旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

マイルール

2005年11月23日 23時38分48秒 | Weblog
マイルールねえ・・・、日本語に訳すと「わたしの規則・規定」かあ。そもそもが自律よりも他律の傾向が濃いわれら古い日本人にはなかなかなじみにくい言葉です。でも敢えて回答を寄せます。

マイ・ルール

知らないことについて聞かれたら、知らないとはっきり答えること。知ったかぶりはマイ・ルールに反します。また解らないことがあってもひとにたずねません、必ず自分で調べます。(でも最近、わからない事があればひとにたずねることが多くなってきたような気がします。知的怠慢の表れ?)

知ったかぶりをしなくなったのには理由があります。映画で見たグレゴリーペックの「白鯨」に大いに感動したわたしは、小説「モビイ・ディック」もろくに読んでもいないのに、愛読書が「モビイ・ディック」だと口外していました。ある知人が、「白鯨」というと進行役のイシュメールがいいねと言ったのですが、読んだふりをしただけのわたしにはイシュメールが誰だかわかりません。その場はお茶を濁して、いえに帰ってから慌ててイシュメールについて調べてみました。イシュメールを知らないということは「モビイ・ディック」を読んでいないも同然であることが、すぐにわかりました。件の知人はわたしがモビイ・ディック」を読んでいないことを察したと思います。軽薄な自分に嫌気がさしました。20年以上も昔のお話です。

この一件以来、読んでいない本は読んでいない、知らないことは知らないと答えるようになりました。なぜわたしは自分が知らないことをひとに聞かないようにしているのか?それは、折角聞いても、その時のわたしのように知らないくせに知ったかぶりをするひと、読んでもいないのに読んだようなこと言うひとが余りに多いから、ひとにたずねることが時間の無駄になってしまうことが多いからなのです。

与謝蕪村

2005年11月20日 23時38分31秒 | Weblog


一台目のプリンターはインクの入手に苦労するほど古い。それにデジカメ写真のプリントの仕上がりが物足りなかった。そこで、今日プリンターを買い換えた。確か、一代目の倍近い価格だ。インクもかなり高いらしい。一台目時代とは違って、今では仕事用のプリントは会社で済ませる。二台目はもっぱらプライベートユースになろう。スキャナつきだからコピーや映像の取り込みも可能だ。かなりの凝り性だから、あらゆる機能を試した上でしばらくプリンターと遊ぶことになろう。

映像というと蕪村の俳句に親近感を抱くようになって久しい。俳句の中に詠われる情景がまるで鮮明な映像のように脳裏に浮かぶ。蕪村の俳句にはまるで絵画を鑑賞しているような趣がある。

以下好きな蕪村の俳句を at randomに

楠の根を静かにぬらすしぐれ哉

狩ぎぬの袖の裏這うほたる哉

青梅に眉集めたる美人かな

いな妻の一網うつやいせのうみ

小鳥来る音うれしさよ板庇

静かなるかしの木原や冬の月

朝がほや1輪深き淵の色

窓の灯の梢にのぼる若葉かな

しら菊や庭に余りて畠まで

春雨や小磯の小貝ぬるゝほど

コーラン

2005年11月20日 23時37分38秒 | Weblog
コーランは、神の啓示である。マホメットという預言者(予言者ではない。)を通じて、「慈悲ふかく慈愛あまねきアッラーの御名において・・・」教え示すのである。

啓示109 無信仰者

慈悲ふかく慈愛あまねきアッラーの御名において・・・

言うがよい、「これ信仰なきやからよ、
お前の崇めるものをわしは崇めない。
わしの崇めるアッラーをお前らは崇めない。
お前らが崇めてきたものをわしは崇めとうない。
わしの崇めてきたアッラーをお前らは崇めとうない。
お前らにはお前らの宗教、
わしにはわしの宗教」と。


啓示104 中傷者

慈悲ふかく慈愛あまねきアッラーの御名において・・・

ええい呪われろ、よるとさわると他人の陰口、
宝を山と貯めこんで、暇さえあれば銭勘定、
それさえあればもう不老不死と思ってか。

いやいや、地獄に叩き込まれる身のさだめ。

地獄について教えてやろう。
ぼうぼうと焚きつけられた神の火で、
たちまち心を舐めつくし、
頭の上から蓋をされたものどもの、
果てしなく続く柱の列から、
火炎が燃え立つばかりじゃ。
これが地獄というものなのじゃ。



