旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

エデンの海

2011年04月30日 09時09分00秒 | Weblog
春の陽気に誘われて、まだ桜がのこる山あいの新緑を楽しみながら志和から竹原にでて海沿いの国道を三原に抜けた。道すがら新緑の中にたたずむフジを愛で、青海苔の砂浜ではぬるんだ潮に手をつけた。祭り囃子につられて寄った三原の瀧宮神社の縁日は賑やかだった。

海を臨む小さな公園界隈は教師と女生徒というありふれた恋愛劇をテーマにした「エデンの海」の創作舞台だった。作者が忠海高校に教員として奉職していたころの恋愛経験をもとに書かれた作品だという。その安直さに思わず苦笑せざるを得なかった。3度映画化されたという。

欲望

2011年04月26日 20時29分12秒 | Weblog
労働時間が正確に定められているにもかかわらず意外に達成感がある職場を得て2年になろうとしている。ようやく規則正しい生活にもなれてきた。給料は自分の足と才覚で稼ぎだすという「営業魂」はどこかに吹っ飛んでしまったようだ。あの日々は熱かった。積み重ね、そして過ぎ去った30年余りを思い起こして胸が震えることもある。

休日だけが楽しみな人間になり下がってしまった。達成感を感じることができる仕事だから休日はしっかりと休養したい。私にとっての休養は菜園の野菜たちの面倒をみること、読書に公園巡り、ぽけーっと海を眺めること、「愛犬ごんた」との散策、都会の探索くらいのものだから総体的に安あがりだ。安上がりな生活になれてくると欲望が減退してくる。

これではいけないと考えを巡らせてみる。めらめらと燃えるものがないと人生はつまらない。何に心を燃やすか、それが問題だ。最近若い女性ふたりから「はやとさんって、若いころはもてたでしょうね。」といわれて驚いた。もてていたのかいなかったのか、それは本人が一番良く知っている。さっぱりだった。

むかしなら「なんでそんなことを聞くんね。」とちょっかいをだして口説きに回っていたにちがいない。さっぱりだったから、恋愛戦線では片っぱしから口説きまわすより生き延びる道はなかった。昨今ではこういう場面では、「もてていたでしょうねかあ。」とうれしい言葉に酔いしれ、ある種の感慨にふけるのみだ。しかし、しばらくして冷静に考えてみる。「なに、若いころはだと、じゃ今はいったいどうなんだよ、もてないということか。」こんなぶざまさだから「恋の季節」はもう終わってしまったのじゃないかと思う、でもないようにも思う。「欲望」や「めらめらと燃える感情」どころの話じゃない。

菜園

2011年04月25日 20時33分32秒 | Weblog
ジャガイモが一斉に芽をだした。青っぽい緑の葉は種イモが良かったことの証しだ。ようやく日の目を見た葉が霜にやられないように土をかぶせた。トマトの苗はなかなか背丈が伸びない。茎だけが太さを増してゆく。こういう育ち方がいい。こちらも大いにに期待できそうだ。ナス科は茎の太さが勝負なのだ。ナスやピーマンも茎が太さを加えてゆく。仕事を終えて菜園の様子を見にいくのが日増しに楽しみになってゆく。

筋トレ

2011年04月22日 22時35分40秒 | Weblog
畝をつくる際には、まずショベルで全面の土を掘り起こします。40~50㎝は掘り起こしますからよい足と腰の筋トレになります。また1度に数キロの土を掘り返しては日に当てる作業を数百回と繰り返すわけですから腕と背筋の筋トレになります。春のやわらかい日差しの中とはいえ10分も農作業をやると全身から汗がしたたります。収穫の喜びというおまけまでつく農作業こそが究極の筋トレではないでしょうか。

気分

2011年04月22日 09時01分37秒 | Weblog
今日の天気予報は曇りのち雨だから菜園の水やりは自然任せでよいはずだ、ところが最近の予報はかなりはずれる、朝の冷え込みから推して、今日はそれほどの雨は降らないように思う、あるいは降らないかもしれない。私の経験に照らしてみても予報は怪しい。野菜たちの生育状況からみればむしろ晴れてほしい。天気予報を聞くと、この曇り空が余計に鬱っとうしくなる。だから午後は、机上の本を整理して書斎の埃を払ってから街か森へでかける。行先は気分次第でよい。

モビィ・ディック

2011年04月18日 19時25分07秒 | Weblog
10年間にわたって労組の執行委員長を務めた男が管理職として赴任してきた。ある日「語り部がエイハブ船長の神話を淡々と語るメルビルの『白鯨』は魅力的な作品だね。」と語った。「語り部ってイシュメールのことですね。」と問うたが返答はなかった。あらすじを読んだだけで小説「白鯨」を読んでいないことがうかがえた。ひとの生き方は本の読み方に表れる。古典の場合、原典を読めば作者がテーマをどのように表現しようとしていたのかを自分の感覚で明らかにすることができる。筋書きや解説・概説などに依存すると解説者が作品をどのように解釈したかを読まされることになる。本好きを自認していた元委員長は後者の読書家だろうから、本の世界や現実というさまざまな解釈の森の中で煩悶していたに違いない。仕事の進め方についてこっぴどく叱責されたことがある。元委員長は露骨に企業の論理を押し付けてきた。うすうすと感じてはいた。すでにかれは組合員の側にはいなかった。かれは東京の本社に戻り私は会社を辞めた。数年が経った頃、泥酔して自損事故をひきおこし瀕死の重傷を負ったという知らせが入った。

