小笠原日記

夫婦で小笠原に移住予定です。どんな生活が待ち受けているか?とりあえず小笠原の生活を綴って見ようと思います。

コペペ海岸

2006-01-31 17:59:21 | Weblog
今日も朝から快晴。風も無い。コペペで潜るべくウォーキングも兼ねて道具と弁当を担いで片道一時間、景色を目出ながら浜を目指す。コペペ海岸と言う名前はギルバート諸島出身の先住民「コペペ」が利用したことにちなんでいる。私たちのお気に入りの浜である。白い砂浜にエメラルドグリーンの海。まるで自然の宝石箱だ。今日は雲もほとんど無く、太陽は夏の日差しだ。

とりあえず潜った。昨日よりも透明度が増している。60センチ強のカンパチがまず出迎えてくれた。大きい魚は人を見ても動じない。こっちの方がビビッてしまう。ウメイロモドキやアズキハタと言うこちらではお馴染みの魚が群れをなして泳いでいた。岩場で何か動いたと思ったら、タコだった。またまた、ビビッた。
うねりが無いと潜り釣りに最適だ。早急に潜り釣りの道具を調達しょうと思った。

お昼ごはんを食べていたら、えいちゃんとかずちゃんがランチバスケットを携えてやって来た。えいちゃんは今日も運ちゃんのバイトなのだけど、素晴らしい天気に居ても立ってもいられなくて、お昼休みはコペペで少しでも海に触れたかったらしい。さすが海の男。ベタ凪の海を前にカヤックやシュノーケリングが出来ない事に悔しそうだった。

今日は妻の50回目の記念すべき誕生日。綺麗な海、真っ青な空、そして素敵な友人に囲まれて最高のバースディだ。ここに来てよかった。かな?

普段はそんなに人に会う事が少ない島だけど、今日は違った。穏やかな天気に誘われてお昼ごはんを浜に食べに来る人や、仕事の休憩時間にお昼寝しに来る人。シュノーケリングする女の子達や釣りをする人。沖の方にはカヤックでイカ釣りをする人。さり気無く自然を楽しんでいる。いいねー。

昼過ぎ、六本木ヒルズで働く娘のキヨラから妻への誕生日を祝う電話がケータイに入った。都会の喧騒が電話から伝わってきた。時代の最先端の真っ只中に居る娘がいつか癒しを必要とする時があるなら、私たちがここに居る意味はあると思う。

今夜はお祝いに島民になって初めて外食する。美味しいトンカツ屋さんをえいちゃんが教えてくれた。楽しみー!

お誕生会

2006-01-30 20:06:33 | Weblog
今日は穏やかな天気で久し振りにコペペ海岸で潜った。日差しが海の中まで差し込んで魚たちも生き生き泳いでいた。フルスーツは持ってないのでちょっと寒いんじゃないかと不安だったけど、トライアスロンのウェットでも今日は大丈夫だった。シュノーケリングポイントには事欠かない小笠原、これからが楽しみだ。

昨晩は31日が妻の誕生日なので、仲良しのえいちゃんとかずちゃんがお祝いに来てくれた。島にはケーキ屋さんは無いのだがイタリアンレストランで特注したケーキと、一般では売られてないパッションフルーツワイン、かずちゃんお手製のプカシェルのブレスレット、ハイビスカスのお花をプレゼントに持ってきてくれた。島に来てから初めてのケーキに妻はご満悦だった。食事の後、二人のウクレレによるバースデーソングと島歌が一層パーティーを盛り上げた。本当に素敵な人達だ。

えいちゃんはシーカヤックのガイドさん、時々ダンプの運ちゃんにもなる。身長186センチ、海外の海もいっぱい潜ったけど小笠原が一番だそうだ。明るくて熱い男えいちゃんは小笠原がよく似合う。旅の途中、えいちゃんに会わなかったら今、私たちは島に来てなかったと思う。こんなおじさん、おばさんをもその気にさせるえいちゃん、あなたの笑顔に誘われてここまで来ちゃいました。

