旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

「気」

2015年08月31日 21時32分36秒 | Weblog

週が明けて仕事の車輪が回転を始めた。たとえ「気」がわたしの世界観で満ちていても、クライエントはわたしと異なった価値観で動いている。あたりまえの話だが、かれらの世界に立ち入らならないように配慮することがクライエントと上手くやっていくためのコツだ。
連休最後の日曜の古本屋で野村秋介著「さらば群青」を買った。立ち読みをしていたら井上日召著「一人一殺」を連想したからだ。口直しに「判断推理」の演習本と「考えるための小論文」(ちくま新書)、林純次著「残念な教員 学校教育の失敗学」(光文社新書)を買った。野村や井上の毒を消すには業務関係の本が効く。古本で買った「残念な教員」はなんと今年初版の第9刷版だ。


野菜作り

2015年08月29日 21時09分21秒 | Weblog

畑の雑草を抜いてから鍬で耕し土が酸性なら中和する。鋤で畑の区画を整えて畝をたて床の準備をする。芋を植え種を撒いたあとは野菜の生育を見守りながら肥料と水分を調整する。収穫を終えたら再び雑草を抜いてから鍬で耕し場合によっては土の酸度を弱めるために石灰を撒く。連作すると収穫量が落ちるので注意を払う。そして植えた野菜の生育を見守る。畑ではこの繰り返しだ。分からないことがあったら農園の管理人さんに相談すれば教えてくれるし同じ農園の先輩たちも親切にアドバイスしてくれる。野菜作りに親しんで4半世紀が過ぎた。日照・肥料と水、連作について知っていれば素人でも、自分で作った新鮮な野菜を食卓で楽しむことができる。


あいさつ

2015年08月29日 14時03分18秒 | Weblog

一週間ぶりの農園でのんびりと雑草を毟っていたら雨が落ちてきた。じゃがいもの種芋「デジマ」を3キロ、白菜・大根・大葉の春菊・玉葱の種を買って植え込みと種まきを済ませる予定にしていたので出鼻をくじかれた格好だ。以前のわたしならお天道様にイラっとするところだが最近は修行が足りている。この程度の誤算で苛つくことはない。近くの畑で黙々と作業を続けている顔見知りの皆さんに「お先に」と挨拶を済ませてから、2時間半の作業を切り上げて自宅まで取って返した。9月の9連休で巻き返しを図る。


熱いコーヒー

2015年08月28日 19時07分38秒 | Weblog

人影がまばらな大型店舗で時間をかけて家具や雑貨を見歩いたあとで大勢の買い物客に紛れて土日の食材を買ったら人疲れした。こういう日に、熱いコーヒーを自流でたてて寛ぐ夕暮れ時が大切なひとときになっている。

カール・シュミットの政治思想
①自由主義的個人主義の制度的表現であり、その歴史的結実である議会主義は、同質性を原理とする大衆民主主義の進展により、その依って立つ精神的基礎を崩壊させてゆく。議会主義の危機は、まさのこのふたつの政治理念の根本的対立に胚胎する。
②自由主義は個人主義を基礎とし、政治制度に現れた場合には、「公開性」と独立個人としての議員の「討論」とを原則とする議会主義となって歴史的に結実した。しかし、それに反して民主主義は一定の「同質性」をその原理とする。こうして「大衆民主主義の進展」は、むしろ「議会主義」の依って立つ「精神的基礎」を崩壊させてゆく。
(カール・シュミット著「現代議会主義の精神史的地位」(みすず書房)より引用。)


恋人にするように・・・

2015年08月27日 21時03分42秒 | Weblog

心の疲れがとれてゆくにつれて体が重くなっていく。私にまとわりついているのは気分がだらけているという実感だ。気がかりなことをすべて片づけて思惑通りに副交感神経が働きはじめるとこうなる。休日のわたしは「シャキッとする」とか「気を引き締める」とかいった心意気とは無縁の位置に座っている。
かかりつけ医の先生の診断を受けて日頃の疑問点をたずねたあとで、家に舞い戻ってから自律神経のコントロールを試みる。素人療法の域を出ないとはいえ今日の検診で上が110台・下が70台という血圧が自律神経のバランスがいいことを物語っている。わたしの交感神経の働きは活発だ。活発過ぎることをこの歳になって思い知った。だから休日にはこの駄々っ子、交感神経をまるで恋人にするかのように優しく宥める。


