デブ夫婦のビバ!お気楽人生&ぐーたら生活

体重合計約150㌔のちょっぴりデブ夫婦です♪毎日ぐーたら暮らしているお気楽夫婦のゆる~い日常を綴っています。

バタバタの2月もいつの間にか・・・。

2018-02-28 17:39:36 | つれづれ日記
Σ(゚д゚lll)ガーン 気づけば2月も終了じゃないですか!!
何だか年明けからバタバタしているうちに、いつの間にか2ヶ月が経ってしまったのか・・・。
いやホントにバタバタしていた2ヶ月でありました。

先月のブログにもちらっと書いたが、年末に身内に不幸がありまして。
身内という言い方も何だが義父が亡くなったのである。
まあ年齢も年齢なので早すぎるということもないのだが、
年齢のわりに持病があったとか長患いをしていたとかいうわけでもない。
ちょっと体調を崩して入院し、その原因である症状は落ち着き、ついでだからいろいろ検査をして、
その結果年明けには退院できるでしょうというお墨付きをもらっていたところだった。
なので、病院から『急変したのですぐに来てください』と連絡があっても、
『なにが????』
という感じだったのである。何が急変したのかがよく飲みこめなかったのだ。

そんなこんなで83歳の誕生日を迎えて2週間ちょっとで旅立ってしまった義父。

でもまあ、救いといえば救いなのが、
近所の人には大変に好かれていたらしいことと、
周りの人が『ああ、そういう亡くなり方いいなあ』とか『俺もそういうふうに死にたいなあ』などと言ってくれたこと。
確かに病気を持っていたわけでもないし、今回も長期間入院したわけでもないし、
認知症だったわけでもないし、
本人は退院したらまた独り暮らしする気持ち満々だったし。

何がいい悪いというのはわからないし、こんなことに正解も不正解もないのだが、
そう言ってもらえるというのは・・・それはそれでよかったのかもしれない。

そんなこんなで、年末に火葬を済ませて遺骨はやっと家に戻れて。
年末ということもあり、年齢的にもう親族を呼ぶのも難しいので、
家族で火葬しただけで何もしなかった(遺影すらない)のだが、
葬儀社に聞いてみると今はそういう家族も多いらしい。
通夜は省略して告別式のみとか、ウチみたいに火葬だけとか、ホントに数人の身内だけとか。
葬儀のスタイルも都会では変わりつつあるのだなあ。
もちろんお別れに来てくれる人がたくさん居るなら、それはそれでいいことなのかもしれんが、
実際に80歳も超えてくると親族も同じだけ歳を取っている。
そう簡単に来てちょうだいと言えるもんでもない。
葬儀のあり方とか送り方とか、いろいろ考え方はあるのだろうけど、
ウチはこれでよかったんだろうな・・・と思うしかないんだよね。

とりあえず、ずっと海の上に居た義父なので、お墓は作らず海に還すつもりでいる。

そして80数年生きた人間が居なくなるわけだから、当然いろいろな手続きというものが発生する。
年明けからやれ区役所だ何だかんだと走り回り、
あちこちに電話をかけまくり、書類を出しまくり、2月の末にいろいろな手続きがほぼ終了。
これはね、遺された者がやらなくてはいけないことだから粛々と行いました。
それでもまだ残っているものもあるのだけど・・・。
自分の親の時にやったはずなんだが、意外にもあまり覚えていないということがわかった(*´σー`)エヘヘ

通常であれば、自分の両親で少なくとも2回、
パートナーが居れば4回は親の死というものに直面するわけで。
そして、自分たちのこともそれなりに考えなければならない年齢に来ているわけで。
特にデブ夫婦のように子どももいないし兄弟もいない(居ても遠方)、
そんな夫婦はどうするのがいいのだろうか・・・なんてことを考えたりもする。

これも正解はないし、不正解もないのだろうけれど。
ワタシなんぞは多分外にも出ないだろうし、友達も居ないので、
何かあっても誰にも発見されないんだろうなあ・・・とは思うが、
それでも最低限の後始末は他人さまにやってもらわないといかんわけで。
準備をしないといけないのか、しなくてもいいもんなのか、それすらわからないんだよな。
生きるのももちろん大変だが、死ぬことすら大変なのも今の世の中。

自分の母親が亡くなった時、2号嫁は30歳。父親が亡くなった時は37歳であった。
母が亡くなった時は独り身だったし、漠然と自分は結婚できないんだろうなあ・・・と思ってはいたのだが、
その場合自分が死んだらどうしよう??ということまでは思いが至らなかった。
しかし、50も過ぎると考えなければならないことが増えてくる。
自分では『まだ』と思ってはいても『そろそろ』という思いもある。
なんかね、いろいろと考えさせられる2ヶ月間でありました。いや、まだ終わってないんだけど。
でも気持ちは、ある程度整理ができているので大丈夫です♪ご心配なく。

さて、そうこうしているうちに平昌オリンピックも無事終わり、日本勢は過去最多のメダルを獲得。
前回あたりから見ごたえのある競技が多くなってきて、今回も大変に面白くて♪
いや~~こんなにオリンピックを観るとは思わなんだ(⌒▽⌒)アハハ!
羽生王子はもう伝説になりつつあるし(宿命背負ったようでちょっと気の毒な気もする)、
スノーボードも楽しかった。スピードスケートもすごかった。気持ちよかった。
スキージャンプも頑張った。ノルディックは観ていて力が入った。
カーリングも氷の上に居ると可愛かった♪もぐもぐタイムも可愛かった♪

それにしても、闘った選手たちのコメントがいい子ちゃんすぎて困ってしまうデブ夫婦である。
高校野球の時も思ったんだが、
『チームのみんなに感謝』『自分ひとりの力ではここに立てなかった』
『支えてくれたすべての人のおかげ』『ここに立てなかった仲間とも一緒に闘った』
こんな言葉が当たり前のように出てくる子たち。
いや~~多分、ワタシらの頃と違って、そういう指導なんだろうな今は。
昔は才能や実力がある子は『オレ様』でよくて、勝ちさえすれば何やっても許されて、
レギュラーになれなかった人や一位になれなかった人は敗者でよかったんだが。
今はそうじゃないんだなあ・・・と感じ入ってしまいました。
みんな勝っても、思い通りの結果が出なくても清々しい!!

若いアスリートたちの姿勢に、こちらも考えさせられるところが多かった。

人は、自分だけでは意外に何もできない。
苦しい時や挫けた時、基本はもちろん自分の力で乗り切らなければならないが、
誰かの言葉や助けに救われる場面がたくさんあるはずだ。
自分だけの力ではどうしようもない事態に直面することが、生きていれば必ずある。
そんな時に、解決はできないけれど救われることってあるのかもしれない。
そんな時に、開き直ることができるのもまた、これまでの積み重ねによるものなのかもしれない。
だとすると、やはり今まで自分をつくってきた出来事や
今まで出会った人への『感謝』ってのは当たり前の感情なのかもなあ。

いろいろと考えさせられる、2月の終わりなのでありました。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする