デブ夫婦のビバ!お気楽人生&ぐーたら生活

体重合計約150㌔のちょっぴりデブ夫婦です♪毎日ぐーたら暮らしているお気楽夫婦のゆる~い日常を綴っています。

WBC2023に思うこといろいろ・・・。

2023-03-25 18:15:45 | 野球
あれからもう数日経ってしまったので、遅ればせながらと言うにも遅れすぎている感はあるのだが・・・、
いや~~~湧きましたね! そしてしびれましたね!!
侍JAPAN、3回目のWBC制覇!!
今回は、2号嫁いろいろと思うところが多かった大会だった。
まずは『栗山監督』。
何を隠そう(隠すこたない)、2号嫁はまだ十代のオトメだった頃(1980年代後半である)、
プロ野球が大好きで、しかもヤクルトと大洋(当時)と近鉄(当時)が大好きだったのである。
その頃、栗山選手(当時背番号46)のファンだったのである。
テスト生からの入団、輝かしい活躍こそなかった(失礼)けれど、なーんか好きでさ。
思えばあの頃から野球に対する実直な姿勢やマジメさってのは見えていた気がする。
スター選手ではないし、ずば抜けた何かがあるわけではないからこその、努力の人というか、
ひたむきさや懸命さが、とてもステキだったのだよ。
さらに東京学芸大学出身という経歴も珍しかったよね。

で、栗山選手にハマった2号嫁、浪人生だった頃に当時のヤクルトの戸田寮あてにファンレターを出したことがあった。
しかも、返事が欲しいあまりに往復ハガキで(笑)。
ほぼ『絶対に返事くれ』という脅迫のようなファンレターである。
ま、そうはいっても返事なんて来ないよね・・・なんて半分はあきらめていたのだが、
なななんと!! 栗山選手からの返事が届いたのである!(≧∇≦)
詳しい内容は覚えていないのだが、最後に
『受験頑張ってください。陰ながら応援しています』と書かれていたのはハッキリと覚えている。
・・・ね、こういうところからも何だか人柄が出るよね。
こんなありがたい返事をもらったにもかかわらず、受験そのものは散々な結果ではあったのだが。
まあ、浪人生の身分で毎日のようにヨコハマから神宮球場に通ってたんだから、そら無理だわさ。

とまあ、そんなことがあったわけですよ。
なのでベンチに居る栗さんやインタビューに答える栗さんを見るたびに、
『ああ、あの栗山さんが代表監督になるとは・・・』と勝手に感慨にふけっていたのである。
ついでに近鉄も好きだったので『あの吉井が投手コーチか・・・』という感慨もあった(笑)。

さて話戻って栗山監督。
現役はたった7年。ケガや病気に悩まされ、決して名選手とはいえなかった選手時代だが、その後は相当勉強したんだろうなと思う。
日ハムの監督に就任した時も、コーチ経験がないことを何だかんだ言う人も居たし、
大谷翔平を二刀流で使い続けたことも、そらあもう批判を浴びまくった。
今回も実績が無いだの何だのといろいろ言う人も居ただろう。
歴代の代表監督に比べたら、現役時代の実績はとてもとても。
だが、栗山監督には知識と、それにともなった人脈、そして選手としての実績を上回る『人間性』があったのだと思う。
大谷もダルビッシュも、栗山監督じゃなけりゃ出場しなかったかもしれない。

一方、名だたるスーパースターを集めたアメリカ。
でも日本は『総合力』で勝利をつかんだ。
日本ならではのスモールベースボールも生かしつつ、パワーでも世界を圧倒した。
また1号旦那に怒られるんだけどさ、2号嫁は『SLAMDUNK』の山王戦終盤での安西先生のコトバを思い出したよ。
感動するので引用する!
  桜木君がこのチームにリバウンドとガッツを加えてくれた
  宮城君がスピードと感性を 三井君が知性ととっておきの飛び道具を
  流川君は爆発力と勝利への意志を
  赤木君と木暮君が ずっと支えてきた土台の上にこれだけのものが加わった
  それが湘北だ

まさにコレでしょ!!
そして選手を信じる、監督としての姿勢。
不調だった村上をずっと先発起用したのも、信じているから。
彼を外すのはカンタンだったかもしれないが、使い続けることが信頼だったんだろうし、
それは村上選手自身がイチバンわかっていたのだと思う。
『選手を信じる』というと、甘っちょろいだの何だのと言う人は居るだろうが、
選手を信じる=負けた時の責任を自分がかぶる覚悟がある ということだと思う。
そりゃあ、選手は応えるよな。

昭和のスポーツなら根性論やら気合やら規律やら何やらでいけたかもしれんが、
今の選手はそれでは力を発揮できないのかもしれないね。
栗山監督は、ベンチでふんぞり返って大声を出すこともなく、前に出ることもなく、
苦虫かみつぶしたような顔で腕組みするわけでもなく・・・、いわゆる監督然とした雰囲気がなかった。
監督というよりも『先生』のようだった。
選手一人ひとりの『個性』『持ち味』を誰よりも理解していて、一人ひとりがどの場面でどの武器を使えるか、
そこを考えた采配だったんじゃないかなあ。
選手の持ち味が生きて、個々がここぞという場面で力を出せたら、自然に勝利へとつながっていくもんだろう。
ううむ、まさにSLAMDUNK・・・。
セオリーなんて関係ない、すべては選手のために。そんな栗山監督の思いが伝わってきた6試合だったと思う。

