デブ夫婦のビバ!お気楽人生&ぐーたら生活

体重合計約150㌔のちょっぴりデブ夫婦です♪毎日ぐーたら暮らしているお気楽夫婦のゆる~い日常を綴っています。

何がいいかなんて終わってみないとわかりません/ミゾイキクコ@幸せを感じられる人でありたい。

2016-08-08 19:12:06 | 読書感想・レビュー
気づけばもう8月・・・。立秋も過ぎてしまった。
人間生きてりゃホントにいろいろありますが、それでも季節はめぐり、また真夏の太陽は降り注いでいるわけだ。
そんなこんなで40代も後半になってくると、あと何年健康で生きていられるのかしら・・・などと思うことがある。
こんなことを言うと『まだ若いのに何よ!』と、おばさま方に怒られるのだが、
この本の著者には怒るどころか笑われるかもしれない・・・♪

『何がいいかなんて終わってみないとわかりません』
最近テレビなどでよく紹介されているので、知っている人も多いかもしれん。
80歳を超えて数台のタブレットとパソコンを使いこなし、ツイッターで毎日つぶやきを続けているミゾイキクコさん。
ワタシは去年知って、早速フォローだけはさせていただいた。

ツイッターにはいろいろな人が居るもんで、こうしてメディアで取り上げられたりすると
嫉妬する人や何かとイチャモンつける人も多いのが現実。
『裕福でいいね』とか『お金があるからできるんでしょ』とか。
まあ、今の若者に比べれば、給料もガンガン増えていた時代、
退職金だってきちんともらえた年代だから多少の余裕はあるかもしれないけどね。
さらに、タブレット端末を10台近く持っているというだけでも『余裕があるのね~』と思いたい人は居るんだろうが、
そこはそれ、言ってもキリがないことだしね。

でもなあ。平たく言ってしまえばミゾイさんだって一軒家で暮らす独居老人で年金暮らしだそうだから、
決してすごい贅沢な(金銭的に)暮らしをしているようには見えない。

けれど、お子さんやお孫さんはいても同居はせず、ひとりで、自分のことは何でも自分でやっている。
食事だってある程度の量を作って冷凍して、それを上手に献立に使いまわしている。
家でお料理を作って女子会(笑)もするし、ショッピングカートを引っ張って日々のお買い物にも行く。
でも、欲しい物が見つかったらアマゾンに注文しちゃう。
さらに、一流大学の理学部を出られた元祖リケジョ(笑)でもある。
こう・・・知識や知恵や教養のある人って、歳をとってもこうあることができるんだなあと憧れるのだ。

だから逆に、メディアが「サイバーおばあちゃん」みたいな言い方で紹介しているのを見ると、
おいおい失礼じゃないか? と思ったりもする。そこには年寄り=パソコンなんてできない とか、
年寄り=考えが凝り固まってる人 みたいなそれこそ『刷り込み』があるんじゃないかと。

凝り固まってるどころか、この年齢でこういう考え方をする人がいるんだ! と感動すら覚えてしまったワタシである。
なんたって本の初っ端から
『今私は、時代とともに社会構造が変わったのに、それに対応しようとしない高齢者を批判しています。
若い人やお嫁さんに世話をしてもらうのが当たり前と考え、昔は良かったと、戻れるわけもないのに今を嘆いている人たちを』

だもの。
これを80代の人から言われたら『子どもは親の面倒を見るのが当然』『嫁は家のために働いて当然』と思っているご老人方はビックリするのでは・・・。

とはいえ、普段のツイートはホントに何気ないものなんですよ。
庭で採れたトマトとか、いただきものの野菜とか、庭の金魚とか、
毎日の朝飯と夕飯の写真とか、何気ない日常の風景。
でも自分がこの年齢になってみると、人生80年のキャリアのある方のつぶやきを見て
『生きるってのはこういうことかもなあ』と思ったりもするのだ。

何気ない日常の中に(幸せも不幸も含めて)人生はあるんじゃないかと。

年齢を重ねた分だけ、いいことも悪いこともそれなりに経験していく。
誰かを傷つけたり傷つけられたり、騙したり騙されたり、裏切ったり裏切られたり。
それでも何とか立ち上がって、また倒されて。多くの失敗の中にちょっとだけ成功があったりして、
笑顔と涙と歯を食いしばることを繰り返して。それが生きるということなんだろう。
だからこそ、何気ない日常は愛おしく思えるし、ありがたく思えるんじゃないだろうか。

どうやって生きていけばいいのかわからなくなる時が、人生の中で数回訪れると思う。
そんな時に、この本を読んでみると思うところがいろいろある。

自分の身の丈を知れ、足ることを知れ、今の自分があるのは他人のせいじゃない、自分がそうしてきたことの結果なんだ、と。
そして・・・、
何気ない日常の中に人生が、幸せがある。
『当たり前のこと』を『当然』だと思い上がってはいけない。
その何気ない日常に感謝する心を持ち続けていたいと思う。
もちろん、
そんな綺麗事じゃ世の中生き抜いていけないのも、事実。
でも、こういうことが根本にないと生きていけないのも、また事実なのだ。
というわけで、ココロを立て直すための一冊になりそうな本です。

そうそう、毎日のツイッターにアップしているゴハンの写真はかなり参考にさせていただいている。
天ぷらなんかも、ミゾイさんは南瓜だけ、とか茄子とサツマイモだけ、
とか単品でもよく食卓にのぼる。しかも毎日のように。
私なんぞは固定観念で、天ぷらは何種類も揚げなきゃいけないと思い込んでいた部分もあるので、
天ぷら=好きだけど面倒 というものだったのだが、ミゾイさんのツイートを見るようになってから
『そっか、一種類でもいいんだ』と楽になり、早速南瓜だけ~とかごぼうだけ~とか、ひとつふたつ揚げて、
おかずの一品として出すようになった。目からウロコ。
いかに自分が『こうじゃなきゃ』と思っていることが多いかもわかる。
先日のツイートを見て、思わずトマトの天ぷらを作ってしまったよ。うまかったよ!!

本の中から、印象に残ったツイートを挙げておきます。読んだ人がどう感じるかは、その人の現状や年代によって全然違うと思う。
でも、何を感じるかって大切だと思うので。

自分のしたことは自分に返る。それは当たり前のことなのだ。
その人が生きたように死んでゆくのだ。


現在の自分の姿は、過去から現在に至るまでの自分の歩みの行き着いたところなのである。
良くも悪くも他人のせいではないのです。


そんなこと知らなくてもいい、できなくてもいい、の結果が物事を解決できない人を作る。
問題が難しいのではなく、能力がないだけなのに、問題が難しいと言う人になる。


年取って思う事。若い時の恋の悩みも、子育ての大変さも、
夫婦喧嘩も、人生の彩りに思われる。
何もなかったら殺風景。
そのころが人生の花のように思われるものです。それは過ぎてからわかるもの。
だから長く一緒に生きてみないことには、始まらない。


一人より二人の安心感、この「感」が大事なのかも。
二人だからといって安心ではない。問題が倍になる可能性だってある。
だが「感」に救われる。
生きていればどんなことに見舞われるかわからない。
その時はその時だと、開き直る覚悟しかない。


幸せなんて普通わからないものなんですよ。
無くなってわかるようなね。
当たり前になってしまうこと。それはすごく幸せなことなのです。
コメント (2)
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