小笠原日記

夫婦で小笠原に移住予定です。どんな生活が待ち受けているか?とりあえず小笠原の生活を綴って見ようと思います。

散々のチョンガー初日

2009-01-19 17:14:25 | Weblog
昨日妻は、2時出港のオガマルで内地へと旅立っていった。順調な航海であれば今頃は新幹線の車上だろうか。

所でそんな出発の日も、妻は相変わらず自分のペースを崩さない。まずは扇浦までの早朝ジョグ。そして掃除洗濯の後は、自分が乗船するオガマルの船内清掃。僕は8時からオガマル荷役のため船内清掃後の妻の動向は分からないが、とりあえず僕の夕食の鍋は温めればよいように、ちゃんとセッティングされていた。彼女の時間を無駄にしない日々の生活には全く頭が下がる。

ぼくは、そんな優秀なパートナー無しで来月5まで暮らさねばならず、かなり深刻な事態ではあるが、まあ餓死する事はないだろう。

昨日はオガマル出港の後、ジョークス野球部の練習に参加。何でも聞くところによると、野球部の練習はジョークス開闢以来初と言う珍事らしい。最終的に9人集まり、2時間ほど楽しく良い汗を流した。後はシャワーを浴び、用意された鍋を暖めBEERと共に頂きま~す!毎日こうだといいんだけどネ。

さて本日、とりあえずは扇浦まで早朝ジョグ。昨夜は鍋を全部平らげてしまい、明らかに食べすぎ状態、一夜明けての腹ごなしだ。

そして、今日は昨日のロードレースの振り替え休日で、小学校はお休み。コンディションがよければ洲崎で磯釣りと決めていたのだが、南よりの風が強く、おそらく洲崎は荒れ模様と言う事で、とりあえず桟橋での釣りに予定変更。

所が予想をはるかに超える強風で、二見湾は大荒れ、白兎がピョンピョン状態。全く釣りにならない。晴れの予報だった天気も、ドンヨリした曇り空、おまけに時折雨まで落ちだす始末。せっかく始めたからと意地で竿を振るが、向い風に押され、仕掛けは全く飛んでくれない。当然と言うか、強風に浮きはバタバタ動くが、全く沈む気配無し。

その後昼過ぎあたりからやや風も治まり、やっと釣りになってきたと仕切りなおし。所が今度は二見港沖に白い船体の海上保安庁の巡視船が姿を現した。イヤーナ予感が的中、その巡視船はオガマル岸壁に接岸。僕の釣り場はなくなり、あえ無く本日は坊主のまま釣りを終了。

初釣りでアオリをゲット、幸先よいと思っていた今年の釣だが、一気に暗雲が垂れ込め、散々なチョンガー初日となってしまった。

写真は、僕の釣り場を奪った憎き?巡視船。

3年

2009-01-17 10:26:12 | Weblog
土曜日の朝、妻との扇浦までの早朝ジョグを終え、パソコンに向かっている。しかし小笠原も寒くなった物だ。今朝の早朝ジョグ、一歩我家を出た途端「寒っ!」と妻は一言。正直手袋欲しいな位の冷え込みだった。

明日は、1月毎年恒例のロードレース大会。小中高の生徒さんは、学年男女別によってそれぞれの距離を一応全員参加で走る。後は一般島民の参加。僕も来島2年目の大会は一般6キロの部に参加したが、それ以後はお手伝いに回っている。今年もこれから1時集合で前日準備のお手伝い。明日は、残念ながらオガマルの出港日で荷役の仕事と重なり、今年は大会当日のお手伝いはパスと言うことになった。

妻は、明日そのオガマルで内地へ向かう。我家にとって内地行きは大旅行、しかも今回妻は、竹芝~東京~京都~草津(滋賀県)と乗り継がねばならず、おそらく実家までは、オガマルが順調に航海しても32時間くらいは有に掛かるだろう。めったに内地に行く機会は無いので、こんな時こそと、今回妻の帰宅は2月5日の予定。

「しばらくは、ハートロックも御無沙汰だから」と妻は、午後から仕事の僕を残し、一人お気に入りのハートロックツアーへ出かけていった。

所で、先日アパートの大家さんから契約更新の打診、勿論契約延長をお願いし、新しい契約書が我家に届いた。平21.1.12~平24.1.11までの3年契約。つまり今月12日で、この島に移り住んでからまる3年が経過した事になる。