デブ夫婦、早くもスポーツ誌の増刊号を予約しちゃったもんね~。公式DVDが出たらもちろん購入するつもりさ♪

ちなみに。往復ハガキのファンレターの返事だが、
実家を処分する時のゴタゴタで失くしてしまったΣ( ̄ロ ̄lll)ガーン
なぜ、なぜもっと大事にしておかなかったんだワタシ!! と、机をかじる思いである。
今でしょ! 今持ってるべきでしょ!!!!
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キヨマー逮捕に思うこと。

2016-02-04 22:50:23 | 野球
2月2日の夜、そのニュースは飛びこんできた。
珍しく(?)1号旦那もハハも早く寝てしまっており、テレビもつけずに静かだった我が家。
タブレットでドラクエ8の攻略サイトを見ていた2号嫁だったのだが、そこにニュース速報が入った。

『清原和博容疑者を逮捕』

(。・Д・。)え!? と一瞬目を疑った、で、見出しを見て声出た。
寝ている1号を起こそうかと思ったくらい。

2号嫁は別に清原のファンではない。が、やはりショックだった。
昭和42年生まれの清原と、2号嫁は同じ学年である(1号は2つ下)。
甲子園で桑田真澄との『KKコンビ』で活躍していた頃も、
あの運命のドラフトも、リアルタイムで見てきている。
当時は、周りの大人たちも清原に対しては『同情はするけど、まあ大人の事情だよな~』という感想を持ったと思うし、
今この年齢になればワタシらにも理解はできる部分もある。

が、清原と同い年だった2号は、やっぱり『大人って!』『読売って!!』という思いがふつふつと湧いていたのも事実だった。
だからこそ、1987年日本シリーズでの一塁ベース上での涙を見たときは、
清原ファンでも何でもないんだけど『うんうん、わかるよキヨマー、泣くなよキヨマー』と、うるっとしたもんである。

あれから30年近くが経って、容疑者となってしまった清原の映像を見て、
それでも2号嫁のアタマの中に鮮明に残っている清原は、
ドラフトの時に涙をこらえていた清原少年であり、
西武時代の、今に比べれば細身だった八重歯のキヨマーの姿なんだよな。

テレビでは甲子園出場の頃から引退までの映像をご丁寧に朝から晩まで流してくれている。
なんかねー・・・見てると、さほど思い入れもないワタシでも涙が出そうになるんだわ。
あの日本シリーズでの涙は、清原が(思っていたかどうかはわからんが)
『巨人に勝って、見せつけてやる!』という意地をワタシに感じさせてくれた。
あの時のキヨマーは、どこに行ったのか。
どこで、なぜ、こんなにも行き違ってしまったのか。

小学生から野球を始めて甲子園に5回も4番打者で出場、
プロになってからもあの黄金期の西武ライオンズで、のびのびやりながらスゴイ記録や記憶に残るプレーをし続けてきた。
プロになって、大金をつかめば、そらあいろーんな世界から近づいてくる人は居る。それは良い人ばかりではないかもしれない。
スーパースターであり続けることのプレッシャーや、マスコミに追われる毎日、
ワタシら凡人には想像もできない精神状態になることもあっただろう。
で、ケガにも悩まされていたから、もしかしたら痛み止めが薬物依存への一因になってしまったのかもしれない。
そして、あれだけのスター選手だもの、良くも悪くも騒がれる。調子が悪けりゃボロクソ言われる。私生活だっていろいろあったろう。
有名選手、スター選手だったからこその壮絶な孤独感もあったかもしれない。
若い頃の栄光と、今の自分を比べて、自棄になることもあったかもしれない。
でも、だからといって、それは理由にはならないはずだ。

移籍後は、西武時代では考えられないような風貌になり、
『番長』などと呼ばれ、そのプレーよりも言動にばかり注目が集まるようになり、結局は初恋の巨人にも捨てられ、
それでもオリックスの仰木監督(当時)が、キヨマーの引退のために花道を用意してくれた。
それはこれまでの清原の功績があったからこそだったと思う。
キヨマー引退の時の記事はコチラ

なのに、引退後・・・より強面になり、刺青を入れたり、Vシネの登場人物みたいな格好をしている姿を見ると、
『清原、お前そんなんじゃないだろう・・・』と思わずにはいられなかった。
メディアに出演すると、必ずといっていいほど『できれば野球界に戻りたい、恩返しがしたい』と言っていた清原。
でも、やってることは到底、野球界に戻りたい人間のすることじゃなかった気がするよ。

テレビではコメンテーターが、知ったような顔をして『本当は弱い人だったんじゃないか』『弱い自分を隠すための云々』と言っているが、
だから何なのよってことだ。
アスリートは強靭な肉体と精神が当たり前、と憧れの存在である一方で、やはりどこかに繊細さや恐怖心は常にあるはず。
(先日、大阪国際女子マラソンで優勝した福士選手だって、あの言動そのままの人ではないと思うし)
人が見ていないところでは、耐えること、涙を流すことのほうが多いと思う。
でも、いざフィールドに立てば、見せるプレーをするのがプロ。
キヨマーも、野球バカで素直な野球少年のまま大人になり、
入団時の悔しさがあり、だからこそスターになれたんだと思いたかった。

