デブ夫婦のビバ!お気楽人生&ぐーたら生活

体重合計約150㌔のちょっぴりデブ夫婦です♪毎日ぐーたら暮らしているお気楽夫婦のゆる~い日常を綴っています。

年末モードもエンジンのかかりがいまひとつ??

2015-12-29 00:10:03 | つれづれ日記
おなじみ愛と欲望のクリスマスも終わり、テレビを見ていれば 『2015年もあと4日!』という文句が聞こえてくる年末である。
デブ夫婦も例年ならばたばたと年末モードに入っているのだが、 今年はあったかいせいなのか、それとも単に歳をとっただけなのか、
年末の急かされる感じが少ないな~と感じている。
一応、お正月を迎える準備はそれなりにしているのだが、イマイチ盛り上がりに欠ける??
特に今回は年末年始のお休みも短いので、あんまり焦らなくてもいいや・・・という気分になっているのかもしれん。
でもまあ、落ち着いて新年を迎えられれば充分だよな♪
そんなわけで、特別何かしなくても新しい年はやってくるわ~と思っていた2015年年末。
しかーーし!!!!
デブ夫婦宅では、クリスマスイブにちょっとした事件が起こったのである。

クリスマスイブ。
デブ夫婦世代より上の人々は、バブル時代には浮かれた想い出もある方が多かろう。
この間もちょこっとテレビでやっていたが、ディナー・オープンハート・お泊まりが当たり前のクリスマス。
男たちはトータルで20万円使うなんて当たり前。
そして、女性を『お姫様』として扱うことに、男性も喜びを感じていた時代・・・だそうな。
ううむ、その時代にピッカピカの20代だったはずの2号嫁なんだが、
そういったお姫様扱いの想い出は、どんなに記憶を掘ってみても、どこからも出てこないのである。無念である。

それはさておき、今年のクリスマスイブ。
一応手作りミートソーススパに、コスコで買い求めていた冷凍のポンテケージョというパン、
豚肉とトマトのシチューというなんとなーくクリスマスっぽい夕食を終え、
今川焼をいただいてたのでケーキの代わりにそれを食べ、さて後片づけ・・・とキッチンへ。
1号旦那が『2号、お風呂わかして』と言うのでボイラーのスイッチを入れる・・・。
が、なんか変だぞ??
給湯器内の水がなくなると、追い焚きができないという事態は普通にあるのだが、なんか違うぞ??

クリスマスイブの夜8時過ぎに、
給湯器からお湯が出なくなり、お風呂をわかすこともできなくなりました。チ──(´゜ェ゜`)──ン


とりあえず東京ガスに電話をしたが、当然見にきてくれるのは翌日。
というわけで、クリスマスイブに冷たい水で食器を洗い、風呂も入らずとっとと寝たデブ夫婦であった・・・。

で、翌日。東京ガスのお兄さんが見てくれたのだが、やはり修理が必要とのこと。
部品が入るのが明日になるので、今日一日はお湯が使えないとのこと。
そこで、デブ夫婦が何をしたかというと・・・、
スーパー銭湯検索!!
だって風呂入れないんだもん、銭湯行くっきゃないでしょー(*´艸`*) ←ちょっとうきうきしている
いろいろ調べてはみたが、何度か行ったことのあるスーパー銭湯が結局イチバン近いことがわかり、
どうせお湯使えないから夕飯もどこかで食ってきちゃおう! などと盛り上がったのであった。

世の中には多分、こういう事態になるとイライラしたり不機嫌になったり家族に八つ当たりしたり、
東京ガスのお兄さんに文句を言ったりする人も多いのかもしれない。
が、1号旦那もハハも、どちらかというと『そんなこと言っても、今壊れちゃってるんだからしょーがないじゃん』
というタイプの人たちなので、えらいなーすごいなーと思ってしまうのだ。
2号嫁はというと、怒りはしないが慌ててしまうタイプなので 。(*^▽^*)ゞ
まあ、年頃の娘なんかが居る家なら、クリスマスイブに風呂入れないなんていうと大事になったりするんだろうけどさ。

