旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

土曜日

2011年01月29日 21時39分21秒 | Weblog
少し朝寝坊をして遅い朝食をいただいた。ストレッチをしてから少し休み、気にかかっていた庭の柿の太い枝のうちの1本を一気に切り落とした。不釣り合いな枝の太さが許せなかった。柿の枝を切り落としたあと、熟れすぎた伊予柑の4つ切りをモミジやアンズの小枝に刺したら、数分後にはヒヨドリやメジロ、ヤマバトがつついていた。

小鳥たちの動きのように足早に1月は行ってしまいそうだ。2月は「逃げる」、3月は「去る」。静かに流れる時間の中で月日の車輪は着実にその回転を早めている。達成感に満足したのちは「忠犬ごんた」と連れだって真亀山神社から高瀬堰界隈まで足をのばした。冷たい大気ながらわずかな風もなかったので、汗をにじませながらわが家にたどり着いた。シャワーを浴びてからなじみの診療所にでかけた。

本来は高血圧が問題なのである。ところが血圧の数値が10年も異常だというのに、敬愛するドクターは私に降下剤の投薬ができない、というよりも私の方が降下剤の服用に同意しない。逃げて逃げて、逃げ回っている。先日の役所の健康診断で明らかな異常が出たので本人は少なからず動揺している。それでも私は降下剤を服用しない。

午後はカウンセリング心理学の本が必要になったので街に出た。たまたま何度も読んだ「カウンセリング心理学入門」(PHP新書)の著者である国分康孝の「カウンセリングの理論」が目にとまった。傍らには北山修も執筆者に名を連ねる「精神医学ハンドブック」が並んでいたので、角川春樹事務所の「哲学サミット」とあわせて計3冊を買った。

本屋は生家に近い。糖度が10.5度のイチゴひとパックと練乳を手土産に母親と兄を訪ねた。運よく在宅だった。退院したばかりの母親はいくぶんか気弱になっているように見受けられた。(帰宅後、わざわざイチゴが甘くて美味しかったと電話があった。こちらの話が聞こえていないようだ)

兄からスポーツバッグをもらい、奨められてアメリカみやげのDVDを見た。米軍442部隊のドキュメンタリーだった。第2次世界大戦でもっとも勇敢に闘った部隊と評される日系2世部隊の勇者たちは、戦後60有余年を経て反戦論者になっていた。ひとがひとを殺戮することのむごさに身を震わせながら口をそろえたように「戦争はいけない。」と語った。

トルーマン大統領による顕彰によって、大戦後ようやく日系人は名実ともに米国民と認められたのだ。442部隊については「ブリエアの解放者たち」(ドウス昌代著 文芸春秋)で読んでいたとはいえ、やはり映像の衝撃は活字よりも大きい。後半では止めどもなく涙が溢れた。


改め『大学』

2011年01月27日 22時44分58秒 | Weblog
「大学」 第1章 金谷治 訳注

『わが身をよく修めようとした人は、それに先立ってまず、一身の中心である自分の心を正した。自分の心を正そうとした人は、それに先立ってまず、心の中心である自分の意念(思い)を誠実にした。自分の意念を誠実にしようとした人は、それに先立ってまず、意念の本である自分の知能を(道徳的判断)を十分におしきわめた。知能をおしきわめて明晰にするには、ものごとについて善悪を確かめることだ。』

再び『大学』

2011年01月27日 22時28分46秒 | Weblog
「大学」 第1章 金谷治 訳注

『踏み止まるべきところがはっきりわかってこそしっかり落ちつくということになり、しっかり落ち着いてこそものごとに動揺しないで平静であることができ、平静であってこそ安らかになることができ、安らかであってこそものごとを正しく考えることができ、正しく考えてこそ最高善にとどまるという目標も達成できるのだ。
ものごとには根本と末端とがあり、また始めと終わりとがある。そのことをわきまえて、何を先にして何を後にすべきかということがわかうなら、それでほぼ正しい道を得たことになるのである。』

ストレッチ

2011年01月26日 21時16分24秒 | Weblog
年初に腰を痛めた。ストレッチで痛めた腰を整形外科のストレッチで治そうというのだから笑える。週に1度だから今日で3回目になる。電気で10分ほど腰のマッサージをしてからストレッチにはいる。トレーナーは女性だった。

今日の指導は腹筋・背筋を鍛えるストレッチだ。腹ばいになって、下腹部の腹筋をしめる。これだけで腹部に痙攣が起きそうだ。運動不足を痛感する。背筋の方は脊椎の下半分のストレッチだ。生まれて初めて脊椎のコリをほぐしたような爽快さだ。我流のストレッチには限界があることを知った。しばらくは本物のストレッチの虜になりそうだ。