そして、かつてのチームメイトや同期で友人でもある元プロ野球選手、恩師たちが
『残念』『バカ野郎』『殴ってやりたい』などというコメントを出している。
チームや野球という垣根を超えて、こんなことを言ってもらえる選手、もう出ないと思う。
だから、連日ニュースで新しい情報が出るたびに、デブ夫婦も
『ったく、キヨマー何やってんだよ・・・』という、やるせない気持ちになってしまうのだ。
プロ野球人気が低迷し続けている今、清原世代たちがこれから指導者となっていくべきだったのに。
アスリートを聖人君子扱いするつもりはないけれど、
プロ野球選手は、どんな時代でも子どもたちの憧れであり続けるべきだったのに。
そんな子どもたちの思いも、一緒にプレーしてきた選手たちも、同じ時代を過ごしてきたファンも、
そして存続の危機に瀕している母校の野球部も、すべて裏切ってしまった。

同年代の選手が引退していく淋しさ、リアルタイムで見ていた選手たちが亡くなっていく淋しさ、
それはプロスポーツを見続けていれば、当たり前にあることだ。
だけど、こんな形で同世代のスターを失うことになるなんて、
ホントに、悲しいし淋しい。

立ち直ってほしいとか、いつか戻ってきてほしいなんて今は思えないなあ・・・。
とにかく、悲しいし淋しい。
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高校野球県予選真っ盛りです♪

2012-07-16 23:50:00 | 野球

いや~~毎日暑い! この3連休も暑かった! 結局どこへ行くわけでもなくだらだらしていた3日間であったが、あまりの蒸し暑さに蒸し豚になってしまいそうなデブ夫婦である。我が家の台所も日に日に灼熱地獄へと近づいてきていて、ゴハン作ってると暑い暑い。それでも一向に痩せることがないのがデブ夫婦のすごいところなのだ・・・(ΦωΦ)フフフ…

さて、世の中では夏の高校野球の県予選真っ只中。昨日は全国のトップを切って沖縄県の代表が決まったそうだが、我が神奈川県はまだまだ道のりは長そう。今年は190校で、もちろん全国でイチバン多い。ちなみにイチバン少ないのは鳥取県の25校だそうな。25校くらいだともしかしたら番狂わせがあるかもしれないし、奇跡の初出場とかもあり得るかもしれんが、神奈川県の場合はなかなか難しい。横浜と東海相模と慶応と桐蔭、さらに桐光とY校と創学館と商大と隼人あたりが全員お腹壊してくれたとしても、大番狂わせは無いのが神奈川県。東京みたいに2ブロックに分ければいいのかもしれんが、東西に分けても南北に分けても、どこかに強豪が集中しちゃうのでそれもできない神奈川県。

それでも出場する全員が、優勝を目指しているのが高校野球なんだよなあ。

ちなみに2号嫁の出身校は一回戦で速攻負けました(*^^*ゞ 1号旦那の出身校は一応シードだったので今日が初戦で見事勝ちました♪ 高校では野球部どころか何の部活にも所属していなかった1号であるが、なぜか野球部やバレー部の連中と仲がよくて、なぜか激励会とかにちゃっかり顔を出していたという不思議なヤツだったようだw

かつてはみんな高校生だったはずなんだが、年月が過ぎて汚れた大人になってしまうと、所詮優勝なんて無理と最初から諦めてしまうものだが、高校生である彼らはそれでも精一杯頑張ることができるのだ。たとえ野球部員が11人しか居なくても、たとえ入学してすぐレギュラーになれるような野球部でも優勝目指して毎日練習しているわけだし、強豪校なんかだとベンチ入りすらできずに3年間を終える部員の方が多いのに、それでも頑張れる。その姿に大人たちは、かつての自分にもそんな時代があったことを思い出して、選手たちにその思いを投影して、少しうれしくなって、少し淋しくなる。だから高校野球が好きって人がこれだけ多いんだろうな。プロ野球はキライだけど高校野球は好きという人も結構多いらしいですな。

もちろん、春の選抜も夏の大会も大新聞社が主催ということや、高野連という組織があるおかげで他のスポーツよりもメディア露出度が高いってのも人気の理由のひとつだろうが(実際軟式野球なんかはほとんど紹介されないし)、そういう『大人の事情』をさっぴいて考えると、

夏の大会は各県必ず1校は出場するので、『おらが村』の代表という感覚でつい見てしまう。

プロ野球より一生懸命、ひたむきな感じがする。これも最近はどーなんだろうなあ? という気もするけどねー。さわやかさ&ひたむきさを大人が要求しすぎている感もアリ。

アニメやマンガでよく取り上げられている。ということはつまり、マンガにしやすいスポーツなんだろうね。

思わぬドラマがある。もうダメかと思った時に奇跡のような逆転劇があったりする。

・・・とまあ理由はいろいろある。しかし、デブ夫婦が思うには高校野球の人気の理由って

『真夏に開催するから』

ではないかと思うのだ。

気温30℃を超え、グラウンドでは多分40℃近い暑さの中で投げ、打ち、走り、守る。十代という若さだからこそできること。汗と泥にまみれて、暑さでふらふらになりながらプレーするあの姿なんだろうなあと。そして応援するベンチもスタンドの応援団も、あの暑さの中メイッパイ声を張り上げている。四十代の我々には絶対にできないことである。だから眩しいのだ。これがもし秋の気候のいい時だったら、こんなに盛り上がらないんじゃないかとも思う。

そうそう、県予選を見ていてちょっと気づいたことがある。高校でも野球を続けている子たちって、いわゆる『キラキラネーム』みたいな名前の子って居ないんだなあと。そりゃあ今っぽい名前の子は多いんだけど、読めないとか外国人みたいな名前って居ないんだよな。やっぱりなあ、というか安心するというか。

というわけで、1号旦那も連日なんとなーくテレビ観戦の神奈川県予選。もしかしたら、気が向いたら、母校の次の試合を観に行っちゃうかもしれん(*^^*ゞ

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横浜の負け体質は変えられるんだろうか?

