デブ夫婦がホーカシキエンに翻弄されているうちに8月も最終週に突入してしまいました。2014年の夏は、1号旦那がほとんど外に出られないまま終了することになりそうでございます。ま、仕方ないよね。1号は『この40日間をどこかで取り戻さなきゃならない!』と怒っておりますが・・・、まずはホーカを完全撃退しないことにはね。
そんな8月終盤。甲子園では大阪桐蔭が優勝を飾り、もしかしたらもう新学期が始まっている学校もあったりするのだろうか。それとも今日あたりから夏休みの宿題で大慌てな子ってのも居るのだろうか。こんな年齢になったからこそ思うのだが、夏休みの宿題って・・・無駄っちゃー無駄だよな(* ̄m ̄)プッ 多分夏休み中、遊びほうけないようにいろいろ宿題を出すのだろうが・・・。やらないヤツってのは、小学生の頃からやらないんだよね。宿題といえば、自由研究・読書感想文・工作ってのが主だったような気がするが、2号嫁なんざ、自由研究って『自由』だからやってもやらなくてもいいんだ、と勝手な思いこみをしていたものさ'`,、('∀`) '`,、 読書感想文はともかく、工作になると先天性ぶきっちょのため、むしろ提出された先生の方が評価のしようがなくて、かわいそうなんじゃないかというくらいで・・・。ま、そんな夏休みでしたよ。でもまあ、子どものうちはきちんと宿題をやって提出した方がいいんですよ! ちゃんとした大人になるためにもねー。
というわけで、小学生の頃から45を過ぎた今も、かわいそうなくらいぶきっちょな2号嫁である。この『かわいそうなくらい』ってのは本人がつくづくそう思うわけで・・・、多分他人もそう思うわけで・・・だから自分も心底納得しているからいいんだけど、世の中には何でもかんでも『かわいそう』って言いたい人が結構居るようであります。
特にワタシらの親世代より上の年齢層に多いような気がするのだが、たとえば・・・
ひとり暮らしでかわいそう、独身でかわいそう、子どもいなくてかわいそう、一人っ子でかわいそう、共働きで子どもがかわいそう、持病があってかわいそう、お金が無くてかわいそう、身体が不自由でかわいそう・・・などなど。見も知らない人のことであっても、自殺した人のニュースを見ればかわいそう、災害に遭った人たちの映像を見ればかわいそう、何でもかんでもかわいそう・・・という人たち。
まあ、直感的に『かわいそう』と思ってしまうのは仕方ないとしても、実際口に出すとか当事者に向かって言うかってなると、また別の問題なんだろうけど。
『かわいそう』ってコトバの語源は『かわいい』と同じなんだそうだ。もともとは『かわゆい』というコトバで、意味としては
1.かわいい、愛らしい 2.恥ずかしい 3.気の毒、かわいそう
と、いろいろな意味があったらしい。『愛らしい』というような意味と『気の毒だ、不憫だ』といった意味の両方を持つコトバなんですね。3つ目の意味だけが独立して『かわいそう』というコトバに変化したってことか。
正直ワタシは、自分に関係の無い他人に起こったことや遠いところの災害なんかを見たり聞いたりすると『気の毒だなあ』とは思うが『かわいそう』とは思わない。直感的に思ったとしても、口には出せないかなあ。なぜかってーと、大した縁も無い他人に『かわいそう』って言われるのってイヤなもんだって知ってるからかもしれない。
小さいときから両親は共働きで、当時は共働き自体が珍しかった時代なもんで結構周りの大人に『鍵っ子でかわいそうね』ということは言われ続けてきた。父親が当直、母親が夜勤という日は深夜1時過ぎまで妹とふたりきりで家に居るってこともあったもんで、子どもなりに淋しいとか心細いという感情はあったと思うが『ワタシたちってかわいそう』と思ったことは・・・無いwそうそう、高校受験に落ちた時も『かわいそうに』って言う人は大勢居たが、本人としては悔しさと恥ずかしさの方が強くて、どう考えてもかわいそうじゃ・・・ないよなあと。だって受験に落ちたのは自分のせいだし(* ̄m ̄)プッ
