旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

保守

2012年05月30日 08時17分38秒 | Weblog
桶谷秀昭著「人間を磨く」(新潮新書)を読む。

「人間を磨く」とはありきたりでつまらない表題だなあと思いつつ、本文を2~3ページめくって読んでみた。論旨が骨太で腑に落ちるところがあったので買った。10年ばかり前までならば著名な学者の著作のみを読んだ。自分の好き嫌いや肌に合う合わないといった感性と関りのない読書だ。最近では自分の読書傾向が大きく変容していることに気が付きはじめた。

「私はこの稿を、本を読むという精神的ないとなみは、人生にどのような意義があるのかといふ問題において考えようとしてゐる。だから仕事の上で本を読むことは、この問題の中に含まれない。」

「せっかく買ったけれど、読めない本がいくらでもある。眼球は活字の上をつるつると滑ってゆき、作家の精神に直面できなかったら、私は『読めなかった』という。」

「『読書は人間を作りますか』ときかれたとする。私は意地悪く『作らないんぢゃないですか』と応えるだろう。」

「読みたい本への渇きは、米への願望よりも激しいことがある。」

以上は、「人間を磨く」から引用のうえ改竄。

私は、思考の根っこに骨太な思想が香る著作を好む。心理学の国分康孝や哲学の木田元辺りが典型だ。「人間を磨く」を読み終えてから躊躇なく『昭和精神史』を買い求めることに決めた。
桶谷秀昭さんは1932年生まれだから、執筆は(2007年発行)はおそらく75歳あたりだろう。

初夏

2012年05月29日 23時19分05秒 | Weblog
一か月以上にわたって味覚を楽しませてくれたキヌサヤの収穫が終わった。私はキヌサヤの塩コショウ炒めが好物だ。パリパリとした食感と口中に広がる固有の青臭さがたまらない。毎朝毎夕食べても飽きなかった。野菜はすべからく新鮮なのが良いとは思わない。キヌサヤの場合ほ採りたての新鮮なのが良い。

キヌサヤのあとにはオクラの種を5・6粒播いた。昨年はこのオクラが予想外の豊作であったにもかかわらず、殆ど口にすることがなかった。立派に大きく育てて調理法でなんとか美味しくいただける方法がないものかと試行錯誤した。結局犀の角のようにばかでかいばかりで食べることができないオクラの山が残った。

研究は失敗した。今夏はとにかく若い実をかたっぱしからいただくことにした。オクラの若実はみるからに精力がつきそうだ。ひとと会う前日はニンニクを食べることをさしひかえている。夏場のオクラはニンニクの代用品として若いのをたっぷりいただくことにした。

レッドオニオンが収穫期に入った。できがよい。もうしばらく玉を太らせるかどうか検討している。茎が倒れて葉が黄色になる時分が収穫期だという。それでは遅すぎるというのが私の見解だ。出荷するわけではない。最も美味しい時期はいつなのか見極めながら収穫の時期を計る。

サトイモが芽を出した。サツマイモの葉が成長を始めた。キヌサヤのあとのインゲンには早くも支柱が必要だ。ジャガイモ、サラダ菜、ネギ、トマトにナス、ダイコン、ホウレンソウも順調に生育している。昨年に続いてキュウリの生育が思わしくない。土のせいにして腐葉土で土を作りかえることも考えた。二日続けてしっかりと水をやったら元気を取り戻しつつある。水やりの不足が原因なのかもしれない。しばらく様子をみることにした。

準備

2012年05月28日 20時54分44秒 | Weblog
この3月までは、社会人を対象にした職業相談や訓練相談を担当していた。6月からは就職支援が業務になる。でがらしのお茶のような社会人を相手にすることに慣れてしまった。頭を切り替えるためにさっそく以下11冊の本を購入した。