というわけでスーパー銭湯に行くべく、お風呂セットをスタンバイし、
お昼ゴハンも水での洗い物が面倒だからとお弁当を買ってきてすませ、準備万端!
そこへ、東京ガスから電話が。

『たまたま部品が見つかったので、今から取り付けに行きます』

(ノ・ω・)ノオオオォォォ
すばらしい! クリスマスの夕方に来てくれるとは!
何でも他のところで中古部品が余ったので、応急処置でウチに付けてくれることになったらしい。
そしてめでたく処置完了、お湯も出るようになりました~ワァ─o(´・∀・`)o─ィ♪
ああ、お湯が出るってありがたい・・・。
でも気分はすっかりスーパー銭湯モードになっていたので、なんか気が抜けちゃったデブ夫婦でありました(´・∀・`)エヘヘ

同じく外食気分でいたんだが、夕飯もとりからを揚げて家で食ったさ。
この日はケーキ代わりにいただきものの最中を食った。
2日続けて『和菓子なクリスマス』となりました♪

そんな面白クリスマスも終わり、街はすっかりお正月準備モードに入っている。
2号嫁も、なんとなーくおせちの素材を買い求め、あとは野菜とおそばの材料を残すのみ(多分)。
年末モードのエンジンがなかなかかからない今年の年末ではあるが、それでもやってくるお正月のために、
今年も台所に一日立つ日が近づいております~。
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世の中はクリスマスウィーク♪

2015-12-22 23:29:46 | つれづれ日記
気づけば2015年もあとわずかとなってしまった・・・。
テレビの天気予報でも、もう来年の天気が出ているが、毎年のことながら年末感はどんどん薄れている気がするデブ夫婦である。
街に出ればクリスマスっぽい雰囲気がいっぱい・・・のはずなのだが、
なぜか今年は、気のせいかクリスマス気分がイマイチ盛り上がっていないように見えるのはワタシたちだけだろうか・・・。
クリスマスが金曜日なのでそんなに曜日は悪くないはずなのに、イマイチ盛り上がりに欠けているような・・・。
それとも、実はそれなりに盛り上がっているのにワタシらが歳をとってクリスマスなんて関係なくなったから
そう感じるのだろうか・・・。それも淋しいなあ。

そんなこんなでクリスマスウィーク。
デブ夫婦的にはクリスマスより前に『冬至』が大切なので、今年もカボチャを煮て、ゆず湯に入ったよ♪



カボチャは、茹でてお湯を捨ててハチミツと醤油をからめるというスーパー簡単手抜きな煮物である。
このやり方で煮るようになってから、まったくちゃんとした煮方をしなくなってしまった 。(*^▽^*)ゞ
それでも、充分おいしいです♪
冬至の日は、かぼちゃ煮だったり、かぼちゃを入れたほうとうだったり、うどんだったりと毎年それなりに楽しんでいるデブ夫婦宅である。

ともあれ年末。先週から今週にかけては忘年会という人も多かろう。
デブ夫婦も、先週末にちょっとした(?)忘年会があった。
総勢30名ほど、近所の人たちやお世話になった人との親睦&忘年会だったのだが、
夕方5時からのスタートで、3時間くらいで終わるだろうと踏んでいたのに、まさかのテッペン越えΣ(・ω・*ノ)ノ エエエッ!
2号嫁も、ひさかたぶりに途中記憶が途切れるほどに(!)飲んだのであった・・・。
ううむ、酔った勢いで何か暴言を吐かなかったかと一応気にしてみたのだが、
ほとんど酔わなかった1号旦那いわく、
『あれじゃあ他の人も覚えてないだろうから大丈夫じゃねえ?』
・・・みんな、そんなんだったのか・・・。よほど楽しかったんだなあ。

