旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

前野曜子

2013年12月30日 10時57分46秒 | Weblog

                         

                  

        

                             

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略歴[編集]

1965年川村高等学校を2年で中退し宝塚音楽学校に進む。1967年53期生として宝塚歌劇団へ入団。同期は54名で当時の芸名は弓千晶(ゆみ・ちあき)。1968年宝塚歌劇団退団。

伝説のディスコ赤坂「MUGEN」でゴーゴーガールを務める。宝塚時代に知り合った亀渕友香と「MUGEN」で再会し、リッキー&960ポンドに参加。翌1969年、『ワッハッハ』がヒット。この頃は西丘有里と名乗る。

1971年、リッキー&960ポンドと同じ事務所に所属するペドロ&カプリシャスにヴォーカルとして参加。

1971年10月発売の『別れの朝』が大ヒットし一躍人気・仕事の絶頂のさなかだった1973年、突然の脱退を発表して単身渡米もその後数ヶ月で帰国した。当時のあるテレビ芸能ニュース番組では「米国留学のため」と放送された記録が残っているが、脱退については1972年11月頃発売分の『週刊女性』では前野が深酒に因る仕事上の失敗を繰り返していた上、恋仲となった米国人男性の元への出奔、早期の帰国については1973年10月頃発売分の『週刊朝日』で恋人との破局や米国生活の限界が重なったのが原因との記事が掲載されるなど、具体的な面に触れた報道はなかったがいずれもすっきりしない脱退劇と前野にとって残念な結末を辿ったことが垣間見られた出来事であった。

帰国後は、事務所に所属せずマネージャーもつけずにソロとしてライブハウスなどで歌手活動を再開した。1976年に古巣のリッキー&960ポンドに復帰(のち3年間所属後再び脱退)。

1976年暮れごろから、前野の親友でもあり同じく若くして亡くなったジャズ歌手木村芳子 がリーダーで歌っていた六本木のジャズバー J&B <ロアビルの前、道路を渡った地下にあった>のバンド仲間に会いに夜よく顔を出していたが、当時は酒を飲んでいることが多かった。 この当時前野はここから歩いて15分ほどの赤坂小学校そば赤坂7丁目のマンションに住んでいて時折<鎌倉>から母が様子を見にやってきていた。

翌年1977年9月、リッキー&960ポンドとアルバム ABRAZAME を録音。このアルバムの中に収録された別れの朝 が最高の出来との評価もある。この名曲、名唱<別れの朝>はちなみに3バージョンある。

1976年から1977年にかけて前野は日本人ミュージシャンと付き合っていたが、その彼が8月初めに二度目の渡米で日本を去ることになった。 この翌月の9月に録音されたLP『ABRAZAME』の中の1曲<雨のエアポート>は前野曜子が作詞をしており、この別れの悲しみをこの歌に託した。 実はこの詩の中にその彼の名前が潜んでおり、一人になった寂しさゆえ彼の渡米後、前野は犬を飼い彼の名前をつけて呼んでいた。

(1979年8月14日発売の週間女性誌のインタビュー記事内で76年以前の生活について<黒人ミュージシャンとの交際中に、前野曜子はロサンゼルスで、一人の日本人青年と出会った。Xという二歳年下の若者も、彼女と同じように音楽の勉強に来ていた。黒人ミュージシャンとの交際、日本人青年との愛のなかで、彼女は人間として成長していった。、、>とインタビューに答えている)。

1978年春、前野は新しい彼氏、作曲家、アレンジャーのK氏と共にニューヨークを短期間訪れ、二人でこの元彼のロフトを訪ねている。 このK氏の力により角川映画出演が可能となり、復帰の大きな足がかりとなった(奇しくもこのK氏も1988年、40歳の若さで亡くなっている)。

1980年代初期には自己のバンドを組みリサイタルを行った。この1980年当時の住居は六本木近くの赤坂2丁目であった。このときのバンド仲間との何枚かの写真では、彼女の生き生きとした表情が見てとれる(この後間もなくして病床に倒れたようだが、この辺りから彼女の詳細を知るものが殆どいないのが実情のようである)。

1979年に映画『蘇える金狼』の主題歌(タイトル同じ)をリリース。同年末には『平凡パンチ』でセミヌードを公開する。1980年、映画『野獣死すべし』に、セリフのない役でカメオ出演1982年から始まったテレビアニメ『スペースコブラ』(フジテレビ)のテーマ曲を歌っている。

しかし上記の通り芸能活動に復帰・継続はしたものの、前出のペドロ脱退の経緯や、前野自身アルコール依存など健康上の問題が愈々深刻化するなど、結局往時のような成功・活躍をおさめることはついにできないままに終わった。