「史上最強のエントリーシート・履歴書・Eメール・手紙・電話」
「人気企業エントリーシート実例集」
「超速マスターEメール・履歴書・エントリーシート」
「エントリーシート・履歴書・志望動機・自己PR【完全版】」
「面接」
「業界NO1エージェントが教える転職メソッド 自己分析 企業分析 職務経歴書・履歴書・面接」

「子供は理系にせよ」「人間を磨く」「決められない」「行儀よくしろ」「他人を見下す若者たち」以上新書

優先順位からいえば最も重要なのは本人の満足度、次いで本人の家族の満足度、最後に高校の満足度ということになる。「絶対内定」「勝つ!!履歴書・職務経歴書」は通読済みだ。

海釣

2012年05月27日 23時44分33秒 | Weblog
間もなく一昨日になる。かろうじて昨日、約3年ぶりに海釣りにでかけた。観音から舟入、吉島と釣り場を探したのだが、海や島々をのんびり眺めながら釣りに没頭できるような釣り場が見つからない。

餌を買ったのが宇品港近くの釣り具、というよりも釣り餌屋さんだった。最近の連れ筋を尋ねたら、ちょっときつそうなおかみさんが「難しい季節じゃね、少し早いがキスかねえ。」とのたまうので、私は「フンフン」、腹では行き先を「ベーサイドビーチ坂」に決めた。底が砂地であることがキスをあげるための条件だ。

駐車場は6月まで無料で開放されている。長い砂浜と防波堤は格好の釣り場だ。金輪島や元宇品の新緑を背景にして、彼方にウィンドサーフィンが行きかう。オキアミボイルを餌に探り釣りを始めたら一投目でわかった。海底には青海苔が繁殖しているのでキスは釣れない。

投げる、探る、あげる、新しいオキアミをつけるを繰り返した。どんな魚が食いついてもいいようにメバル針を使用した。30回ばかり探り釣りを試してあがったのは、7センチのクサフグ1尾に5センチに満たないハゼが2尾にとどまる。キスの引きはまったくない。

しかも、砂の上で餌のオキアミをつけかえていたら、通りかかったラテン系と思しき女性が釣り糸をおみ足に引っかけてくれて、オキアミを取りつけていた私の指に、その釣針が食い込むというアクシデントが起きた。ずぶっと指先に針が食い込んでしまったので抜けないのじゃないかと心配した。

ところが注射には弱いが、この手の負傷には意外に強い。メバル針は他の釣針と比べると細い。一気に抜こうと試みたらあっけなく抜けた。痛かったが染み程度の出血しかなかった。「ダイジョウブデスカ。」と旦那、通訳風の若い女性が「大丈夫ですかあ。」ラテン系の女性は「イタクナイデスカ。」。「いてえんだよお、足元に気をつけろよ。」と怒鳴りたかった。耐えたのは優しい言葉と美貌のせい。

1時間ほどで探り釣りはやめて遠投に切り替えた。餌はアオムシ(青ゴカイ)だ。大ぶりのアオムシの牙は鋭い。2、3度噛まれかけた。なんどもなんども餌のゴカイをつけかえて遠投を繰り返していたら日が落ちた。3時間かかって釣れたのは10センチに満たないコチが一匹だった。

約5年前には別府湾沖で65センチのヒラメをあげ、約20年前には海水浴場になる前のこの場所で20センチを超える青ギスを1時間ほどで10と数尾あげた私がこの体たらく、顔を洗って出直すことになった。通算で約4時間の修行は終わった。そして昨晩(一昨晩)は夜8時前に床に就き、翌朝の8時まで眠りこけた。起きざまに右手の薬指が疼いた。



採用

2012年05月25日 21時40分45秒 | Weblog
2件の採否結果を待っていた。朝の10時過ぎに電話で一方が不採用になったことが伝えられた。1時間も経たないうちに他方からの電話で内定したことを知らされた。ほっとして全身から力が抜け落ちた。