というわけで今週はクリスマスイブ&クリスマスなのだが、ワタシの中ではもう
クリスマス=ケーキを食う日、となってしまってかなりの年数が経つ(ノω`*)エヘヘ
そこでふと思った。
『なぜにクリスマスにケーキを食うようになったんだ?』
調べてみたら、天下の不二家が由来らしい。不二家の創業者が大正元年にアメリカに修行に行った時に出合った、
いちごのショートケーキを改良して、大正11年にクリスマスケーキとして販売を始めたのだそうな。
イチゴショートなのは諸説あるらしいが、クリーム=雪、イチゴ=サンタのコスチューム、という説や
単純に日本人にとって紅白はめでたい、という説もあるらしいぞ。
アメリカで出合ったケーキが日本のクリスマスケーキになったとのことだが、
当のアメリカではクリスマスにはケーキじゃなくてパイを食べることが多いらしいし、
ドイツではシュトーレン、イタリアではパネトーネ、イギリスはプディングを食べるという。

同様にクリスマスといえばチキンを食う日、でもある。
これもまた日本人らしく自由にアレンジしたという理由があるらしい。
アメリカではおなじみターキーを食べるんだよな。そういやコスコでもバターボールターキーが普通に売ってるが、
あの大きさが入るオーブンを持ってる人って居るのかしらん・・・といつも疑問に思う・・・。
で、日本。一応19世紀に七面鳥を食べるという文化そのものは入ってきたらしいのだが、
当時の日本では七面鳥を手に入れるのは大変だったようで、1970年にかのケンタッキーフライドチキンが
『クリスマスにはチキンを食べよう』キャンペーンを打ち出し、これが大当たりしたのだそうな。
かくして日本のクリスマス=チキン が定着したという。

思えば子どもの頃から、クリスマスはケーキとチキンだった。
そして大人になっても変わらない。
ケーキはバタクリから生クリームになり、チキンも唐揚げだけじゃなくバリエーション豊かになったが、
やっぱりクリスマスといえばこのふたつは欠かせないのね。
1970年代に子どもだった日本人にとっては、このふたつは完全に刷りこまれているんだな。

先日、2000年からつけはじめた日記帳を見ていて、
ここ15年のクリスマスって何してたっけ? と読み返してみた。
2000年は妹と暮らしていたもんで、わざわざつくし野までケーキを買いに行き、チキンを食い、友達が来たのでビーフシチューをふるまい・・・
1号旦那と出会っての初めてのクリスマスは、みなとみらいのスヌーピータウンショップに行き、
そごうの天ぷら屋で天ぷらランチを食い、2号嫁宅でビーフシチューを食ったらしい。
この年がイチバン・・・クリスマスっぽいことをした最後かもしれん・・・(ノ_-。)
翌年からはだいたい仕事、デパ地下、ケーキ、ビーフシチュー、とりからというパターンが続いている。
何年かに一度1号旦那が風邪ひいたり、2号嫁が頭痛で倒れたりしてるなあ(´m`)クスクス
ま、クリスマスだからといって特別なことをしてるわけじゃなく、
やっぱりケーキとチキンとシチューで過ごした15年だったようであるε- (´ー`*) フッ

さて、そんなこんなでクリスマス。
クリスマスにひとりなのを『クリぼっち』と表現するあたりは、これまた日本人らしいなあ・・・と感じ入ってしまうが、
まあ何もクリスマスだからってパートナーが居なきゃいけないわけじゃない。
ただ、世の中の盛り上がりを横目で見ちゃうと、ちょっと淋しい気持ちになったりするんだよな。
とはいえ、仕事してる人にとってはクリスマスは月末で年末で、特に今年は週末でもあって忙しいっちゃー忙しいわけで、
クリぼっちだろうが何だろうが気にしてる暇なんてないかもしれん。

デブ夫婦は・・・盛り上がりには欠けるものの、一応とりからくらいは作ると思われる。
で、ケーキも一応少し食べて、夜は『明石家サンタ』を観る。
それだけのクリスマスになりそうである。それもまたよし。
そんなわけで、皆さんもステキなクリスマスを♪。∠(*゜∇゜*)☆メリークリスマス☆└*・ェ・*┘
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片づけをするということ。

