旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

試験

2013年07月30日 21時19分32秒 | Weblog

事務職や営業職の場合、週刊文春や週刊朝日レベルの週刊誌が読めればフツーのサラリーマンになれるという甘い考えをもっている。だから、もしもわたしが企業の採用担当者だったら、応募してきた学生に週刊誌を読ませてから、最も興味がある記事について原稿用紙5枚程度で論評させる、あるいは口頭試問をする。時間は1時間程度。

法経商の学部の入学試験問題、「①なぜあなたはサラリーマンになりたいのか、または、②サラリーマンになりたくないあなたが、なぜこの学部を目指したのか、①もしくは②のいずれかを明らかにして、その理由をわかりやすく述べなさい。」「英語(数学)が得意か不得意かを明らかにしたうえで、その理由についてわかりやすく述べなさい。」、いずれも口頭試問可。


2013年07月30日 07時41分21秒 | Weblog

『程伊川は、華厳から暗示を受けて、気の存在、運動の内部にその原因となるものを考えて、これを理といった。朱子は、理の概念をさらに明瞭にしようとした。存在論的な立場から「所以然之故」といい、法則的、倫理的立場から「所当然之則」といっている。しかも、理は常に気とともに存在し、理だけについていえば、非感覚的存在であり、運動もしなければ、作用ももたない。ただ観念的に把握されるだけである。しかし、理は宇宙の法則なのであるから、この理が失われれば、気の存在は維持されない。人も宇宙の一物である以上、この理に従っていかなければならない。』(平凡社 哲学事典から引用)

朱子がいうところの「理」について押さえておきたくなった。ここしばらく「菜根譚」「大学・中庸」「佐藤一斎」等、処世を説く古典で遊んでいる。


オルテガ

2013年07月28日 22時12分06秒 | Weblog

思想や哲学、社会学を学んだことがあるので、かれの名前と思想の概略は知っていた。「人類がいかにして歴史上の危機を克服し文明を築いたかをオルテガ自身に明快に語らせる。」、色摩力夫著「オルテガ 現代文明論の先駆者」(中公新書)で理解を深めたい。

著者が外交官だったせいもあって文章がやや硬い。その硬さを考慮してもなお、守備範囲が広い巨人ホセ・オルテガ・イ・ガセットの思想の輪郭をつかむには格好の入門書だ。オルテガの水先案内人になろうとした著者の努力の跡をうかがうことができる。

「オルテガ哲学の形成にあたって、直接に強い影響を与えたのは、フッサールとディルタイであり、ある意味でライバルであったのは、ハイデッガーであった。」というのは意外であったし、「トインビーは、知的ツーリストに過ぎない。厖大な歴史の間にツーリストの魂を逍遥させている。」という指摘にはうなずける。


学びあう

2013年07月28日 12時03分07秒 | Weblog

2週間ぶりに公民館の「日本語教室」のお手伝いをした。ここのところ10名ばかりの外国人が受講している。今回はあいにくの雨で初級コースが1名、上級コースが2名で、計3名の受講にとどまった。広島には大雨注意報が発令されている。

広い教室で7名の講師と3名の生徒との交流が続く。中国語でいう行動と日本語でいう行動とは、その言葉のニュアンスが微妙に違う。非言語的表現であるジェスチャーにおいても、その意味するところがかなり異なる。たとえば、そのあたりを互いに学びあうこの教室に参加するのが楽しみの一つになっている。


道の駅 たかの

2013年07月27日 16時47分14秒 | Weblog

松江自動車道の「道の駅 たかの」まで足を延ばした。わたしの居宅とは距離で約100キロ、約500メートルの標高差がある。屋外での食事はすがすがしい。濃い緑の山々に囲まれた道の駅できつねうどんとおにぎりをほおばった。店で買ったきゅうりの漬物がおかずだ。首筋を切る風が心地よい。

野菜は、取れたてのみずみずしい様で店に並べられている。高野町は大根と漬物、それに米とリンゴの産地だ。地元の産物の販売所で大根にしばし見とれた。道の駅は開業して日が浅い。利用するひとたちもその新しさを楽しんでいるようにうかがえた。