この病院のリハビリ施設はトレーニングジムと併設されている。夕方の6時前に病院についてマッサージを済ませた後しばらく、いろいろなトレーニングやストレッチ、治療を見るのが楽しい。老若男女が一同にリハビリやトレーニングに励むのだから取り組みがバラエティに富む。

めいめいが異なったトレーニングとリハビリに励んでいる。それでも体力の増進やリハビリという自らの向上を目指す人たちだけの集団だから醸し出す雰囲気がいいのだ。腰痛はほぼ治まっている。しかし若干の危うさを感じる。約30年間に及ぶ車生活でかなり腰回りの筋肉が弱くなったようだ。しばらくはリハビリを兼ねて、背筋・腹筋それに脚力を鍛えてみたいと思う。

新年会と鳥

2011年01月23日 19時01分39秒 | Weblog
週末金曜には、中学時代の同窓生との新年会があった。ビジネスマンとしてのゴールを迎えて既に年金生活に入った者、第二の人生を歩む者、家業の役員や創業者として経営の困難さに直面する者、専業主婦がいれば、長年の勤務を終えて主婦に復帰した者もいる。共通の話題が少なくなくなる一方で、誰しも避けては通れないお金の話や家族の話、遊び、政治や不倫などの話はなお盛んだ。

新年会の前に古本屋で「広島県の野鳥 1980 広島県」を購入した。わが家の庭を訪れる鳥たちの種は20種を下らないことに休日になると気がつく。スズメ、カラス、ヒヨドリ、メジロにホオジロ、ヤマバトあたりまではわかるのだが、ときおり集団で訪れる鳥や、ヒヨドリ並みの大きさの鳥の名がわからない。近くの高瀬堰下流にたむろする大型の鳥の名もその多くが不明だ。名を知ったからどーってことはないのだが気にかかる。

詮索する気はないとはいえ同窓生たちがどのような生活を送ってきたのかが気にかかるように、鳥たちがこの広島県でどのように分布し、各々がどのような生態をもっているのか気にかかる。ひとが相手のなら詮索すると嫌われようが、鳥が相手では嫌われることもあるまい。「広島県の野鳥 1980 広島県」は日本鳥類保護連盟広島県支部の編集だ。カラー写真をひととおりみただけでかなりの種類の鳥の名をや生態を知ることができた。思えば、固有名詞を正確に覚えその属性について知っておくことが重要性なことを知って久しい。

ひろしま男子駅伝

2011年01月23日 17時44分09秒 | Weblog
頭脳に過剰な栄養を与えた後は、ゆっくりと落ちて行くのを待つ。頭が凝らない図鑑を求めて大手町のブックオフにでかけたらNHK広島あたりが何やら騒がしい。根っから野次馬精神と好奇心の塊だから足は自ずとその界隈に向かう。NHK広島前の広場では全国各県の物産展をやっていた。

自認する食道楽だ。岩手県で「ホタテの炭火焼」、北海道で「蒸しじゃがバター」、島根県で「舞茸の天ぷらいり出雲そば」を食べたら腹いっぱいになった。NHKの一階でトーク番組の実況をやっていたので入ってみた。狭い会場は人であふれていた。ステージに目をやると、どこかで見たようなひとがアナウンサーと話をしている。

雑音性難聴という持病があってやや聞き取りにくい。それでも「ソウさん、ソウさん」としきりにアナウンサーが声をかけているので、ああ、あのお顔は、昔懐かしいかの宗茂さんか、宗猛のいずれかに違いない。宗さん兄弟のいづれかわからないが、随分の中年太りで面影がやや薄い。そういえば、ひろしま男子駅伝は県対抗だった、あす開催かと思い出すのと、若かりし頃の宗兄弟を思い出すのとほぼ同時だった。



カール・ロジャーズ

2011年01月19日 23時52分12秒 | Weblog
おっと・・・貸し出し中なもので間違えちゃいました。そうそう小林じゃなくて木村周でした。私のメインテキストです。失礼しました。 ところで・・・。お言葉を返すようですが、もともとこの技能検定を受ける気になったのが、 職業相談の経験が5年以上あって大学のゼミは労働法、10年ほど前には職業訓練校で労務管理論の講師を3年ほどやっています。 カウンセリング心理学を徹底的にやれば、「いける!」と安易に考えたわけです。