何の当ても無く、失業保険だけを頼りに勢いでこの島に移住してしまった我家。不安だらけの島暮らしのスタートだった。しかし多くの人の理解や手助け、そしてラッキーもあり、三日三ヶ月三年とよく言うが、島暮らし3年を何とかクリアーする事が出来た。相変わらず万年困苦欠乏状態は解消されそうも無いが、とりあえず次は5年目指して頑張りますか。そのためにも月並みだがまずは健康第一を心がけ、頑張って働かないとネ。

写真は、妻が力を入れて世話している中学校の中庭、周りにはプランターや花壇が沢山ある。しばらく妻は不在の為、昨日は草花の給水の実地訓練。妻の帰島まで、僕が世話する事に、枯らさぬよう頑張らばないと。

世界で一番遠い島

2009-01-15 16:55:46 | Weblog
昨夜9時半過ぎ、妻の携帯の呼び出し音で目が覚めた。この時間僕にとっては寝入りばな、妻は熟睡している時間帯だ。我家の就寝時間はとても早い。

電話に出た妻の様子から、電話の内容がただならぬ物であると、すぐに推察できた。妻の父、僕の義父の死亡を知らせる電話だった。それからしばらくの間、我家は妻の携帯のメールやTELの呼び出し音、そして固定電話の呼び鈴と、当然の如くややパニック状態。

お風呂で倒れていた所を発見されたらしく、おそらく脳溢血だったのだろう。人間はいつか必ず死ぬ、そして義父は享年82歳。勿論、親の死、特に義父のような突然の死と言うのは、受け止める側の心の準備も無く、悲しく大変なショックではあるが、妻がポツリと漏らした「でも、いい死に方だよネ」僕もそう思う。


所で義父はとても旅行好きで、高齢になっても一人で世界中のあちこちを歩き回っていた。最近は、家族も海外の一人旅は心配と言うことで、その旅先は国内になっていたようだが、つい先日、今年に入ってから沖縄旅行に行ったばかり。とても元気だった様だ。

実は我々がこの小笠原で暮らす事になったきっかけも、大いに義父の旅行好きに関係している。我々に小笠原と言う島を意識させてくれたのは、以前に訪れた義父の小笠原旅行の話だった。きっと義父のその思い出話が無かったら、今のこの我々の生活は無かった事だろう。そういう意味でも、義父にはとても感謝している。

妻の話では、晩年義父は、我々が小笠原に移住する事になった原因が自分にあることに、やや責任を感じていたようだが、「お父さん、僕は小笠原のこの生活がとても気に入っています、本当に有難う。どうか安心して安らかにお休み下さい。」

一昨年、息子の風太が丁度来島している時に、遊びに来てくれた義父。毎日のように風太と釣を楽しみシマアジも一枚ゲット。そしてランチ時になると「こんな綺麗な景色の中で、孫と釣りしながら、弁当食べるなんて本当に最高」と毎日のように同じフレーズを繰り返していた義父。小笠原を紹介してくれたそんな義父に、少しは恩返しできたのだろうか。

妻は、今日入港したオガマルが出港する日曜日、内地へ向け出発するが、どんなに急いでも故郷の滋賀県栗東に到着するのは、月曜日の夜。改めて「世界で一番遠い島」を実感。小笠原で暮らすと言うことは、そういう事なんだよネ!

写真は小笠原での義父、左から二人目。

お手伝い

2009-01-13 18:43:40 | Weblog
昨日は、ブログ投稿の後ハートロックへ。マタ~!と呆れられそうだが、昨日はチョッピリ訳あり。

小学校5年生のクラスレクで、ハートロックへ行く事になったらしいのだが、家族を含め総勢約30名。所がハートロックへの道をはっきり知っている御父兄が一人だけ、大所帯で分かりにくい山道を行くのは不安と言う事で、我々夫婦にヘルプの要請があった。

先日新年会ですっかりお世話になった矢口家の御長女が5年生、そのカータンからの御要望、そして担任の先生は、よく洲崎に釣りで御一緒する先生、こんな機会に少しでもご恩返しと言う事で、勿論快くお引き受け、お手伝いさせていただく事に。

いつものように徒歩で我家を出発、集合時間9時45分の15分前には八瀬川の緑地に到着。大まかな打ち合わせをしているうちにも、参加者が続々と集合。先生の号令で全員集合、諸注意の後ハートロック目指しいざ出発!