2015-12-09 14:17:51 | つれづれ日記
12月ですね~。坊主もセンセイも走る師走ですよ!
師走も早くも10日が過ぎようとしているが、何があるわけでもないのに忙しい気がしているデブ夫婦宅である。
毎年のことだが、ここからの半月はターボがかかってバタバタバタバタと過ぎていくんだろうな。

年末ということで大掃除を行う家も多いのだろうが、デブ夫婦宅は多分・・・しない(笑)。
キッチンは、この間のコンロ買い替えとレンジフードアレンジの時になんとなーく掃除してしまったし、
納戸代わりになっている四畳半の部屋も、この間それなりに片づけをしたので、今年はもういいかな~と。
窓ふきくらいはするかもしれんが。
何より、冬って寒いから掃除したくないんだもーん♪ ←ヾ(・ε・。)ォィォィ
だからといって、真夏は暑いからという理由でやっぱりしないんだけどさ。
いいんです、ホコリで死ぬわけじゃないし ←ヾ(・ε・。)ォィォィ

さて、掃除といえば最近書店でよく見かけるのが、
『生前整理』とか『子どもに大変な思いをさせないための片づけ』のようなジャンルの本たち。
この間も『TVタックル』でお笑い芸人の実家の片付けに密着! というのをやっていた。
親が亡くなって、実家を整理しなければならなくなると、かなり大変なのだ。
別々に暮らしていればもちろん、ずっと実家に居たという人でも、
何がどこにあって、何が取ってあるかなんてのはわからんものだし、
かといって親が元気なうちに片づけをしようと思っても、
親と子の『大切なもの』の温度差ってのは、計り知れないものがあると思う。

ワタシらの親世代でありがちなのが・・・、
① 買った時に高かったから捨てられない
② 誰それさんからもらったものだから捨てられない
③ いつか使う(着る)から捨てられない
④ 想い出の品物だから捨てられない


こんな理由が多いのだろうと思う。
そんなわけで、時代遅れの毛皮のコートやデザインが古いスーツ、
もう歳だから絶対に履けないヒールのたっかい靴、
わけのわからん外国土産(誰からもらったか忘れていても)、
年齢的にもう着ることはできない柄やデザインの着物(お嫁さんが着るかもしれない、と取っておきがち)、
子どもが着ていた服や文集、
むかしむかしの8ミリビデオ(しかもビデオデッキがもう無いので見るのは不可能)、
さらに大量の写真アルバムと、アルバムに入りきらない写真たち(おまけにネガまでご丁寧に取ってあったりする)、
今や骨董品のような当時の便利家電・・・なんかが増えていき、
ヘタに収納できる場所があったりすると、減ることはなく地層のようにモノが積み重なっていく・・・ということになる┐(´-`)┌

子どもから見れば『想い出という名のゴミ』としか思えないモノが多いのだろうが、
ワタシらの親世代というのは、まだモノが無かった時代を過ごしてきたせいか、
モノを買う・所有する ということが
自分の生きてきた証というかアイデンティティ・・・らしい。

うーむ、そう言われれば、わからんでもないんだよね。
地方から出てきて、一生懸命働いてマイホームを手に入れて、
欲しかったものが買えるようになって、そうして手に入れたものだから手放したくない。
親が思っている『大切なもの』は、だいたいが子どもにとっては『何でこんなものまで?』と思うようなモノだったりする。

で、子どもにしてみれば年老いた親が快適に暮らせるように、少しずつモノを捨ててスッキリしようよ! という理由に加えて、
いざ親が死んでからでは自分たちも歳をとっているわけで、まだ若い今のうちに片付けておきたい! という都合とがあるんだろう。

さて、2号嫁の実家は10年近く前に処分してしまった。
急ぎの処分だったため、ひとつひとつのモノを見て、吟味して・・・なんて暇もなく、
まして想い出に浸るような時間もなく、ほぼ機械的にほとんどのモノを捨ててしまったわけで・・・。
モノを捨てるだけでも相当なお金がかかったわけで・・・。
今思えば、もう少しちゃんと見て、寄せるモノは寄せておけばよかったかもしれないなどと思うのだが、
あの時は仕方がなかったよな・・・と納得するしかない。