私の職業相談は指示的なんですね。 これまでどちらかというと教える側にいた経験が長いので、 つい癖というか地が出てしまいます。そこで、非指示的なクライアント中心主義のロジャーズで、 この癖を消そうとしました。当時の私からすると対極にあるようなロジャーズの著作から、多くのものを学びました。翻訳本に関していうと、ひどい代物が多いというのが私見です。 ロジャーズの全集もごく一部を読みましたがやや難解でした。原著の方がはるかに易しい英語で書かれています。 そんなことで悩んでいるんじゃないんです。

私の最大の問題は、3回目で合格した面接実技が、 それ以上のできだと自負していたにもかかわらず、 4回目では半分以下の点数しかなかった。 あの時は正直「やられた!」と思いました。 やはり養成学校かなというアドバイスがジンと来たわけです。これ以上話すと、技能検定の委員に発覚する恐れがありますのでよします。 要は、どのような局面でも合格する力量がなかったといえばそれまでなのですが、 今回だけは特に注意深く検定に対応しています。面接実技に向けてイメージトレーニングに励みます。


弁証法論理批判

2011年01月17日 18時20分47秒 | Weblog
">『マルクスはヘーゲルの論理を「論理的神秘主義」と呼び、理性の神秘主義をそこに見ている。マルクスのヘーゲル批判の焦点は、存在と思惟、現実的なものと理性的なものとの同一性についてのヘーゲルの信念に向けられる。この同一化は二重の転倒を含む、とマルクスは批判する。一方では、存在は思惟に、有限なものは無限なものに還元され、経験的、現実的な事実は止揚されて真の現実性を持つことを否認される。経験的真理の国は、理念の内的契機に転化され、存在しないものとみなされる。存在は存在でなくて、思惟である。他方、理性=それ自身のうちに対立物をもつ唯一の全体性は絶対者となり、自己充足的な現実となるが、存在するためには、この現実は自らを現実的対象に転化し、特殊的、物体的形態をとらねばならない。マルクスは、ヘーゲルが抽象物を「理念」として実体化し、新しい「実念論」に転落していることを批判するのである。ヘーゲルは主語と述語を転倒する。現実的対象の述語を表現し、その対象のカテゴリーであるべき「普遍」または概念はそれ自身によって存在する実在として主語に変えられ、反対に、現実的主語、判断の媒体、現実に存在する世界は理念の顕現方は化身になる。つまり述語の述語になる。現実世界は理念が現実性をまとう手段になる。』「新岩波講座哲学 15 哲学の展開」11 現代哲学史への予動 マルクス・ニーチェ・フロイト 竹内良知/font>

実存は本質に先立つ

2011年01月17日 17時48分45秒 | Weblog
『現実的存在はすべて具体的、特殊的、個別的である。それは本質的存在の規定が抽象的、普遍的、一般的であるのに対抗する。また現実的存在は不断の運動変化の過程にあり、その動機は本質既定の生態を震撼させ、規定に逆背し規定を突破して規定の変改を迫り、実態が甚だしく変化した場合には本質規定の端的な表現である名称をさえ改めさせることがある。人間の現実的存在を意味する「実存」の語を掲げる実存主義は、現実的存在と本質的存在の上のような関係において、もっぱら人間に関して、もっとも徹底的に現実的存在を優先させ、それに固執する。「実存が本質に先立つ」という言葉が、その標語となりうるゆえんである。そこでは人間存在における現実性というのが、本質性との対比において、形而上学的に「人間とはこれこれこういうものである」と一般的に規定され一本質に固定的に決めつけられることを拒否する理解のしかたとして立っている。』「岩波講座哲学 3 人間の哲学」 Ⅷ 実存主義における人間 飯島宗亨 

2題

2011年01月17日 11時29分24秒 | Weblog
不特定のひとや企業を相手にする民間の営業ではこうはいかない。休日といえどもクライアントから連絡があれば休暇を返上して仕事をせざるをえなかった。役所の場合は平日に休暇をとったからといって公務に支障は出ない。だから、末端の公務員は片づけるべき仕事を片づけておけばゆっくりと休養できる。

腰の調子が良いとはいえないので外出をひかえて、キャリアコンサルティング技能検定対策で硬くなった頭をほぐすことにした。本日の課題は「実存は本質に先立つ」という実存主義のテーゼの意味合いの確認と、マルクスはヘーゲル哲学のどこを批判したのかの2題。

