拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

猫と論語/台風とゴジラ

2024-08-29 10:08:28 | 

そうやって私のハムを盗み食いしただけではなく、こらと言った私に逆らってハムを咥えて逃げたケメ子(昨夜のブログ参照)に対して、「私の言うことをなぜ聞かぬ?」と憤慨した私だが、よくよく考えてみれば、ウチの猫は私を上位に見てはいない。ご飯を運んでくる同居人……あるいはときどき甘えてくるから母親のように思ってるぽい。親と思うならなおさらなぜその言うことを聞かない?と長幼の序を持ち出すのは儒教の影響である。猫は論語を読まない(私も読まない)。ケメ子からしたら、私はケメ子が見つけた獲物(ハム)を横取りしようとする簒奪者にほかならない。なのに、私が「なぜ言うことをきかぬ?」と思うのは、私が忌避する「上から目線」にほかならない。海よりも深く反省。猫が口に入れそうなモノを一切置かなくすればすむ話であった。

猫のトイレもそうである。猫が猫トイレで用を足すのは人間がしつけたからではない。猫トイレが用足しに快適だからである(そのように人間が仕向けたとは言える)。だから、粗相をしたということは、猫トイレが快適でないか、あるいは粗相をした場所が用足しに快適だったからで、その対策は上から目線で「こらぁ」と言うのではなく、猫トイレを快適にし、粗相をした場所を滅却することである。

はて、ではなく、さて。ニュース速報で、台風が鹿児島に上陸したと言っている。「上陸」で思い出すのはゴジラ第2作の「ゴジラの逆襲」。ラジオが「ゴジラはやや北東に進路を向けた模様にて、四国南岸地区上陸は必至とみられる」と報じ、次いで、その後の新聞が「外れるかゴジラ 阪神地区はほっと一息」と書いている。まるで台風の進路予想である。そう、ゴジラは一種の自然災害である。人間の力で対抗できない点は台風並みである。なのに、私はゴジラ映画を見ていつも不審に思うのだが、なぜ100%かなわないと分かってるゴジラに対して戦車で接近するのだろう。熱線で焼かれ、あるいは踏み潰されるのは必至。むざむざ死にに行くようなものである。これが台風だったら立ち向かう戦車はない。じっと台風が過ぎ去るのを待つのみである。ゴジラに対しても同じ態度をとるのが上策ではないか。それとも、がんばってる風をアピールするため、つまりパフォーマンスで戦車はゴジラに向かう、いや、上官によって向かわされているのだろうか。人命を軽んじること甚だしい。終戦前のわが国の指導者達とまるで変わるところがない、と憤慨するワタクシなのである(この憤慨は正しい憤慨であると信じる)。

 


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