旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

iPadと古本屋の夢

2010年05月29日 09時07分38秒 | Weblog
恐れていたことが現実のものになりつつある。古本屋を開きたいという夢は、iPadの登場で風前の灯だ。グーテンベルグ以来の紙の文化が電子書籍にとって代わられようとしている。紙の文化を生活の糧にすることが困難になる時代を迎えようとしている。困った・・・。

心理学

2010年05月29日 08時04分06秒 | Weblog
資格がなくても仕事に支障は生じない。業務に従事している者を対象とした資格なのでとっておいて邪魔になるわけでもない。好奇心に駆られてキャリアコンサルティングの資格取得に取り組み始めた。取り組んでいるうちにいつもの癖が出て、心理学の面白さ(といっても3面記事的な面白さ)に魅かれてしまった。今や受験対策そっちのけだ。

この3カ月余りの内に10冊に余るテキストを買い込んだ。邦訳に比べて著しく安価なC・ロジャーズの”Client-Centered-Therapy”の原著から読み始めたのだが、冗長でとりとめのない文章に嫌気がさしてきた。日本語のテキストを求めるうちに底が浅いものに数当たり、ようやく有斐閣の「心理学」にたどり着いた。引用文献、事項索引が詳しいテキストは信頼に値する。

最終章を含む終盤の3章はカウンセリングについて述べている、共鳴できることが多い。心理学には門外漢である。私の考え方がオーソドックスな心理学的な考え方から外れていないことを確認することができた。少々安心した。第1章『心理学とは何か』の副題は「心を科学的に研究することの可能性」だ。この章はじっくりと読んでみたいと思う。ここをしっかりと押さえておかないと、私の心理学は3面記事的な理解で終わってしまう。


山葡萄

2010年05月23日 10時46分52秒 | Weblog
その昔、近くの遊び場に自生していた。野生種かと思われる。その「ぶどう」によく似たぶどうの苗を、昨春、園芸店でみつけて躊躇なく買い求めた。この冬を越して春先に芽をふきはじめて今では50㎝四方ほどにカラフルな葉を広げている。

このブドウの正式な名称を知りたくなって検索にかけてみた。野生種だから「野ぶどう」で検索を始めた。ところが、ブドウ科の和種「野ぶどう」は食に適さない。思い出のブドウは「山ブドウ」に分類されるようだ。

この「山ブドウ」という名称には、1000年ほど前に中国か朝鮮半島から入ってきたヨーロッパ種が野生化した「サンカクヅル」(ギョウジャノミズ)と純和種の「エビヅル」(ミヤマツ)が含まれ、8種8亜種に分類される。しかし、この系統の研究が進んでいないので個体の数ほど種があるといわざるを得ない状況なのだそうだ。

3年ほど前に比婆山に登った際に野生と思われるブドウを見つけた。思わず口に入れようとして同行者からたしなめられたことがある。「毒でもあったらどうすんのよ。」というわけである。あのブドウが「サンカクヅル」だったようだ。北海道から東北の寒冷地や西日本の高地に自生する。

葉の姿かたちや温暖な地域に自生するという分布から推して、「エビヅル」系の可能性が高い。ところが、半世紀ほど前に近くの遊び場に自生していたブドウも、栽培中のブドウも、葉が茶系とアイボリー系、それにみどりの斑だという特徴がある。葉が緑でだと明記してある「エビヅル」とは風貌が大きく違っている。

最近ではワインメーカーが、ヨーロッパやアメリカのブドウと和種の「サンカクヅル」や「エビヅル」を交配させて品種の改良を進めているという。この交配過程で不要になったブドウの苗を私が買った。その苗がたまたま、その昔、近くの遊び場に自生していたブドウに似ていただけのことなのか見知れない。

記憶をたどれば、近くの遊び場で自生していた「山ブドウ」の実は径1㎝に満たない。房の形は市販されているブドウに似ていて、その長さが5から6㎝でミニブドウという様だ。ところが、この味ときたら野性味に富み濃く甘い。庭先で実りって熟す日を心待ちにしている。

新牛田公園

2010年05月22日 22時24分02秒 | Weblog
牛田の「ビッグ ウエイブ」(プール)を見下ろす位置に広島市の新牛田公園がある。東区民スポーツセンターから徒歩で10分もかからない。この市民公園のバラが真っ盛りで、見ごろは6月の上旬までとテレビ番組が報じた。期待は裏切られることがなかった。赤、白、黄色にピンクのオールドローズからモダンローズまで咲き乱れている。湧永庭園に福山バラ公園、新牛田公園のバラ園は美しい。鮮烈な赤や黄のバラに眩暈を覚えそうになったほどだ。