そして、そんなえいちゃんの良きパートナーかずちゃん。島の診療所の看護婦さんだったそうだが、今はちょっと充電中。えいちゃんのアシスタントをしたり、ウクレレとかフラとかタコの葉細工、ボニン焼きとか超活動的な素敵な女性だ。元々は母島に旅をしてそのまま気に入って半年間居たとか。ダイビングのライセンスも持っていて、その魅力は果てしない。穏やかな語り口は島のリズムそのものだ。

宴も終盤に近づいた頃、えいちゃんから恐ろしい話を聞いた。この島では6月になって暑くなり、特に雨上がりの暑い日がヤバイらしいのだが夜になるとシロアリが大量発生するのだそうだ。明かりを目がけてものすごい勢いで発生するらしい。とりあえず、ピークの夜6時から7時の間は家の電気はみんな消すそうだ。えいちゃんの住む山の方は特に凄いらしい。最初、この島に来た時シロアリ駆除と言う会社の看板が妙に引っかかっていたのだが、これで謎は解けた。解けた代わりに不安が襲ってきた。えいちゃん、早く行ってよー。そうと知ってれば島暮らし考え直したのにー。それは嘘です。でもシロアリ怖いよー!

このブログに遊びに来てくださってる方々にお知らせ致します。小笠原はとても素晴らしい所ですが、6月にお出でになるのは避けられた方が良いかと思われます。ご参考までに。

おが丸入港日

2006-01-28 20:35:28 | Weblog
夕べからの北風が一晩中部屋の窓をガタガタと刺激し、夜中何度も目が覚めた。今日はドックに入っていたおが丸の久し振りの入港日だ。船は揺れてないといいが。
今回の船は明日にはもう出港してしまう。本来なら到着したら3泊して出航するのである。26時間も揺られて1泊で帰る人はまずいないだろう。今日来る旅行者は次のおが丸を待ってゆっくり島で過ごす人達に違いない。

役場の朝の放送によると、おが丸は200人弱を乗せて定刻どうり航海してるとの事。午前11時半には二見港に到着する。風は相変わらず強いけど、水平線の向こうからやってくるおが丸を見ようとランドナーで三日月山展望台へ行くことにした。ここへの上りは結構キツイ。妻はヒーヒー言っている。でも負けず嫌いなので、ギアを一枚残して(布石を取っとくタイプなので)頑張って今日も上りきった。

おが丸が来るまでの間、いつもの様にヨガマットを敷いてストレッチタイム。移住する前は毎日ジムに通っていたが、ここにはジムはあるはずが無く、それでも筋トレは必要なので毎日メニューを組んでやる様にしている。以前通っていたジムはボディビルダー系の人達には有名なところだ。マッチョとは無縁のタイプの私たちはそのジムでは浮いていたと思う。それでも結構楽しかった。ロッテのバレンタイン監督もここのメンバーで会うといつもにこにこしていていい感じだった。
ヒトシさんとサワコさんにもここでお会いして友達になった。いつかふたりは島に遊びに来てくれるだろう。

今日の海は白兎がぴょんぴょん跳ねているので、おが丸を見つけるのは至難の業だった。ようやく北の方角に船らしき物を見つけた時は嬉しかった。二見港に入っていくのを確認して急いで山を下った。港へ着くと下船が始まっていた。出迎えの人達の笑顔で港は華やいでいた。それからと言うもの町が途端に活気を帯びてきた。この島は観光の島だという事を再認識した。
おが丸が運んでくるのは人だけでは無い。私たちの生活物資もだ。夕方になると、船が運んできた食料品を買い求める人でスーパーは長蛇の列。こんなに人、いたっけ?

今日はわが息子、風太の19回目の誕生日。一緒に祝ってやれないのは残念だけど、小笠原から愛を込めて「おめでとー!」

長崎展望台から宮之浜

2006-01-27 15:30:27 | Weblog
今日は朝からとてもいい天気と言う訳でも無かったけど、まあそのうち良くなるだろう、という事で長崎展望台から宮之浜へのトレッキングに出掛けた。小笠原のトレッキングコースはとても充実していて、フットパスが付いているのでハイカーに優しい。いくらそう高くは無い山と言えども、山は山。岩肌で分りづらい所でもさり気無くレンガが置いてあったり、小さくテープで標付けしてある。
これなら女性一人でも秘境でもない限り、安全にトレッキング出来るであろう。その内、僕に仕事が運良く見つかったとしたら妻はイソイソとひとりで毎日どこかしらへ、山登りに出掛けるのだろう。間違いない。