肌触りの良い朝

2015年08月27日 06時03分47秒 | Weblog

近くで小鳥が囀っている。気温も下がってきた。暑くもない、寒くもない肌触りの良い朝だ。昨夜は遅くまでカール・シュミットの 「 政治思想論集 」 を読んでいた。

 

  右がカール・シュミット

カール・シュミット著『現代議会主義の精神史的地位』
「民主主義から不純物を取り除いていって最後に残る本質は、治者と被治者の同一性であり、しかも具体的現実において国民を構成している人々は社会学的、心理学的に異質であるため、そのような同一性は存在しない。そこで民主主義の同一性とは結局は同一視ということとなり、そうなると多数である意思を国民意思とするというような量的な尺度は、所詮絶対的な同一性ではないという点で質的尺度において少数意思の国民意思との同一化と「本来ほとんどちがいがない」ものとされてしまう。それを逆手にとって、ただ一人の意思であっても何らかの手段を用いて国民意思と同一視することができれば、それはまったく民主主義的であるとして独裁さえも民主主義の名の下に正当化されるのである。
 さて、以上のような民主主義の定義をもって、「議会制民主主義」なるものを考えるとき、シュミットは、議会制は民主主義の要件でもなければ、そもそもまったく異質の思想的基盤をもつものだという。すなわち、シュミットによれば、議会制(議会主義)の本質は「討論と公開性」であって、自由な討論によって互いに説得し、説得されることを前提として、真理を目指すものである。そこでは、相手の言い分が正しければ喜んで説得されるという態度が求められる。然るに、眼前の(20世紀初頭、特にワイマルの)議会政治でおこなわれているのは、そうした「討論」ではなく、互いの利益を実現するための「商議」にすぎない。本会議での「公開性」のもとでの討論よりも、密室での取引が実際の政治的決定を左右している。こうして、機能不全に陥っている議会制民主主義に対して、その原因を今日(20世紀初頭)においてもはや基盤を失った議会主義が未だ存続していることに求め、議会主義と決別して民主主義を選ぶことを主張する。」(アマゾンの書評 カール・シュミット著「現代議会主義の精神史的地位」から引用)


コーヒーとシュミット

2015年08月26日 19時36分22秒 | Weblog

熱くてほろにがい自前のコーヒーを飲むと私の平日は休暇へと流れを変える。さて明日は何から始めようか。目と鼻の先に4日間に及ぶ連休が横たわっている。済ませておかなければならないのは定期検診、秋ジャガ(デジマ)の植えつけにカール・シュミット4冊の読破くらいのものだ。シュミットの4冊の内3冊はヤフオクで落札したばかりだから連休の余暇に間に合いそうにない。本の整理や大漢和辞典13巻の補修に時間を回すことになりそうだ。


以下はカール・シュミット著「政治思想論集」第二編 カール・シュミット論 ハンス・クルパ著『カール・シュミットの「政治的なるもの」の理論』から引用。
 

『洛陽の紙価を貴からしめる「政治的なるものの概念」が目指したのは、ブルジョワ的=自由主義的法治国の政治的イデオロギー(立憲主義)を破壊し、それとの批判的対決を通じて、政治的なるものの本質を見出そうとすることである。さらに、同書は政治上の説得や誹謗や差別がなされる際用いられる興奮しきったスローガンとイデオロギー的方法とによって織られた知的ベールをはぎとろうとするものなのであるが、その知的ベールとは、自由主義的=民主主義的な西欧の権力政治が己を覆い隠す無花果の葉なのである。

言わんとするところは辛うじて読み取れるが、何とも読み難い(下手な)翻訳だ。


台風一過

2015年08月25日 18時19分46秒 | Weblog

午後の3時前 『 台風による高潮で学園一帯が海水に浸かる可能性があるので3時以降は休校にする、30分以内に学園から退去するように。 』 という学内放送が流れた。 『 うそじゃろ、そんなアホな。 』  と呑気に嘯いていたら隣で 『 今を去ること10数年前に学園が高潮にやられ、人間はともかく逃げ遅れた自家用車たちに甚大な被害が生じた。 』 と語り部さんが神妙に懐述する。買ったばかりの ( といっても既に6か月は乗っている ) プリウスが海水をかぶって火を吹いてはたまらない。やりかけの仕事を片づけて強風に慄きながら駐車場まで歩いた。車内で気を持ち直して海辺の学園から市の山間部にあるわが家まで一気に愛おしいプリウスで駆けた。愛車を降りたら団地一帯に猛烈な風が吹き荒れていた。