1988年7月31日、持病の肝臓病が悪化し心不全により40歳の若さで死去していたことが、逝去から2年半以上後となった1991年4月頃発売分の『女性自身』で報道された。稀な美貌と歌唱力を持ち合わせ、デビュー時は業界・ファンからも期待されていた前野であったが、あまりにも寂しい晩年・最期であったことを窺わせた。墓所も不明である。

ディスコグラフィー[編集]

ペドロ&カプリシャス[編集]

ソロ[編集]

  • 『蘇える金狼』作詞:浅野裕子/作曲:ケーシー・ランキン
  • 『コブラ』作詞:冬杜花代子/作曲・編曲:大野雄二(アニメ『スペースコブラ』のオープニングテーマ)
  • 『シークレット・デザイアー』作詞:冬杜花代子/作曲・編曲:大野雄二(アニメ『スペースコブラ』のエンディングテーマ)

出演[編集]

映画[編集]

テレビドラマ[編集]


難解な著作

2013年12月28日 08時28分48秒 | Weblog

「家畜人ヤプー」か「近代日本の精神構造」かで少々迷った。「・・・ヤプー」の方は目下所在不明だが、階段下の書庫かどこかで眠っている。後者を選んだ。家永三郎がこの博士論文を読んで、「本文よりも脚注の方が多いうえに造語だらけで読むのに難渋した。内容については結局理解が及ばなかった。」と嘆いたという。

第一部が「天皇制ファシズムと庶民意識の問題」、第二部が「中間層の形成過程」、第三部が「日本の近代化と『家』意識問題」の三部構成だ。 こういう難解な論文を読むにはWeb検索が凄まじいばかりの利便性を発揮する。 著者、神島二郎は東大で丸山眞男と柳田国男ふたりの弟子筋にあたる。


合掌

2013年12月27日 19時51分45秒 | Weblog

高校時代に器械体操部でともに練習に励んだ同級生が亡くなっていた。居酒屋をやっていることを知ってよく飲みに行った。5年前に事務職になって飲みに出る機会が減った。ずいぶんご無沙汰をしていた。昨年の学年同窓会で3年ぶりに会った。 「これが最後になる。」 ともらしていた。店もたたんだという。私は返す言葉を失った。今日になって体操部の仲間から連絡が入った。あの日から2か月ほど経った昨年の10月に亡くなっていた。連絡をしなかったことを悔やんでいる。微笑みがたえることのない男だった。彼とは酒と料理にまつわる多くの思い出がある。カウンターをはさんで何度も夜更けまで語り合った。年が明けたら器械体操部の仲間たちと墓参りに行く。


師走を寛ぐ

2013年12月27日 08時05分12秒 | Weblog

昨日までは職場と自宅書斎の空気だけを吸っていたように思う。職場から解き放たれたので今日からしばらく新鮮な社会の空気で呼吸する。

ヘーゲルの「歴史哲学 上下」が届いた。暇つぶしに寄った書店で「孫子の兵法 曹操注解」を躊躇なく買った。現代のポピュリズムと保守政権を眺めるにつけ、カール・シュミットがどこかに引っかかっている。

今年も多くの本を読んだ。今日は降ってわいたような休日だから古本屋を漁りに行く。それでも倦むことを知らない。どうしてここまで執拗に読み続けるのか、来年はその理由を探ってみたい。


年末

2013年12月26日 19時26分19秒 | Weblog

7月以降、支援に集中してきたのでドライブと読書以外の趣味やレジャーを楽しんでいない。県立美術館やひろしま美術館で絵画を鑑賞したい。いい映画も見たい。山歩きに釣り、ウィンドウショッピング。太い幹を切り落とした杏子の防腐も手つかずだ。そういえば、庭木の剪定も済ませていない。壁面の補修は夏場から滞ったままだ。雨漏りの原因も早く摑まねばならない。そんなこともをやっているうちに年は明け連休の幕が降りるのだろう。それでも時間がたおやかに流れてくれたならばそれでよい。この半年間というもの時間が流れていることを体感することがなかった。

 うまく予定をこなすことができた。未決のまま年を越すのは1名プラス半という結果に満足している。幸運にも本日の午後になって、危うかった10連休が叶うことになった。求人先の配慮に感謝している。明日27日から年末年始の連休に入る。

 

 


