旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

収穫祭

2015年11月22日 20時57分29秒 | Weblog

久しぶりの農園で、ジャガイモ・サトイモ・サツマイモにゴボウを収穫した。元肥の施し方が良かったようだ。ジャガイモとサトイモは良く太った。サツマイモは甘みを増すために肥料を全く施さなかった。それでもイモがごっそり採れたので思わず微笑んだ。わずか15株ほどを掘り起こしただけでミカン箱2つに余る収穫になった。
昼前から農園の収穫祭があった。50名ばかりが集った。里芋炊きに、ふきダイコンとゆず味噌、カブの酢の物、ご飯、大学芋、ぜんざい、キウイで里の秋を味わった。土産に富有柿までいただいた。農家の皆さんの豊かな食生活がうらやましくなった。帰路、秋の曇り空にイチゴ、白菜、タマネギ、キヌサヤ・ホウレンソウ、レタス、ソラマメの作付け計画を描いていた。


昇る朝日に感謝 

2015年11月21日 08時05分11秒 | Weblog

今日は血液検査がある。目が覚めた6時前から何も食べていない。ところが、ここのところ腹が減っても腹が立たない。おそらくは摂取カロリーを自分でコントロールしているからなのだろう。自覚症状のある肺炎で一か月ほど苦しんできた。胸部X線写真とこの血液検査の結果しだいでようやく戦いが終わる。根拠はないのだが、本人は体調がよいのでもう治ったとみている。今日がダメ押しの検査になる。
2月に卒中、10月に肺炎を患い、後遺症もなく職場に復帰することができた。日頃の摂生とかかりつけ医の先生のおかげだと思っている。さてさて、おまけのようなこの健康をどこで楽しもうか。お天道様に感謝して、まずは、ごぶさたしている農園の野菜たちにあいさつに行くとするか。


故 川崎 豊先生  追悼演奏会

2015年11月15日 09時12分16秒 | Weblog

 

川崎 豊かわさき ゆたか1899年(明治32年)10月21日 - 1990年(平成2年)10月8日)は、昭和初期の声楽家歌手

経歴[編集]

広島県出身。叔父は作曲家永井建子陸軍戸山学校軍楽隊出身。除隊後は映画主題歌、流行小唄、新民謡などを唄って人気を博す。1929年(昭和4年)ニッポノホンとコロムビアからデビュー。「沓掛小唄」などがヒット。1931年(昭和6年)、イタリアへ留学。翌年帰国し、広島へ戻り声楽塾を開き、オペラ運動に力を注いだ。

曽我直子とデュエットした代表曲の「蒲田行進曲」は、映画『放浪の王者』(King of the Vagabonds)の劇中歌「ソング・オブ・ザ・ヴァガボンド」(Song of the Vagabonds)を音楽評論家堀内敬三松竹蒲田撮影所のために自由に作詞したものである。

1990年(平成2年)死去。享年90。
(参照 ウィキペディア)

作付け

2015年11月14日 19時42分59秒 | Weblog

1ヶ月ぶりになるのだからかなり雑草が繁茂し、肥料不足で野菜はやせ細っているのじゃないかと心配した。雨の中で畑を見渡してみたら、想像に反して10分もかければ抜けそうな根が浅い雑草が目立つ程度で、サツマイモ(鳴門金時)、ジャガイモ、シュンギク、ダイコン、ニンニクともに生育がよい。ダイコンとシュンギクですら、間引かなければならないにしても栄養が不足している様子はない。秋ナスも太く実って、唐辛子はすでに2代目の花をつけている。畑の肥料はどうにか足りているようだ。
サトイモとゴボウも収穫の時期を迎えている。植え付けた野菜はニンニクを除くと、12月の上旬に収穫を終えることになる。これからの植え付けは、タマネギとキヌサヤは決まっているにしても、イチゴ、ソラマメ以外がなかなか思い当たらない。園芸本を読み直して来春に向けた畑の作付け計画を練り上げてみよう。
白木山の麓はすっかり色づき始めたというのに、野菜畑の区画の緑は濃い。畑に残った養分の最後の一滴を吸収するまで野菜を飢えさせるのが私のやり方だ。肥料のやりすぎは「過ぎたるは及ばざるが如し」の例の通り生育の邪魔になる。ダイコンとジャガイモはもう少し飢えさせて、来週の土日の天気が良ければ肥料を施す予定だ。ダイコンとジャガイモは少なめの肥料を懸命に吸収することだろう。野性的な農業を続ける心づもりに変わりはない。


散策

2015年11月13日 07時11分41秒 | Weblog

風邪をこじらせてからしばらく本格的な読書から遠ざかっていた。本を読もうとしても意欲がわかないのでハウツーものや週刊誌・月刊誌でお茶を濁してきた。時間をかけて養生したので今ではすっかり復調して、ブックオフやフタバ図書に意欲的に足を運んでいる。文庫本は活字が大きいもの以外はよほどの衝撃がない限り読まない。新書の購入に精を出している。また、専門書についてはamazon、ヤフオクや「日本の古本屋」を参照しながらほぼ毎日Web上の本屋に目を光らせている。
ひと月ばかり畑を放置せざるを得なかった。幸い雑草の季節は過ぎているのでそれほど荒れてはいないと思う。明日は久しぶりに畑に出かけて肥料を施す。午後は広島オペラ協会主催の『川崎豊先生 追悼演奏会』を鑑賞する。学園での仕事は峠を越えて総仕上げの段階に入っている。


『存在と時間』『存在と無』

2015年11月10日 22時56分42秒 | Weblog

"BEING AND TIME "Martin Heidegger を買った。言わずと知れたハイデッガー著『存在と時間』(ドイツ語)の英訳だ。数か月前にサルトルの『存在と無』(フランス語)のやはり英訳『Being and Nothingness』を買っている。
英訳で実際に読んでみると和訳で読むことの難渋さがわかる。『存在と時間』『存在と無』ともに和訳が日本語になっていないと感じている。和訳はドイツ語、フランス語の直訳だから余計無理がある。原著をより確かに理解するために英語訳を買った。買って読んでもなんの役にも立たないことは承知だ。


手の内明かし

2015年11月10日 20時02分40秒 | Weblog

杉原保史著「技芸(アート)としてのカウンセリング入門」(創元社)を興味深く読んだ。カウンセリングの専門家による「手の内明かし」は、國分康孝夫妻の「カウンセリングQ&A」全3冊や東山紘久著「プロカウンセラーの聞く技術」(創元社)や河合隼雄さんの著作で馴染んではいるが、杉原さんの場合、特に理論や主義主張がどうであれ、カウンセリングは非言語的な要素も含めた言語「技術」であって それ以外の何ものでもないと明言しているところが頼もしい。その技術をそっくりいただくために3回目の通読に入っている。文章は平明でわかりやすい。
東山さんや杉原さん、河合さんはともに京都大学の卒業だ。共通した論理の一貫性がある。わたしは、旧東京教育大学系の木村周さんを手掛かりにコンサルティング技術の独学を始めた。國分さんや渡辺三枝子さん、木村周さんは、欧米で発達したカウンセリング理論をわが国に紹介することに心血を注いできたようだ。そのせいなのだろう、かれらの著作には消化不良を起こしそうな翻訳調の表現が多い。わたしは京大系の一貫した論理性や平明な表現の方を好む。門外漢なので印象だけの話なのだが・・・。


和太鼓

2015年11月08日 22時11分48秒 | Weblog

『第二の母校』は、全日本高校サッカー選手権の県大会準決勝で『卒業した母校』に敗れた。一週間後に『卒業した母校』と、昨年準決勝で敗れた『第二の母校至近の高校』が決勝で対戦する。声援する『第二の母校』が敗れたので熱は冷めた。今や決勝に関心すらない。
『第二の母校』の和太鼓部の演奏は素晴らしかった。3、4百人の聴衆を感動の渦に巻き込んだ。演奏した部員たちが舞台を降りるまで拍手が鳴りやむことはなかった。地区祭りエベント進行役も興奮気味に『祭りをみごとに締め括った。』と称賛した。


『全日本高校サッカー選手権大会』県予選

2015年11月08日 09時46分47秒 | Weblog

正月恒例『全日本高校サッカー選手権』の県予選「決勝トーナメント」の準決勝で今日、母校2校が対戦する。遠くの親戚よりも近くの他人というわけではない。私は職務を通じて交流がある生徒が多い第2の母校を応援する。午前11時から試合が始まるので会場まで駆けつけたいところだが、雨が降っている。なにぶん病み上がりの身だから周りに心配をかけてはいけない。会場で応援するのは断念した。Web上の情報で勝敗の行方を追うことになる。また、夕方には近くの大型店舗で第2の母校、和太鼓部の演奏会がある。年に2回の演奏会は毎回数百人の聴衆を感動の渦に巻き込む。昨日の文化祭に続いて今日も、私の胸はすっかり母校色に包まれている。


文化祭

2015年11月07日 07時18分23秒 | Weblog

霧が晴れた。爽快感を味わっている。今日は学園の文化祭だ。祭りに進路指導部を訪れる生徒は稀だ。午前中は展示会場を回覧して学園の文化にふれる。午後は部屋に響く若者の歓声や演奏でリズムをとりながら書類の整理をする。
秋の夜長は読書を楽しんでいる。挑発的なニーチェや実存主義哲学から遠ざかって、孔子をはじめとした東洋思想で気持ちを和ませている。ここのところ低音で洗脳的なツァラトストラの声が、高音でお調子者のそれに聞こえる。