旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

往く秋

2007年11月30日 19時28分32秒 | Weblog
庭先のモミジは燃えている。ツグミのために採り残しておいた柿は熟した。李(すもも)やサクランボも裸だ。夕日に照らされた山を眺めてみた。庭のモミジが飛び火したように赤や黄色に燃え広がっている。ベンチから見やれば愛犬ゴンタの後姿がなんだか寂しそうだ。


株式市場

2007年11月24日 10時39分23秒 | Weblog
株式投資は、「誰が美人であるかに投票するのではなくて、他の投票者が、どの美人に投票するかを判断する美人コンテストのようなものだ。」という学者のテキストを読んだことがあります。

上場企業の業績や将来性ではなくて、「他の投資家たちが個人投資家が売りたいあるいは買いたいと思惑している企業の業績や将来性についてどのように判断しているか」によって株価が決定するということなのでしょうね。

現況投資家たちは、subprime問題で日本の企業業績が悪化するとみているのでしょう。国際貿易の対アメリカ依存度を考えると、アメリカが肺炎に罹ったのだから日本もただじゃ済まないだろうという判断です。もちろん基軸通貨ドルの対円為替レートが下落すれば輸出関連株は相応の打撃を受けます。国内景気と無縁であるともいえないのでしょうね。

切った張ったの投機の世界ですから情報波及の振幅が激しいですね。今回のように大きく株価が変動すると血が騒ぐのですが、普段は株や株価にあまり興味がありません。株価が実体経済の何らかの側面を反映した指標であることは理解できるのですが、その何らかの正体がいまだに掴めません。

この秋口にアメリカの本社(持ち株会社)がsubprime問題でかなりの含み損を抱えているらしいという報道がありました。その報道に本社はノーコメント。報道の直後1割ばかり株価が急落しましたが、この3ヶ月間で従前の株価を回復しました。最近になって、その情報を流した経済研究所側の親会社にあたる金融機関が、兆に近いsubprime損を出して経営責任者が退陣したようです。あの報道って一体何だったのでしょう

如浄

2007年11月23日 00時38分21秒 | Weblog
『正法眼蔵』は岩波の「日本思想体系」と中央公論の「日本の名著」の口語訳、それに岩波文庫まで蔵書している。いきなりアカデミックに「日本思想体系」から入ったのがまずかったようだ。「正法眼蔵随文記」はどうにか読み終えたのであるが、どうにも歯が立たない。仕方がないから「日本の名著」の口語訳でお茶を濁そうかと考え始めた矢先、「永平の風 道元の生涯」という著作に出くわした。

当時駒沢大学の副学長をしていた大谷哲夫の著作であるし、挙げられている主要参考著作がさっと200冊であるから、かなり信頼がおけそうだ。なんといっても、参考著作を明記してある点がありがたい。『正法眼蔵』のように難解な著作と取り組む際には大いに役に立つ。

道元と師如浄の問答

道元
「すべての人は生まれながらに仏なのでしょうか。」
如浄
「あらゆる存在は因縁によらず自然にあると考えるのは誤りだ。自我の意識のみをはたらかせて仏もそうであろうと想像するのは、本当はわかってもいないのにわかったといい、さとってもいないのにさとったというのと同じ様な間違いである。」

道元
「小人とはいかなる人のことですか?」
如浄
「小人とは欲が深い人のことをいうのだ。」

道元
「心身がすべての束縛から解き放たれるとはどういうことでですか?」
如浄
「座禅そのものをいうのである。」

如浄
「何のための焼香か?」
道元
「身心脱落いたしました。」
如浄
「身心脱落、脱落身心。」
道元
「自分のさとりの境地は、本物であるかどうかを厳正に評価していただきたい。」
如浄
「印可はおろそかに与えるものではない。」
道元
「おろそかに印可しないとはどういうことですか。」
如浄
「脱落、脱落。」
(身心が脱落したという、そのことすら忘れてしまえと教示し、道元の大悟を認証した。)