今回の2件の応募先には運営母体が官か民か程度の違いしかない。3年ばかり行政を経験してあの杓子定規な行政判断にはいささかうんざりしていた。ほんの僅かでも、より自由度が高いと思われる民の方に気持ちが傾きかかっていた。

5件を厳選して5件目に採用された。幸運だった。1件目は応募書類を求人先が受け取ったあとになって、一方的に「応募に必要な経験」の内容を変更した。結果、書類選考で落とされた。碌でもないシンクタンクがあったものだ。2件目は面接までいった。最終的にだれも採用しなかったと踏んでいる。突出した人材が現れるまで待つという姿勢が窺われた。ハンディだらけの私にチャンスはなかった。

就職活動中、通算して4件の書類選考に残ることができた。内3件は、いずれも同じ地方自治体関連の求人なのだ。だから[後出しじゃんけん]のような書類選考で刎ねられたシンクタンクをのぞくと1官庁+ワンへの応募だったということになる。

私と同年輩の求職者が年齢のせいで仕事が決まらないとぼやいていた。20社ばかりに応募しても、その殆どが書類選考の段階で落とされたのだそうだ。同年輩の凝り固まった頭に説教は無効だ。「ボヤいている暇があったら、心底、自分がやりたい仕事を必死になって探してみたら、道は開けるんじゃないですか。」とひとり呟く。

望む仕事に就くのに3ヵ月を要した。私は断じて品行方正な人間ではない。コネクションを利用したらコネクションを供与したひと、受けたひとに迷惑がかかる可能性が高い。だから私は私的なコネクションを利用しない、利用したくない、ただそれだけのことだ。今回もコネクションなしのガチンコ勝負だった。

絹さや

2012年05月24日 18時47分03秒 | Weblog
冬が来る前に種をまく。針金のような茎に華奢な葉をつけさせてそのまま越冬させたら、水が温む頃になると成長を始める。早春に2~30㎝だった枝葉が瞬く間に私の身の丈に達して、今では2mを優に超える。キヌサヤの収穫が盛りだ。あの柔らかい枝葉に白い可憐な花々をつけたかと思ったら、数日後には薄緑の鞘を花の数だけつけている。掌にのせるとみずみずしい。

舌鋒

2012年05月22日 23時00分15秒 | Weblog

本日の採用面接は惨憺たるものだった。求められたから、本人は遠まわしにささやかな意見を述べたつもりだった。ところが、4名の面接官のうちのひとりが、私が応募先のやり方・実績を真っ向から否定してかかっていると判断したらしい。応募先のやり方のどこがいけないのかと舌鋒鋭く問い正してきた。

結局、その面接官とやり合ってしまった。採用が決まってからでもやり合えるのだから面接官とやり合ってはならないというのが鉄則だ。改めて真意を伝えようとしたところで面接が終了した。胃のあたりを苦いものがはしった。思い足をひきずりながら会場を出た。

宇品港まで足をのばして船を眺め、潮風に吹かれてから家路についた。賽はふられた。週明けには採否が明らかになる。



名著

2012年05月22日 21時08分31秒 | Weblog
昨日の日没後に「日本の名著」全50巻の巻ごとのくたびれ具合の点検を行ったところ部屋中に埃をまき散らす結果になって大いに後悔した。それでもかろうじて1時間ほどで「第1巻 日本書紀」から「第50巻 柳田国男」までの点検を終えた。

数巻のビニールカバーに若干の汚れ(カビなのかもしれない)を認めた程度だった。丁寧にふきとったらまあまあの状態になった。翌日(本日)が採用面接日なので埃をかぶったままで眠りたくはなかった。眠りたくはなかったが農作業の疲れも手伝って不覚にもそのまま眠ってしまった。

 本日、採用面接を終えて帰宅したのち日が高いところで観察すると「世界の名著」正66巻・続15巻も埃をかぶって、しかも、いたみ始めていた。埃を払ってから、見えにくくなってきた黄色の背景に白文字の背表紙(キルケゴールほか10冊ほど)の著者名をワードで打って張り直した。「世界の名著」の白用紙の背景に黒い文字がやけに目立つ。

