと、西洋医学の対症療法では突発性難聴がよくならないようだ。むしろ、ステロイドの副作用の方がわたしの体に悪さを始めているようなので、お医者さんに頼るのは断念した。そもそもの原因が解らないのだから、この結末もやむをえない。独断と偏見で、齢○○才にして初めて鍼のお世話になることにした。いまだに耳元でニイニイゼミが数匹鳴いているのである。

一昨日、実験的に鍼を入れてもらった。予想に反して痛くはない。恐怖感も走らない。結構、鍼との相性はいいようだ。来週の金曜日から治療が始まる。鍼灸の初日、つまり、一昨日はマッサージだった。いわゆる按摩だ。体は軽くなったが、今日になって凝り戻しというか、そこかしこが痛む。仕事を早めに切り上げて、午後は自宅で休養した。目の奥が疼くように痛むので、これも凝り戻しかと思ったが、よくよく考えてみると、体調の不調も忘れて昨日は、夢中である本を一気に読んでしまったのだった。


安芸グランドホテル

2005年07月08日 22時25分38秒 | Weblog
語り合うカップルや家族たち。
瀬戸内の潮と夜空。
潮風がヨーロッパ情緒へいざなう。

月に照らされた海。
ほろ酔い気分で見つめていると、
なんだか君を口説きたくなってくる。



安芸グランドホテルのバーベキューコーナーがいい。
夕暮れ時なら、屋外のコーナーからは厳島を一望できる。
日が落ちたって、朱色の大鳥居もかなたに見える。

牛肉や海鮮、野菜はジューシーだ。
宵闇に包まれた情緒たっぷりのコーナーに、
バーベキューの白い煙と香りがそこいらじゅうに立ち昇る。



唐音の蛇岩

2005年07月06日 01時37分46秒 | Weblog
益田市の鎌手海岸の突端近くに、「唐音の蛇岩」がある。褐色の縞模様がちょうど大蛇が横たわったようで、その数百メートルの歩道伝いに先端まで進むことができる。先端の先は、切り立った岸壁と青い海である。

岬の根っこに、荒磯温泉という洋風のホテルがある。レストランの向こうは、波が押し寄せる磯で、同伴者ふたりは、うに丼、いか丼、わたしはにぎりを食べた。新鮮で美味しかった。

午前中に「あじさいロード」に沿って、表匹見峡から裏匹見峡を訪ねたのち、
益田まで足を伸ばしたのだ。午後は、山陰の海岸沿いを石見海浜公園に向かった。赤鼻岬から、海浜公園の青い松と白い浜を眺め、夕方家路に着いた。

突発性難聴

2005年07月05日 21時29分31秒 | Weblog
「まだ梅雨前だというのに、ニイニイゼミがよく鳴くね?」「・・・?」 こういうやりとりから始まって、とうとう耳鼻咽喉科に通うはめになった。

当初は、耳元で5匹ばかりのニイニイゼミが鳴いていた。7回ほどの通院を経て、今では、3匹ばかりが窓の外で鳴いているように聞こえる。

病院に行くと毎度点滴がある。そして、炎症どめや血行をよくする薬を与えられる。

30分も注射針を刺されたまま放置される点滴は、恐怖の初体験だ。血管に注射されるとき、針が抜かれるときには額に脂汗が浮く。それ以上に、注射針が血管に刺さっているという30分余りがとにかく怖い。先天的・後天的に注射がダメなのである。

この病気の場合、ストレスによる血行障害が悪さをすると考えられているので、炎症どめ、ビタミン、血行をよくする薬を飲む。
「体中の血行がよくなりますよ。」と、意味深な笑みを浮かべた主治医の悪戯っぽい目の意味するところが、ようやく理解できかかっているというのに、症状には、未だ、さほどの改善が見られない。

困った・・・。