私は中老男である。
その2である。
とりあえず確認するが、自民党が政権を維持し続けてこれたのは。
「主流派」「反主流派」という名の党内派閥が「ミニ政党」よろしく、政策や派閥の領袖のパーソナリティをアピールすることで、博打の胴元(親)を回すがごとく党総裁を選び、
政権を維持し続けた。
その構図が一時的に壊れたのが、小沢一郎氏による脱党による政界再編。
そして、他政党による政権維持が混乱しているうちに政権を取り戻した自民党は、それ以前の派閥政治が微妙に変化していく。
その派閥政治にくさびを打ち込んだのが「小泉純一郎」である。
小泉内閣で「拉致問題解決」で表舞台に出てきた安倍晋三が、その直後の総理大臣に就任する。
小泉純一郎の政策手法を側近として支えてきた安倍氏が、政権を維持するに何らかの影響を受けたと考えるのが自然だろう。
そして、突然体調不良を原因に政権を投げで出した総理の椅子は、一時的に「派閥政治」に戻ることになる。
第一次安倍内閣後の自民党の政権運営は、不安定なまま「派閥政治の最後の象徴・麻生太郎」という人物によってふたたび下野することになる。
民主党が政権を持っていた時のことは、いずれこのブログにUpすることもあるだろうから割愛する。【この時の民主党の政権運営とアクシデント(東日本大震災・原発事故等)が、その後の政権交代にかなりの影響を及ぼすんだけどね】
そして、民主党最後の総理・野田氏との党首討論~解散総選挙で政権を取り戻し総理になったのが・・・。
安倍晋三である。
第1次安倍内閣の時を覚えている貴兄も多いと思う。
あなたは「第2次安倍内閣」が、その時とどこが違うがわかりますか?
私から見ると・・・。
彼は以前の「派閥政治」と「第一次安倍内閣」「民主党政権時代」において「なぜ政権が安定しなかったか?」を考え続けたのであろう。
そうした中で、必要なものは「小泉流の派閥に頼らぬ、個人権力・人気の獲得」という結論になったのだろう。
もしかしたら、あまり知られていないのかもしれないが、安倍総理は「内閣人事局」という伝家の宝刀を手に入れたのだ。(2014年5月30日 第2次安倍内閣時制定)
「役人の人事権」を手に入れたのだ。
第一次安倍内閣・民主党政権はおろか派閥政治の時でさえ、手にできなかった「役人の首のすげ替え」ができるようになった。
一見関係ないようだが、このことが「第一歩」だったと思う。
反抗的で慇懃無礼・服従背面の役人が思い通りになることで、もともと持っていた「鈍感さ」も相まって自分自身のタガが外れたのだろう。
政治家に「完全な清廉さ」などを求める気は「サラサラない」のであるが、国会の答弁で100回を超える「ウソをつくこと」は、私にとっては許せない。
そりゃあ、それ以前にも同じことをした政治家もいただろう。
しかし「総理大臣」という人が「平気で」重ねた。
彼は「責任は私にあります」といいながら、その責任を取ったことがあるだろうか?
過去の自民党の政治家たちは、このセリフを吐いた場合、他の派閥の追及により「本当に責任」を取らされていた。
国民がいかに騒ごうが「自民党内の自分への影響」が少なければ「対応する必要がない」とかんがえていたように見える。
しかも自民党内では選挙においてほぼ負け知らず。その中で安倍氏に逆らえる人はいなかっただろう。そう・・・
「安倍一強」である。
この状態は、逆に言えば彼以外の自民党議員も同じ感覚を持つようになる。「プチ安倍晋三」みたいな「責任は私にあります」と言いながらスルーする政治家ばっかりって思いません?
今、さまざまなことで「政治不信」が、私に「安倍晋三」から始まっているように見える。
彼以前から「政治不信」は、もちろんあったのだが彼自身のパーソナリティを含めて「ある一線」を超えてしまった気がするのだ。
おそらくだが、この政治不信は結局「自民党不信」につながり、どれくらいかかるか分からないが、政権を手放すことになるだろう。
「自民党の終焉」の引き鉄を引いたのが彼であることを、証明する時が私が生きているうちに来るのだろうか・・・。
今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、信じられる政治を手にしますように。
May
政治が人間である限り「完全な清廉」を求めることができないことなど、よ~~~くわかっているけど「ある一線」を超えてほしくないと思うのは「無いものねだり」なのだろうか?