早いものでゴールデンウィークも前半終了? という感じなのかな。今年は祝日が飛び飛びなので、あんまり『ゴールデン』ではないのかもしれんが、それでも『11連休』なんて人も世の中には居るんだろうか。11日も会社に行かなかったら、2号嫁なんざホントに会社に行きたくなくなっちゃうなあ(*^^*ゞ
昔むかし、短大を出てから専門学校に通っていたのだが、その時もゴールデンウィーク明けにどうにも学校に行きたくなくなり(単純に遠かったからだ。家から2時間かかる場所にあった)、連休明けしばらく休んでいたら『アイツは退学したらしい』という噂が立ったことがあったもんさ...( = =) トオイメ
さて、そんなゴールデンウィーク。行楽に向けて&また始まったばかりの新年度・新学期ということで、ハンズやロフトなどでは『お弁当箱コーナー』がここ数ヶ月華やかであった♪
色とりどり、用途に合わせてデザインもさまざまなお弁当グッズ。デブ夫婦はお弁当を作って持っていくということはあまりしたことがないが、こういったお弁当グッズってのは見ていると楽しくなるものである。
そして弁当ってのは、人それぞれよくも悪くもいろいろな想い出があるものだと思う。1号旦那は以前にも書いたが、シュートメが身体が弱い&料理がキライだったため、弁当=玉子焼きと牛肉のしぐれ煮 で中学生時代を乗り切った男である。
2号嫁は、母親がフルタイムで働いていたため、買った弁当を食べるってのは結構子どもの頃から普通だったような気がするなあ。
ううむ、どちらにしてもプチ不幸だったような気がしなくもない(・m・ )クスッ
2号嫁の弁当の想い出①
学生の頃、作ってもらったお弁当を持って家を出るのだが、なんとなーく行きたくない日はとりあえず駅まで行ってそのまま家に帰ったりしていた。母親が仕事に出かけた後の時間を見計らって帰り、作ってもらった弁当をお昼ご飯に食べる。
いつもと同じようなお弁当なのに、家で食べるとまた別モノのような気がして、それはそれでおいしかったんだよね~。せっかく作ってもらった弁当+なのに、学校をサボった罪悪感というのがほどよいスパイスになるのか、学校で食べるよりおいしく感じたりして。
2号嫁の弁当の想い出②
出版社で仕事をしていた頃、ひとり会社で徹夜ということが何回かあった。ビルにはいろいろな会社などなどが入っていて、ワタシが徹夜仕事をする日にちょうど、とある団体の会合が入っていたりすると、余ったお弁当を守衛さんにくれることがあった。会社が入っていたビルは、徹夜するときは守衛室に前もって届けておかなければいけなかったのだが、そんな日は守衛さんから『今日、お弁当もらってるから取りにおいで』と電話がある。で、自分では買えないような高級弁当を2個とかもらって、ありがたく夜食として食べていたっけ。
さてそんな弁当。このルーツは、日本では平安時代あたりまでさかのぼるのだという。で、安土桃山時代あたりから箱に詰めてお花見やお茶会で食するスタイルに変化していったのだとか。その後は携帯して外で食べるためのもの=弁当と呼ばれるようになった。
そうそう、この頃(昭和50年頃か?)タイガーの『ランチジャー』というモノが発売され、お昼時にCMがよく流れていたっけ。『東京さん♪お昼ですよ♪札幌さん名古屋さん♪大阪さん長崎さん♪お昼ですよ♪日本の12時ランチジャー♪』というような曲が流れていた(うろ覚え)。ご飯もおかずもお味噌汁も、ランチジャーなら温かいまま食べられるというすばらしいグッズ! 当時小学生だった2号は、意味もなく憧れていたもんですよ。
そのランチジャーも今じゃおしゃれになったもんで。最近じゃ野菜を刻んでジャーに入れとくと、お昼にはちょうど野菜が煮えてスープができているなんていうシロモノまで登場しているらしく、おいしくあったかい弁当を食べたい! という欲求はまだまだ進化し続けているようである。
当時から『ランチジャー』というくらいだから、お弁当=昼に食べるものだったわけだ。そう、ワタシらが中学生くらいの頃までは、弁当=外で食べるもの であった。家で作って外で食べるとか、あるいは駅弁みたいに駅で買って車中で食べるとか。
しかし、弁当の存在はある時から変わった。
それがいわゆる『ほか弁』&『コンビニ弁当』の登場! 昭和51年頃のことだそうな。これがきっかけで、弁当=持ち帰って食べるもの という流れに変わったのだという( ´・∀・`) ヘー