夕暮れ

2013年12月24日 21時27分16秒 | Weblog

広島も年末モードに入ったようだ。朝夕の車はやけに混むのに日中の仕事場は閑散としている。御用納めの前日までに2件の結果が判明したらその翌日から休暇をとる。

昨日が冬至だったので、ようやく日が長くなり始める。明るい朝に家を出て、夕暮れ時に家路につく。秋から冬にかけての通勤は侘しい。

明日は2件の面談がある。午後は閑散とした職場でひとり、来年の戦略を練る。


格言

2013年12月23日 09時44分47秒 | Weblog

読書は充実した人を作り、会話は即妙の人を作り、書くことは正確な人を作る。 』 フランシス・ベーコン著「随想集」から

人事を尽くして天命を待つ。 」 は胡寅の格言。孟子や孔子も似たようなことを言っている


本の海

2013年12月22日 06時12分38秒 | Weblog

岩波書店のヘーゲル全集「歴史哲学」上下2巻を落札した。装丁に重量感がある岩波のヘーゲル全集のうちの2冊が送料込みで1000円ほどだから割安感がある。この本は、[歴史学の父」 ランケからこっぴどく批判されて以降、学界では過去の遺物的な扱いを受けているそうだ。そのような批判には関わりがない。事大主義や権威主義は親の仇も同然なのだ。

カール・シュミットの政治・法律哲学の方に渇きを覚えている。ところが、シュミットの翻訳本は著しく値が張る。全集の古本でもそのほとんどが一冊あたりで優に5000円を上回るので、とても買い揃えそうにない。だからといって代表作だけを読んで知った気になるのはわたしの読書ではない。図書館で借りるか、買うか、実のところ迷っている。


冬至にカール・シュミット

2013年12月21日 10時12分45秒 | Weblog

        

 

   

「カール・シュミットはドイツの公法学者。政治的現実主義の立場からケルゼンの規範主義に批判を加え、独自な具体的秩序思想を説いた。全体主義の思想家と目されたが、ナチスの見解と相違して早くから第一線から退いたため、独裁主義の御用学者であったわけではない。法学の思考方法について決定論と規範主義を止揚するため「具体的秩序および形成の思考」を提唱したことによって有名。」 新法律学辞典(有斐閣)

学生時代にまったく歯が立たなかったシュミット、冬至にカール・シュミットの思想を追う。


読書の冬

2013年12月20日 20時04分59秒 | Weblog

終わったはずの忘年会がもう一回追加になって、結局この一週間で3回の忘年会に出席することになった。早くも新年会の予約が入って、前途は大いに多難だ。

本日金曜日の午後を駆けずり回った結果、予定の任務をすべて果たすことができた。夕暮れまでせわしい一日だった。この3連休は休養に充てる。

今年の仕事には8割がた満足している。でき過ぎといってもよいくらいだ。来年はこのでき過ぎた実績がベースになる。こころして仕事に立ち向かう。

週刊誌代わりに新書を読む。戸瀬信之ほか著「大学生の学力を診断する」(岩波新書)、品川嘉也著「全脳型勉強法のすすめ」(ブルーブックス)、戸田忠雄著「公務員教師にダメ出しを」(ちくま新書)、平野稔著「あなたが就職試験に受からない理由」(祥伝社新書)、高橋克徳著「職場は感情で変わる」(講談社現代新書)〆て525円のお買い上げ。

この連休は、岩波文庫ワイド版「孟子」の通読と、メルヴィル「白鯨」の下(岩波文庫)、セルバンテス著「ドン・キホーテ」(岩波文庫)の拾い読みを予定している。フッサールと西洋思想大辞典にも目を通しておきたい。サルトルにラートブルフときりがないが、気にかかっているわが蔵書と3連休を思うだけで胸が熱くなってくるようだ。


師走の祈り

2013年12月12日 19時59分49秒 | Weblog

週が明けると気にかかっている採用試験が2件ある。もう一歩のところまできた。何とか全員が安心して正月を過ごせるようにと願いながら、こころを集中して支援に力を傾ける。全員の就職先が決まるまで心は晴れない。年末年始の連休は御用納の27日を休暇にしたので、連続10日間になった。

明日と週明けの月曜日に忘年会がある。気のおけない友人たちとの飲食を楽しみにしている。


季語は冬

2013年12月10日 21時50分19秒 | Weblog

岩波文庫「蕪村俳句集」より二句。

東山の梺に住どころ卜したる一音法師に申遣わす

       嵐雪とふとん引合ふ詫寝かな  蕪村

(嵐雪は蕉門十哲の一。 「ふとん着て寝たる姿や東山」 の句で名高い。)

 

       冬ごもり仏にうときこころ哉    蕪村

(のちの世の事、心に忘れず、仏の道うとからぬ、心にくし。「徒然草」 四

いずれの句からも蕪村の反骨ぶりを窺がうことができる。