2009-11-17 23:47:07 | 野球

ドラフトも日本シリーズも終わって、これからはトレードの話題ばかりのストーブリーグ(って言い方も懐かしいw)になるプロ野球。そんな中、先日来シーズンから横浜ベイスターズの指揮を執る尾花監督が船上会見したり、早速『茶髪・ヒゲ禁止令』を出したりして何とか話題を作っているようで・・・。

しかし尾花監督か・・・。2号嫁が足しげくハマスタや神宮に通っていた20年ほど前・・・大洋とヤクルトが最下位争いを繰り広げていたあの頃、ヤクルトのエースだったのが尾花投手だったなあ...( = =) トオイメ・・・20年以上経ったのだから当たり前なんだけどさ、尾花さんが監督か~などと思わずため息をついてしまう2号嫁である。でも、ダイエーでコーチを経験したあとはやっぱりヤクルトの監督になってほしかったが。

さて話題の『茶髪・ヒゲ禁止令』ですが、デブ夫婦はそのニュースを聞いたときに

『いや~~そうじゃねぇだろ・・・尾花さん』

と思ってしまったのだ(*^^*ゞ

そりゃあ万年最下位チームに成り下がってしまった今、弱いくせにチャラチャラしてるのはけしからん! となるのは仕方がないのかもしれないけれど、どうしてもあの広岡さんの管理野球とか、某球団の『巨人軍は紳士たれ』(某をつけた意味ナシw)という、野球をつまらなくしてきたああいうことのイメージがあって・・・選手の自覚に任せりゃいいじゃん・・・。まあ任せられないほどの負け犬体質&ぬるま湯体質なんだと言われればそれまでだが・・・。o( ̄ー ̄;)ゞううむ・・・どうも弱すぎるので何も言えなくなってしまうなあ。

でも、こういうことも98年日本一以来腑抜けになってしまった横浜の『失われた10年』を何とかしようという心意気の表れなのだと・・・思いたい。何にせよ、プロ選手だから勝てば何でも言えるんだよな。勝たなきゃいかん・・・。

一方、横浜に居た工藤は15年ぶりの古巣西武への復帰。しかし、彼のニュースやドキュメンタリーを観るたびに、デブ夫婦は声をそろえて

『あの工藤がこうなるとはねえ・・・』

と感心しているのだ(*^^*ゞ

あの西武黄金時代のはしゃぎっぷりを、リアルタイムで観てきたデブ夫婦である。強かったから何でもアリ、髪型もファッションもブランドで固めて今までの野球選手のイメージを変えてしまったし、昼も夜も遊び放題だったあの頃の西武若手たち。『新人類』で流行語大賞までとった西武若手たち。もう石毛も秋山も渡辺も清原ですら現役ではないというのに、イチバン最初に辞めそうだった工藤がねえ・・・と、近所のイタズラ坊主が立派な大人になったなあ・・・というような目線で見てしまうのだ(´m`)クスクス・・・だって『カリメロ』とか呼ばれてたんだよ!?

さすがに西武も粋だよね♪ 2号嫁は、清原も最後は西武に行けばよかったのになあ・・・と思っていたけれどそれは実現せず。工藤の場合は、菊池雄星くんの教育係という側面もあるらしい。とてもとてもいいことだと思う。監督が渡辺久信ってのもまた感慨深いさ。かつては『トレンディ選手』などと呼ばれ、阪急の星野や日ハムの津野なんかとともに今で言うところの『イケメン選手』だったんだよなあ・・・今じゃ帽子を取ると哀愁が。・゜・(*ノД`*)・゜・。・・・ともあれ、西武黄金時代を象徴する2人が、再び同じユニフォームでグラウンドに立つ姿を見るのが楽しみである。

WBC以外はどーにも今年も盛り上がらなかった日本プロ野球ではあるが、楽しみな要素はまだまだいっぱいあると思うのだ。それこそ10年近くスタジアムには行っていないデブ夫婦なので何ともいえないが(*^^*ゞそれでも盛り上げてほしいよね・・・。

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WBC連覇(≧ο≦)人(≧V≦)ノ

2009-03-24 23:25:31 | 野球

正直、今回は日本の優勝は難しいんじゃないかなぁ・・・とWBC開幕前までは思っていたデブ夫婦。前回は『世界の王』のために!だったが、今回はどーよ・・・と思ってました。

しかし本日、ついにやりました・・・。WBC連覇です!

