ポテト姫の気まぐれ雑記 part2

つれづれなるままに、気ままに綴るエッセイ集

「荒城の月」の話

2023-04-16 | 音楽話
 この時期、「うたごえ広場」にて、毎年選曲している「荒城の月」。
 「♪ 春高楼の花の宴」の歌詞から、「花」=「桜」…ということで、「ふさわしい」かと思いまして。(^.^)
 でも、「2番の歌詞」は、「♪ 秋陣営の霜の色」となってしまうんですけどね。

 先日、この曲をみんなで歌っていて、ちょっと「気になること」がありました。

 それは、「千代の松が枝 わけいでし」の箇所を歌う際に、私がずっと使っている楽譜によると、

 「♪ ちよの まつ〜がえ〜 わけい〜でし〜」(Aパターン)と書いてあるので、ずっと、このパターンで歌ってきましたが、最近入ったメンバーさんは、

 「♪ ち〜よの〜 まつがえ〜 わけい〜でし〜」(Bパターン)

 と歌われているのです。(・・;) そこで、そういえば、私が今使っている楽譜は、高齢者向けのレクレーション用の「歌本」からコピーしたモノなので、もしや「違っているのかも?」と思い、帰宅後に、別の楽譜と比べてみました。



 すると、「声楽用」の歌曲集2冊(「全音」「ドレミ」)によると、どちらも「Bパターン」で書かれてました。(°_°)
 これはやはり、「安直な?」歌本だから、間違っているのかな? と思い、今度は、息子が中学校で使っていた「歌本」の方を確認してみると、そちらは「Aパターン」で書かれてる。


 ってことは、今使っている楽譜が「間違っている」わけでもなさそうで…。♪( ´θ`) これは、今後、どうしたものか? ちと悩みますね。

 ところで、この曲の作曲者は、瀧廉太郎氏。没年齢が23歳というから、この曲も二十歳そこそこの時に作られているわけですね。(*´-`)


 「東京音楽学校」(今の「東京芸大」)を出て、その後「ヨーロッパ」に留学したものの、半年足らずで「肺結核」に罹ってしまい、帰国療養することになったそうで、さぞ「無念」なことだったでしょうネ。(*´-`)

 この方は、お生まれは「東京」とのことですが、お父上の仕事の都合で、何箇所か転々とし、最終的な「病気療養」は、ご一家の故郷である「大分県」で、されていたようですね。
 そういえば、私の住む「大洗」は、海岸付近の「松林」が、昔から有名ですが、「松の木の、木肌から出る成分」が、「肺に効く」とのことで、「肺結核の病気療養」に、昔から「著名人」たちが、けっこうな人数、来ていたらしいですね。

 町の「歴史学者」の方のお話では、「瀧廉太郎」氏が滞在されていた…という記録は無いそうですが、かの「水戸黄門」こと「徳川光圀公」が詠んだ歌に、曲を付けて「荒磯」という曲を作曲されているし、その曲調から、どう見ても「大洗海岸の荒波の様子」を「見たに違いない」と思われるフシがあるので、これは、私の個人的な想像ですが、瀧廉太郎氏は、少しの間、「大洗」にも来ていたのでは? と考えております。(^^;

 この「荒磯」という曲は、未発表で、研究家の方が、瀧廉太郎氏のご自宅から、楽譜を発見した…との話ですね。(・・;)
 

 話は変わって、「荒城の月」のモデルとなった「お城」はどこか? との話によると、現在では、作詞者、作曲者の「縁の土地」にある「お城」5箇所ほどに「荒城の月の歌碑」が作られているそうですが、作詞者「土井晩翠氏」が、後に語った話によると、「イメージ」したのは「会津鶴ヶ城」なんだそうですネ。(^-^)



 この「荒城の月」の歌は、毎年採り上げても、皆さま「朗々と」歌われていて、「根強い」人気曲であることは、間違いないですね。^_−☆

 そういえば、この曲について、もう一つエピソードが。(°_°)
 なんと、この曲は、ベルギーにて「讃美歌」となっていて、ミサの中でも「重要な場面」にて、歌われるそうな。
 実は、「瀧廉太郎」氏は、この曲を作曲した年に、洗礼を受けてクリスチャンになっているそうで、そのことも関連しているらしいですね。









コメント (2)
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