私は初老男である。
多分であるが、人間の本質として「自己欲」から逃げられる人はほとんどいないだろう。
「本能的」なものから、他人からは理解されないような物まで。
そのことは仕方のないことなのだが、それが社会的な意味において影響を及ぼすことになると話がややこしくなる。
「政治家」と呼ばれる人たちは特に、この部分が問題になってくる。
戦後の政治家たちにおいては、すくなくとも今のように「露骨」ではなかった。
まあ、時代も変わった。
個人的に私淑している「三木武吉」(明治17年8月15日 -昭和31年7月4日)という政治家などは、選挙演説でほかの候補から「ある有力候補のごときは、妾を四人もつれている。かかる人物に……」といわれ。
「その有力候補とは不肖三木武吉であります」と前置きし、さらにケロッとした顔で「私には妾が四人あると申されたが、事実は五人であります」と上方修正して対立候補を煙に巻いた。
当然、観衆も別にそのことを問題としなかった。
世間一般にも「妾」を持つことは「甲斐性」の内という感覚があったことを、私などは覚えてる。
今や「不倫」「愛人」などの下ネタは議員にとって見過ごされることはありえないだろうなぁ。
ただ、逆にこの当時の政治家には、強烈な「政治への欲求」が見て取れる。
時代的にも戦後から高度成長期にかかる時期には「政治の果たす役割」は計り知れない物であったろう。
そこに、少々の女性問題や、飲み食いのことなどスキャンダルにする意味がなかった。
だが、当然もっと巨額な「私服を肥やす疑獄」については大問題であった。
加計学園の獣医学部問題で、前川なる前事務次官が記者会見を行った。
それらを報道する番組をいくつか見る中で「これだけの話をゼロから作ったとは思えない会見」との意見。
そして、この文書のことを「決済のある正式文書ではなく、メモや内部文書であろう」と推測。
この問題は、結局「金銭授受」等の問題が無ければ「大事」にすることはできないだろう。
森友学園問題の時と同じである。
そう、そこの問題は
「忖度」
というものである。
昨年から、いまだに「天下り問題」で信頼回復できているとは思えない「文部科学省」。
そこで引責辞任した前事務次官のこの記者会見。
「官邸主導の『決められる政治』」の旗の本、霞が関人事を政治家が握るようなった。
それ以前の権力を失った官僚たちのある意味「逆襲」ともとれる今回の問題。
官僚が政治家のいうことを聞かないで政治家が、ヤキモキしている構図(決められない政治)も困ったものであるが、今回のように「政治家が官僚を忖度させる構図」も、かなり腹立たしい。
残念ながら、私は為政者の「性善説」を信じてはいない。
それは、日本人における「美徳」はとうに失われてしまっていると感じているからだ。
日本人は、西洋人の持っている「神様に対する敬虔さ」が無い代わりに「人目を気にする恥」の文化があった。
それは、見方によっては「神に対する敬虔さ」よりもモラル的に高い物だった気がする。
しかし、振り込め詐欺をはじめとする姑息な金儲け手段が横行する今の日本社会は、神に対する敬虔さよりたちが悪い。
最後に、ある番組の解説者が言っていた「政治家でも官僚でも『デモクラシー』を守ってくれるならいい」と。
それこそは「自己欲」を極力抑えた中で行われなければならない。
今の泥仕合を見ていると、結局一番「国民のこと」が後にされている感は否めないなぁ・・・。
今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも「芯にある部分」がなんであるか忘れませんように。
May
ある新聞が前川氏のプライベートなことを報道していた。その内容を官房長官も報道していた新聞社の解説員も鬼の首を取ったかのように話している。しかし、それは今回の問題となっていることと関係が無い。スキャンダルでことを違う方向に向けようとしている魂胆が見え見えなのも・・・情けないなぁ。
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