途中からゴルフ練習場にて練習しながらワンセグで観戦しておりました(*^^*ゞ落ち着かないったらwwさすがに家でWBC観戦している人が多いのか、練習場は空いてたぞ~( ^∀^)

それにしても、いい試合でしたね~。決勝戦にふさわしいゲームだった。9回裏、いきなりフォアボールを出しちゃうダルビッシュの面白さwそしてあとアウトひとつで優勝ってところで同点だもの(。・m・)クスクス まあ結果的にこれも演出のひとつみたいになりましたが。そして最後はイチローだったのよね。

16安打で5点だもの、かなり苦しめられたなぁ・・・とは思うが、いいプレーもたくさんあったし♪韓国も日本も必死だった。

今回イチローがここまで調子が悪かったのも、もしかしたらこれからの日本野球のためだったのかもしれない。いつまでもイチローに頼っていてはいけないんだという・・・。それでもだ。何だかんだ言われても、やっぱり決めるところがね、プロ中のプロ。

大会中苦しみながらも決勝戦の大事なところで決めたイチロー、

息子の誕生日に優勝投手となったダルビッシュ、

韓国打線に対して笑みさえ浮かべてどこまでも強気だった岩隈、

あわやスリーベースの当たりをスーパープレーでアウトにした内川、

そして『イチローと心中する』(意味不明だよΣ(゜д゜)オイオイ)と言ってた原監督。

どいつもこいつも、やっぱり『選ばれた』人たちだね。運持ってるね~。

キューバを破り、アメリカに勝ち、韓国には3回勝った。前回とは違った優勝だったと思う。決勝戦前日にイチローが言ってた『特別な感慨がわいてこないのが特別』(だったっけ?)ってコトバが、日本野球が確実に変わってきていることを物語っているように思えるな。

アメリカが優勝するための大会なのに(。・m・)クスクス・・・終わってみればほぼ日韓戦でしたね~。やっぱり時代はアジアだな・・・。

それにしても、にわかファンも含めてみんな野球好きなのよね♪だったらペナントレースがもっと盛り上がればねぇ・・・。まったくもって誰のせいなのか┐(´ー`)┌ヤレヤレ

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キヨマー引退に思うこと。

2008-10-04 00:03:40 | 野球

同年代のプロスポーツ選手が引退というニュースを聞くたびに、自分たちも歳とったんだなぁ・・・としみじみ感じ入ってしまうデブ夫婦であるが、ついに清原和博の引退試合を見ることになろうとは。

23年前、あの運命のドラフト。読売の指名選手を読み上げたパンチョ伊東さんの一瞬の間。そして清原の涙。あの時、読売の監督だった王さんも今季でユニフォームを脱ぐ・・・なんだか感慨深い・・・。
この年に入団した選手は『桑田清原世代』と呼ばれたもんだった。ざっと挙げてみても、
佐々木(横浜)、中山(横浜)、田中コユキ(日ハム)、渡辺智男(西武)、大塚光二(西武)、葛西(阪神)、遠山(阪神)、佐々岡(広島)・・・まあスゴイ選手がそろったもんだw
この中で、今年も現役を続けていたのは清原だけ。

1986年デビュー、プロ初ヒットが初ホームランという華々しい記録で幕を開けた清原のプロ人生。
西武が良くも悪くもイチバン派手だった時代だな。石毛を筆頭に工藤、渡辺、辻、伊東、秋山などなど、強すぎて能天気すぎてキライだった(。・m・)クスクス
そして1987年日本シリーズ、9回2アウトでの涙・・・(´Д⊂グスン
あの時だけは、2号嫁もテレビの前で一緒に泣いたもんだw←タメ歳(* ̄m ̄)プッ

それだけに、いわく『初恋』の読売に移籍した時は
『キヨハラ!てめぇあの涙はなんだったんだ!!』とテレビを齧るような想いだったのだが。

でも、結果的に読売に行ったことが彼の野球人生を変えてしまったような気がする。かつてのチームメイト・桑田と同じチームでプレーができたことは大きかったかもしれないが、この頃からケガや故障に悩まされ、高い年俸と知名度が仇になって使われにくくなり・・・。もし、あの時吉田監督の『縦縞のユニフォームを横縞にしても・・・』の名言で阪神に行ってたら・・・などと考えずにはいられない。

西武が伊東監督になった時も『キヨハラ・・・西武に戻るなら今だぞ』と思ったが、最後の花道に選んだのはオリックスであった。

読売時代の『番長』チックな言動や、ダイヤのピアスや、シーズン途中での引退発表や、派手すぎる引退セレモニーに至るまで
『キヨハラ、お前はそうじゃないだろ!!』と言いたくなることはたくさんあったw
それでも、23年間野球バカであり続けたことは同世代から見ても立派だと思う。
ホントはこのひと、見た目よりも純粋で優しくてバカなんだろうなぁ・・・。
清原には『あぶさん』で居てほしかったデブ夫婦。50歳を過ぎても、1年に何回かでいいからバッターボックスに立ってほしかった。
野茂同様に『そこに居るだけでいい』それがスター選手だ。
そんな選手、もうこの先出てこないんじゃないか?
そう思うと、陳腐な言い方だがひとつの時代が終わった・・・ということを痛感してしまう。

