いや~~デブ夫婦生息地域でもやっと桜が咲き始めましたよ♪
クルマで出かけると、あちこちの桜並木では結構咲いてる。でも六分咲きってところかな。
東京では今日、桜満開となったそうな。
しかし!! ヨコハマ中心部に比べると気温が低い地域なもんで、まだまだ満開とはいかないようで・・・。
でもまあ、今週末あたりには見ごろになるんだろうな♪毎年咲くんだけど、やはり毎年満開の桜はココロ躍るもの。
これほど、ひとつの花に思い入れがある国ってあるんだろうかね・・・。
そんなわけで、桜のニュースが毎日を彩っているが、その一方で『どーでもいいけど愉快でもない』ニュースも多い。
なんといっても、今年に入ってからの女性タレントの不倫、育休議員の不倫、そして乙武クン。ついでに、とにかく明るい芸人(ノ∀≦*)ノぷ~ッ
センテンススプリングが取材した記事や映像を、喜々として使うテレビ局。
最近、正直いって食傷気味・・・って人も多いんじゃないか??
ゴーちゃん、野々ちゃんあたりまではデブ夫婦も『いや、面白がっちゃいけないけど面白いよな・・・』程度に感じてはいた。
しかし、最近の不倫だ詐称だ不祥事だ失言だ・・・についてエキセントリックに毎日取り上げられているのを見ていると・・・、
最初はテキトーに面白がっていたんだが、もう飽きた・・・というよりも『叩き好き』な社会にちょっぴり怖さすら感じるように
なってきた2号嫁である。
なーんか、おかしくないかい??
もともと日本人は陰湿で暗いのは国民性としてしょーがないのかもしれんが、それにしても最近のスクープという名を借りた密告と、
それに続く総力を挙げての吊るし上げみたいなのは・・・いい加減気分悪いっす。
不倫を失敗、と言うべきではないかもしれないし、不倫がいいとは当然思っちゃいないんだけど、
なんだか最近『失敗した人・やらかした人=いくら吊し上げてもいい』という風潮になっていないだろうか。
それこそ、あらゆるネタを探してきて、時には死人が出るまで叩き続ける姿勢って、本当に怖い。
失敗した人が悪いんだからいくら責めてもいいんだ、という風潮を作ったのは誰なんだろう。
となると、やっぱりメディアなんだろうかねえ・・・。
コトの発端がたとえば『不倫』だとしても、まあ細かいところを探してきて、どうでもいいことまで口を出してくる。
女性タレントの時も、謝罪会見の時の服装が云々とか、どーでもいいことじゃないのか??
で、男のほうはともかくとして彼女はある程度の社会的制裁(?)を受けているわけで、
そこへさらに関係のない人間があーだこーだと騒ぐことでもないような。
人間は、叩く=バッシングする相手を実は潜在的に求めているのかなあ。
いじめの構造と同じで、スケープゴートを作ることで自分を安全な位置において、そのうえで叩いて、ちょっといい気分になる。
メディアは、人間のそういった心理を巧みに突いているだけなのかもしれない。
で、潜在的に叩きたい人たちは、メディアが言ってるんだから自分たちも言ってもいいんだ・・・と思ってしまう(勘違いというか)のかもしれない。
そして、仮にメディアが間違ったことを言ってたとしても、それはメディアの責任であって自分たちのせいじゃないよーん、
と逃げることもできる。
だって、不倫にしても失言にしても隠し子にしても、ちょっと前の時代だったら『所詮遊びでしょ』『所詮芸能人じゃん』
『所詮夫婦の問題でしょ』・・・で済んだ問題ばかりのはずなんだよな。
テレビや雑誌で言ってることだって、ワタシたちはどこかで『所詮テレビが言ってること』
『所詮暇つぶしの雑誌に書いてあること』で終わってたはずなんだ。
別に誰が不倫しても五股かけてても、ワタシがそれによって不利益を被ったわけではない。
なのにテレビではコメンテーターやらレポーターが興奮しながら怒ったり声をあげたりしてる。
なーんかおかしいんだよね・・・。
この『清廉潔白じゃなければいけない』とでも言わんばかりの
『潔癖(を謳いたがる)社会』。
日本中の議員さんや公職といわれる人、企業のオーナー、芸能人や文化人、こういった人たちにとことん『クリーン』であることを
求めるなんてのは、非常にアホアホしいと思うんだけど。優れた人間でなければ人前に出る仕事をしてはいけない、という理想は
わかるけれど、それこそ人間だもんなあ。
さらに最近では、表に出る人だけでなく、フツーに頑張ってる人に対しても、清廉潔白を求める部分も見える。
どんなに優れた人だって、たまには失敗するし、やっちまった! ってことだってあるだろうさ。
