畑のつぶやき

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食、農への思い

勘違い

2012-07-01 17:41:19 | 食、農への思い

7月1日(日) 

予定通り、午前中は、宮畑のロータリー耕。こちらは、花畑や秀畑とは異なり、強粘土質で、しかも石も多い畑土で、作業はしにくい。その上、草の種類も、イネ科の草など、土壌の豊かさを感じさせない草が多い。土や草を細断するには、回数を増やして耕すことになる。午前中いっぱいかけて、ていねいに作業する。

梅雨の中休みに、程よい土壌水分の所で、耕し、草の処理が終わり気分がよい。だからという訳ではないが、午後は、休日とする。農機具店の展示会に行き、刈払機を購入。今使っている機械は、10年以上使っているが、使い勝手はとてもよい。さすがに古くなり、ときどきトラブルがあり、キャブの清掃をすることも増えた。が、なによりも、エンジンが大きく、機械も大きいので、重い。背負い式で、ランドセルのように背中に背負って作業するのだが、この歳になると、重さが肩に食い込み、半日作業では、腕肩の痛みを強く感じるようになった。同じ背負い式でも、軽量タイプを注文してくる。

所で、6月29日の「雨休」。とんでもない勘違いをしていた。

かもたんさん、『絶滅寸前季語辞典』ありがとうございました。ちょくちょくとページを繰りさせていただきます。

それで、早速に「雨休」を調べてみたら、なーんだと云うことに。何だ、そのままの意味なのかと納得。私は、梅雨時の、雨がお休みをする時、梅雨の中休み状態を、表現することかと思った。しかし、雨で仕事を休む日の意。しかも、農村の風習ということで、雨乞いをして、雨が降ってくれたと、仕事を休み、祝う行事とのこと。とんだ勘違いだった。でも、著者の句、「もう四日目の雨休とはなれり」をちゃんと読んでいれば、私の理解が、勘違いということは、分かったはず。

がしかし、勘違いをしてしまった悔しさの、腹いせを一言。著者さんも、勘違いなのでは。

著者は、やっと雨に恵まれた「雨休」という季語は、(嬉しくもほっとした気分があふれている。)と説明している。そして続けて、(が、しかし、待ち望んだ雨であろうが、長く続いている雨であろうが、雨が降りゃ休むしかないのが農作業ではないのか、と思ったりする私って、根っから皮肉屋なのか。)として、前述の句である。

お答えすれば、「いいえ、皮肉屋ではありません。農業を知らないだけです。」

農村では、よほどの大雨続きとか、台風の暴風雨の時以外は、「四日目の雨休」なんてことはあり得ないと思いますよ。

私にとっては、畑一面の雑草を、鋤きこむことができた、この梅雨の晴れ間に、大いに感謝です。