23年のプロ生活でオールスターではMVP最多受賞、日本シリーズでも優秀選手賞や敢闘賞を受賞している。お祭り男たる所以ですねwタイトルこそ一度も獲れなかったが(これも彼がチームプレーを優先する性格だったからだといわれている。つまり当時の森監督のせいw)、確実に記憶に残る選手であったことは間違いない。
『無冠の帝王』と呼ばれた清原が、引退試合で王監督から花束をもらい、桑田が観客席で見守り、まるで23年前のドラマの結末を観ているかのような気持ちになった人も多いのでは。
よくよく考えてみれば、この3人って全員、読売に捨てられた人たちなんだよなヽ( ´ー)ノ フッ

プロ野球離れがますます加速する一方で、なぜだかセリーグは読売逆転Vの可能性で無理矢理の盛り上がりを見せている。これも何かあるのかもしれませんがw
ここ10年くらいは、プロ野球界にとってはツライ日々が続きそう。
野茂以降の人たちが指導者になって、新しい日本プロ野球をリードしてくれる時まで、デブ夫婦もじっと待ってるとしますか。

・・・・・・今でも『キヨマー』って呼んでる人は居るのかしらんw

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夏が来る前にトルネードが去った・・・。

2008-07-18 16:45:45 | 野球

昨日、お買い物をして帰るデブ夫婦に飛び込んできたニュース。
野茂英雄、現役引退を発表。
ウワァ━。o.゜。ヽ(o´д`)八(´д`o)ノ。゜o。━ァン デブ夫婦号泣(TT▽TT)ダァー

デブ夫婦は野茂と同世代(1号旦那は野茂のひとつ下、2号嫁はひとつ上)。
ソウルオリンピック~近鉄入団~メジャー挑戦までのすべてをリアルタイムで見てきた世代である。
それだけに感慨深いし、1号旦那にいたっては常に『尊敬人物は野茂英雄と中嶋悟』と言っていたので2号嫁以上に感じるものはあるだろう。

忘れもしない、あの10.19の翌年。1989年に8球団からの指名を受けて近鉄入団。
今見ると、なんと痩せてたことか(´Д⊂ 
17奪三振で飾ったプロ初勝利。背番号11がとにかく眩しかったっけなあ・・・。
当時、よくオグリキャップと比較された野茂ですがw『プロは結果さえ出せばいい』という当時の仰木監督のもとで、誰にも矯正されないという恵まれた環境だからできたトルネード。
スタイルがよくてカッコイイ野球選手が増えてきたあの時代に、あの風貌にあのケツでバッタバッタと相手を三振に斬ってとる爽快感!2号嫁は一気に惚れてしまったのだ(。・m・)クスクス

ぶっきらぼうなのも笑顔が少ないのもご愛嬌♪あれがよかったんですよ。

そして『平成の名勝負』といわれた野茂VS清原。
野茂はフォークは投げず、清原も合わせるようなスイングなどせず、
とにかくストレートとフルスイングの対決。
ピッチャーをやるからには、誰よりも速い球を投げたい。
バッターならば、誰よりも遠くに打球を飛ばしたい。
そんな力と力のぶつかり合いが潔かった。
あの時代のパリーグだからこそできた、名対決だったのだと思う。
さらにその勝負をただ見守った監督もある意味すごいよなw仰木さんはともかく森さんまでw
あれをリアルタイムで見ちゃった世代だもの、
松坂VSイチローなんざ小粒に見えらぁヾ(@^▽^@)ノわはは
調べてみたら、野茂のプロ初の奪三振も、初の被本塁打も清原なのね。これも名対決たる所以だろう。
こういう名勝負って、多分このふたりがデブ夫婦の中では最後だと思う。
これほどココロときめく、ワクワクする対決は未だに出てきていない。

メジャーに渡った当時、日本のプロ野球選手のことなどホームラン王・王貞治と鉄人・衣笠祥雄くらいしかアメリカ人は知らなかっただろう。
それが気づいてみたらとんでもないスター選手になってしまった。
日米通算201勝。3119奪三振。
二度のノーヒットノーラン。
ここまでやってもなお『悔いが残る』と語った野茂。
誰もが多分『よくやった』とか『野茂がいなければイチローも松坂も誕生しなかった』などと言ってるだろうけれど、ただひとり本人だけが『納得していない』。
・・・どこまでも野茂ですなあo(*^▽^*)oあはっ♪
しみじみと、この選手は
日本球界でもなく(ましてや鈴木啓示でもなくww)
メジャーという舞台でもなく
どんな大打者でもなく
自分の中の内なるものと常に闘ってきたのかもしれないと思った。
そして、どこに居ても野茂は野茂だったなあ・・・と。

また何らかのカタチで野球に関わってくるであろう野茂英雄。
また戻ってくることを今はのんびりと待とうと思うデブ夫婦である。

○o。ヾ(・ω・`【ォ】☆【ッ】☆【ヵ】☆【レ】´・ω・) ノ。o○

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千日ぶり!★.:゜+。☆ε(ノ*´Д`)ノォカェリィイィ!!!

2008-04-11 23:46:13 | 野球

尊敬人物は『野茂英雄』と言い続けてきた1号旦那。
近鉄入団時からあの尻と迫力とマイペースさに惚れていた2号嫁。
同世代の野球選手がどんどん引退してしぼんでいく中、
我らが野茂が再び帰ってきた!!

