ポテト姫の気まぐれ雑記 part2

つれづれなるままに、気ままに綴るエッセイ集

「もんじゃ」と「たらし」

2008-05-16 | 日記・エッセイ・コラム

 今回のNHK朝ドラ「瞳」ですが、どうも親近感を覚える世界のお話のようです。

 というのも、ヒロインの「瞳」の雰囲気が、ウチの娘にどことなく似ていて、更に「ダンス大好き」で、しかもやっているのが「ヒップホップ」。 そして、よく登場する「もんじゃを食べるシーン」は、まさしく「たらし」を食べてる姿と同じ...。

 実は私、ご存知の方も多いと思われますが、なぜだか茨城県内でも、この大洗町にしか存在せず、しかも歴史がかなり古い「たらし」について、けっこういろいろと研究してきました。そういう意味で、ネットの世界が重宝しました。そして、「もんじゃ」もなぜだか、東京の下町辺りにしか存在しない食べ物であることがわかりました。我が大洗町と、東京下町付近を繋ぐ、この不思議な流れは何なのか? この点をずっと探ってきたわけです。

 我が夫は、大学進学のため、初めて東京に出たところ、入った店に「もんじゃ」という張り紙を見つけたそうな。「`もんじゃ’って何だろう?」不思議に思っていると、偶然隣りの席の人たちが食べ始めていた。それを見た瞬間出た言葉が「なんだ!`たらし’じゃねェか...。」

 先日あった近所のお葬式手伝いの折り、休憩時間中の会話の中で、偶然この話題が出て、常会の一人が、こう言いました。「よく`もんじゃ’を食べるシーンが出るけどよ、あれ`たらし’だよなァ?!」

 数年前、NHKテレビで「たらし」のことが映されると、それを見た人が書いてきたコメントに「あれは`もんじゃ’では?」という内容がありました。

 そう、あれを「もんじゃ」と呼んで育った人は「もんじゃ」、「たらし」と呼んで育った人は「たらし」と、それぞれ認識してるのが実態のようです。

 「たらし」について、学術的な調査を実施した一考さんによると、見つかっている文献で、一番古いものは「もんじゃ」が明治時代、「たらし」が大正時代だそうです。それぞれが発展してきた経緯をみると、どちらも最初は「小麦粉だけ」というシンプルなもの。しかも、どちらも駄菓子屋の店先で売られていました。その後、かつおぶし等が入ってきて、「もんじゃ」は、キャベツ・ソース、の方向に、「たらし」はネギ・醤油、の方向に発展して行きます。現地で手に入りやすい物が使われるんでしょうかね。(^^)

 今では、どちらも豪華版になり、それぞれ工夫されたオリジナルなものまで登場しています。

 さて、肝心の、この二つのルーツですが、ここからは私の個人的結論です。「たらし屋」を経営している方のお話では「`たらし’は漁師の食べ物」という話がありました。「漁がなくてお金がないとき」によく食べるものだったとか...。そして、漁師町では、今で言う「バイト」の人をよく雇ったそうで、あちこちから、人が集まったらしいです。その辺りから考えられるのは、まず、東京下町辺りで、誰かが「もんじゃ」を考えて食べ始めた。それが辺りに広まって、ポピュラーな食べ物となった。その後、大洗の漁師のバイトに、その辺りの人が雇われ、その人が「もんじゃ」を伝えた。その時、「名前」までは伝わらなかったので、現地で勝手に「たらし」という名前が付いた。

 こんなところなんですが、どうでしょうね。

コメント (17)
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