点滴を受けながら昨日は『マタイによる福音書』を今日は『老人と海』を読んだ。この一週間は頭を空っぽにして療養に専念してきたから活字が新鮮だった。それでも福音書では湖の水面を歩くキリストや予言通りに復活したキリストに戸惑った。
アンソニー・クイーン主演「老人と海」
馴染みの『老人と海』の最後の場面は「少年がかたわらに座って、その寝姿をじっと見守っている。老人はライオンの夢を見ていた。」で終わる。そのライオンは老人の生命力を象徴していると思ってきた。ところが、ライオンはこの物語に数度登場することが今日になって分った。書き出しの数ページあとに「お前(少年)くらいの年ごろには、俺はもうアフリカ通いの横帆を張った船の水夫になっていたっけ。夕暮れになると砂浜を歩くライオンが見えたものさ。」という老人の回想がある。注意深く読み進むほどに、最終場面で老人が見た夢に登場するライオンは生命力の象徴ではなくて、老人が若い頃にアフリカで「見た」否「見えた」ライオンを夢の中で追憶していただけじゃないのかと想像し始めた。「標高5895メートル、雪に覆われたキリマンジャロはアフリカ最高峰の山である。西の頂上付近に干からび凍った豹の死体がある。豹が何を求めてこの高さまで来たのかは謎のままだ。」。ヘミングウェイが短編「キリマンジャロの雪」で「凍った豹」に象徴させたそれとは、どうも意味合いが違うようだ。
本の山の裾で『クラウド時代と<クール革命>』という新書が目に留まった。2010年3月の初版だ。確か数年前に表題に目が留まり、立ち読みをして興味を引かれたので購入したものと記憶している。著者は角川グループホールディングス元CEO 角川歴彦(かの角川春樹さんの実弟)さんだ。ここしばらくIT関連の本を読むことがなかったので、暇に任せて一気に読み進んだ。Webは大いに利用しているが、ITの世界については門外漢なので、情報の世界で何が起こっているのかを鳥瞰しておくのも悪くはない。ここが実にありがたいのだが、目次は明快だし本文も分りやすい。数年前からよく耳にするようになったし、実際にWebの世界でビッグデータの大きな存在を感じることも多いので、クラウド・ビッグデータの世界を展望できるような小冊子を探していた。タイムリーに書斎の隅で見つけることができた。2時間もあれば読み切ることができそうな分りやすさだ。
キルケゴール
事態が休養に当たるのか、静養に当たるのか、療養に当たるのか、迷う理由など見当たらない。詰まる所、目的が休養だろうが静養だろうが療養だろうが、体を労わって私は仕事を休む。事態を言葉で捉えようとするから、迷うのだ。しかも、キルケゴールの「反復」を読むとさらに、言葉の不確かさというものが当然のことのように思えてくる。時間があるから今度こそ、この「反復」を読み解く。
体に耳を傾けても不調音は聞こえてこない。診断と体調のギャップに戸惑うばかりだ。それでも大事をとって11月3日「文化の日」まで休暇をとることにした。
病気に罹るたびに罹った病気について徹底的に調べてしまう癖がある。今日もかかりつけ医の先生から情報過多にもとづく自己診断の危うさを指摘された。そのあとで1時間余りの点滴を受けた。点滴は、これから週末まで毎日続く。あるナースから警告されている。医学情報は万人が対象で、診断は私という個が対象なのだから医師の診断を信じなさいと。
実感としてこの3日間は日に20時間は眠った。よくもまあ眠れるものだと本人が呆れても、寝過ぎの不快感はない。眠ろうとしたらすやすやと、まだまだ何時間でも眠ることができそうだ。昨日、業務の引継ぎを完璧に済ますことができたという安心感もあって、月曜日の診断次第でしばし休養を続けようかなどと呑気なことを考えている。「命あっての物種」という台詞が身に染みる。「ワーカホリック」など今時流行らない。自分の身を整えておくことも勤め人の大事な仕事の内だ。新刊の「文藝春秋 11月号」と随分久しぶりの高橋健二訳「ゲーテ格言集」に軽く目を通しながら体力の回復を待っている。
総合病院の2か月に一度の定期検診で血圧の数値に優良な結果がでたので、小躍りしながら、なかなか抜けない風邪の症状を診ておいてもらおうと、かかりつけ医の先生の診療所を訪ねてみたら、診断は、なんと定期検診を受けたばかりの総合病院に緊急入院せよという指示だった。