正の「第1巻原始仏典 バラモン経典」から「第66巻 現代の科学」まで順に並べてくたびれ具合の点検を済ませた。ついでに続の「第1巻 中国の科学」から「第15巻 近代の芸術論」までの点検をした。

やはり、正の方には数冊のビニールカバーにしつこい汚れ(くどいようだがカビなのかもしれない)を認めたので汚れを落とした。続15巻は保存状態がよいので点検に時間はとらない。日が明るいうちに掃除機で埃を吸い取ってから部屋の水拭をした。

「世界の名著」と「日本の名著」は寝間に置いている。くすんでいた部屋が明るくなって、あたりの空気は清々しかった。今夜は良い夢を見ることができそうだ。

"若い"老齢科学者

2012年05月21日 14時53分21秒 | Weblog

「日本では、年を重ねて一層活発に研究している研究者も数多くいるのに、60~65歳という一律の定年で研究・教育生命をとめてしまう。これは人材の有効活用とはいえない。生物学的には高齢であっても能力的にはいつまでも若い研究者には、続けて活躍できる場を提供する必要がある。"若い"高齢研究者の処遇は今後の重要な課題のひとつになるに違いない。」黒田玲子著「科学を育む」(中公新書)から引用のうえ一部を改竄。

研究者だけの話にとどまらない。私とて"若"い中高年のひとりとして生物学的年齢でビジネスマン生命をとめられたくはない。本日、就職戦線復帰の第1弾面接があった。この度はうまく持ち味を出すことができたように思う。嫌いな(想像の)「思う」を使わざるを得ないのは、先入観であろうがコネクションであろうが総合的に判断しようが、その採否を決める権利は採用する側にのみ存するからだ。

明日は就職戦線復帰第2弾の面接(2次面接ではない。別途の求人だ。)がある。第1弾と第2弾の面接日時が今日と明日につまった。一方が不採用で一方に採用が決まれば問題はない。採用通知をくれた方で働く。両者ともに採用が決まったらいづれを選択するかに苦慮しそうだし、両者ともに不採用ならば職探しという奈落に逆戻りだ。
   

海舟

2012年05月21日 11時35分21秒 | Weblog
龍馬に短銃を渡した高杉晋作や思想行動ともに行き違いが多い武市瑞山との関係、私淑した勝海舟は勤王の土佐藩からみれば宿敵に当たる。特に横井小楠をはじめとしたイデオローグたちとの交流は海舟の人脈に依っている。

「大政奉還を建白したのは、やはり大勢を洞観しての卓識か、またはただ小策に出たものですか。」という問いに対して、「あれは、坂本がいたからのことだ。土佐はそれまで日和見をしていた。」と海舟は述懐している(「海舟座談」岩波文庫)。龍馬は幕府、宮家、土佐藩・薩摩藩・長州藩の利害調整の役を担った。宮家と幕府に顔が利くようになったのは海舟の力に依るらしい。

龍馬

2012年05月19日 11時29分57秒 | Weblog

龍馬


池田敬正著「坂本龍馬 維新前夜の群像②」(中公新書)を読む。

私は坂本龍馬が好きでも嫌いでもない。たまたま寄った古本屋でこの新書を手にとって立ち読みをしていたら、目次に「船中八策」という見出しがあった。売り出し中のどこやらの市長が「船中八策」という聞きなれない言葉をしゃべっていたのを思い出して、どちらかというと何を言っているのかよく解らないそのどこやらの市長の言いたいことを、少しでも理解しようとこの新書を買った。この市長は「時の人」なのだ。