ブログ

2011年04月15日 22時54分16秒 | Weblog
日に30分ほどのんびりと本棚・本箱に向っている。それでも、ようやく本の整理に勢いがつき始めたようだ。まず、本の識別を可能にするために殆どのタイトルを一覧できるようにした。これからは本を系統別に分類して並び変える作業に移る。

整理が進むにつれて、同じ本を2冊買っている例が少なくとも7~8あることが判明した。また、買うかどうか迷っていた本が書棚の奥から数冊出てきて妙な安堵感を覚えた。タイトルを追ううちに懐かしい本に遭遇してつい読み耽ってしまうこともある。

通勤路の桜が雨に降られてはらはらと散りはじめた。ブログをやっていることを話したら、どういう種類の内容かと聞かれた。「哲学、思想、宗教、たまに農業」と返答したが相手から次の返答をもらえなかった。読んでもらえる様子もない。




陳舜臣著「曹操」

2011年04月11日 22時50分07秒 | Weblog
花を買いにショッピングモール・ソレイユに行った。花屋の近くの小広場ではフタバ図書主催の中古DVD、CDの即売会が開催されていて、その隅の方で申し訳なさそうに古本が売られていた。

陳舜臣著「曹操」が目についた。陳には「諸葛孔明」で大いに失望させられているから購入をためらった。狭い売り場の本にざっと目を通してみても大した本はない。他に大した本がないから「曹操」を買った。

三国志演義の悪役、曹操を歴史上の人物としてみると興味が尽きない。政治家にして軍人、文人で漢詩を残している。

小田実著『日本の知識人』

2011年04月10日 17時06分20秒 | Weblog
私の生き方に揺さぶりをかけてくる著者がいる。ひとりの作家から2度にわたって揺さぶられた。「何でも見てやろう」と「日本の知識人」の著者、小田実もそのうちのひとりだ。

「何でも見てやろう」では、ただ見るだけで見えてくるものがある、感じとることができるものがある。現実を見ないでおいてああだこうだというのは無責任だ。小田は単純な信念に基づいて戦略もなしにアメリカ社会に突進してゆく。彼の行動力と強靭な精神に圧倒された。行動をないがしろにして書や映画の世界から学び理解することにしがみついていた私はこの作品に揺さぶられた。学生時代のことだった。

最近は暇さえあれば本の整理をしている。2、3日前に埃まみれの「日本の知識人」がでてきた。埃を払っても薄汚れたこの本が懐かしかったのでページをめくってみた。たちどころに記憶がよみがえってくる。というよりも、現在に至るまで通称知識人と呼ばれるひとたちに対する私の考え方が小田の影響下にあることを再認識した。

「某省庁の局長氏は新入りの職員に向かって『きみ、必要なのは経験だよ、それに根ざした知識だよ。』とのたまうだろうが、その実現的な知識は専門知識とは違って、たいていの場合、普遍的な広がりをもたない。彼個人一回きりのきりの人生観的な知識なのだ。」とか、「前にも書いたように、彼らは自分の生活に密着した文章、『生活綴り方』的な文章ならすばらしく書く。ところが、一言に言えば、純粋に論理的な文章、抽象的な文章を表現するための文章、つまり、『生活の場』ではなくて『思想の場』の文章、それが書けない。」(ここでいう彼らは学生だが、彼らを社会人と置き換えても同義。)

数10年前「日本の知識人」によって揺さぶりをかけられた。この本を読み終えた段階で「もの知り社会人」や「よく勉強ができる社会人」と決別することができた。ただ、決別してよかったのかどうかについてはいまだに判断がつかない。

2011年04月07日 21時45分58秒 | Weblog
トマト7、プチトマト3、ピーマン2、ナス2、エンドウ2、キュウリ2の苗を植え、つるありインゲン15、ホウレンソウ5~60の種をまいた。ほかにわが家の庭から持ってきたネギの株を20、菊の苗を2ほど植えた。今夜半からは雨になるという。恵みの雨さえ降れば発芽や根付けはうまくいくことだろう。

作業を終えたのが午後2時頃だったので、土師ダムまで桜を見にいった。残念ながらようやく開花が始まったばかりで湖畔は静まりかえっていた。出直すことにした。

3時半過ぎに再び菜園にでかけて水やりを済ませた。近くの菜園で黙々と農作業に励む親子とおぼしきふたり連れがいた。菜園ではよく見る顔だ。このふたりとは挨拶を交わす程度の交流しかない。菜園で知り合った気さくな女性が、日本語が通じにくいので中国人じゃないかという。ふたりとも根っから農業が好きなのだろう。いい野菜を作っている。