弘法にも筆の誤り、河童の川流れ、猿も木から落ちるって昔から言うしさ。
一回や二回の失敗なんかで、鬼の首を取ったように責め続けて吊るし上げるのって、
どんなに些細なことも懸命にいじめのネタにする子どもと同じだなあと。
そんなふうに、自分に関係のない他人の失敗を吊るし上げてばかりいると、いつか自分たちに返ってくるんじゃないだろうか・・・。
結果的にそれが、失敗が許されない社会の空気を作り、失敗を恐れる人ばかりになり、何もチャレンジできない国にしてはいないだろうか。
もちろん、社会に出れば失敗が許されない場面だってあるし、失敗することで他人に迷惑をかけることもあるとは思う。
でも、失敗から生まれたこともたくさんあるし、同じ失敗をしないように努力する姿勢が生まれるし、その繰り返しなんじゃないだろうか。
仕事だって人生だって、結局は成功するまではほとんど失敗ばかりなんじゃないだろうか。
失敗がなければ成功も無いわけで。まあ、失敗するのがイヤだから、恥をかくのがイヤだからと失敗しない道を選んでいけば、
そらあ見た目はキレイな人生のできあがりかもしれんが、それがいいのかどうかはわからん。
自分に関係のない位置から、メディアに出ているというだけで何ら自分に関係のない他人を叩きたい、
そして常に叩ける対象をセンテンススプリングをはじめとしたメディアが、まるでオイシイ餌のように与えているようにも見える。
それを喜んで食べている人たちが多いのだとしたら・・・、そしてそれを正義だと思っている人が多いのだとしたら・・・、
よく考えると怖いハナシですぜ。
フツーに考えれば、失敗したことがない人、間違ったことがない人なんて信用できないし友達にもなれないと思うけどね~。
失敗しちゃいかんと言わんばかりの今の世の中じゃ、生きていける人のほうが少ないはずなんだけどな。
みなさん、よほど成功ばかりの人生なのか、それとも傍若無人なのか、はたまた忘れん坊なのか(*-艸・*)クスクス
そんなこと言ったら、デブ夫婦なんてどーれだけ失敗してるかって(〃^∇^)o_彡☆あははははっ♪
ま、少なくとも経歴詐称とか年齢詐称とか不倫は・・・してないけどね、多分(´m`)クスクス
クルマで出かけると、あちこちの桜並木では結構咲いてる。でも六分咲きってところかな。
東京では今日、桜満開となったそうな。
しかし!! ヨコハマ中心部に比べると気温が低い地域なもんで、まだまだ満開とはいかないようで・・・。
でもまあ、今週末あたりには見ごろになるんだろうな♪毎年咲くんだけど、やはり毎年満開の桜はココロ躍るもの。
これほど、ひとつの花に思い入れがある国ってあるんだろうかね・・・。
そんなわけで、桜のニュースが毎日を彩っているが、その一方で『どーでもいいけど愉快でもない』ニュースも多い。
なんといっても、今年に入ってからの女性タレントの不倫、育休議員の不倫、そして乙武クン。ついでに、とにかく明るい芸人(ノ∀≦*)ノぷ~ッ
センテンススプリングが取材した記事や映像を、喜々として使うテレビ局。
最近、正直いって食傷気味・・・って人も多いんじゃないか??
ゴーちゃん、野々ちゃんあたりまではデブ夫婦も『いや、面白がっちゃいけないけど面白いよな・・・』程度に感じてはいた。
しかし、最近の不倫だ詐称だ不祥事だ失言だ・・・についてエキセントリックに毎日取り上げられているのを見ていると・・・、
最初はテキトーに面白がっていたんだが、もう飽きた・・・というよりも『叩き好き』な社会にちょっぴり怖さすら感じるように
なってきた2号嫁である。
なーんか、おかしくないかい??
もともと日本人は陰湿で暗いのは国民性としてしょーがないのかもしれんが、それにしても最近のスクープという名を借りた密告と、
それに続く総力を挙げての吊るし上げみたいなのは・・・いい加減気分悪いっす。
不倫を失敗、と言うべきではないかもしれないし、不倫がいいとは当然思っちゃいないんだけど、
なんだか最近『失敗した人・やらかした人=いくら吊し上げてもいい』という風潮になっていないだろうか。
それこそ、あらゆるネタを探してきて、時には死人が出るまで叩き続ける姿勢って、本当に怖い。
失敗した人が悪いんだからいくら責めてもいいんだ、という風潮を作ったのは誰なんだろう。
となると、やっぱりメディアなんだろうかねえ・・・。
コトの発端がたとえば『不倫』だとしても、まあ細かいところを探してきて、どうでもいいことまで口を出してくる。
女性タレントの時も、謝罪会見の時の服装が云々とか、どーでもいいことじゃないのか??