3年ぶりのメジャーマウンド・・・感無量である。
もうね、
初球をいきなり打たれても、最後の最後にホームランを浴びてもいいの。
もうトルネードなんて巻き起こさなくてもいい、
もう150㌔の速球なんて要らない、
背番号91が体重でもかまわない。
野茂がメジャーのマウンドに(ふてぶてしく)立っている!!
それだけでデブ夫婦は嬉しいのである。

試合後のインタビューも、相変わらずブスッとした表情で言葉少なく(。・m・)クスクス
かったるそうだし面倒くさそうだし(ノ∇≦*)キャハッッッ♪
・・・イヤなら受けなきゃいいのに(* ̄m ̄)プッ
でも、そういうところも含めて好きなんですよ。

野球選手って、ここまできて初めてヒーローなのかもしれんなあ。
『ただ、そこに居るだけで』そう思ってもらえる存在感。
かつての巨人では江川がそうだったと思う。
もっと前なら長嶋さんがそうなんだろう。

そう思うと、昔のプロ野球界には良くも悪くも存在感てんこ盛りの選手が多かったなぁ。
アタシは巨人ファンから入ったものの、他チームの試合や選手を見るうちに、
アンチ巨人&西武になってしまったが(*^^*ゞ、
あの頃の巨人はホントに憎憎しいほど個性的だった。
青い稲妻・松本から始まって篠塚、中畑、クロマティ、原・・・の時代ですw
ほんっっとに憎たらしかったもんなぁ(* ̄m ̄)プッ
今は1番から8番まで4番打者みたいな選手をそろえているのに、ちっとも憎たらしくないのよね(* ̄m ̄)プッ
魅力がないから、つまらない。だから巨人人気が翳ってきた。
結局のところ、アンチ派にしてみれば『憎むはずの』相手がつまらんから、野球を観なくなるのかもしれない。だもんだから巨人が面白くなくなってくれば、日本のプロ野球全体が面白くなくなっていく(ように思えてしまう)のかも。

細かく見れば、やっぱり野球って面白いんだけどね。

ともあれ、野茂ですよ。
こうなったら納得いくまで投げ続けて欲しいもんだ。
そして、メジャーで選手人生をまっとうした後は、
『日本プロ野球関係者のバ~~~~カ!』と叫んで欲しいもんだ(しないだろうけどw)。

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私を野球に連れてって♪

2008-04-07 15:58:30 | 野球

春のセンバツも終わり、プロ野球も両リーグ開幕。今年もシーズンがやってきました♪
とはいえ、ここ数年すっかりナイター中継なども観なくなってしまったデブ夫婦でありますが、やっぱり野球は好きなのだ。
今年はぜひ生の野球観戦に行きたい!と思ってはいるのだが・・・ハマスタだと椅子が狭いので1号旦那は窮屈だな。それよりも尻が痛くなりそうだ。しかしこれからの季節、ドーム球場ってのもちょっと情緒がないよなぁ・・・(ー_ー;)ウーン・・・悩ましい。

そりゃ野球を観るベストポジションってのは、何といってもテレビなんですけどねwでも、スタジアムに行って味わうあの空気ってのは独特なモノがあるんだよなあ。そりゃ打球がどこに飛んでったとか、どのコースに投げたとか、そんなのは観る席によっちゃ全然わからんのだけれど、それでも打球の音や浜風に揺れるウグイス嬢のアナウンスや観客席の盛り上がりっぷりってのは、やはり生が(・∀・)イイ!! そしてスタジアムで飲むビールがまた(・∀・)イイ!!

・・・しかし、やはり日本ではプロ野球離れが進んでいるのだろう・・・。
いつからだろうね・・・。で、思い出した。
以下は2号嫁が昔むかしにとあるタウン誌で毎月書いていた、ジモト大洋ホエールズ(当時)の勝手な応援コラムの一部。この記事の中には、大洋以外のアタシの好きな選手総まくり・・・なんてのも書いてある(*^^*ゞ

ちなみにトップは『何と言われようと野茂です。アイドル化している若手の中で異彩を放つあの個性とあの尻とシャイな笑顔がイイ』・・・(*ノ∀`)ノ゛))アヒャヒャ 
さらに続けてみると『西崎は結婚してサワヤカさが半減したけど顔が好み』『19歳トリオの頃から応援している津野と加藤』『オリックスはこんなに弱くない!という名言を吐いた藤井』『若いくせに妙に老成している小宮山』『今やすっかり人気チームだがイケトラパワーのノー天気さはイイ』・・・懐かしいなあ(*^^*ゞ 元日ハムの津野選手は今や横浜スポーツマンクラブでゴルフのレッスンプロ・・・( ´Д`)=3 
ま、1991年はそういう選手が活躍していた頃でした。ではでは抜粋してみる。

