今さらだが、デブ夫婦には子どもが居ない。とはいえ多分『不妊』ではなかった・・・と思う。
付き合い始めの頃から1号旦那は『子どもは要らない』と言っていた。いわく『奥さんも子どもを同じように愛せないと思う』とのこと。一方の2号嫁。自分が幼い頃から思春期、20代になっても『子どもが欲しい』と思ったことがない。母親になる自分というのをイメージしたこともない。付き合ってる人が居ても『この人の子どもが産みたい』と思ったこともない。つまりは、母性が欠如しているんだと思う。最初の頃は、周りの人に『子どもは?』とか『お母さんを早くおばあちゃんにしてあげて』などと言われたものだが・・・。
けれど、デブ夫婦のように子どもを持たない選択、なんていうのはひと昔前の人に言わせれば『ふざけるな!』なんだろうな・・・ということも理解できる。子育てをしてこそ一人前という世間の価値観もわかる。そして子どもが授からなくて辛い思いをしている夫婦もたくさん居るだろう。デブ夫婦の周りにも、子どもに恵まれなかった夫婦が結構居るし、やはり若い時はかなり辛い思いをしたらしい。結果として子どもを持たなかった人たちには、それぞれの事情があり、苦労があるはずだ。ま、子どもを産んでも男の子じゃなかったためにずーっと姑に文句を言われてたっていう人も居るので、産んだからいいってことでもないのでしょうが。
そしてふと思った。
いつから子どもを 授かる ではなく 作る と言うようになったんだろう
日本では昔から『子宝』という概念があった。子どもは価値のあるものだった。そして出産は常に危険を伴うものだったのだと思う。命がけで産んだ子どもだから育てていける。けれど医療の進歩によって、ほぼ無事に出産できるようになった。避妊ってのも当たり前になり、そして『授かる』=妊娠が夫婦の意思によってどうにでも(というと語弊があるが)できるようになった。だから『授かる』から『作る』に変化したんだろう。そして初めはこうなるとは思わなかったが、気が付いたら『子どもは親の持ち物』のような感覚になってしまう事態が出てきてしまったのではなかろうか。
なぜこんなことを考えたかというと、今日テレビで2つの番組を観たのだ。ひとつは、子どもが欲しくても授からず、乳児院に居る赤ちゃんを里親として引き取る夫婦たちのドキュメント。そしてもうひとつは、自分の子どもを餓死させた夫婦を4年前から追いかけた番組。
比べるとせつなくなった。
子どもに恵まれず、離婚まで考えた夫婦(これも本末転倒だと思ってしまうのだが)。3人の子どもたちの里親になっている夫婦。血のつながりはないけれど子どもたちは自分の子で、誰よりも愛しいと思っている。なのに、自分が産んだ子どもたちに食事もさせず、蹴ったり殴ったりして、死なせてしまう親も居る。暴力はふるわなくても、自分の子どもに万引きをさせるような親も居る。
自分の持ち物だから、何をしてもどう扱ってもいいのか?
もちろん、子どもを愛せない親っていうのも居ると思う(実際2号嫁は、自分が子を愛せない親になるのが怖いと思っていた)。親は無条件に無償の愛で子どもを愛するものだというのも絶対ではないとは思う。けれど、たとえ愛せないとしても親として最低限のことはするべきじゃないかとも思う。
親が大切に育てた、愛情をかけた、その記憶が子どもに受け継がれていく。そんな当たり前のことがここ十年くらいですごい速さで崩れてきている。十ヶ月お腹の中に居て、腹を痛めて産んだのに、平気で捨てたり虐待したりできる。いくらストレス社会だっていってもだ。女性として、親としての本能が、本能として機能しなくなっているのか。そうやって育ってきた子どもが、人をちゃんと愛することができるのだろうか?
とはいえ、日本の世の中は子どもが居ない夫婦には未だに厳しい部分が多いので、何を言っても『産み育てたことがない人にはわからない』と言われてしまうのだが。(⌒^⌒)b うん、もちろんきちんと育ててる人に言われるのは仕方がないと思う。でも産んだだけの人には言われたくないわなあ。
ああ、あと2人で遊びに行ったりゴルフに行ったりというと『いいわね、子どもが居ないと』とか『子どもが居ないからできるのよね』と平気で言う人も居るなあ。なんだか笑っちゃうんだけどさ。子どもが居る人も大変、居なくても大変。結婚してても大変、独身も大変。みんな頑張ってるのよん。ま、人間やっぱり無いものねだりをしちゃうものだし、隣の芝生は青いのでございます。
そんなこんなで、産める性にも関わらず子どもを産むこと、育児をすることを放棄したデブ2号嫁は女性としては欠陥があるのだと思うが、決して子どもが嫌いなわけじゃない(いや好きでもないんだけどさ)。子どもは国の力、大切に育てていかなきゃいかんと思う。最近、虐待死などのやりきれない事件を見るにつけ、子どもは誰のものなんだろう? 子宝って認識はどこにいっちゃったんだろう? じゃあ何のために子どもは生まれてきたんだろう? じゃあどうして子どもをそれこそ『作った』んだろう?・・・と、どんどんせつなくなってしまうのだ。
親の勝手で、子どもの価値が下がるようなことがあってはいけないと思うのだ。
うちにも子供は授かりませんでした。
我が家の場合は、私の方に欠陥があり…そこまでは検査しましたが不妊治療はしませんでした。
やはり「子供は無理やり作るものでは無い」と言う考えがあったので…
近所や親戚からは何かと言われましたが、一番身近にいた両親や夫の母親からは一度も言われた事が無かったのは嬉しかったです。
私は美容師にならなかったら幼稚園の先生になりたかったくらい子供が好きです。
だから自分の子供を育てたかったと思いますが、自分の子供であっても一人の人間としての人格はあるのです。
だからこそ、不妊治療は拒否しました(もちろん私個人の考え方というだけであって、不妊治療はあるべきだと思います)
周囲の人やニュースなどを見ていても「結婚していれば一人前」とか「子供がいる人は大人」などというのは幻想だと思います。
ようはそれぞれの問題であって、人が何によって成長するのかは違ってきます。
子供によってしか結びつかない夫婦では無いことを幸せだと思います、もちろんままさきさんの家も♪
子どもが居ない夫婦はそれぞれに事情や葛藤があったはずだと思います。
そのうえで子どもが居なくても2人で仲良く暮らせばいいよ、という結論を出す夫婦もいれば、
やはり子どもが欲しい、という思いで治療を行う人もいれば、里親という選択をする人も居る。
さらに、ワタシのように多分産むことはできたかもしれないのに産まない選択をする人も居る。
でも、どれが正しくてどれが間違いなんてことはないんですよね。
ま、近所の人とか親戚なんてのは他人(みたいなもの)だから、
いくらでも優しさという名のお節介でいろいろ言ってくるんですが。
デブ夫婦の場合も、子どもを持たないことについてあれこれ言う人が少ないことは、恵まれてるんだな~と思います。
子どもによってしか結びつかない夫婦・・・これは本末転倒ですなあ。
子どもがいてもいなくても、結局最後は夫婦2人だと思うので、どっちにしても夫婦仲良く暮らせることがイチバン・・・。
ウチは子どもを産み育てることはしませんでしたが、
旦那というでっかい子ども(体重100キロ)を授かったので、まだまだ育てようと思います(*^^*ゞ