通称坂本龍馬の本名は直柔(なおなり)で、良馬とあて字したと伝えられるので「りょうま」と発音する。高知の古い俗謡に「浅井金持ち、川崎地持ち、上の才賀屋道具持ち、下の才賀屋娘持ち」とうたわれた上の才賀屋6代目の長男が別家して町人郷士坂本家をたてた。その3代目権平の弟が直柔(竜馬 1835年生)である。才賀屋は1849年に酒造業をやめて仕送屋と質屋に専業した。坂本家は高知有数の豪商才賀家の別家である。普通の武家にはない豊かな経済力があった。(上記新書「坂本龍馬」を参照)

龍馬は横井小楠、武市瑞山(半平太)、勝海舟からの思想的影響を受け、西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允、高杉晋作、中岡慎太郎といった維新の志士や薩摩の田中新兵衛、土佐の岡田以蔵等の人斬りたちと交流があった。






輩(やから)

2012年05月18日 16時35分48秒 | Weblog
 「おい、岩本、百円やるさかい、ジュース買うて来い。」夜間定時制課程、柏木高校に就任した私が、緊張した面持ちで2年A組の教室に足を踏み入れた瞬間、生徒から投げかけられた言葉がこれであった。」という書き出しで岩本茂樹著「教育をぶっとばせ 反学校の輩たち」は始まる。

輩の反抗と抵抗は、現在の社会や教育の歪みへの問いかけであった。表紙裏で、「輩(やから)たちに学校の常識は通用しなかった。格闘するうちに『学校の常識』の方が特殊なのだと彼らは教えてくれた。」と岩本茂樹は述懐している。学校教育になじまない、或いはなじめないモンスターたちを描いている。 
  
 

復権

2012年05月18日 15時35分13秒 | Weblog
   双葉図書古本部を散策して、阿部彩著「子供の貧困」、犬養道子著「ヨーロッパの心」、佐藤勝彦著「宇宙論入門」(以上岩波新書)、黒田玲子著「科学を育む」、池田敬正著「坂本竜馬」(以上中公新書)、岩本茂樹著「教育をぶっとばせ」(文春新書)、川島朗著「心もからだも『冷え』が万病のもと(集英社新書)、吉岡幸雄著「色の歴史手帳}エル新書の計8冊を買った。〆て840円也。

古本は再販価格ではなくて市場価格で売買されている。古本の価格は暴落してしまった。今日の株式市場のように思惑が思惑を呼ぶような投機の世界の話ではなくて、現実的に本を読む人=需要が明らかに減り続けているのだ。本から逃れた多くのひとたちはネットの世界で安住し、めまぐるしく変遷する情報の洪水の中に身を任せていることだろう。果たして書籍の復権はなるのか。今日買うよりも明日買った方が安い商品を急いで買う者はいない。

散策

2012年05月16日 23時59分51秒 | Weblog

湧永庭園


お隣さんとの境界に植えたキンモクセイが越境していたので。3時間ほどかけて20本ほどの剪定に励んだ。次いでモミジの形を整える頃には日が傾いた。日が落ちてうす暗い菜園でキヌサヤとジャガイモの生育ぶり、ナス、キュウリの根付きを確認していたら日が暮れた。

月に一度は、まとめてニンニクを食べることにしている。今日は餃子を3人前たいらげた。腹ごなしにネットを散策していたら、ヤフオクに国分康孝・久子著「カウンセリングQ&A」が出品されていた。躊躇なく応札した。間もなく落札できそうだ。

なにかいいことがありそうな、そんな予感がしている。
 

面接

2012年05月16日 20時20分23秒 | Weblog

         湧永庭園

昨日、週明けの月曜日に面接する旨の電話連絡が入った。翌週の28日に採否の結果が出るそうだ。CDAの資格取得またはキャリアコンサルティング技能検定2級に合格するまでの時間稼ぎ、またはブレッド&バター+アルファーのための求職だから事態が逼迫しているわけではない。逼迫していないとはいえ、やはり採用されるにこしたことはない。職種がこれからのライフプランにかなっているからだ。毎日毎日ライフプランにかなわない求人票を眺めるのはくたびれる。私のライフプランに合った求人はこの3カ月間で4件しかない。