高野町から三次東インターまでは一車線だ。三次インターで降りて国道54号を下る。「道の駅 たかの」を出たときには29度を表示していた温度計の数字が34度に跳ね上がるころ自宅に到着した。山間を一直線に突き進む自動車道が心に残った。


安定的

2013年07月27日 10時01分22秒 | Weblog

血圧はいまだ高めだ。しかし、驚くほど高い数値ではない。ここ数か月はやや高めの水準で安定的に推移している。かかりつけ医の先生によると降圧剤を飲むにこしたことはない。ところが、わたしに降下剤を飲ませようとすると、ああだこうだとうるさくて投薬の合意を得られそうにない。診断は統計上の確率論を基にしていることを教え込んだうえで、当面は経過観察でこらえてやろうということらしい。ほっとして診療所をでた。

 


夏休み

2013年07月26日 20時32分52秒 | Weblog

本の整理と部屋の掃除に時間をかける。庭木の剪定をする。換気孔に住みついたコウモリを追っ払う。太陽と戯れる。木陰の読書は「聖書」か「大学・中庸」か「コーラン」かで迷う。書斎で座禅を組んでみる、愛犬ごんたと一日中部屋でゴロゴロする、水漏れの修理、沐浴、映画、想像するだけで幸せな気分になれる。

盆休みの前後に振替の休日をとれば5連休になる。その前後が土日だから9日連休だ。加えて、9連休の前の金曜と後の月曜に特別休暇をとれば11連休になる。こころはすっかり休日色だ。


神話

2013年07月26日 07時13分29秒 | Weblog

「シーシュポスの神話」はページ数にして4枚余りの小編だ。カミユが取材したギリシャ神話では労働がもつ苦役とか不毛という面が強調されているので現代の労働観とは馴染まない。労働を卑賤な営みとみなす現代風の貴族趣味あるいは芸術至上主義の考え方に近い。

労働の喜びや豊穣に心を奪われることが多い。「ひとはひとの中でもまれ、ひとのために何かをするからひとなのだ。」。労働は孤独な営みではない。この小編を読み返すたびに多くの矛盾に突き当たる。この小編全体が腑に落ちない。


不条理

2013年07月25日 21時13分07秒 | Weblog

不条理の作家カミユの言葉であるにしても、ここまで不条理という言葉を乱発されると辟易とする。「シーシュポスの神話」という著作は、「不条理な論証」「不条理な人間」「不条理な創造」に表題の「シーシュポスの神話」の4編からなる。「不条理な論証」は、さらに「不条理と自殺」「不条理な壁」「哲学上の自殺」「不条理な自由」という小論からなるという具合だ。

哲学辞典で「不条理」という言葉を引いてみた。不条理という言語の本来の意味は、理性あるいは良識の法則に反すること。非論理的・矛盾的・不整合などの言葉と同義語だ。カミユを読むまでは、不条理という言葉に馴染がなかった。「道理にかなわない」なら「理性あるいは良識の法則に反しない」という意味に近い。道理とは「物事の筋道」をいう。このように、不条理という言葉は述語で表現すると解りやすい、しかしこの言葉を主語にすると概念が拡散する。

 カミユは「不条理とは、理解を拒絶する世界と人間の深部から訴えてくる明晰な理解への願望との対決なのである。」と捉える。すなわち「理解を拒絶する世界と、人間の深部から訴えてくる明晰な理解への願望との対決は、道理に叶わない。(理性あるいは良識の法則に反する。)」のだ。明晰な理解で世界を知ることができるほど人間は上等な動物ではない。

「カミユ全集2 異邦人 シーシュポスの神話」でカミユは、世界と認識の問題に関連してフッサールにふれている。まるで水と油、もともと数学者で現象学のパイオニア、理詰めの権化であるフッサールをカミユがどのように理解していたのか興味深い。若かりし頃の思想的ヒーローであったカミユを数十年ぶりに読み返している。

 