活字が大きくて読みやすい。やさしい言葉で難解な道元の思想を明らかにしている。良質な道元の入門書に巡り合うことができた。


我妻栄

2007年11月20日 09時01分13秒 | Weblog


まずもって文章のうまさ、着眼点と説得力、思考の強靭さ。故我妻栄、法学者なのですが本物の教養を感じます。

昨日は地元の中学校長から学力の向上について話を聞きました。できる子はほおっておいてもできる。困難なのはabcも知らないで中学を卒業してゆくような生徒。昨今では本を読むことすらできないような生徒が2割から3割に達することを憂慮している由。

京大上司に早稲田部下の話に関連して最近、(受験)勉強ができる人には頭が悪いのが多い。勉強ができなかった人の中に、いい頭をしてるなあと感じることが多い。


我妻栄

明治30年4月1日米沢市鉄砲屋町に生まれた。

 父又次郎は米沢中学校で、明治28年から大正11年まで28年間英語教師として教鞭をとり、母つるは、山形師範学校の第一回卒業生で、興譲小学校で長く教壇に立っていた。

 我妻は、明治43年興譲小学校を卒業後米沢中学に進み、終始特待生で通した。級友には、生涯親交を続けた元米沢市会議長の本田吉馬のほか、児童文学者の浜田広介、海軍少将の山森亀之助らがいた。先輩の矢尾板誠策、小林仁、北沢敬二郎らに伍して、我妻は米沢中学の4秀才の一人に数えられ、語り草となった俊秀である。

 大正3年米沢中学卒業後、第一高等学校に進み、同6年東京帝国大学法科大学独法科に入学したが、一高・東大時代を通し、元総理大臣岸信介とは首席を争う好敵手であった。

 大正8年、大学在学中に高等文官試験に合格したが、鳩山秀夫教授に嘱望されて大学に残り、同9年東京帝国大学特選給費生、同10年助手、同11年助教授、そして昭和2年教授に昇格した。

 その間、大正12年から14年にかけて、ドイツ・フランス・イギリス・スイス・アメリカに留学している。帰国後大正15年に「私法の方法論に関する一考察」という論文を発表して以来、『民法総則』『物権法』『担保物権法』『債権各論』『親族法』『民法講義』『民法大意』『民法案内』『民法研究』等多くの著書を刊行し、伝統的な法律学に社会学的方法をとり入れた我妻民法体系を結実させた。

 昭和20年、終戦後最初の法学部長に就任、南原総長を補佐して難局に当り、同32年定年退官、東京大学名誉教授となった。この間多くの学者を育成している。

西暦1897~1972
(明治30~昭和48)
 我妻は、明治から大正にかけ、一応の形成を見た民法体系を、判例を中心として日本の社会的現実のつながりの中で充実発展させ、今日の民法学の基礎を固めたが、『民法講義』は五部まで刊行され、死去の年まで完成を見なかった。他方、そのライフ・ワークとして「資本主義の発展に伴う私法の変遷」というテーマのもとに、『近代法における債権の優越的地位』『経済再建と統制立法』を発表している。

 研究や教育以外にも、戦後の民法改正(家族法の改正・旧家族制度の廃止)で指導的役割を果したのをはじめ、多数の立法過程に重要な役割を果したた司法法制審議委員会、臨時司法制度調査会会長のほか、日本学術会議副会長や日本学士院会員として活躍、憲法問題研究会には積極的に参加した。

 日米安保条約が批准された昭和35年6月7日、朝日新聞紙上に「岸信介君に与える」という我妻の手記が発表された。かつての学友の岸は、敗戦で戦犯となり巣鴨刑務所に入ったが、その時我妻は、友人として釈放の嘆願書に名前を連ねた。が、安保条約の是非で二人の意見は完全に分かれてしまった。

 「君は定めし、いまの外交路線を強めていくことが、わが国の発展のための最も正しい道だと確信しておられるでしょう。その信念を疑いはいたしません。しかし、戦前君はドイツと組んで、中国と英米を敵として大東亜戦争を断行することが、わが国の発展のための最も正しい道だと確信しておられた。それはとんでもないあやまりだったのです。君はまた同じあやまりを繰り返しているように、私には思われてりつ然とします。今日君に残された道は、ただ一つ、それは政界を退いて、魚釣りの日を送ることです。」

 真の良識と勇気の言言句句である。岸信介は安保条約が成立すると政界を去った。一国の首相も、賢哲の英知の前にはシャッポを脱がざる得なかったのである。

 昭和46年4月には、裁判官の新・再任拒否、修習生の罷免という最高裁がとった一連の処分について、我妻は、「最高裁に望む」という論説を発表し、その血も涙もない形式論理をつき、「最高裁は、せめて再任拒否と不採用の理由を明示すべき」ことを訴えた。

 この岸総理退陣勧告といい、最高裁に対する警告の文面といい、そこには我妻の控え目ながら、学者としての使命感と社会的役割の自覚が躍動している。

 昭和39年11月3日、民法学界に尽した功績が認められ文化勲章を授与された。又、同月米沢市では、伊藤忠太博士に続いて、我妻を米沢市名誉市民に推戴した。

 我妻の母校興譲館高校には、昭和41年「自頼奨学財団」が設立されたが、ここに文化勲章の年金及び多くの私財(約1,600万円)を寄付し、現在では約3,000万円に達している。この他同校には、我妻寄贈による「自頼文庫」も作られている。更に、母校の興譲小学校にも、昭和44年5月、児童向けの本724冊や書架を寄贈、「まがき文庫」が設立され、前記自頼財団より毎年十数万円の図書購入費が贈り続けられている。
 我妻は又、小学校時代の恩師赤井運次郎に対し、生涯弟子の礼をもって謝恩と敬師の誠意を尽した。年老いた恩師に接する情愛には、上杉鷹山が恩師細井平洲に捧げた親愛敬慕の念にも通じる温かいものがあった。

 我妻は興譲館高校の創設80周年記念の折講演し、次ぎのように後輩を激励した。

 「…即効性のある化学肥料とちがって、堆肥というのはすぐには効かないが、2年、3年とやっている間に土質を改良することさえやりかねない。人間もこの堆肥型でなければならない。田舎に育った者は、堆肥でなければその責任を全う出来ない。息の長い人間になることだ…」

 我妻の生涯は、まさに努力研鑽の着実な積み重ねであり、天賦の英知を完全に活かしきった一生であった。

 昭和48年10月21日没

 長井市名誉市民第一号の法学博士孫田秀春は、我妻の義兄である。


続 米澤人國記<近・現代編> 米沢市史編集資料より

  


続 教養について ひろし氏へ

2007年11月16日 11時14分22秒 | Weblog
まま、これは別のブログに乱入して、京大上司対早稲田部下の構図の中で書いた文章の中の一部ですから。

京大卒の上司が何かにつけて教養を振り回すので早稲田卒の部下は困っている。京大上司が垂れる蘊蓄、即ち仕事とは一切関係のない哲学やら歴史に関わる知識がビジネスの役に立つとは到底思えない。にもかかわらず京大上司が教養の涵養を早稲田部下に強要する。果たしてビジネスに教養は必要なのかという質問に答えた文章です。

教養とは何かという定義もなしに、いきなりの断定ですから私らしからぬといえばそうなのかも知れません。ところが最近思うに、儒教を読まずして儒教を頭から否定したり、哲学書を読まずして哲学を忌避する人がなんと多いことか。特によく勉強ができた人に顕著なのですが、「孔子?ありゃ駄目だよ、古すぎる。時代が違うんだよ。」と孔子を読まずに論評する人、「われ思うゆえにわれ在り。」というデカルトの名言を知っていても方法序説すら読んでいない人、こういうのが典型ですね。

知ることとはどういうことなのかを知った人間であれば、こういう知り方はしないであろうという前提があるのです。私の経験でいうと高学校歴の人の中に、通説を漫然と読んで、固有名詞や名言を知っただけで理解した気になる、ある種の権威主義者、勘違い人がいかに多いことか。京大上司にはこの種の悪しき教養主義の匂いがぷんぷんしています。

私の知り合いに教養あふれるビジネスマンがいます。ところが彼氏、一向に売ろうとしない。ありとあらゆる教養や情報を提供して相手が自らの意思で買おうとするように仕向けようとする。残念ながらこういう営業では人は買いません。孔子は禄を得ること(働くこと)と思索することとの間には何の関係もないことを述べています。わたしも単純素朴にそのように考えています。