デジマ

2015年08月24日 20時50分06秒 | Weblog

連休の初日(木曜)は定期検診と農園のためにとってある。昨日、念願のジャガイモの種芋を入手した。今回は「デジマ」という品種でゆく。雑草は殆ど毟ったので木曜は鍬とショベルで植えつけの準備に入る。美味いジャガイモを作るための畑だから畝作りには熱が入る。サトイモを少し掘って食べた。なめらかな口ざわりと風味に心が震えた。今年のサトイモは期待できる。

注* デジマ
長崎県を中心に九州で多く栽培される。 多収で薯が大きくなる品種。肉色は黄白色で適度に煮崩れし美味だが、明るい所では緑化しやすい。(ウィキペディア)


のびのびと・・・

2015年08月24日 07時35分04秒 | Weblog

3日勤務して4日休む・・・、この程度が適度だと思う。日本人は働き過ぎなのだ。今週はその3勤4休を実現する。月火水と働けば輝く4連休が待っている。9月の5連休を前後3日の有給休暇をとって連続10日の休暇にする。人間、働き過ぎると料簡が狭くなる。考えが窮屈になって碌なことにならない。のびのびと仕事をやりたければしっかりと休養しろということだ。私は遊ぶために働いている。


・・・というよりも

2015年08月22日 11時43分11秒 | Weblog

いつものように5時前に目が覚めた、睡眠に不足がない快適な朝だ。ご近所さんに迷惑にならないように7時を回ってから庭の手入れにとりかかった。天然石のアプローチと玄関ピロティの修理を済ませて庭を掃き終えたら9時を回っていた。好きな農作業を心行くまで楽しむために、あと2~30坪の菜園と果樹園が欲しいのだが叶わない。昨日はITの発達と人間社会について尽きぬ会話に花が咲いた・・・というよりも、レクチャーを受けて、これまでの社会観・人間観が根底から問い直されるような衝撃を受けた。先週の日曜の終戦記念日に「日本のいちばん長い日」を観た際には、映像と史実が重なりあった場、メディアと史実が錯綜する場から史実のみを取り出してゆくことの困難さを思った。明日の朝、農園でプチトマトとナス、ダイコンの収穫を済ませる。午後はのんびりと保阪正康著「50年前の憲法大論争」(講談社現代新書)・「あの戦争は何だったのか」(新潮新書)とヒトラー「我が闘争」を読んでみることにした。


よたよたと・・・

2015年08月21日 20時34分43秒 | Weblog

6時半で仕事を締めた。最後のFAXを送り終えると職場から解放された。よたよたと駐車場まで歩いて車中から学園にしばしの別れを告げた。今夜からウォーキングを予定していたのに生憎の雨だ。「ついてねえな。」と自分に捨て台詞を浴びせて家路を急ぐ。土日でやっと自分の時間が持てる。食後の熱いコーヒーでわれにかえったようだ。さまざまな思いが頭を過る。良い休日になりそうだ。今夜は目が覚めるまで眠る。


ということで・・・

2015年08月21日 07時05分24秒 | Weblog

ということで・・・週末を迎えた。ということでと書くのは今週の出来事を言語で記すのが難しい。多くのひとと会って多くの話をしたが言語的な記憶よりも映像的な記憶の方が勝っているので「ということで」と曖昧に今週を締め括らざるをえないのだ。もちろんそう簡単に時間を締め括ることなどできない。とにもかくにも繁忙を極めた週に区切りをつけようとしている。一日千秋の思いで待ち焦がれた休日の一歩手前までようやくたどり着いた、


ファイティングポーズ

2015年08月20日 07時30分08秒 | Weblog

いつも通り早朝の5時に起きあがると疲れはすっかりとれていた。今日はどのような相談が待ち構えていることやら。こころは早くも軽くファイティングポーズをとっている。自律神経のバランスが良いことを実感できる。
今日もいいことがありそうだ。他人様のために汗を流すことができる喜びを噛みしめる。脳卒中予防十か条が机上にある。今週は第八条「体力に 合った運動 続けよう」の要件を満たしていないように思う。明日の仕事を終えたらとにかく歩き回る、汗を流して体を浄化する。