読書用のメガネ

2005年11月19日 23時47分43秒 | Weblog
高校の頃から、本を読むと頭の芯が痛くなった。それが辛くて勉強が嫌いになったように思う。35歳を過ぎた頃、かなり強度の遠視だという診断を受けた。「遠視って、老眼のことですか?」と問いただすと、医師は「そうとは限らないが、似たようなものだ。」と答えた。放置すると読書時の頭痛や吐き気の原因になると言われたので、即刻、メガネを作ってもらった。嘘のように頭痛が取れた。レンズは見慣れた凹型レンズではなくて凸型のレンズであった。ごく度の低い読書用のメガネである。その日以降、わたしは猛烈な活字中毒患者になっていくのだから、読書用メガネの効用についての評価が未だにできないままである。
10年ほど前に二代目の読書用メガネを購入した。その時に指摘された乱視もかなり悪化したようだ。最近では満月さえも3重に見える。そこで思い切って三代目の読書用のメガネを購入することになったのだ。兎にも角にも、3日前に老眼鏡というか「遠視用のメガネ」というか、ともかく読書用のメガネを買って今日受け取った。人間ドックの視力検査では左右ともに1.5、2.0の視力を認めたくない病院の陰謀で1.5だということにされてしまったことは過去の記事のとおり。
視力検査の結果、乱視のほうはともかく近視の兆候はない。10年前の乱視用メガネで間に合うという。眼精疲労を感じないですむ範囲内で、もっとも安上がりで済む読書に励むことができる。久しぶりに新調した読書用のメガネで、心も軽くキーを叩いている。

曹操孟徳

2005年11月19日 00時07分24秒 | Weblog

   壮 烈 志 老
   心 士 在 驥
   不 暮 千 伏
   已 年 里 櫪

   ・・縦読み・・


『年老いた名馬が往年の力を失って馬小屋に伏せるだけの身になろうとも、
しかもなお千里を駆けめぐろうとする志を持ち続けているように、
雄壮な志を抱いた男児というものは、人生のたそがれに至ろうとも、
その猛々しい精神は死ぬまで燃え盛るのだ。』 川合康三訳

三国志の英傑のひとりで、
乱世の奸雄と称せられた曹操孟徳は、
矛を横たえ詩を賦す文人でもあった。

三島由紀夫

2005年11月18日 08時22分55秒 | Weblog

思い起こせば昭和45年11月の25日のお昼過ぎ、三島由紀夫が市谷で自衛隊とトラブっているというニュースを聞いて、身内同士のいざこざみたいなものがあったのかくらいに軽く考えていました。ところが、三島が、声の限りを尽くして自衛隊の決起を訴える姿が何度も何度も報道されるにおよび、尋常ならざる何ものかを感じました。そして、三島自決の報道を耳にしたのですが、自決の報道を耳にしたわたしの足は自然に市谷に向かっていました。

「仮面の告白」を未消化のまま、「金閣寺」に感動し、ちょうど「春の雪」を読み始めた田舎者の大学生でした。「若きサムライのために」や「文化防衛論」という扇情的な著作に、正直「ハマッテ」いました。また、三島の「文章読本」が作文のお手本でした。
きっと、田舎者なりに尊敬していたんですね。東大の法学部を出て大蔵省に入省、文学への思い断ちがたく退職、そして、ノーベル賞候補。文学的伝統主義者で政治的には極めて保守的、対極にある全共闘の学生達が「天皇陛下 万歳」と言えば手を結ぶという確信犯的ニヒリスト。でいて、ひととの交流にはいじらしいほど折り目正しい。何かの因縁か、わたしの母親と同い年でした。

あの日からしばらく、わたしのような文学かぶれや全共闘かぶれ、女たらしももてない奴も、思想や宗教に翻弄された悩める若者も能天気なにいちゃんもねえちゃんも、じいちゃんもばあちゃんも、三島の自決について議論しました。
時は移り、切腹というグロテスクな印象と保守反動、同性愛嗜好などの三島に関する報道に嫌気がさしてきた頃、興味本位な庶民の議論も下火になりました。

愛読書は?と聞かれると躊躇なく「三島由紀夫」と答えます。ひとがなんと言おうが、わたしは三島由紀夫を愛読しているのですから・・・。

     三島由紀夫文学館のホームページに投稿

戦艦大和

2005年11月17日 22時13分48秒 | Weblog

呉の「大和ミュージアム」には2度出かけた。大和関係の展示品や資料を2度見たことになる。戦局はわが国に不利に傾き、しかも制海権よりも制空権、軍艦よりも空母という戦争の歴史のうねりの中で、それこそ名実共に天敵である戦闘機によって戦艦大和は撃沈された。戦艦大和は建造された段階で既に過去の遺物ではなかったのか?過去の成功経験が将来の戦略すら拘束してしまった。

続 ALWAYS 三丁目の夕日

2005年11月17日 15時03分21秒 | Weblog
吉岡秀隆が演じた茶川竜之介がよかった。確かな演技力だ。吉岡竜之介が脳裏に焼きついている。また、ヒロミから押し付けられた古行淳之介という子役がいい味を出していた。なんと、その子の母親の名前が古行和子である。笑った。
それに、何よりも驚いたのは鈴木オートの「六ちゃん」。漫画で男の子だと思っていた。ところがどっこい女の子だったらしい・・・。「六ちゃん」役の女の子の清純さが光っていた。女優の名を堀北真希という。映画を見た多くのひとがファンになったことであろう。
ヒロミの雇い主でマネージャー役の益岡徹。わずか2~3シーン数分間の登場である。どすの利いた抑え目な演技で、ヒロミがおかれている世界を表現した。圧倒的な存在感である。

Black Rain

2005年11月14日 01時35分30秒 | Weblog

「外国映画対訳シナリオ No.60 BLACK RAIN」を買った。若山富三郎扮するやくざの親分Sugaiはかく語りき。

"I was ten...when the B-29 came.My familly lived underground for three days.When we came up,the city was gone.then the heat brought rain.Black rain.
And shoved your values down our throat.We forgot who we were.You created Sato and thousants like him."