曇りのち晴れ

2011年04月07日 07時35分16秒 | Weblog
去年もそうだった。今年もこの季節になると職場は来所者で溢れる。今日は休暇をとった。

その一、忙殺されそうな環境が長く続くと精神衛生上良くない。いい仕事をするためには休養が必要だ。
その二、相談業務の場合は相談者の数が増すにつれ、相談の質が低下するし事務処理を誤りやすくなる。休養が必要だ。事務処理が苦手なのでなおさらだ。
その三、仕事で疲れるのは本末転倒、私はボランティアで仕事をやっているのではない。

ずいぶんわがままないい分だ。それでも忙しい時節にこそ優先的に休暇・休養をとる。

今日はこれから菜園の土の改良と取り組む。それからキヌサヤエンドウと菊を植え、インゲンと地這いキュウリの種をまく。

2011年04月05日 23時31分46秒 | Weblog
明日勤めに出ると明後日は休みだ。この金曜は雨模様というから木曜日にキュウリとオクラ、キヌサヤにインゲンの種まきをすませる。それにしてもこの菜園の土は手ごわい。乾燥するとまるで石のように固まる。コンと叩くとパラっと土に戻るような代物ではない。毎回の農事は固まった土をほぐす作業から始まる。

腐葉土やバーク、土の改良剤と混ぜたらもっと畑らしい畑になるのだろうが、栃の改良をやるなら自前の腐葉土や家庭ごみの堆肥と決めているからホームセンターで買うわけにもいかない。菜園づくりは、できるだけのことを自前でやるから楽しいのだ。

広島皆実高等学校

2011年04月05日 20時42分49秒 | Weblog
私が入った頃の広島皆実高等学校は、市内の県立高校と市立高校の5校が応募者を総合的に選抜して各校に振り分けるという妙な選考をする高校だった。しかも広島市内からの応募者を優先的にとったので近隣の翠町中学や段原中学の卒業生が圧倒的に多かった。したがって高校の文化は両校のそれが色濃くて、少数派の中学出の私は文化的に辺境の異邦人たらざるを得なかった。

中学時代はサッカーに明け暮れる野生児だった。前身が旧制の広島第一県女という「女性の学校」だったことに加え、入学してみたら妙に都会臭くて線の細い男子生徒が多いのが嫌で、卒業から今日まで愛校心を覚えることはなかった。最近はサッカー部が全国大会で優勝したので「皆実」の知名度はあがっている。それでも愛校心の微塵もない。サッカー部の活躍に興味も湧かない。

?10年ぶりに高校の同級生から電話があった。遅ればせながら皆実高校の同級生で節目の同窓会をやりたいという。都合がつくなら発起人の会にオブザーバーとして顔を出してくれないかという依頼の電話だった。高校時代は器械体操部に所属していた。15年ほど前にひとりを除く6人の元部員が一同に会して飲んだ。内2名が教員で他に公務員がひとり、民間が2人という会合は精彩を欠いた。盛り上がらなかった。

どういうルートで電話が入ったか見当は付いている。それでも、今回だけは同窓会に出てみることにした。具体的に同級生の中にはすでにこの世で会うことができない者が相当数いるという話を聞いたからだ。



デフレ

2011年04月03日 20時03分15秒 | Weblog
究極のインフレーションともいえるバブルについてはエドワード・チャンセラー著「バブルの歴史」、ガルブレイス著「バブルの物語」を読み終えて一定の理解がある。対照的な経済現象といわれるデフレーションについて知りたくなった。私の好奇心はいつもこうだ。突如として知りたくなる。知りたくなることに因果や脈略(筋道)はない。ある晴れた日に嵐のように知りたくなる。

たまたま、私にとっては馴染みの深い(知り合いという意味ではない。かなりの著作を読んでいるという意味だ。)岩田規久男学習院大学教授が最近、講談社現代新書から「デフレと超円高」を出した。教授は10年ほど前に「デフレの経済学」という本を書いている。手始めにこの2冊を読んでから、現在の日本を覆うデフレという経済現象について解明してゆく予定だ。

わが国がインフレーションの襲来を危ぶんでいた時代(15年くらい前まで)の経済関係の蔵書が数百冊ある。これらの本を読みなおすだけで経済学を飯のタネにする学者、評論家諸氏の洞察力というものがどれだけ見当はずれでいい加減な代物だったかが明らかになることだろう。何がハイパーインフレだ。信じて踊らされた側にいた者としては複雑な心境だ。

ものごとは自分の頭で考えて自分で判断しなければならない。とくに経済学という学問はそうだ。借り物の知識では権威と実体経済から二重に裏切られる。だから今回は従来の学説を批判的に摂取したい。デフレと超円高は雇用を直撃する。2009年の統計によれば企業内の潜在的失業者は528万人から607万人にのぼり、国の雇用調整助成金(雇調金)によって企業がかろうじて正社員の雇用を守っているわが国の実質的な失業率は13~14%に達している。