Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

侮辱ノ指

2009-10-09 17:41:14 | 考えの切れ端
僕が小学校の高学年だったころから、中学生くらいまで、
友達同士で、手の甲を相手に向けた格好で手のひらを閉じ、
中指を一本だけ立てて「えぇ?コラ、ふざけんな」とか
「くそったれだな、この野郎は」とか言う意味で相手を侮辱する
仕草が流行っていた。
近頃はとんと見られなくなったけど、それは僕の周囲だけで、
他のところではまだ見受けられるアクションなのだろうか。
アメリカ人の真似をしたものなんだろうなぁ。
本国では流行としてではなく常識として通っているものなのだろうか。

今でもそうする人はいるのかもしれませんが、
その意味するところがけっこうキツいものなので、
あんまりやらなくなったのかなぁ。
やられた相手が、冗談ととらずに激昂する。
そんな、ケンカになってしまうアクションだから
人は皆封印したのかもしれない。

それに比べると、「ムカつく」という言葉は一般化した。
「胸や胃がムカムカするよ、お前を見ていると」
という、相手の言動や行動や、もしくはその人物そのものを否定するような
言葉ですが、それによって相手が激昂する可能性が低いということなんだろうなぁ。
考えてみると、「ムカつく」は指を立てるのとは違って、挑戦的な意味合いではない。
その程度なら許容できるっていう日本人のコミュニケーション感覚なのかもしれない。
場合によっては、理不尽に使われる言葉だったりするだろうけど、
批判がねじまがった形で、簡略化して表現される言葉になっているのかもしれない。
批判をするには、その批判の内容とか論旨を明確にするべきなのだけれど、
頭に血がのぼって思考が正常にできないだとかの状況で、
とりあえず、その気分を吐露するために「ムカつく」という言葉が使われる
んじゃないかと考えてみた。
この言葉はどうも市民権を得たようなところがあって、
指を立てる行為のように消えてなくなることはないのかもしれない。
でも、指を立てる行為を思い直してみて、それと同じくらい
気分の悪い言葉だと、そう気づける社会の雰囲気になったらいいなぁ
なんて思ったりする。まぁ、そうはいっても、
僕なんかは「ムカつく」と手軽に使ってしまうこともあるのですが。

直接的にはどう変化したかを具体的に述べることができないような、
言葉の断片の合わせ方でしか表現できない、それもすべてなど到底無理という
ものがあると思うのですが、社会の雰囲気の変容というものも
そういった類のものなのではないか。
昔っから言われていることだけど、それを感じたり形作ったりするには、
個々人の感性が問われるということになりますね。
そうはいっても、社会の雰囲気ってものは、国そのものの構造、言語の構造など、
構造というものが力を持って作り上げているとも考えられます。

構造が力を生む。
環境が人の心をつくる。
また、立場が人を作るという言葉もありますね。

「ムカつく」という言葉が消えていくためには、
そういった世の中の構造を変化させるより他ないのかもしれません。
指を立てる行為が消えたのは、世の構造に深く食い込むような行為
ではなかったからなのではないか。

「KY」もそうだけど、若者言葉や流行言葉から、社会の構造がどうなっているか
察するということも、できる人ならばできるのかもしれないなぁ。
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