ご存知、松田優作が演じるギャングスター「Satoのような拝金主義のチンピラがそこいらじゅうに蔓延っているのは、アメリカ流民主主義の押し付けのせいだ。」と古いタイプのやくざSugaiがぼやく。

生半可、井伏鱒二の「黒い雨」を読んでいるだけに、ひょっとしたらという先入観があった。杞憂に終わった。昭和は遠くなりにけり・・・である。

ALWAYS 三丁目の夕日 小雪

2005年11月12日 20時34分06秒 | Weblog

「ラスト・サムライ」もよかったが、「三丁目の夕日」の小雪ちゃんはさらによかった。なにせ表情が豊かなのだ。微笑んだときの底抜けの明るさ、何気ない表情の合間に漂う清涼感。元モデルにしてはいい役者さんになった・・・?

親の治療費を稼ぐためにストリッパーになった優しい娘ヒロミが小雪ちゃんの役どころ。なぞの女ヒロミが三丁目で小料理屋を開き、われらが三文文士、茶川竜之介先生が淡い恋心を抱く。子供がとりもつ縁で純情な茶川先生から求婚され、戸惑いながらもヒロミの心は揺れる。だが、茶川がプロポーズをしたその日が別れの日になってしまう。ヒロミは店をたたみ、新宿のゴールデン街で再びその柔肌を男たちの前にさらすことになる。夕日の中でヒロミは、茶川から贈られた幻のエンゲージ・リングを見つめて、ひとり微笑む。そして舞台に向かう。その微笑顔が実にいいのである。

「ALWAYS 三丁目の夕日」 ただいま上映中

欲望

2005年11月11日 23時29分51秒 | Weblog
まず、お金に時間、いい女が欲しい。次に、良い本、良い映画、良い空間、良い自然、良い家、良い絵、良い宝石、良い筆記用具、良い書棚、良い料理、良い酒、良い音楽、良い飲み友達、良い同僚、良いライバル、良い別荘、良いホテル、良い山荘、良い海辺の別荘、良い食材etc・・・。つまり、良いものは何でも欲しい。

ボコスカ!ボコスカ!わたしをコケにしおってエー!!(交際中のいい女から殴られている音です。とほほ・・・)

安芸郡の歴史

2005年11月11日 09時11分19秒 | Weblog
室町、戦国時代から江戸時代にかけて、旧安芸郡の住民たちがどのような生活を営んでいたのか無性に知りたくなって文献を漁っている。ところが、その生活ぶりについて釈然としないことが余りに多く、頓挫しそうだ。
江戸時代以前、わたしが生まれた町は、有力な大名たちの勢力圏のちょうど狭間にあった模様で、誰が支配統治していたものやら定かですらない。農業を生業とした住民が多かったと推測されるのみである。当時の海岸線は現在よりもかなり山側にあったようだ。だから、漁業を生業とする者がいないというのある意味奇妙だ。

宵闇

2005年11月09日 19時36分19秒 | Weblog

ともに夕刻から飲み始めて昨日は深夜の一時まで、一昨日は深夜の3時まで飲んだ。たった二日間の累計でなんと16時間を飲んだことになる。おかげさまで本日は意識も朦朧。夕方7時から飲む約束があったのを忘れかけていた。体がもたないという理由をつけて今回は丁重にお断りした。

昨日、帰りのタクシーの運転手さんと交わした会話。

「かくかくしかじかでここんとこ飲みっぱなし、もういけません。」
「肝臓でも傷めたらお終いですよ、お客さん、糖尿も怖いし。」

「いいえね、アルコールが入ると女性がみんな美人に見えてきて・・ついつい。」
「じゃお客さんは、美人を見るために飲んでんですか?」
「ええ。」
「じゃわたしといっしょだ。」

「ほいじゃが運転手さん、
なんで酒がはいると女性が綺麗に見えてくるんですかねえ?」
「そりゃ、美人を見るために高い飲み代を払うんじゃから、
店の女の子が綺麗に見えてこんと損した気持ちになるじゃないですか?」

「とゆうことは、自分で暗示をかけとるゆうことですか?」
「・・・、そういうことになりますの。」

「わたしゃ長いこと運転手やっとりますが、
ほんまに綺麗な娘はあの業界にはおりませんけんの。」