デブ夫婦のビバ!お気楽人生&ぐーたら生活

体重合計約150㌔のちょっぴりデブ夫婦です♪毎日ぐーたら暮らしているお気楽夫婦のゆる~い日常を綴っています。

大人カワイイだの大人女子だの美魔女だの。

2012-03-27 23:47:04 | つれづれ日記

3月も終盤になってきて、やっと少しあたたかい日が続いている。先週くらいまではこんなに寒くてホントに桜が咲くの? と心配していたが、今週末にはそろそろつぼみも大きくなるのかな。桜の便りが全国から聞こえてくると、やっと春が来るんだな~とうれしくなってしまうデブ夫婦である。1号旦那なぞ、まだ桜も咲いていないというのに夏用のビーチサンダル(ブルーダイア)を注文してしまうほどの浮かれよう。
学生の頃だけじゃなく、いい加減大人になっても桜の季節ってのはそれだけでココロ弾むものなのだろう。

さて、大人といえば。最近雑誌なんかでも見かけるコピーでどーも気になるモノがある。
『大人女子』と『美魔女』。

大人女子に代表されるのは、キョンキョンとかYOUみたいに『ナチュラルさが魅力でゆるい雰囲気を持つ、肩の力が抜けた女性』らしい(そんなの全部兼ね備えた女が、芸能人以外に居るのか?)。同時に『大人カワイイ』などという言葉も躍っているが、この世代にドンピシャとハマッているはずの2号嫁、どーもこのテのコピーがこそばゆい・・・というか恥ずかしく思えてしまう。
『おいおい、いったい何歳まで女子って言うつもりだ?』と思ってしまうのだ。

自分のことを『女子』とか『女の子』などと称しても許されるのは何歳くらいまでなのか? 世間的には、せいぜい学生まで(23歳くらいまで)という意見が多いらしい。女子学生という言い方が一般的だからだろうな。女性学生とは言わないしwまあ精一杯譲歩(笑)しても、30代前半までだそうな。

そうなると雑誌「GLOW」なんかに堂々と躍っている『40代女子』などというコトバは途端に違和感になるわけだ。
いくつになっても気分は若く! 年齢を感じさせないライフスタイルを! などというニュアンスもあるんだろうが、どうしても若さにこだわってるイタイ中年女性、というふうに捉えられる方が多そう。だって、ワタシたちが本当に『女子』と呼ばれていた時代は、とっくに終わっているんだから。

さらに『大人女子』などというコトバを聞くと、どーにも尻のあたりがムズムズするというか、落ち着かない感じを受けてしまう。だって妙だもの。大人の女性をわざわざ『女子』と表現する。
これが男だったらどうかと考えると、さらに気持ち悪くなるぞ~(ΦωΦ)フフフ…
40代の男を『大人男子』。さあどうだ! そろそろ定年が見えてきて、白髪交じりだったり頭髪が寂しくなっているオッサンを『50代男子』・・・・・・ほーら、キモチワルイでしょ(* ̄m ̄)プッ
男は四十も過ぎるとひとくくりに『オジサン』で片付けられてしまうし、本人も歳とったんだからしょうがねえやな、と受け入れる傾向が強いように思うが、女だけがいつまでも『女の子』と言われたいんだよなあ。

2号嫁は個人的には『ナントカ男子』とか『ナントカ女子』って呼び方は好きじゃないんだが・・・。どうも広告代理店の戦略に見えちゃってしょうがないのだ。しかし『男子』の方はイマイチ広がらなかったせいか、メディアは必死でナントカ女子を量産してるように見える。

もちろんいつまでも若々しくありたいのはわかる。同世代に比べて『老けてる』と思われるのが女として負けてるような気がしちゃうのも、わからんではない。しかし、きちんと働いていたりお母さんをやっている40代や50代の女性が、いつまでも『女子』気分なのもちと困っちまうなあ・・・とも思うわけで。50を過ぎても貫禄とか人生半分以上生きてきた重みみたいのがなーんにも無いってのもどーかなーと。
40歳過ぎてるのに自分のことを『女の子だから云々』などと言われてしまうと、同世代ながらため息が出るぞ。
『若々しくありたい』ということと『何歳になっても可愛らしさを持っていたい』ということと『いつまでも女子の気分でいたい』ってのはそれぞれ別物のような気もするのだ。