話がちと逸れるが、ヨコハマ生まれ、ヨコハマ育ちからしてみると弁当=崎陽軒の『シウマイ弁当』という不文律があって(多分)、シウマイ弁当に関してはもう別格である。実際に2号嫁なんぞは子どもの頃から、母親とヨコハマに買い物に行き、シウマイ弁当を買って帰って家で夕食に食べるなんてことはよくあった。シウマイ弁当は、ハマっ子にとっては小さい頃から慣れ親しんだ『ご馳走』なので、弁当という感覚はなかったようにも思うぞ。
→先月買ったシウマイ弁当。今年で発売60周年なんだそうで、赤いちゃんちゃんこをデザインした掛け紙でありました♪
シウマイ弁当以外でも、その頃はデパートの地下なんかで持ち帰って食べるための弁当ってのは存在していたはずなのだ。が、『ほか弁』の登場によってデパートの弁当も方向転換を強いられたように思う。
『ほか弁』は、何よりも『ご飯があったかい』というのがイチバンの売りだったんだよね~。そりゃデパートの弁当の方がいいもん入ってるし、高級だし、おかずもおいしいのかもしれんけど、炊きたてご飯にゃかなわなかったわけだ。言ってみればデパート弁当は『おしゃれで美人だけど冷たい』、ほか弁は『美人にゃ程遠いけど、気立てがよくてあったかい』みたいな(* ̄m ̄)プッ
何を隠そう(隠すこたない)、2号嫁は弁当屋でアルバイトをしていたことがある。商店街の肉屋さんが経営する弁当屋だったので、ショーケースにコロッケや唐揚げやサラダなんかが並び、コロッケ弁当なんかが注文されると、ショーケースからコロッケ2個を取って、漬物ときんぴらがあらかじめセットされている弁当箱に入れ、ご飯をよそってお客さんに渡す。
ココも、多分安い米を使っていたんだろうが、何しろ一升炊きの釜で炊くため、非常~~においしかったのを覚えている。そう、やっぱり日本人は『ご飯がうまい』ことが重要なんだろうな。
お昼時よりも、むしろ夕飯の買い物の時間の方がお弁当って売れたんだよね、20年以上前の話なんだが。
それでも当時は、まだまだ『弁当やお惣菜を買って帰る』ということは恥ずかしく思う時代でもあった。いかにも『家事しません、料理作りません』と宣言しているようで、お母さんたちはちょっと買うのに抵抗が残っていたように思う。自虐的?に『今日は出来合いのもので』と言い訳しなきゃいけないような。
しかし、今の世の中は売っている弁当もすごいことになっている。デパ地下の弁当やお惣菜売り場なんて、いつも混んでいるもんな。
デブ夫婦も基本的にデパ地下のお弁当を見るのは好きで(見ているだけでも楽しい)、たまに買ったりもするんだが、20年前の弁当とはもはや違うものになりつつある。
○○品目のバランス弁当みたいなものがあったり、家庭で作るお惣菜風のおかずがたくさん入っていたり、デパ地下だけどあったかいご飯を詰めてくれるシステムになっていたり。コンビニ弁当だって、牛丼と幕の内とのり弁くらいしかなかった時代とはまったく違うもんなー。この間、ひさかたぶりにコンビニ弁当食ったが、バターチキンカレーの完成度の高さやヘルシー弁当の充実度にゃ思わず感動してしまったもんなー。
弁当の地位ってのは、ここ20年くらいでぐーんと上がったのだろう。
今はもう、持ち帰り弁当=出来合い=物悲しい という公式は成り立たないのかもしれない。自分で作るよりもたくさんのおかずが入ってるし、自分で作るよりもモノによっては安い。さらに今や若いお母さんたちは凝りに凝った『キャラ弁』なるものを作るそうだし、いいか悪いかわからんが自分で弁当作って会社なんかに持参する『弁当男子』なんて人種も登場しているという。
これだけ、シーンに合わせたたくさんの種類の弁当が存在するってことは、持ち帰りにしても自分で作るにしても、みんな『弁当』には愛とこだわりと郷愁があるのかもしれん。何より、日本人は『弁当』という響きと、その佇まいが本質的に好きなんじゃないかな~とも思う。
というわけで、今週末からはゴールデンウィークも後半。デブ夫婦は、お弁当持ってどこかへお出かけ・・・という予定なぞ例年通り無く、1日くらいはゴルフ練習に行かなきゃダメかなあ、と考えているくらいで(*^^*ゞ
昨日は、新橋から津久井まで首都高速~中央高速相模湖ICまで届け物のためにクルマを走らせた。途中PAに立ち寄り、具なんて何も入っていないちゃらーいカレーを食い、『信玄餅』と『東京ばな奈』を買ったりしてそれだけで結構ドライブした気分になってしまったので、今年のゴールデンウィークはこれで終わりかもしれん・・・ヽ( ´ー)ノ フッ