小笠原日記

夫婦で小笠原に移住予定です。どんな生活が待ち受けているか?とりあえず小笠原の生活を綴って見ようと思います。

走ることについて語るときに私の語ること

2008-02-10 11:28:59 | Weblog
昨夜からの雨は今朝になっても降り続いている。時折、暴風も窓を揺らす。TVもネットの予報も小笠原は一日雨らしい。今日は小笠原丸の出港日だけど大荒れの天気で乗船客は運が悪い。ここでは雨と言っても結構止んでいる事も多いのでずっと一日中降る事は珍しい。今日はその日の様だ。いつもならそんな中荷役の仕事に出掛ける主人だが今日は小学校の作品展の日なので、荷役仲間の方々には申し訳ないが用務の仕事に出掛けて行った。

私はと言えば三連休でルンルンと言う筈だが、この天気である。朝の日課のランニングも土砂降りの中走る気にもならずパスした。何とか小降りにでもなってくれたら走る、てな感じだ。この島に来てからは走る事に関しては軟弱になった。でも私には(正確に言うと私の足には)それで丁度いいペースで走ることに向き合える様になった。

最初に走り始めたのは何時だったか今となっては思い出せないが30代の終わり頃だろうか。スイミングスクールには通っていたけど、特に走ることには全く興味のなかった私が走り始めたのは矢張り頭の中も筋肉の主人の影響だったのだろう。彼がウィンドサーフィンよりもトライアスロンに傾倒していった頃には二人ともかなり走る様になった。

その内に私の中で走る事は生活の一部になり、歯を磨いたり食事を摂ったりする様に無くてはならないものになった。今日のタイトルはお気づきの方もいるかもしれないが村上春樹の本を真似てみた。著作権上いけないかもしれないけど彼もレイモンド・カーヴァーのタイトルを真似たから、まあいいでしょう。村上春樹がその本の中で走ることは僕にとっては有益なエクササイズであると同時に有効なメタファーでもある、と書いている。まさに同感である。走ることによって自分自身を高める。それが生きている実感になる。逆に走ることが無くなったら無力感しか残らない。

私はもともと根暗なのだろう。独りで黙々と走るのが耐えられるタイプの人間である。人と向かい合っているいるより自然を肌で感じながら取り留めの無いことを考えて走ることが好きだ。どんなに仕事で疲れていても走り始めは体は重いが、しばらくすると体が開放されていく。仕事の嫌な疲れと走ることの疲れは全く違う物だ。だから走る。

ここに来る前の何年かは毎日20キロ走っていた。毎日である。ある年は365日の中の364日走った。まさに実業団並みである。当然、故障続きである。何でも度を越すとろくな事が無い。遂にある日、転倒して両膝ともひどい怪我をしてしまった。
スポーツジムで根本的にトレーニング方法を変えてみたりしたけど左の足がうまく機能しなくなり遂に走ることも出来なくなった。いろんなタイプの病院にも行ったが有効ではなかった。私の生活の中から走ることが消えた。羽を捥ぎ取られた鳥のように虚脱感に苛まれる日々だった。

この事があったから私はここに移住した様な気がする。主人には主人の思いが有り私には私のそんな思いがあったからここに居るのだろう。ここに来てからまた少しずつ走れるようになった。まだまだ、本調子ではなく調子良く足が上がってくれる日もあれば最初から最後まで調子の悪い日もある。でも走れるだけ幸せだ。いつまで走れるか分からないけれどとにかく走れるうちは走ろう。

村上春樹の本に出会ったのもここに来てからである。小説もとても好きだけど、エッセイを読んで彼を知るにつれ彼もランナーであること、音楽にも造詣が深いことなどこんな言い方は失礼だけど彼とはとても気が合う。彼の存在もまた私のこれからの人生を豊かにしてくれるアイテムである。

走ること、音楽を聴くこと、本を読むこと、美味しい物を食べること、そして頭の中が筋肉のパートナーと素敵な島で暮らすこと、うーん、完璧すぎ!

写真は頭の中まで筋肉のふたりのイカ釣り師たち。