社会的にも重要な位置にいるはずの40代や50代をターゲットにして『女の子』『女子』と呼ぶアンバランスさ。何も40代女子などと回りくどい言い方をしなくても『オバサン女子』と素直に呼べばいいのにね。そしたら誰も呼んでほしがらないか(*^^*ゞ
いや、でもこのままだとそのうち『還暦女子』とかが出てきそうでコワイぞヾ(・ε・。)ォィォィ

さらに始末が悪いなー、乗せられてるなーと思うのは『美魔女』。仕事も育児も頑張っていて、いくつになっても年齢を感じさせずキレイであるという意味らしい。
世間で美魔女と呼ばれる人たちは『驚異の○歳』とか『奇跡の○歳』と表現される。エステ、エクササイズ、化粧品などなどを駆使して、たゆまぬ努力をすれば年齢に関係なく若さと美しさが手に入る=美魔女になれる・・・というわけか・・・。

しかしだ。手間ひまとお金をかければ、誰でも『美魔女』になれるのかというと、これまた微妙なところではなかろうか。美魔女を理想に掲げちゃうと普通の人は大変そう。芸能人や一部の女性だから可能なことだろうし、結局のところ・・・もともとの顔やカラダの造作の問題が大きいんじゃないかな~などと2号嫁は思ってしまう(*^^*ゞ
そこそこキレイで性格もいい女性が30歳過ぎてミニスカートをはいていても何も言われないけれど、性格悪かったり意地悪だったりすると途端に『30過ぎてミニなんかはくなよなババア』と陰口を叩かれてしまう。世の中そんなもんさ・・・。ゆえにワタシのように顔は人並みギリギリ程度、そしてデブという女には、美魔女も大人カワイイも難しいな~と早々に降りてしまうのだ。それはそれで『女を捨ててる』と世間的には言われてしまうんだけどねー。

だいたい『魔女』というコトバを使うあたりが、マスコミの意地悪な男性かまだまだ若いお嬢ちゃんが造ったんだろうな~と思えちゃう。魔女ってのはおとぎ話の中でも、魔法を使って永遠の若さを手に入れたいと願っている・・・みたいなおどろおどろしい存在で、実年齢には思えない若さを『魔女』と呼ぶのは、どーも悪意を感じてしまう2号嫁である。多分、普通の女性が美魔女を目指してあれこれ頑張ると、若い人たちからは『自分が若かった頃をいつまでも忘れられない勘違い女』と思われそう。頑張らずに若く見られるのが誰もが思う理想なんだろうが、加齢ってのは誰にでも訪れるのもまた事実・・・。

大人カワイイ女子にしても美魔女にしても、思うに男の目なんかはまったく意識していないのだ。同世代の女から見てどう見えるかが最も重要。女性が求める『理想の私』は、男からみるとアホアホしいものなんですよ、きっと。
『カワイイ』って言葉はいつのまにか便利に使われる言葉になってしまって、何でもかんでも『カワイイ』とほめておけばみんながいい気分でいられる。大人カワイイ女子ってのも、美魔女にはなれずに若さや美しさを競うのに疲れちゃった女性たちがたどり着くところなのかもしれん。
歳をとることをそれなりに(全面的にだと年齢以上に老けてしまいそうだw)自然に受け入れて年相応に生きていけるならステキだなあと思うが・・・それすら難しいのかな。

年齢ってのはどう抵抗したって一年一年自動的に増えていくものだから、年齢にコンプレックスを持つなんてのはアホアホしいだけだと思う。まして若い子に張り合おうなんてのはやるだけ空しい。ホントの女子には、かつての女子は若さではかなわないんだもの。その分、いろいろな経験をして深みが出ているはずなんだけどね。表情にもファッションにも生き方にも。
まあしかし、これも『若さが最大の武器』『若いことがいいことだ』『付き合うなら若い女』という価値観が未だにはびこっている日本社会が、イチバン未熟で大人になれない男子女子だらけってことなのかもしれない。

桜だって植えて30年経たなきゃ、人に振り返ってもらえるほどの美しさにはならないのだそうだ。人間だってそうあるべき。若けりゃいいってもんじゃないんだよ~。さて、ヨコハマの桜開花予想は3月31日。今週末には桜は咲くでしょうか。

コメント (11)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

春はホントに近くにいるのかな?