ひろし氏が京大上司的な悪しき意味の教養人でないことは知っていますのでご安心を。でも投稿を見たら、きっとひろし氏が何か言ってくるだろうなと思っていたら、やはり来ましたねえ。毎度ご愛読ありがとうございます。



教養について

2007年11月13日 20時35分28秒 | Weblog
○大卒だか狂大卒だか、よく勉強ができた人は教養のみで勝負する傾向が強いようです。こういうのを糞野郎と言います。勉強ができるということと人格、頭が良いか悪いか、あるいは仕事ができるかどうか、創造性があるかどうかは全くといってよいほど関係がありません。

日本の大学入試が過去、言語情報の処理・分析能力のみの試験に偏重してきたから、このような百科辞典みたいな糞野郎が、社会に出ても教養を振り回す。教養や出身大学を売りにしている人の最大の欠点は他人を見下していること。社会がそれを許してきたのだから仕方がないといえばしかたがない。

これからのマネージャーに必要な資質は、自分よりも優秀な人間をマネージメントできるかどうかにあります。したがって、自分よりも優秀な人材をマネージメントできない人は自然に淘汰されます。教養や出身大学を鼻にかけるような糞野郎にそんな高度なマネージメントができるはずがありません。

「待てば海路の日和あり。」 そんな自分本位の糞野郎は適当にあしらって、仕事に励むことです。力をつけることです。本当の教養を涵養して他人様のお役にたつ様な人間になることです。

徒然なるままに

2007年11月13日 01時15分20秒 | Weblog
    鈴木清順




鈴木アナウンサーのお兄さん、清順さんですよね。枯れているのに品がいい老人役でよくドラマに出ていましたね。浮世絵師ねえ、作務衣かなんか着て俯き加減で筆を採っている姿が目に浮かびます。白いやぎ鬚でしたねえ、著名な映画監督であることを知ったのはかなり後になってからのことです。木訥で上手くはないけれど、いい味出していました。ドラマの題名ですか?私も「ご存じありません。」

うーん、「火宅の人」ですか、身につまされました。壇一雄でしたね。壇ふみのお父さんです。ふみちゃんらしき娘が小説の中に登場します。あんな書かれ方をされると、縁遠くもなりますわね。 そういえばその昔、壇作「夕日と拳銃」を工藤堅太郎のテレビドラマで見ました。「若しゃま」カッコ良かったですね。ところで、工藤さん最近見かけません。お元気なのでしょうか。

煙草を吸ってスリムだった云10年前、たまに山崎努に似ているといわれました。煙草をやめた10年前には、ごくたまに緒方拳に似ていると言われたものです。それが今じゃ、フランク永井だの日本料理の神田川に似ているだのと言われます。煙草をやめるとろくなことがありませんね。もっとも、2度と吸おうとも思いませんが。

緒方拳の作品といえば「鬼畜」、ドラマでは「なにわ金融道」の社長役で、小林薫ともどもいい味出してました。中年の男はああでないといけませんね。島木の「死の棘」、面白くないから、その昔放り投げちゃいました。年齢も近くなってきたことだし、もう一度読んでみようかな・・・。

続「いつか読書する日」

2007年11月11日 18時36分40秒 | Weblog
感動に打ち震えながら鑑賞した「いつか読書する日」でした。思いを遂げた後に溺死した、岸部扮する市役所の職員の微笑みを浮かべた死に顔がヒジョーに印象的でした。田中裕子さんは目と右からの横顔、それに声が良いですね。渡辺美佐子さんのファンなので久しぶりに昔の恋人に会ったような感動でした。その認知症の夫の役を演じたテレビでお馴染みの上田、演技派の香川照之も登場しました。

往年の清純派、仁科明子さんは死期の近い岸辺の妻の苦悩を見事に演じました。また、テレビの朝ドラ「福丸旅館」で仲居さんの役をやっている田中真紀子に似たおばさんがスーパーの同僚役で出ていました。テレビドラマ「相棒」で右京さんの相棒の女房で女性記者の役をやっている女性が、若かりし頃の美奈子(田中裕子さん)の母親役をやっていました。この母親、画家といっしょに事故で死んでしまいました。