 私は曲がりなりにも個性を持った選手が好き。でも、今のプロ野球界で『個性派』といえるのは、野茂と落合だけだと思う。プロ入りして、何人ものコーチに囲まれて流れ作業の中で何から何まで教えてもらう『ラクさ』に慣らされた今の若手選手の中から『個性派出て来い!』と言っても難しいのかもしれない。
 野茂にしろ落合にしろ、あのスタイルは自分で創りあげたもので、しかも誰にも矯正されないという『恵まれた』環境でやってきたからこそ、強烈な個性が確立できたわけだ。今の選手はそれなりにお利口で、枠からはみ出るのは損だと思ってる。(中略)個性派という意味で魅力的な選手はたくさんいます。川相や辻の守備、羽生田の鉄砲肩、ランナーとの勝負にときめかせてくれる古田、盗塁・ホームラン・ファインプレーと何度でも魅せてくれる秋山などなど。こんなにすばらしい選手がたくさんいるのに、テレビやスポーツ紙は記録や勝ち負けにこだわって、プロとしてのすばらしいプレーはなかなか取り上げてくれない。それはそれで問題だよねえ。
 今、プロ野球離れが進んでいるが、それは昔ほど夢を託せる選手が少なくなったからではないだろうか。だから、今選手に聞いてみたい。『本当に野球が好き?』
 本当に好きで、のめりこまなければ強烈な個性なんて生まれるわけがない。『これぞプロ!』という名人芸で魅せる選手、闘志むき出しで相手を威圧する選手・・・もっと出てきてほしい。

・・・いや~~コムスメなりに偉そうなことを書いとりますな[・゜・赤面・゜・]〃´・ω・`〃)ハズヵシィ…
この頃からプロ野球離れは言われていたことなんだよな・・・。そして20年近くが経った今、日本のプロ野球は・・・どうなってるんだ┐( -"-)┌ 変わってないよな。むしろ退化してるよな。いい加減王・長嶋におんぶに抱っこは止めたほうが・・・ww

そんなことを思っていたら『野茂3年ぶりメジャー昇格』のニュースが飛び込んできた。40歳を目前にして、なおメジャーへの道が開けている国ですよ。桑田が引退したのは非常に残念だったが・・・。若い選手を育てることもせずに使い捨てる日本のプロ野球。引退したあとも何の保障もない日本のプロ野球。このままじゃ『日本のプロ野球なんて要らない!!』って言われちゃいそうだなヽ( ´ー)ノ フッ 野茂がメジャー昇格したことは、デブ夫婦にとってはとてもとても嬉しいことなのだが、今後の日本プロ野球のことを考えると・・・どーなんだろうなぁ~という気もする。
ともあれ、今シーズンは一度くらい生試合を観に行って生ビールを飲みたいもんです。1号旦那次第だな・・・(。・m・)クスクス 連れてってください・・・八(^□^*) タノム!!

コメント (2)
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近頃野球を観ていませんが。

2008-01-24 23:57:21 | 野球

今年も、ペナントレースはほとんど観なかったデブ夫婦であるが、基本的に野球を観るのは大好きである。

2号嫁がプロ野球をテレビでちゃんと観るようになったのは、高校生の頃だった。それまでも、母親が王選手(当時)のファンだったので、シーズン中は何気なくナイター中継がついてはいた。が、何がきっかけだったのか1985年くらいからじっくりと観るようになってしまったのだ。

当時はテレビ中継といっても、まだまだ巨人戦がメイン。あとはTVKの大洋戦くらいしかやってなかった。なので、当然最初は巨人の選手に目がいくわけだ。当時は50番トリオだの絶好調男だの青い稲妻だの・・・が活躍していた時期。アタシももれなく、巨人の若手選手に目をつけ始め・・・というわけで、入り口はやはり当時『女子供ばかり』と言われていた巨人(の選手の)ファンからスタートした(*^^*ゞ 

そんなこんなでナイター中継を見始め、プロ野球ニュースを見始め、好プレー珍プレーを見始め・・・しているうちに、他のチームの選手のほうがイイ男がいることに気づく(*^^*ゞここからセリーグの他チームのファンに、さらにはパリーグの試合を観にいくようになり、果てはアンチ巨人にまでなってしまったというww

高校生~浪人してる間は、スタジアムにもかなり足を運んだもんだ。いわゆる追っかけではなかったんだがw神宮のクラブハウスの前で、試合前後の選手を待ってたり、今は亡き川崎球場に行く時は、必ずブルペン脇の席をゲットし・・・カワイイもんでしたな(*^^*ゞ そして毎日スポーツニュースのハシゴをし、スポーツ新聞の記事をスクラップし、週刊ベースボールを欠かさず買い、どうしてあんなにも情熱があったのか。

プロ野球を真剣に観るようになったその年は、阪神が21年ぶりのリーグ優勝を果たした年だったなぁ・・・。バックスクリーン3連発・・・ああ懐かしい・・・...( = =) トオイメ

そんな1985年に、大洋で結成されたのが『スーパーカートリオ』であった。『弱くても(!)面白い、魅せる野球』を実践した最初じゃないかと、個人的には思う。彼らが塁に出れば、何かしてくれるんじゃないかという期待で、ちょっとワクワクさせてくれた・・・そんなスーパーカートリオのひとり、加藤博一さんが先日亡くなった。早すぎる・・・。彼の名前が呼ばれると、ライトスタンドから必ず3回の『ヒロカズコール』が起きたもんです。多分、選手の名前を連呼するようになったハシリではないだろうか。オフでのはしゃぎっぷりには、少々イラッとした時もあったがwあの頃の最下位攻防をしていた大洋には、なくてはならなかったムードメーカーだった。淋しい・・・。ご冥福をお祈りいたします。

あの頃好きだった選手が、もうコーチや解説者をやる年齢になることも淋しいが、毎年のように、名物選手と呼ばれていた人たちの訃報を聞くようになるのはもっと淋しい。そして、もうこんな選手は出てこないんだろうなぁ・・・と思ってしまうことが、何より淋しい今日この頃。

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