2012-03-21 23:58:26 | つれづれ日記

気づけばお彼岸。だというのに、なかなかあったかくならないぞ。未だにホットカーペットがしまえないデブ夫婦である。ふと見れば桜のつぼみもまだまだ小さくて固くて、ホントにあと半月くらいで咲くんだろうか? と毎年のことながら気になってしまう。春はそこまで来ているのかどうか、まだまだ肌で感じられない3月後半。

3月といえば、春に向けてこれから環境が変わる人なんかも多い季節でもある。そういう時にアドバイスが欲しいな~と思って、自分の今の状況や、今後どうするべきかの道しるべになりそうな第三者の意見を求める意味で、占いなんかを頼りにする人も多いのでしゃなかろうか。

さて、ここのところメディアでは占い師やら霊能者やらの話題がよく取り上げられている。某芸能人の騒動のせいもあるのだろうが、占いや運命鑑定などにまつわるトラブルは年々増えてきているのだそうだ。それだけ占いに頼ろうとする人と、それを利用しようともくろむ人との両方が増えているということなんだろう。

人間誰でも、人生の岐路に立ったり、自分じゃどうしようもない不安があったりすると神秘的なものに頼ろうとするらしい。それは占いであったり、霊感うんぬんであったり、パワースポットであったり。信じるものや頼れるものがあるのは、いいことなのかもしれん。が、占いや霊感の力を借りていたずらに不安をあおったり、何かを買わせたり、常識的には考えられないお金を要求したり、日常生活にまで入りこんでくるような人も居るってことなんだろうな。目に見えないってことをいいことに、不安や迷いに満ちた心の隙間に実に上手に入りこんでくる人間も居るのだ。

心が弱っている時はどうしても誰かに頼りたくなるもの。それが占い師や霊能者でもいいとは思う。もちろん、占いやヒーリングが好きな人やそれを頼る人を否定する気はないし、実際2号嫁の知人でもそういう仕事をしている人も居る。ただ、どうしても違うだろう・・・ってのは『○○しないと(またはすると)悪いコトが起こる』って文句は信用できないな~と思うくらいで(*^^*ゞまして何かを買わないとこうなる、とか名前を変えないとこうなる、とかになるともう絶対に信用できないと思うw

2号嫁が思うのは、たとえば言ってることが嘘だとしても、相手がしあわせな気持ちになったり楽になって帰れるならそれはアリかな、と。誰もイヤな気分にならなければいいよな、と思うのだ。だって当たるも八卦当たらぬも八卦だし、アドバイスをもらってその先どうするかは、その人の問題なんだし。だからこそ、地獄に落ちるとかこうしないと悪い霊が取りつくとかって脅してみたり、こういう服を着ろ、今日はこれを食え、なんて強制するのは誰もしあわせな気分にならんじゃないかと思うんだよなー。ただそれも、その霊能者なりを頼りきっちゃってる人にしてみれば、疑問に思うこともないのでしょうが。

誰だって未来のことはわからないから不安になったり悩んだりするわけで、どんなに強い人間だってそこらへんは程度が違うだけで変わらないと思う。人間である以上、不安や悩みや迷いとは一生つきあっていかなきゃならんのだ。

でも、所詮人間『なるようにしかならない』んだよね・・・。今までの自分を振り返ってみても、なるようにしかなってないんだよな。だから多分、この先も『なるようにしかならない』んだよね、きっと。その時々で起こることは、いいことも悪いこともその時の自分にとっては必要なことなのかもしれない。分相応に、人生はいろいろなことが起きるようになっているんだろう。

