私は中老男である。
政治家の失言についてモメている。
こんなことはずっと以前からあったことだ。
その「失言の意味」はどこにあるのか?
考えてみた。
「政治家」の仕事というのはなんであるか?
それは多分「LIVE」ではわからないことだろう。
先日の野田元総理の安倍総理への追悼演説でも言われていたことだが・・・。
政治家の本当の評価は「歴史の中にある」ということ。
時間が経たないと評価は確定しない、どころかその時の状況によって微妙に変化するものだ。
そうした中で「今現在」の自分を国民に表すのは「言葉」以外にない。
「今の行動における意味」も「言葉」によってしか伝えようがない。
だからその「言葉・伝える力・しゃべり」が下手では、政治家は務まらないといえる。
それも「口先だけ」では、底意が見透かされる。
それが分からないほど国民は愚かではない。
まあ、逆に聴く側が恣意的に底意を観ない場合もあるけど・・・。
今回の葉梨法務大臣の場合は「警察官僚」だったという。
東大法学部の出身だという。
もうかなりの回数の選挙も経験している。
話し方はソフトで聞きやすい。
が、結局発言の「どの部分がいけなかったか?」ということが分かっていない。
「法相は朝、死刑(執行)のはんこを押す。昼のニュースのトップになるのはそういう時だけという地味な役職だ」
この発言の後先に様々な自分の信条等が述べられていると本人は言う。
しかし、残念ながら政治家の発言はえてして「過激な部分だけ」が切り取られピックアップされる運命にある。
それとて「言葉の選び方」や「内容の順番」などによって伝わり方が変わってくる。
そのことを政治家なら強く理解していなければなるまい。
例えば、例の発言を
「死刑執行の重い判断を下すことで昼のニュースで、注目されてしまう役職だが・・・」
というものであったら、たぶんこれほどの問題にはなっていないだろう。
もちろん、私的な集まり(でもないか副大臣のパーティーだから)での発言だから「ウケ」を狙った感も多々感じられるが。
いずれにせよ、たぶん葉梨元法相は取り上げられた言葉・内容は「翻意でない・大した失敗をしていない」と思っているだろう。
実はこの「大した失敗をしていない」と思っていることが一番の問題なのである。
今の自民党の政治家に、こうした脇の甘さがあるのは「簡単に当選できる」という意識があるからだろう。
私がずっと言っているように、政治家が一番怖いのは「選挙に落ちる」こと。
ゆえにどの選挙でも「僅差での勝敗」であれば当選した政治家は、次の選挙を考えて「必死に仕事をする」はずだ。
だからいつも選挙で「僅差の勝敗」になるように、国民が政治家を選ばなければならないのであるが・・・。
それを計画的に行うのは不可能だ。
だから、私はいつも「自民党以外の候補者」に投票している。
いまのところそのことが「僅差の勝敗」に向けての第1歩だと思っているからだ。
今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、とにかく「選挙に行く」ことでいつか政治が変わることを知りますように。
May
ずっと以前のある政治家の失言。
「15から50歳の女性の数は決まっている。生む機械、装置の数は決まっているから、機械と言うのは何だけど、あとは一人頭で頑張ってもらうしかないと思う」
この発言も「生む機械、装置の~」の部分を「その崇高な機会を持っている存在の女性たちに~」くらいに言い換えていれば「失言」と捉えられなかったと思うし、発言者もそう思っていたと思う。
ゆえに政治家にとって「言葉・伝える力・しゃべり」が命なのである。
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