猛暑

2013年07月25日 04時51分07秒 | Weblog

暑さが募る。あてにならない予報が今日の最高気温は35度を超え猛暑日になるだろうと報じている。一日中35度を超えるというわけではない。それでも、予想気温を聞いただけで気が萎える、語感だけで体の芯がうだるようだ。

翻って数十年前の夏を思う。中学生の私はサッカーに夢中だった。半パンに半袖のトレーニング着に坊主頭で炎天下を走っていた。グラウンドは淡い褐色で、たまに風にあおられて砂塵が舞い頭上からは容赦なく夏の太陽が照りつけた。

年のせいなのか、気のせいなのか、気候の変化なのか、当時と比べて体感する暑さの質が違うし、夏の輪郭が薄くなったように思う。


シーシュポスの神話

2013年07月24日 07時24分24秒 | Weblog

『神々がシシューポスに課した刑罰は、休みなく岩をころがして、ある山の頂まで運び上げるというものであったが、ひとたび山頂まで達すると、岩はそれ自体の重さでいつも転がり落ちてしまうのであった。無益で希望のない労働ほど恐ろしい懲罰はないと神々が考えたのは、たしかにいくらかはもっともなことであった。
 ホメーロスの伝えるところを信じれば、シシューポスは人間たちのうちでもっとも聡明で、もっとも慎重な人間であった。しかしまた別の伝説によれば、かれは山賊をはたらこうという気になっていた。僕はここに矛盾を認めない。


 アルベール・カミユ

彼が地獄で無益な労働に従事しなければならぬに至った、その原因については、いろいろな意見がある。 まず第一に、彼は神々に対して軽率な振る舞いをしたという非難がある。神々の秘密を漏らしたというのだ。 ある時、川の神アソポースの娘アイギナがユピテルに誘拐された。父親は娘がいなくなったのに驚いて、このことをシーシュポスに陳情した。 この誘拐の事情を知っていた彼は、コリントスの城塞に水をくれるならば、事情をアソボスに教えようといった。 天の怒りの雷電よりも、かれは水の恵みのほうを選んだのである。このため、彼は地獄で罰を受けた。 ホメーロスはまた、シーシュポスは死の神を鎖でつないだという話を僕らに伝えている。冥府の神プルートンは、自分の支配する国にだれひとり来なくなり、すっかり静まりかえったありさまに我慢がならなかった。彼は戦争の神をいそぎ派遣して、死の神を、その征服者シーシュポスの手から解放させたというのだ。
 またある説によれば、シーシュポスは瀕死の床で、不謹慎にも妻の愛情を試そうと思った。かれは、自分の亡骸は埋葬せず、広場の真ん中に捨てておくようにと妻に命じた。死後、シーシュポスは地獄に落ちた。 そこでかれは、人間的な愛情をひとかけらも見せず、ただ言いつけにしたがうだけであった妻の振る舞いに腹を立てて、妻をこらしめるために地上に戻る許可をプルートンから得た。 しかし、この世の姿を再び眺め、水と太陽、焼けた石と海とを味わうや、かれはもはや地獄の闇の中に戻りたくなくなった。召還命令や神々の怒りや警告が相次いでも、少しも効果がなかった。それ以後何年ものあいだ、かれは、入り江の曲線、輝く海、大地の微笑を前にして生きつづけた。神々は評定を開いて判決を下さなければならなかった。使者としてメルクールスがやってきて、この不敵な男の首をつかみ、その悦びから引きはなし、刑罰の岩がすでに用意されている地獄へと無理やりに連れ戻った。』 アルベール・カミユ 「シーシュポスの神話」から


勤労

2013年07月24日 06時57分47秒 | Weblog

人間はこのような炎天下でも歯を食いしばって働く。お金を稼ぐためだ。奴隷も炎天下で働く。命がかかっているからだ。自由人としてお金を稼ぐことと、奴隷的拘束を受けながら働かされることの境界があいまいになりつつある。

自由人の場合は、労働を放棄するあるいは放棄することを余儀なくされたら、蓄財で食いつなぐ、国の庇護を受ける、またはホームレスになる自由は保障されているのだが。労働を語ると、なぜか貧乏たらしくなっていけない。

 

 映画「異邦人」より