ま、そうでも思わないと楽しくないってことだ。とはいえなかなかそこまで達観できない時も多々ありますが(*^^*ゞ まだまだ人間できてないっす。

ともあれ、自分がよしと思って頼りにしたものに振り回されては本末転倒。今は2号嫁も朝のテレビでやってる占い程度がちょうどいいな~と思っている。自分の星座が一位ならちょっとうれしい♪くらいでいいんじゃないかなあ。あ、でもワタシは『ちょこやま』とは違うので、6位までに自分の星座が出てこなくてもチャンネルは変えません(´m`)クスクス

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

しっくりこなくてピントがズレてて?

2012-03-14 23:15:59 | つれづれ日記

またまたひさかたぶりの更新になってしまいました<(_ _)>
さて3月も半ばを過ぎ、連日の花粉攻撃に撃沈しているデブ夫婦。1号旦那は鼻やら喉やらが不快で、2号嫁は相変わらず肩と腕が痛くて、寝ても寝ても寝た気がしないというかわいそうな状況である。そんな中、1号は今朝『ちょこやまくん』の夢を見たそうな。
デブ夫婦とちょこやまの3人で渋谷の街を歩いているらしい。ちょこやまは、身長50センチくらいのサイズで、あのイラストのまんま。で、街に居る人を指差して『ほら、あの人もちょこやまだよ』と教えてくれるのだそうだ。
夢なのにココだけ鮮明に覚えているのが、3人組のサラリーマンで多分ふたりが新人、ひとりが一応先輩。で、コーヒーショップで3人食後のお茶を飲んでいる図。そこでちょこやまがひとこと。
『先輩なんだけど後輩2人にランチをおごる余裕は無い。でも食後のコーヒーをおごってあげて先輩ヅラ。缶コーヒーじゃなくてスタバでおごる俺っていい先輩だろ! それがちょこやまくん』
それを聞いて2号嫁が関根勤さんバリの大笑いをして、1号旦那が『おいちょこやま、人を指差すんじゃない!』と怒ったところで目が覚めたそうな。
・・・どういう夢なんだこれは(´m`)クスクス
ぜひ続きを見てほしいものだ・・・。

さて、今週はいろいろ考えさせられる週である。
まずは東日本大震災から1年。3月11日は朝から夜までテレビでは特番続きだったが、それもどうなんだろう。もちろん、忘れちゃいけない出来事ではあるし、あの震災をきっかけに改めて防災とか命を守る意識が生まれたという面もあるので、事実を事実としてきちんと報道する必要はあると思う。しかし、被災者の中には思い出したくないという感情を持つ人も多いのもこれまた事実ではないかとも思う。インタビューしてあの日のことをほじくり返してお涙頂戴みたいな番組を作るのはどうなんだろうか。

一連の『あれから1年』報道特別番組をちらっと観たんだが、忘れちゃいけないけれどもう観たくない・・・という感情を持ったのはデブ夫婦だけではあるまい・・・。
だって・・・一年経つのに何も進んでいないのであろう現実、どこへどう渡ったのかまったくわからない義援金、一部では賠償金やら何やらで月に数十万のお金をもらい、働かずに遊んでいる人も居るという話も・・・。原発にしたって何にしたってマスコミが報道していることも国の言うことも信用できないということだけが明確になった一年間だった。国民が国を信用できないと思っている国には、どうしたって復興だの未来だのっては描けない気もする。真実はどこにあるのか、それだけを報道する機関は残念ながら無い。一年が経ったからこその、この停滞感と違和感。

あと、山口美江ちゃんが亡くなったというニュースも。1号はあの丸顔にぽってりした唇の美江ちゃんが大好きだったそうな。英語をしゃべるオバQみたいでかわいかったんだよね。51歳という若さだったこと以上に、マスコミが強調したのが『孤独死』という言葉である。独り暮らしの人が自宅で亡くなる=すべて孤独死という概念はあまりにも乱暴だと思うのだが。

