「よし、ここにしよう!」と、カッコよく決定したつもりの私でしたが、いざ現実問題になってみると、ランクは下の方とはいえ、まがりなりにも「国立」。自分の成績を考えると、「う~ん」となってしまうのが実情でした。ただ、幸か不幸か、私が受験する年は、「共通一次試験」元年だったのです。━入試のやり方が大きく変わる━そのため、先生方は「予想がつかない」状態でした。しかも、私は「音楽科志望」、普通教科の担任の先生には、音楽のことが、音楽の先生には、私の成績の実態が、それぞれわからない状態。なので、落ちこぼれの私でも、特に反対はできないようでした。
「今のままでは、難しいので、かなりがんばらないと...。」そう言うのが精一杯だったようです。
今では、普通になりましたが、初めての「マークシート方式」「コンピューターによる採点」「5教科7科目」、当時はそれはもう、とても大きな話題でした。でも、私にとっては、それが幸いでした。7科目あるからこそ、中身は薄い。(笑) しかも「マークシート方式」だから、ほとんど選択性。二次試験は、実技テストのみ。
得意な国語で点数を稼ぎ、できないところは、全て2か4をマークし、なんとかやりました。一次試験は、教科ごとの点数よりも、合計点で判断される。なので、できない教科もごまかせ?ました。(^^;)
実技試験は、けっこう自信があったので楽勝。しかし、やはり現実は甘くはなく、合格発表の日、紙に私の名前はありませんでした。浪人覚悟だったので、すぐに予備校への手続きをを済ませ、4月に入り、そろそろ本腰を入れてがんばるかァ、と思ってたある日、一本の電話が...。
「こちら○○大学の者ですが...。」(もう落ちたのに、何の用?)内心そう思った私でしたが、次の言葉にびっくり。「○△□子さんですよね、あなたの受けた科に欠員が出まして、繰上げで合格になりました。」
え?! 私がしばらくポカンとしていると、「信じられなかったら、一度電話を切りますから、そちらから改めて問い合わせの電話をしてみてください。」とのこと。印鑑やら何やらを持って、早速明日、手続きに来るように、との話でした。
「狐につままれた」とは、こういう状態を言うのか? と、そんな感じでしたね。それから、母の職場に電話したり、高校に連絡したり、入学の準備をしたりと、大慌てで行いました。地元の大学で、家からバスで通えたので、まあ、それほどの困難はなかったですね。
「本気でぶつかれば、運命は開かれる」 そういうことだったのかもしれません。