先を急ぎたがる男子のグループを妻が先頭で引っ張り、グループの中ほどを良く道を知っている御父兄、そして最後尾を僕と言う布陣で、とにかくまずは安全第一。1年生の女の子も2人おり、当初はハートロックまで2時間半位を覚悟していたようだが、途中3度の休憩をを入れても2時間掛からず全員無事ハートロックへ到着。

この時期にしてはパーフェクトと言っていいほどの好条件に恵まれ、お楽しみのランチの後はクジラも出現。我々にとって今年2度目のハートロックは、最高のもてなしでクラスレクの皆を迎えてくれた。

そして帰路は、途中からルートを変え、観光スポットの一つガジュマルの森で遊びタイム。5年生の子供達、正に水を得た魚、木登りにターザンごっこと、それぞれ思う存分、自然の遊び道具で大爆発。

見ていた妻は「5年は寿命が縮まる!」と思わず一言。確かに見ているこちらはハラハラドキドキ、全く心臓に悪い。しかし子供達の目は本当に輝いており、あちこちから歓声が絶えない。

頑張って歩いた彼らに、もう一箇所褒美。通称ワラビ谷、我々も何度かワラビ採りを楽しんだ斜面が天然の滑り台に。こちらは、先ほどのターザンごっこよりさらに心臓に悪い。かなり急角度の斜面を、転がりながら落ちてくる子供達、手足のそこここには擦り傷が。しかしそんな事はお構い無しで、滑り落ちては登り、登ってはころげ落ちてくる彼ら。

引率の大人は、そんな彼らを眩しく見守るだけ。本当に子供達のエネルギー、パワーは凄いの一言。そんな彼らに、自分の年齢を又実感させられてしまったが、最高の天気に恵まれ、満足そうな子供達の笑顔に、妻も僕も大満足。お手伝いさせていただき、有難う!

写真は、ガジュマルの森で木登りする先生。

新年会

2009-01-12 05:45:11 | Weblog
一昨日ブログ投稿の後は、小学校の餅つき大会へ。雨は小降りになったものの降ったり止んだりで、小学校前の犬走りで予定されていた会場を体育館に移し行われた。

10時過ぎから始まった餅つきは、3班に分かれた小中学生達が一人一人杵を持って餅つきを体験、1時過ぎまで賑やかに行われた。大人のつきてが足りないと言う事で、僕も老体に鞭打ってお手伝い。ご褒美につきたてのお餅を充分楽しませていただいた。

強い雨に早朝ジョグは諦めた妻だったが、一段落した空模様に扇浦までの日課にしているジョグは欠かさなかったようだ。夜には矢口家での新年会に御招待されており、気持ち良く心置きなく御馳走を頂きたいと言う魂胆もあったようだが?

そして夜は、妻も自慢の手料理をお土産に矢口家の御家族と楽しい新年会。テーブルに並んだ沢山の御馳走、何処から箸をつけたらよいのか分からぬほどのお料理の数々に、Beerが進まぬはずが無く、正に至福の一時。楽しい話題に、ゲーム、宴の夜はあっと言う間に過ぎていった。

さて一夜明け昨日はオガマルの出港日。前日の御馳走に、アルコールも進み二日酔いを心配したがどうやらOK。いつものように妻との早朝ジョグの後は、荷役の仕事へ。

冬型の気圧配置が強まった影響か、海は時化模様。岸壁にもウネリが入ってきているようで、オガマルの船体もローリング、コンテナを吊るワイヤーが大きく揺れている。何時にも増して慎重な作業、積荷の量はさほどでもなく、2時の出航には余裕を持って積み込み終了。209名を乗せたオガマルは定刻2時、無事に出航して行った。

しかし治まりつつあるとは言うものの、相変わらずの時化模様、しかも北上するオガマルにとっては正面からの風とウネリ。かなりの揺れは覚悟せねばならないだろう。今便も多少の遅れは致し方ない所か。

荷役の後は、2時半キックオフのサッカーのリーグ戦、ジョークスVS高校の試合へ。途中までは1-2の接戦だったが、矢張り高校生の若さとスピードに最後はスタミナ切れ、2-5で残念ながら敗戦。僕は後半20分ほど出場させていただいたが、相変わらずサッカーはブ~!状態で、冷や汗を掻くのみ。サッカーは難しい。

そして、夜はそのジョークスの新年会。高校生には敵わなかったが、僕から見れば若い先生方がほとんど。皆よく飲み、よく食べる。僕もどちらかと言うとよく食べる方だが、昨夜は周りの人に気兼ねする事なく、マイペースで爆食い。

2日続けての新年会に、ややカロリー過多状態。今日はしっかりカロリー消費しないとネ。まずはいつものように妻との早朝ジョグを終えたところ。

写真は一昨日の夜、矢口家の新年会、その素敵なファミリー。本当にお世話になりサンキューでした。