独り暮らしで自宅で死んだ=孤独死=この人は孤独だった=かわいそう
という図式になってしまうのだろうが、ホントにそうなのか?
確かに、家族が居て倒れた時に救急対応ができれば一命を取り留めることはできたかもしれないという意見もあるだろうが、家族が居るからとか結婚しているからこういうケースは無いとも言い切れない。ウチの両親のように必ずしも最期を家族に看取ってもらえるわけじゃないし、連れ合いに先立たれて独りになれば、どうしたって独りで死んでいくことは考えなければならない。
たとえ家族が居ても、どれだけ大勢の友達が居ても、そこだけはどうにもならないような気がする。

2号の母親なんぞも、古くからの友人やら飲み友達やらが大勢居たような気がするが、じゃあその人たちが毎日のように病院に見舞いに来たかというと当然そんなことはなく、亡くなった時も独りだった(病院スタッフが気づいた時には呼吸が止まっていたらしい)。父親も然り。
1号旦那も常々言っているが『人間死ぬ時は独りだ』と。
綺麗ごとを言ったところで孤独じゃない死なんて存在しないとデブ夫婦は思うのだ。ただ後始末をしてくれる人間が居るかどうかの違いだけで。

で、連日使われている『孤独死』という概念だが・・・

『主に一人暮らしの人が誰にも看取られる事なく、当人の住居内等で生活中の突発的な疾病等によって死亡すること。特に発症直後に助けを呼べずに死亡するケースがこのように呼ばれる』
とある。身寄りがなくて病院などで独りで亡くなるケースは孤独死とは呼ばれないんだそうだ。文字にすれば『孤独な死』には違いないんだけどね。

思うに、みんなが怖れる『孤独死』というのはどちらかというと『無縁死』のことなのではなかろうか。誰にも気づかれずに、亡くなった後も発見されず・・・というのが怖いんじゃないかなあ。『この人は誰も相談できる人や頼れる人が居なかった、かわいそうな人』と思われるのが怖いのかも。何週間も発見されないで、死んだ後も迷惑かけるのはイヤ、というのももちろんあるだろうし。
しかしこれも、親や兄弟や夫や妻を見送った後で独りになってしまったらあり得ないことではない。少々乱暴かもしれんが、死後どうなろうと自分は死んじゃってるからいいや、と無理にでも思うようにしないと『ひとりで死ぬのを怖れながら生きていく』というわけのわからん状態になりそうだもんなあ。

デブ夫婦には子どもも居ないし、普段から仲がいいとか3日も空けずに連絡を取り合っているような親戚友人も居ない。そして夫婦とはいえ同時に死ぬことができない以上、どちらかが独りになるのだろう。

2号は1号より先に死んではいけないらしいので、多分2号が独りになるのだと思う。そうなるとだ。仲のいい友達も極端に少なく、唯一の身内である妹も地方に嫁に行ってるので、アタシは独りでひっそり死んで、数日から数ヶ月かわからんが発見されない可能性は高いわけだ。でもそれはそれで仕方がないと思うしかない。某芸能人のように『孤独死が怖いから』という理由で結婚する人も居るのかもしれんが、それも『自分の方が先に死ぬ』のが前提なんだよね。万が一自分が残された場合は・・・また新しいパートナーを探すのかなあ??

かといって、孤独死しないために今から無理して近所と仲良くするとか友達を作るとかってのも何だかなあ・・・とも思ってしまう。でも都会ではほとんどの家庭が核家族になり、マンション生活になり、プライバシーの方が大切になり、近所づきあいもうっとうしい、そういう生活をスタンダードにしてしまったのもまた現代人なわけだからこれはもう仕方がないことなのかもしれない。
独り暮らしってのもいろいろで、どうしても周りに溶けこめない人もいれば、自分で選んで独り暮らしを楽しんでいる人も居る。
死ぬ時の気持ちなんて本人じゃないとわからない。
なのに、判で押したように『孤独死だからかわいそう』って哀れんで見るのはどうなのかと思う。『かわいそう』と言葉に出してハッキリ言ってるのは聞いたことはないが、何かそういう匂いは伝わってくる・・・。
まあ、これも自分が死んだ後に孤独死だのかわいそうだのと周りが言っても、自分はそこに居ないからいいっちゃーいいのかもしれんが、これまたなーんか違和感。
今、独り暮らしを楽しんでいる人たちや、事情があって独り暮らしの人、さらには独身の人たちに対して不安を煽ってるだけのような気がしちゃうのはデブ夫婦がひねくれてるから?