腰痛

2011年01月17日 00時18分14秒 | Weblog
10日以上たつというのに腰に痛みが残っている。下半身の運動不足を感じたのでストレッチを試みた。従前から運動不足は我流のストレッチで解消してきた。ところが今回はストレッチが腰痛の原因になってしまった。公務員歴・腰痛歴ともに30年以上先輩に当たるI氏から「悪いことは言わんけえ、腰痛の原因だけはしっかりと究明しときんさいよ。」という忠告も受けている。整形外科を訪ねた。

最も気にかかる身長が3センチ以上縮んだ原因も明らかになった。医師の説明によると、それでなくても運動不足で背筋と腹筋が弱くなっているから上半身を腰に乗せるような状態に陥っている。本来ならもっと腰が引けていないといけないのに、私の場合、負傷のために腰を前方に突き出ことによってバランスを取ろうとしている。したがって身体が「く」の字になっている。つまり胸は反り、腰が前方に突き出し・・・、身体が反った状態で身長を計った。それだけのことだった。

理学療法士の治療を受けた後、以上の点に気をつけて3日ぶりに身長を計ったら、3㎝ばかり伸びて元の1mと72㎝あたりに戻っていた。半年で3㎝だから年に6㎝。5年もすると30㎝は縮む。小学生当時の身長になるのじゃないかと怯えていたのでほっとした。また、腰痛発症の当初3日間というもの、十二分に自分の上半身の重さを知った。持ち上がらない上半身の重心を前方に移動しながらゆっくりと立ち上がることの辛さを初めて体験した。

キャリアアンカー

2011年01月14日 23時56分57秒 | Weblog
たまたま本日、私は「あるひとが、どんなに難しい選択を強いられた時でも放棄することがない自己概念」つまりキャリアアンカーのテストを試みた。即座に、しかもダントツで"Autonomy Independence"(自律 独立)を重視する性向であることが判明した。私は組織内ではもっともえらくなりにくいタイプだし、独立開業にも向かない困ったキャリアアンカーの持ち主なのだ。

17日は休暇をとった。明日から3連休を楽しむ。  

健康診断

2011年01月14日 23時14分36秒 | Weblog
124-168 99-192 110-198 これが一昨日の健康診断での測定結果、もちろん血圧の・・・だ。いったいどの数値を信じればよいのか、まじめに測定してくれた中年の女性が、「他の検査を受けてから、も一度計りましょうよ。」とわざわざ私に声をかけてくれた。自分の計り方が悪かったのじゃないのかと戸惑っているようにもみえた。

国や医学会は、国民の適正な血圧を80-130に想定している。医師会を敵に回す気はないが、それじゃ私の場合、上、下ともに約3分の1血圧を下げなければならない。つまり、約3分の2まで血圧を下げろということになる。私には身体がこの血圧を欲しているのに薬で強引に血圧を下げてよかろうはずがないという思い込みがある。強引に血圧を下げることの意味が腑に落ちない。「血圧が高いから下げよ。」では、単なる対症療法に過ぎないと理解せざるを得ない。

信頼する主治医の先生に神学的な問答をふっかけて困らせていることは承知している。それでも、自らの体を実験台にして素人治療に挑む。まず、今回の測定結果のような血圧の不安定を、血圧計の仕組みやカフを巻く腕の組織(筋肉や脂肪、血管)との関係で解明したい。

身長の測定の結果、この半年で身長が3㎝縮んでいたのには驚いた。そうか、年をとるとこんなに縮んでいくのかと落胆していると、診断の先生が「そんなことはありえない!最近、首か腰を痛めたでしょう。」と、まるでこの10日ばかりの腰痛との闘いをみてきたような診断をくだした。「すぐ整形外科に行きなさい。腰辺りの骨がずれている可能性がある。」とのことだ。ということで、明日は午前中が整形外科、午後が親知らずの抜歯と急に忙しくなってしまった。


JR芸備線

2011年01月07日 00時21分21秒 | Weblog
今朝は、「本日は鹿と当列車が衝突したため列車が遅れて、皆さまにはご迷惑をおかけしております。当列車は、当駅を5分遅れで出発いたしました。皆さまにはお急ぎのところ、大変ご迷惑をおかけしております。ガチャ!」と車内アナウンスがあった。「当列車」は、この冬に入って2回目の鹿との衝突だ。

昨年の秋には、「本日は、踏切に牛が侵入して立ち往生しております。皆さまにはご迷惑をおかけしております。この列車、20分ほど遅れて次の駅『安芸矢口駅』に到着する予定です。皆さまにはお急ぎのところ、大変ご迷惑をおかけしております。ガチャ!」というのがあった。