で、男のほうはともかくとして彼女はある程度の社会的制裁(?)を受けているわけで、
そこへさらに関係のない人間があーだこーだと騒ぐことでもないような。
人間は、叩く=バッシングする相手を実は潜在的に求めているのかなあ。
いじめの構造と同じで、スケープゴートを作ることで自分を安全な位置において、そのうえで叩いて、ちょっといい気分になる。
メディアは、人間のそういった心理を巧みに突いているだけなのかもしれない。
で、潜在的に叩きたい人たちは、メディアが言ってるんだから自分たちも言ってもいいんだ・・・と思ってしまう(勘違いというか)のかもしれない。
そして、仮にメディアが間違ったことを言ってたとしても、それはメディアの責任であって自分たちのせいじゃないよーん、
と逃げることもできる。
だって、不倫にしても失言にしても隠し子にしても、ちょっと前の時代だったら『所詮遊びでしょ』『所詮芸能人じゃん』
『所詮夫婦の問題でしょ』・・・で済んだ問題ばかりのはずなんだよな。
テレビや雑誌で言ってることだって、ワタシたちはどこかで『所詮テレビが言ってること』
『所詮暇つぶしの雑誌に書いてあること』で終わってたはずなんだ。
別に誰が不倫しても五股かけてても、ワタシがそれによって不利益を被ったわけではない。
なのにテレビではコメンテーターやらレポーターが興奮しながら怒ったり声をあげたりしてる。
なーんかおかしいんだよね・・・。
この『清廉潔白じゃなければいけない』とでも言わんばかりの
『潔癖(を謳いたがる)社会』。
日本中の議員さんや公職といわれる人、企業のオーナー、芸能人や文化人、こういった人たちにとことん『クリーン』であることを
求めるなんてのは、非常にアホアホしいと思うんだけど。優れた人間でなければ人前に出る仕事をしてはいけない、という理想は
わかるけれど、それこそ人間だもんなあ。
さらに最近では、表に出る人だけでなく、フツーに頑張ってる人に対しても、清廉潔白を求める部分も見える。
どんなに優れた人だって、たまには失敗するし、やっちまった! ってことだってあるだろうさ。
弘法にも筆の誤り、河童の川流れ、猿も木から落ちるって昔から言うしさ。
一回や二回の失敗なんかで、鬼の首を取ったように責め続けて吊るし上げるのって、
どんなに些細なことも懸命にいじめのネタにする子どもと同じだなあと。
そんなふうに、自分に関係のない他人の失敗を吊るし上げてばかりいると、いつか自分たちに返ってくるんじゃないだろうか・・・。
結果的にそれが、失敗が許されない社会の空気を作り、失敗を恐れる人ばかりになり、何もチャレンジできない国にしてはいないだろうか。
もちろん、社会に出れば失敗が許されない場面だってあるし、失敗することで他人に迷惑をかけることもあるとは思う。
でも、失敗から生まれたこともたくさんあるし、同じ失敗をしないように努力する姿勢が生まれるし、その繰り返しなんじゃないだろうか。
仕事だって人生だって、結局は成功するまではほとんど失敗ばかりなんじゃないだろうか。
失敗がなければ成功も無いわけで。まあ、失敗するのがイヤだから、恥をかくのがイヤだからと失敗しない道を選んでいけば、
そらあ見た目はキレイな人生のできあがりかもしれんが、それがいいのかどうかはわからん。
自分に関係のない位置から、メディアに出ているというだけで何ら自分に関係のない他人を叩きたい、
そして常に叩ける対象をセンテンススプリングをはじめとしたメディアが、まるでオイシイ餌のように与えているようにも見える。
それを喜んで食べている人たちが多いのだとしたら・・・、そしてそれを正義だと思っている人が多いのだとしたら・・・、
よく考えると怖いハナシですぜ。
フツーに考えれば、失敗したことがない人、間違ったことがない人なんて信用できないし友達にもなれないと思うけどね~。
失敗しちゃいかんと言わんばかりの今の世の中じゃ、生きていける人のほうが少ないはずなんだけどな。
みなさん、よほど成功ばかりの人生なのか、それとも傍若無人なのか、はたまた忘れん坊なのか(*-艸・*)クスクス
そんなこと言ったら、デブ夫婦なんてどーれだけ失敗してるかって(〃^∇^)o_彡☆あははははっ♪
ま、少なくとも経歴詐称とか年齢詐称とか不倫は・・・してないけどね、多分(´m`)クスクス