震災をきっかけにやれ絆だつながりだと宣伝してきたマスコミさんだから、こういう言い方になるのかもしれん。誰かとつながってるのが当たり前、死ぬ時は家族や友人に看取られて死ぬのが最良なのだというかのような姿勢には、やっぱり違和感。震災でも、マスコミが言うところの孤独死も、結局は人の死に様に対してあれこれ言いたい探りたいという醜さが見えるような気がする。だからワイドショーはなくならないわけで・・・。

そう感じる方がおかしいのかもしれないし、もしかしたらデブ夫婦のピントがズレてるだけなのかもしれなんだけどさ。そこらへんは花粉症で思考力が低下してるってことでピンボケも許してもらおう・・・(*⌒∇⌒*)テヘ♪ ←ごまかすなww

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ちいさいぜ!ちょこやまくん@くすっと笑ってちょっと共感。

2012-03-06 23:47:05 | 読書感想・レビュー

以前、朝の情報番組『スッキリ!』で紹介されていた本。以来ずっと買おうかどうしようか迷っていた本である。書店でもなぜか見つからず、でも店員さんに聞くにはタイトルが恥ずかしいwでもよく考えると買うほどの本じゃないよなあ・・・でも読んでみたいなあ・・・と半月くらい迷ったのだが、先日立ち寄った書店でついに見つけてしまい、結局買ってしまった(*^^*ゞ

ちょこやまくん。

『器が小さい』というのを『お猪口』に例えて、厳しい(?)サラリーマン社会を生きるちょこやまくんの日々の『小さな』エピソード集。
カバー裏には「器が小さいから女の子には自意識過剰で、同僚や後輩にはミエッぱり、自分の健康には極端に心配性。もちろん、お金にセコいのは言うまでもありません」とある。
いや~~笑えます。しかも大笑いできるというわけじゃなく、(・m・ )クスッときちゃう感じ。デブ夫婦が愛する『ぴあはみだし天国』にも似た笑いである。
ゆえに現代の30代、40代なら笑えるエピソードが多いはず。

気に入ったやつをいくつか挙げてみると・・・

豚肉はびっくりするくらい焼く。→念入り。それが、ちょこやまくん。
そうそう、豚肉は寄生虫が居るからよく焼かないと・・・っていつの時代だ?

すぐフラれるくせに、女の子のことを「女」とか言う。→プレーボーイ然。それが、ちょこやまくん。
で『女ってさー』と女性を大きく括りたがる。そう、たとえ彼女いない歴が長くてもw

アンケート用紙の年収記入欄に50万多く書く。
→「経費とか入れて実質こんなもん。」それが、ちょこやまくん。

あああ、ちょっと盛る。ちょっと見栄。男って・・・でもわかる~~。

社食でカワイイ新入社員が隣にいるのに気づいてるのに挨拶されて驚いた顔。
→「おお、いたの?」それが、ちょこやまくん。

あくまでも偶然、声かけてきたのは向こう。自分から声かけたら負け。アホアホしいけどわかる~

頭痛=脳腫瘍。→肺痛い=肺ガン。それが、ちょこやまくん。
だけど病院に行くのは怖いから行かないんだよな-、男ってのは。

「危」マークの車とすごい車間とる。→「爆発コワい。」それが、ちょこやまくん。
バッカだな~と思いながらも、なんかわかる気がする・・・。無意識にやってるかもw

メニュー熟読するワリに常にハンバーグ。→「一切失敗したくない。」それが、ちょこやまくん。
ハンバーグ食っときゃとりあえず間違いナイ?

フジテレビのことをCXという。→「オレ業界人。」それが、ちょこやまくん。
いるいるいる! 2号が居た編集業界にもこのテの人は多かったぞ~。

想像するに多分マスコミとか広告代理店系、外資系のサラリーマンなんだろうな、ちょこやまくん。自分では『イケてる』つもりなんだけど、周りから見るとそうでもない。

でもね、自分の周りを見渡してごらん。世の中、ちょこやまくんだらけだから。で、無邪気に『あ~いるいる、こういうヤツ』と笑い飛ばしてふと思う。
・・・これ、もしかしたら自分のこと??
みんな認めたくはないかもしれんが、ちょこやまを笑うヤツは自分自身を笑っているのと同じなのだ。

自称イケてるビジネスマンも、モテる男もモテない男も、仕事できる奴も仕事キライな奴も、高収入でもそうでもなくても・・・、とにかく誰もの中に絶対に『ちょこやま』は居る。というわけで本の最後には『ちょこやまくん度チェック』なるものもあるぞ(⌒~⌒)ニンマリ

くすっと笑えて、アホアホしくて、読み終える頃にはきっとちょこやまくんが愛しくなっているはず。と同時に、毎日頑張ってる自分も愛しくなる。『器のでかい男』なんて、実はこの世に存在しないのかもしれんのう。そう思うとお猪口並みの器しかない世の男性たちにもちょっと優しくできるかも・・・。チカラ抜きたい時、ちょっと疲れちゃった時にぱらぱらっと読むのにおすすめ。たまには難しいこと考えずにこんな本もどうでしょうか。そしてなぜか読み終えてもまた読み返したくなる・・・。すっかりちょこやまくんにヤラレているデブ夫婦です(*^^*ゞサブカル本ってたまにこういう面白いのが出るもんですね♪

<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=mamasaki-22&amp;o=9&amp;p=8&amp;l=as1&amp;asins=4840143560&amp;ref=tf_til&amp;fc1=000000&amp;IS2=1&amp;lt1=_blank&amp;m=amazon&amp;lc1=0000FF&amp;bc1=000000&amp;bg1=FFFFFF&amp;npa=1&amp;f=ifr" frameborder="0" marginwidth="0" marginheight="0" scrolling="no" style="width: 120px; height: 240px;"> </iframe>

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

3月になったんだけどね。

2012-03-01 20:50:50 | つれづれ日記

弥生三月でございます。とはいえ、本格的な春の訪れにはまだ遠いようで、昨日2月29日には関東地方じゃ大雪が降りました・・・。昨日の朝、あまりにもベランダからの風景がすごいことになっていたので、思わず写真に撮ってしまった。

Imgp2186_2えー・・・・・・・・・、道が雪に埋もれて見えませんがw

一列見える足跡が非常に物悲しい風景でございます。

念のために言っておくが、ココは車道ではないので、未明から降り続いた雪でこんなことになっておるのだ。

でも別の方向を見たら、こんなんだし。Imgp2187_3

あああ降りしきる雪で遠くが見えない。

いったいここはどこなんでしょう??

もう、外を見るだけで心臓が痛くなっちゃったデブ夫婦でありました・・・。当たり前だが昨日は一歩も外に出なかったもんねー。ストーブも一日つけっぱなしさ。

なんだか街も静かで、一日ひっそりとしておった。クルマの走る音すらしなかったぞ。

で、今日になってデブ夫婦の愛車『角さん』の車検が終わったという連絡がAPさん(略)から入ったので、角さんを引き取りに行くことに。

1号旦那『そっち、雪はどう?』

 AP(略)の担当さん『もう全然無いっす』

(´ρ`)ヘー 全然無いって。デブ夫婦生息地域には、まだ絶好調に雪が残っているというのに・・・とぶつぶつ言いながらお出かけしてみると・・・確かに道中ほとんど雪は残っていない・・・。駐車場に行くまでの道や公園にはまだ雪がそのまんま残っていたというのに・・・。さすがにヨコハマのチベット、大雪降るとハンパねぇ┐(´-`)┌ 

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする