あれからもう数日経ってしまったので、遅ればせながらと言うにも遅れすぎている感はあるのだが・・・、
いや~~~湧きましたね! そしてしびれましたね!!
侍JAPAN、3回目のWBC制覇!!
今回は、2号嫁いろいろと思うところが多かった大会だった。
まずは『栗山監督』。
何を隠そう(隠すこたない)、2号嫁はまだ十代のオトメだった頃(1980年代後半である)、
プロ野球が大好きで、しかもヤクルトと大洋(当時)と近鉄(当時)が大好きだったのである。
その頃、栗山選手(当時背番号46)のファンだったのである。
テスト生からの入団、輝かしい活躍こそなかった(失礼)けれど、なーんか好きでさ。
思えばあの頃から野球に対する実直な姿勢やマジメさってのは見えていた気がする。
スター選手ではないし、ずば抜けた何かがあるわけではないからこその、努力の人というか、
ひたむきさや懸命さが、とてもステキだったのだよ。
さらに東京学芸大学出身という経歴も珍しかったよね。
で、栗山選手にハマった2号嫁、浪人生だった頃に当時のヤクルトの戸田寮あてにファンレターを出したことがあった。
しかも、返事が欲しいあまりに往復ハガキで(笑)。
ほぼ『絶対に返事くれ』という脅迫のようなファンレターである。
ま、そうはいっても返事なんて来ないよね・・・なんて半分はあきらめていたのだが、
なななんと!! 栗山選手からの返事が届いたのである!(≧∇≦)
詳しい内容は覚えていないのだが、最後に
『受験頑張ってください。陰ながら応援しています』と書かれていたのはハッキリと覚えている。
・・・ね、こういうところからも何だか人柄が出るよね。
こんなありがたい返事をもらったにもかかわらず、受験そのものは散々な結果ではあったのだが。
まあ、浪人生の身分で毎日のようにヨコハマから神宮球場に通ってたんだから、そら無理だわさ。
とまあ、そんなことがあったわけですよ。
なのでベンチに居る栗さんやインタビューに答える栗さんを見るたびに、
『ああ、あの栗山さんが代表監督になるとは・・・』と勝手に感慨にふけっていたのである。
ついでに近鉄も好きだったので『あの吉井が投手コーチか・・・』という感慨もあった(笑)。
さて話戻って栗山監督。
現役はたった7年。ケガや病気に悩まされ、決して名選手とはいえなかった選手時代だが、その後は相当勉強したんだろうなと思う。
日ハムの監督に就任した時も、コーチ経験がないことを何だかんだ言う人も居たし、
大谷翔平を二刀流で使い続けたことも、そらあもう批判を浴びまくった。
今回も実績が無いだの何だのといろいろ言う人も居ただろう。
歴代の代表監督に比べたら、現役時代の実績はとてもとても。
だが、栗山監督には知識と、それにともなった人脈、そして選手としての実績を上回る『人間性』があったのだと思う。
大谷もダルビッシュも、栗山監督じゃなけりゃ出場しなかったかもしれない。
一方、名だたるスーパースターを集めたアメリカ。
でも日本は『総合力』で勝利をつかんだ。
日本ならではのスモールベースボールも生かしつつ、パワーでも世界を圧倒した。
また1号旦那に怒られるんだけどさ、2号嫁は『SLAMDUNK』の山王戦終盤での安西先生のコトバを思い出したよ。
感動するので引用する!
桜木君がこのチームにリバウンドとガッツを加えてくれた
宮城君がスピードと感性を 三井君が知性ととっておきの飛び道具を
流川君は爆発力と勝利への意志を
赤木君と木暮君が ずっと支えてきた土台の上にこれだけのものが加わった
それが湘北だ
まさにコレでしょ!!
そして選手を信じる、監督としての姿勢。
不調だった村上をずっと先発起用したのも、信じているから。
彼を外すのはカンタンだったかもしれないが、使い続けることが信頼だったんだろうし、
それは村上選手自身がイチバンわかっていたのだと思う。
『選手を信じる』というと、甘っちょろいだの何だのと言う人は居るだろうが、
選手を信じる=負けた時の責任を自分がかぶる覚悟がある ということだと思う。
そりゃあ、選手は応えるよな。
昭和のスポーツなら根性論やら気合やら規律やら何やらでいけたかもしれんが、
今の選手はそれでは力を発揮できないのかもしれないね。
栗山監督は、ベンチでふんぞり返って大声を出すこともなく、前に出ることもなく、
苦虫かみつぶしたような顔で腕組みするわけでもなく・・・、いわゆる監督然とした雰囲気がなかった。
監督というよりも『先生』のようだった。
選手一人ひとりの『個性』『持ち味』を誰よりも理解していて、一人ひとりがどの場面でどの武器を使えるか、
そこを考えた采配だったんじゃないかなあ。
選手の持ち味が生きて、個々がここぞという場面で力を出せたら、自然に勝利へとつながっていくもんだろう。
ううむ、まさにSLAMDUNK・・・。
セオリーなんて関係ない、すべては選手のために。そんな栗山監督の思いが伝わってきた6試合だったと思う。
デブ夫婦、早くもスポーツ誌の増刊号を予約しちゃったもんね~。公式DVDが出たらもちろん購入するつもりさ♪
ちなみに。往復ハガキのファンレターの返事だが、
実家を処分する時のゴタゴタで失くしてしまったΣ( ̄ロ ̄lll)ガーン
なぜ、なぜもっと大事にしておかなかったんだワタシ!! と、机をかじる思いである。
今でしょ! 今持ってるべきでしょ!!!!
いや~~~湧きましたね! そしてしびれましたね!!
侍JAPAN、3回目のWBC制覇!!
今回は、2号嫁いろいろと思うところが多かった大会だった。
まずは『栗山監督』。
何を隠そう(隠すこたない)、2号嫁はまだ十代のオトメだった頃(1980年代後半である)、
プロ野球が大好きで、しかもヤクルトと大洋(当時)と近鉄(当時)が大好きだったのである。
その頃、栗山選手(当時背番号46)のファンだったのである。
テスト生からの入団、輝かしい活躍こそなかった(失礼)けれど、なーんか好きでさ。
思えばあの頃から野球に対する実直な姿勢やマジメさってのは見えていた気がする。
スター選手ではないし、ずば抜けた何かがあるわけではないからこその、努力の人というか、
ひたむきさや懸命さが、とてもステキだったのだよ。
さらに東京学芸大学出身という経歴も珍しかったよね。
で、栗山選手にハマった2号嫁、浪人生だった頃に当時のヤクルトの戸田寮あてにファンレターを出したことがあった。
しかも、返事が欲しいあまりに往復ハガキで(笑)。
ほぼ『絶対に返事くれ』という脅迫のようなファンレターである。
ま、そうはいっても返事なんて来ないよね・・・なんて半分はあきらめていたのだが、
なななんと!! 栗山選手からの返事が届いたのである!(≧∇≦)
詳しい内容は覚えていないのだが、最後に
『受験頑張ってください。陰ながら応援しています』と書かれていたのはハッキリと覚えている。
・・・ね、こういうところからも何だか人柄が出るよね。
こんなありがたい返事をもらったにもかかわらず、受験そのものは散々な結果ではあったのだが。
まあ、浪人生の身分で毎日のようにヨコハマから神宮球場に通ってたんだから、そら無理だわさ。
とまあ、そんなことがあったわけですよ。
なのでベンチに居る栗さんやインタビューに答える栗さんを見るたびに、
『ああ、あの栗山さんが代表監督になるとは・・・』と勝手に感慨にふけっていたのである。
ついでに近鉄も好きだったので『あの吉井が投手コーチか・・・』という感慨もあった(笑)。
さて話戻って栗山監督。
現役はたった7年。ケガや病気に悩まされ、決して名選手とはいえなかった選手時代だが、その後は相当勉強したんだろうなと思う。
日ハムの監督に就任した時も、コーチ経験がないことを何だかんだ言う人も居たし、
大谷翔平を二刀流で使い続けたことも、そらあもう批判を浴びまくった。
今回も実績が無いだの何だのといろいろ言う人も居ただろう。
歴代の代表監督に比べたら、現役時代の実績はとてもとても。
だが、栗山監督には知識と、それにともなった人脈、そして選手としての実績を上回る『人間性』があったのだと思う。
大谷もダルビッシュも、栗山監督じゃなけりゃ出場しなかったかもしれない。
一方、名だたるスーパースターを集めたアメリカ。
でも日本は『総合力』で勝利をつかんだ。
日本ならではのスモールベースボールも生かしつつ、パワーでも世界を圧倒した。
また1号旦那に怒られるんだけどさ、2号嫁は『SLAMDUNK』の山王戦終盤での安西先生のコトバを思い出したよ。
感動するので引用する!
桜木君がこのチームにリバウンドとガッツを加えてくれた
宮城君がスピードと感性を 三井君が知性ととっておきの飛び道具を
流川君は爆発力と勝利への意志を
赤木君と木暮君が ずっと支えてきた土台の上にこれだけのものが加わった
それが湘北だ
まさにコレでしょ!!
そして選手を信じる、監督としての姿勢。
不調だった村上をずっと先発起用したのも、信じているから。
彼を外すのはカンタンだったかもしれないが、使い続けることが信頼だったんだろうし、
それは村上選手自身がイチバンわかっていたのだと思う。
『選手を信じる』というと、甘っちょろいだの何だのと言う人は居るだろうが、
選手を信じる=負けた時の責任を自分がかぶる覚悟がある ということだと思う。
そりゃあ、選手は応えるよな。
昭和のスポーツなら根性論やら気合やら規律やら何やらでいけたかもしれんが、
今の選手はそれでは力を発揮できないのかもしれないね。
栗山監督は、ベンチでふんぞり返って大声を出すこともなく、前に出ることもなく、
苦虫かみつぶしたような顔で腕組みするわけでもなく・・・、いわゆる監督然とした雰囲気がなかった。
監督というよりも『先生』のようだった。
選手一人ひとりの『個性』『持ち味』を誰よりも理解していて、一人ひとりがどの場面でどの武器を使えるか、
そこを考えた采配だったんじゃないかなあ。
選手の持ち味が生きて、個々がここぞという場面で力を出せたら、自然に勝利へとつながっていくもんだろう。
ううむ、まさにSLAMDUNK・・・。
セオリーなんて関係ない、すべては選手のために。そんな栗山監督の思いが伝わってきた6試合だったと思う。
デブ夫婦、早くもスポーツ誌の増刊号を予約しちゃったもんね~。公式DVDが出たらもちろん購入するつもりさ♪
ちなみに。往復ハガキのファンレターの返事だが、
実家を処分する時のゴタゴタで失くしてしまったΣ( ̄ロ ̄lll)ガーン
なぜ、なぜもっと大事にしておかなかったんだワタシ!! と、机をかじる思いである。
今でしょ! 今持ってるべきでしょ!!!!