ところで、「蘇る金狼」で松田優作の恋人役でいい味を出していた風吹ジュンさん、この映画に出ていましたっけ?最近、本の読み過ぎで記憶力の低下が著しいのでひょっとしたら見過ごしたものか、あるいは、渡辺美佐子さんの夫のように認知症になってしまったものなのか、今晩は眠れそうにありません・

映画「いつか読書する日」

2007年11月09日 09時42分45秒 | Weblog
男を思う気持ちを押し殺して30有余年、牛乳配達とスーパーのレジ係で生計をたてる50歳の女が、死に際にある男の妻と会う。妻は自分の死後、女と男が結ばれることを願う。そして妻は亡くなる。同じ気持ちを秘めてきた男と女は結ばれる。女が牛乳の配達に出かけた翌朝、役所の仕事に向かう男は子供を助けようとして溺死してしまう。

「30年間やりたかったことをやろう。」という男の言葉に火をつけられたかのように激しく燃える男と女。この言葉が実に卑猥であった。女を田中裕子、男を岸部一徳、男の妻を仁科明子、女の母の友人の役を渡辺美佐子が演じている。

ストーリーだけならそこいらの昼メロである。ところがこの映画、男の心と女の心の移ろいを、些細な出来事のひとつひとつと長崎の街の情景とを積み重ねることによって丁寧に表現している。まるでしじまの中の煌きのような男と女の情感を日常生活の中で見事に描いている。映画が活字と同様に重要なメディアであることを再認識したひと時であった。テレビで見てこのありさまである。友人が言うように映画館で見ればもっと感動が大きいことであろう。

渡辺美佐子が演じる女の夫は認知症である。男の病状は深刻で徘徊すら始まっている。それでも女は献身的に男に尽くす。他人の父親を略奪した原罪を女は背負っている。久方の渡辺美佐子は良かった。いい味を出していた。



フード・フェスティバル

2007年11月05日 21時22分37秒 | Weblog
ありゃ、どこで遭遇しかかったんだろ? 私も今日は化粧ののりが悪かったので、良かったわあ・・・??

鮎の塩焼きに、肉の串焼き、 味噌ラーメンを食ってから、シジミ汁をすすって、 酢ガキを食った。 フードフェスタは、約3時間かけてぜーんぶ周った。 そうそう、 会場では○○ちゃんにバッタリと遭って、 しばし立ち話をした。

その後、そごうの「宮城県の物産展」に移動。 試食品の殆どを食い荒らしてから、 ホシヤマのコーヒー飲んで(なんと一杯が735円)。 100グラムが1300円もする、 ロイヤルブレンドのコーヒー☆グラムと、 ホヤ買って・・・。

昨日は、グランヴィアで大散財したから、 もうやけくそ。 こういう日曜日の午後でした。



評論家

2007年11月05日 21時19分52秒 | Weblog
借金のかたに女郎として売られた娘の気持ちと、それからの苦難を考えると・・・。遊郭に売られることと、奴隷として売られることとは同じようなものじゃないかと思いますがねえ・・・。いずれにしても、日下さんは確か、東大を出た元長銀のえらいさんですよね。本が売れて自分さえ儲かればいいのでしょうか?解り易く経済学を説く人ではあるのですが、こんなアホなことばかり言ってるから長銀は潰れたんでしょうね?

日下さんは、バランスシートに人財が反映しないと昔から言っていますが、そりゃそうでしょ、人間の経済的な価額を測ることができないから、財務諸表で経営者の評価をします。また、原価計算や管理販売費の分析があればこそ、労働者の賃金をいかほど払えるかもかなりの精度で判定できるのですから。

貧乏臭さ

2007年11月05日 21時18分05秒 | Weblog
渡部昇一って貧乏臭いと思いませんか?私も貧乏家に生まれたもので東京での学生生活はバイトの連続でロクに勉強もできませんでした。地下鉄の配電工事の手伝のバイトをした時、同じような苦学生が梯子から落ちて頭蓋骨骨折の大けがをしました。本当にあの時は貧乏家庭に生まれたことを恨みました。なんでおりゃ、こんなことをやってるんだろ、やらされてるんだろってわけです。渡部昇一さん、きっとこういう苦労をしたことないでしょうね。若いころ貧乏したことを売りにしていますが、彼って知的野心家ですもんね。