友人が中国新聞に良質のエセーを書いている。
http://blog.chugoku-np.co.jp/fureai32/

陽明

2010年05月17日 21時35分06秒 | Weblog
人類の知的遺産「王陽明」を読んでいる。朱子の「性即理」と陽明の「心即理」については既に語り尽くされているので多くを語らないとことわったうえで、心即理の思想を解り易く解説している。

読んでいるうちに、徒然草の「仁和寺にある法師」を思い出した。お寺の見物であれ、ある思想家を研究するにせよ、要は良い案内人が必要なのだ。独断や独学の弊に陥ってはならない。

徒然草 第53段『仁和(にんわ)寺に、ある法師(ほふし)、年寄るまで、石清水を拝(をが)まざりければ、心うく覚えて、ある時思ひ立ちて、ただひとり、徒歩(かち)よりまうでけり。極楽寺・高良(かうら)などを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。

 さて、かたへの人にあひて、「年ごろ思ひつること、果し侍りぬ。聞きしにも過ぎて、尊くこそおはしけれ。そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、何事かありけん、ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意(ほい)なれと思ひて、山までは見ず」とぞ言ひける。

 すこしのことにも、先達(せんだち)はあらまほしき事なり。』


ブッダ

2010年05月17日 21時08分30秒 | Weblog
ワイド版岩波文庫「ブッダ最後の旅」が手元に戻ってきた。愛読書はやはり手元にあった方がいい。改めて読み返している。示唆に富む良書だ。

神話的な潤色は後代になるほど強まってゆく、このような要素は除去されねばならない。
人間らしいすがたが描かれている部分は歴史的人物としての真相に近い。
ブッダ以後の歴史的事実に言及している部分は後代の付加である。
定形化された教理は後代の加筆と思われる。

こういう手順を踏むとブッダの最後の旅を批判的に翻訳できると碩学、中村元は述べる。


懇親会

2010年05月15日 08時26分33秒 | Weblog
職場の懇親会に参加した。人事の異動があったので新人の歓迎会を兼ねている。20名ばかりが出席した。

「専門職の職員」が職員に「ねえ課長、○○の手続きをちゃんとしてくださいよ。課長は私の上司なんですからね、お願いしますよ。」「おお△△さん、久しぶりじゃねえ△△さんと飲むのは。実をいうと、わしゃあんたといっしょになろうと思うとったんよ。それがとうとうあの女房につかまってしもうてね。えっ、あんたはわしの部下じゃったん?はやとさん、このひと目が色っぽいじゃろ、そこに惚れとったんよ。はやとさんもいろいっぽいと思うじゃろ。手続き?何のことかいね?わしゃただ今、勉強中じゃけんよおわからん。」などというわけの解らない会話が飛び交う。

この豪傑は「専門職と呼ぼうが臨時職員と呼ぼうが職務内容は職員とほぼ同じで、管理責任があるかないかが給与の差となっている。ご承知の通り、職員はいい給料をもらっている。だから、はやとさん、職場で対応に困ったら「お気軽に」職員にふってください。」とおっしゃる。なんだか勇気が湧いてきそうなありがたいお話だ。

バラ

2010年05月11日 22時09分15秒 | Weblog
玄関先に咲く大輪のバラの名称を「トラディスカント」だと思いこんでいた。以前、晩春の湧永庭園にでかけた際に、風情が似たバラをみてその名を誤って記憶にとどめてしまったものなのか、それとも、バラの写真集に姿が似たバラがあって、その名称が「トラディスカント」だったから勝手に「トラディスカント」だと思い込んでしまったものなのか、記憶の方が定かではない。

私のバラ辞典には「トラディスカント」の花径は6㎝だと明記されている。花径がその倍ほどはある私のバラの名称が「トラディスカント」であろうはずがない。花が赤黒いのが特色だから「ルイ14世」「ニグレット」かその親せき筋のバラに違いない。「ジャネット」もようやく10㎝をうわまわる大きな花をつけた。「ジャネット」の数えきれないほどのアイボリー系ピンクの蕾が開花をはじめるいい季節になった。

川の流れのように

2010年05月04日 19時41分45秒 | Weblog
ゴールデンウィークは短い。庭の手入れと取り組んでいるうちに明日は5日目を迎える。

造園やエクステリア専門店の展示場を流してるうちに所与のものではないオリジナリティに目覚めた。アートは見るところからはじまる。庭の設計に夢中だ。

個人主義という考え方がある。自分なりの庭づくりというこだわりがあって初めて展示場巡りが有用であるように、自分なりの社会観があって初めて政治参加は有効だ。この国の民主主義には個人の社会観が欠落している。

そして、5日間が川の流れのように過ぎ去ろうとしている。