とりあえず、着物とか和食器とかアルバムとか最低限のモノは妹と分けたものの、
親からしてみれば『アレも捨てちゃったの!?』とガッカリするような物も、あっさり捨ててしまったような気がする。
ウチの母親自体きちんとした人ではなかったようで、娘たちに対して
これは価値があるもの、とかこれは嫁に行くときに持っていけ、とかそういう話は一切なく、
さらに娘たちに遺したいものをきちんとしまっておいたという人でもなく、
結局ワタシらには何もわからないまま、彼女は亡くなってしまったのでなあ。
というわけで、娘ふたりは何がなんだかわからんまま、実家の片づけを行ったわけだ。
多分、もったいないものもたくさん捨ててしまったんだと思うけど、仕方ない。
罪滅ぼしのつもり? で、母親が頑張って買ったと思われる和食器だけはワタシが普通に使っているが、それくらいかなあ。

一方の1号旦那であるが、実家は一度引っ越しはしているものの、今暮らしている部屋には、まさにモノがいっぱい(´m`)クスクス
しかし、それなりに収納されちゃって30年が経っていて、あふれてはいないのだが
『しまわれているんだけど怖くて見られない』という感じ(* ̄m ̄)プッ

そして、1号のハハも同じように『想い出という名のゴミ』をたくさん保管している。
今じゃ年に一度着るかどうかという程度なんだけど大量の着物、一度も袖を通していないたっかい服から、
ブランドの紙袋、もう絶対に持つことのない編み棒と毛糸、大量のもらいものタオル、
ここに越してきてからの自治会の新聞や書類、そして大量の記念写真などなど・・・。
これをあと十数年後? にワタシらが片づけるのかと思うと、どうしたもんかと思うが・・・、
とはいえ今、勝手に捨てることもできないんだよなあ。
いや多分、勝手に捨てても気づかないはずなんだけど、それでもなあ。

で、1号旦那の実家なので1号の子ども時代のモノもそれなりに残っている。
幼稚園の園服やら、幼稚園で描いた絵とか、小学校で作った工作とか、
部活で使ってたゲータレードのボトルとか、サッカーのユニフォームとか、そういったものが未だにとってある。
まあ、捨てなかったから今でもある・・・というだけなのかもしれんが、
46歳にもなって取ってあるって、すごいな~と感心するのだ。

で、当たり前だが当時のモノってのは今に比べると高かったし、その分モノは良い。長持ちする。
だから『いいものだったから捨てられない』という理由も多分にあるのだろう。
現代のように何でも安く買える分、モノに対する価値が下がり、モノを大切に使う機会が減り、
何もかもが『使い捨て』なのがいいとは思えないが、
かといって時代に合わないモノを保管し続けていてもなあ・・・そこらへんの折り合いが難しい。

テレビでも言っていたが、親にとっての子どもの想い出ってのは、それらを取っておくことが目的なのではなく、
それらを見ながら親子や夫婦で想い出話をするため・・・なのかもしれない、などと思う。
今までの人生を振り返りながら、想い出のモノを引っ張り出して語り合いたい・・・とか。
自分が死んだ後に、子どもたちに思い出してほしい・・・とか。
そう考えると、むやみに捨てさせるのもどうなんだろう? とも思うし、
子どもが何でもかんでも捨てろ捨てろということで、ケンカになっちゃうことも多いってのはわからんでもない・・・。

とはいえ、親が施設に入ったり亡くなったり、実家を処分することになったりしたら、
やはり片づけをするのは子どもなわけで、なかなか難しい問題ではあるようだけどね。

そんなこんなで、モノが増えすぎた現代、片づけることも難儀な時代になってきた。
モノだけではなく、いろーんな意味で『片づかない』ことや『片づかない』人も多いわなあ・・・。
片づけること、片づくことって、結構大変なのかも・・・。
とりあえず2号嫁は、年内にたまった本を読む=片づけることから始めようかと思っております(*^^*ゞ

さて、2015年もあと20日あまり。皆さんは、せめて年内に片づけたいことってありますか??
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