月曜は既に休暇をとっている。午後と明日の金曜は勤務先を休んで安静にすることを条件に先生から、再診の月曜まで病院送りを留保するという条件を引き出した。血液の採取の後で、いつでも入院できるように心と体の準備をしておくようにと言われている。たかが風邪をこじらせたくらいで、ここまで症状が重篤化することに戦慄を覚えている。
ゴボウとサツマイモ(鳴門金時)、サトイモ、ナス、シュンギク、ダイコン葉を収穫した。鳴門金時は丸々と太っているし、ゴボウも太い、サトイモは、親芋、小芋、孫芋までよくついている。ほんの一部を収穫しただけなのに袋は20キロを越えただろうか、根菜の重さに軋む。
先達は、サツマイモの後は玉葱がいいだろうという。苗から始めた方が確実に収穫できて、種から始めるより結局安いものにあがる。ジャガイモは11月の下旬に収穫期にはいるから、「さて、なにを植えるかねえ。」と自分のことのように心配してくれる。こういう隣人が、畑ではありがたい。
ひとつの区画にハクサイを植えたつもりになっていた。これで3週になるが芽を出さない。自宅で未開封の白菜の種を見つけた。植えていなかったようだ。夢中になるとたまにこういうことがある。まだまだ修行が足りないと思う。
今日の血圧は上が117、下が81で限りなく至適値に近い。体重の管理と塩分をひかえることによって血圧をコントロールする自信がつき始めている。
今日から中間試験に入ったので学園は静かだ。午後ともなると生徒の姿は稀で、尋ねてくる生徒も殆どいない。5時の定刻に学園を出て(駐車場まで徒歩で10分ほどかかる。)バイパス経由で高速道路に乗ると5時半あたりでわが家最寄りのインターチェンジに着く。道の混み具合にもよるがインターから自宅までの所要時間は10~20分、学校を出てから余裕の50分足らずでわが家に着くことができる。歩く時間を算入しなければ、愛車プリウスは40分ほどで自宅の駐車スペースに収まる。6時前に自宅に着くのと、7時を過ぎて自宅に着くのとではそれこそ雲泥の差がある。6時前に自宅に着くことができたら2、3日にわたって体と心の調子が良い。
風邪は十分な睡眠をとって、結膜炎は抗生物質の力を借りて、化学物質アレルギーは原因を遠ざけることによってほぼ完治した。明日からの就業に支障はない。
休養する予定だった3連休は瞬く間に過ぎた。気分を切り替えようと思っても、読書、映画や絵画の鑑賞、畑を耕すこと、ドライブくらいの方策しかないことを寂しく思う。以前なら、より動物的な、食べる・飲むというふたつの嗜好がこれに加わっていた。何とも侘しい秋の夕暮れだ。
フォイエルバッハは、その著作「キリスト教の本質」上下(岩波文庫)の『第一版への助言』の中で、自然的理性という冷水の用法と効用の譬えを教示している。「水は精神的な眼にとってはなはだ優秀な薬なのである。冷水はすんだ眼を作り出す。そして、ただすんだ水をみつめるだけでも、どんな大きな喜びだろう!また眼を水にひたせば、どんなに魂が爽快になり、どんなに精神が明快になることだろう!たしかに水は魔術的な刺激でもってわれわれを自然の深い所へ引き込む。しかしまた水は人間に対して人間自身の形像を反映させる。水は自己意識の似姿であり、人間の眼の似姿である。すなわち水は人間の自然的な鏡である。」このひとは洗顔の習慣がなかったのかと疑わざるをえないくらいの気の入れようだ。それでも、言わんとするところが汲み取れないわけではない。
今朝は眼の調子が良いので、ネット検索で遊んでいたら、法哲学者ラートブルフにフォイエルバッハという名前の刑法学者に関する著作があったので「へー!?フォイエルバッハって刑法学者だったのか、どおりで妙に緻密で論理的な文章を書くのだなあ。」と勝手に妄想していたら、違っていた。アンゼルム・フォン・フォイエルバッハは刑法学者で、「唯心論と唯物論」「キリスト教の本質」「将来の哲学の根本問題」を著したヘーゲル左派、上述のアンドレアス・フォン・フォイエルバッハはその4男であることが分った。Web検索は本当に便利が良い。
風邪・細菌性の結膜炎・下肢のアレルギーと、この2日で3つの症状に見舞われた。発熱は治まったし、のどの痛みもとれて風邪はようやく抜けかかっている。また、結膜炎は抗生物質の点眼で化膿がひいて、目の不自由さはなくなった。アレルギーは何かの化学物質に負けたものらしい。衣服をすべて取り替えて放置していたら治まった。
風邪に結膜炎・アレルギーは、過労とともに現れる症状だ。しかも、ようやく休養できると心が緩んでほっとした後に、雷電のごとく襲いかかってくる。私にとって休養とは、気分転換を図ることに他ならないのだが、バロメーターである3つの症状が、今回は休養するよりも、とにかく「体を休ませろ!」と警告している。
「里の秋」
静かな静かな 里の秋
お背戸に木の実の 落ちる夜は
ああ 母さんとただ二人
栗の実 煮てます いろりばた
明るい明るい 星の空
鳴き鳴き夜鴨(よがも)の 渡る夜は
ああ 父さんのあの笑顔
栗の実 食べては 思い出す
さよならさよなら 椰子(やし)の島
お舟にゆられて 帰られる
ああ 父さんよ御無事(ごぶじ)でと
今夜も 母さんと 祈ります
斎藤信夫作詞・海沼実作曲
ヒットの背景
終戦当時、日本の国民のうち、外地と呼ばれる地域にいた民間人と軍人は約660万人と言われている。戦後の混乱もあって、外地の日本人との連絡は難しく、特に満州、樺太、千島列島にいた兵士や民間人は行方が分からなかった。彼らがシベリアに抑留されていると外務省が知ったのは、翌昭和21年のAP通信であった。引揚者らは日本への航路がある港に殺到したため、引揚げ船・復員船は常に超満員だった。運良く乗船できても、暗く狭い船倉は衛生状態も悪く、快適ではなかったらしい。本土に上陸しても、列車内は買い出し等で大きな荷物を持った人でごった返し、列車のわきにぶら下がったり、屋根に座ったりする人が多かった。列車とすれ違う時や、SLの煙が充満したトンネル内では大変な思いであった(肥薩線列車退行事故)。終戦直後には、潜水艦に船が撃沈される等、まさに命がけの引揚げであった。また、引揚者を受け入れる内地は、戦火で焼けた都市部の住宅不足に加え、急激なインフレーション、物資不足、深刻な食糧難にみまわれていた。
住宅不足
3月10日の東京大空襲から始まる全国各都市を狙った空襲で、全国の家屋の15%が失われたと言われる。その他にも建物疎開で減っていたり、引揚者の住む住居が不足したりしていた。人々はバラックを建てたり、親戚の家に間借りして文字通り肩身の狭い思いをしていた。
インフレ
昭和22年7月時点で、一般物価は戦前(昭和9 - 11年の平均)の65倍、米価は32倍と政府が発表。また、昭和21年8月の厚生省の調査結果では標準家庭1ヵ月の収入504円40銭に対し、支出が844円80銭であった。
物資不足
空襲による破壊の他、外地からの供給停止、物流がうまく機能できなかった事も影響した。前年には東南海地震、三河地震という二つの大地震も発生していた。
食糧難
1945年(昭和20年)は農村の人手不足に加え、とても寒い冬で、米の収穫量が前年の68.8%と大凶作であった(収穫期には枕崎台風や大雨が被害を大きくしている)。
この時代は一日一日を生きる事に必死であり、父親が無事に帰る事が希望だった家庭も少なくなかった。反響が大きかった事をふまえると、上記のような世相の中、「里の秋」は年の瀬の人々の心を慰めたと考えられる。
ウィキペディアから引用
まるでぼろ雑巾のようにクッタクタだ。何かをやる意欲も湧かない。まるで意欲が消失したようだ。風邪がぶり返さなかったのがせめての救いで、帰宅直後からつい先ほどまで座高が高い書斎の椅子で居眠りをしていた。
明日は診療所に行く。今日の朝からゴロゴロしていた目の裏がショボショボし始めて少々化膿している。逆まつげのせいに違いない。眼科に行ってから自宅で休む。
もしも目の具合がよくなったらカール・ロジャーズの「カウンセリング」とマーク・L・サビカスの「サビカス キャリア・カウンセリング理論」とアレン・E・アイヴイの「マイクロカウンセリング」を熟読しておきたい。技能検定は2~3か月後に迫っている。
今週は自分でも感心するくらい仕事に励んだ。明日は休む。閉店休業だ。