長崎展望台からは兄島が一望出来る。兄島との間の海域は潮流が川のように流れていて、かなり危険だ。同時にサンゴ礁や熱帯魚の宝庫でもある。ダイビングの絶好のポイントなので、船がダイバーを乗せて漂っている。
そこから海沿いに登ったり降りたりしながら、途中何箇所かの絶景ポイントを経て、宮之浜へ向かう。

宮之浜へ着いた途端、例の如く雨が降ってきた。嘘だろう?まったく島の天気は変りやすいのだ。折角、浜で気持ちよくお弁当にありつくつもりだったのに、風も上がってきて、寒くなってきた。仕方が無いのでガジュマルの樹の下で、おむすびを食べた。食べ終わった途端いきなり太陽が出てきて、夏の日差しで私たちの事をあざ笑うかのように照らし付ける。やられたー。まだまだ島人ではないなぁ。
浜で日光浴した。

帰り道、島に1軒しかないパンやさんへ予約しておいた食パンを取りにいった。我が家は無類のパン好きである。島に来てからは経済的事情からごはん党だけど、本来はパンが大好きである。移住する前は島に来たらもう美味しいパンを食べることが出来なくなるだろうと諦めていた。ところが何と美味しいパンやさんがあった。
キャッチコピーが「性格悪いが、料理は上手い。」と言ううちの妻もこのパンのお陰で美味しいイタリア料理に腕がふるえるとご機嫌だ。ちなみに余談ではあるが妻にキャッチコピーを付けたのは妻の兄である。うまいっ!

明日は久し振りにおが丸が入港する。牛乳やヨーグルト、納豆や豆腐が買えるぞー!

瀬掘アパート101号室

2006-01-26 20:14:50 | Weblog
小笠原は、気軽に内地から行ったり来たり出来る場所では無い。移住するにあたって一番の気掛かりは、住居であった。みんな小笠原に移住すると言うと、「いい物件を見つけたのですか?」とか必ず家を買ったように誤解されるが、まったく違う。夫婦二人で六畳一間のアパート暮らしである。娘には同棲時代みたいだね、とからかわれた。島の住居は決して裕福という印象は無い。トレーラーハウスやプレハブとか、簡単な住まいが多い。でも、南の島の花がその小さな家々を豊かにコーディネートしている。ブーゲンビリヤ、ハイビスカス、島バナナやパパイヤなど、至る所にたわわに実っている。散歩しているだけでも、楽しい。

瀬掘アパートはネットで検索して何となく勘で選んだ。この目で見るまではかなり不安だった。でも、それは取り越し苦労だった。思ったより広く、町から少し引っ込んだ所でどこに行くにも最適な場所だ。海はすぐだし、裏には山が広がる。朝はにわとりのモーニングコールもある。満足度100パーセント。

ここの大家さんは小笠原諸島を発見したナサニョールセボレーの子孫だそうだ。おばあさんも息子さんも、見た感じ外人である。とても感じのいい人達でますます気にいった。何軒かトレーラーハウスの民宿を経営している。息子さんは養蜂家でもあり、どっちの料理ショーで紹介されたとか。春には今以上に花々が増えるので、また美味しい蜂蜜が取れるだろう。妻はその蜂蜜を今から心待ちにしている。

ある時、瀬掘さんとの不思議な縁を感じる話を仲良しのえいちゃんがしてくれた。
おばあさんのご主人は割りと最近亡くなったそうだが、伝説のウィンドサーファーだったらしい。70歳を過ぎてから、50キロ離れた母島までウィンドサーフィンで渡ったそうだ。凄い!かっこいい!ウインドを愛する僕としては、かなりその話に触発されてもうやるしかないと言う気分になった。

この島はとにかく狭い。同じアパートに以前海と星のツアーでお世話になったガイドのヨッシーが203号室に住んでいた。挨拶回りをした時再会を喜び合った。その日のヨッシーのブログには、ハッシーが来た、と書いてあった。あるいて2,3分の所には山のガイドでお世話になったおが君も居る。島は本当に狭い。

今日も夕方ジョギングしたら、またえいちゃんに会った。狭い島はみんなファミリーの様に思えた。