そして数年前には、友人に誘われて行ったイベントの占いコーナーで『○歳の時に何があったかを教えて』というのを10歳、15歳、20歳、27歳、30歳・・・と聞かれ、ほとんど『覚えてないなあ』と言ったワタシに対してその占い師の人に『自分のことを覚えていないなんて、すっごくかわいそう!』と言い切られてしまった。この時は『えっ!? ワタシってかわいそうなの!?』とビックリしてしまい、一気に体調とココロが崩れた(〃^∇^)o_彡☆あははははっ♪さらに、その体調崩れの余波なのか、眼を手術しなければいけなくなり、眼科の女医さんにまで『まだ若いのにかわいそうに』とダメ押しをされたというオチまでついた(*^^*ゞ いやー今だから笑えるが、あの時は『ワタシ、一度会ったきりの他人にまでかわいそうって思われてるんだ・・・』と、本気で落ちこんだもんですわ。1号旦那も心配するくらい。
そんなこんなで他人に対して簡単に『かわいそう』と言う人は多い。このコトバを普通に、意識せずに、挨拶のように使える人って自分が(薄い関係の)他人に『かわいそう』って言われた時の気持ちが想像できないんだと思う。ま、想像できないから仕方がないんだけれども。言ってる方は愛情をもって言ってるつもりかもしれんが、やはりどこかで無意識の傲慢さというか、悪気のない上から目線というか、他人をかわいそうって思える私は優しい人、みたいなのがあるように思えてしまうワタシはひねくれ者なんだろうか。同じように何でもかんでも『頑張れ』と言う人も居るが・・・もう、こういうのは上から目線というよりも、口ぐせみたいなもんなんでしょうか。
吉田秋生のマンガ『海街diary』の中にもこんなシーンがある。病気で脚を失ったサッカー部の男の子に、ファンと思われる女子が『かわいそう』を連発する。それにムカついたという主人公の女の子との会話。この女の子は、両親を相次いで亡くし、異母姉妹のところに引っ越してきたという設定。
『だってあの子たち、あんまりかわいそうだかわいそうだっていうんだもん。あたしもよくいわれたから。お父さんもお母さんも死んじゃってかわいそうね 兄弟いなくてさびしいでしょ かわいそうねって』
『あたし兄弟がいないことさびしいって思ったことなかったし 両親が死んじゃったのは確かにつらかったけど 自分のことかわいそうだって思ったことなかったから 他人にいわれて はじめて あたしってかわいそうなんだって そう思われてるんだって知ったの』
『あーそれわかる! おれも親戚のおばちゃんにかわいそうにーって大泣きされてドン引いた! あん時おれキレそーだった アンタにかわいそがってもらうスジあいねえって』
『かんたんに人のこと かわいそうっていう人すっごムカつく!』
『だよなー なんじゃその上から目線 お前ナニサマだってーの』(海街diary2 より)
あーわかるなーと膝を打ったシーンである。要するに『かわいそう』ってのは何と比べているかというと、自分や自分の環境だろう。だから上から目線に見えちゃうのかもしれない。どこかに『自分には関係ないから』という思いが見えちゃうのかもしれない。思うに『かわいそうな人』と『困っている人』は本当は別モノなはずなんだが、どうも困っている人=かわいそう、と思いたい人は居るようで。で、かわいそうにかわいそうに~って言いながら何か助けてあげるのかっていうと、そうでもなかったりするんだよね。
(追記: こんなワタシでも、小さな子どもが目の前でどたーっと転んだりして、膝すりむいたりしてたら『あらら~かわいそうに、でも大丈夫だよ~』くらいの『かわいそう』は言うと思う。なんでもかんでも『かわいそう批判』ではないので、念のため)
しかしだ。1号旦那のこの一ヶ月は、嫁から見ても大変に『かわいそう』でありましたよ! 短い40日の夏が、ホーカシキエンの野郎によって台無しだもの、こんなにかわいそうなことはない。あまりにかわいそうなので、唯一の楽しみ・三度のゴハンに気を配り、時には大好物の卵かけご飯や目玉焼き丼も作り、毎日健気に湿布を貼ってあげたり、1号の代わりに洗濯物を干したり(だいぶ上手になったのだ)、ひとりで商店街に買い物に行ったり・・・と2号も頑張った8月である。さてそんな『2014・THE・かわいそうだった夏』をどこで取り戻しましょうか??