小笠原日記

夫婦で小笠原に移住予定です。どんな生活が待ち受けているか?とりあえず小笠原の生活を綴って見ようと思います。

年度末

2011-03-30 16:25:07 | Weblog
所謂平成22年度も今日を入れて残り二日。今日出港したオガマルには、年度末と言う事もあり、転勤等で内地へ引き上げる人とその家族が大勢乗り込んだ。

当然職場の同僚、友人、クラスメイトetc、オガマルの船待周辺は大勢の人でごった返していた。特にこうした折、集合場所となるクジラのモニュメント周辺は人人人。

そのクジラのモニュメントには、大量8名の先生が移動で内地へ帰る小学校、別れを惜しむ多くの生徒とその御家族等が集まり、先生方とお別れのセレモニー。

コンテナ等の積み込みを終え、出港前の綱外しまでの時間、僕も先生方とお別れの挨拶。次から次へと生徒さんやその家族に囲まれる先生方、声を掛けるのも間々ならぬ程皆大人気。

「父島では、大変お世話になり有難うございました。内地での益々の御活躍を祈っております。お元気で!そしてまた何時かこの島でお会いしましょう。」

今朝方入港し、沖留めしている観光船の乗組員の人が

「凄いですね、色んな港に行ったけど、こんな光景初めてですよ」と感激していた。

この島の‘見送り’は矢張り特別なのかも。
















アオウミガメの旅

2011-03-27 06:56:56 | Weblog
真夏の島の 浜辺から
海に向かって まっしぐら
子ガメの旅が 始まった
生きて 生きて 生き抜いて
どの子も どの子も 大きくなって
また この浜に 帰っておいでよ

嵐に出会い サメに追われ
空からねらう 海鳥たち
北へ北への つらい旅
明けて暮れて また朝に
来る日も 来る日も 大きくなって
また ふるさとへ 旅は続くよ

若さかがやく 海と空
百個の白いたまご生み
いのりをこめて 砂かける
生きて 生きて 生き抜いて
どの子も どの子も 大きくなって
また この浜に 帰っておいでよ
また この浜に 帰っておいでよ


小学校は、先週24日が卒業式、そして25日の終業式、離任式を終え今年度終了。

小笠原小学校では卒業式のラスト、卒業生退場の時、冒頭の‘アオウミガメの旅’を全員で歌い卒業生を送る。僕にとっては、5回目のアオウミガメの旅。伴奏が流れ拍手の中を歩く卒業生、いつもジーンと来てしまう。

そしてこの年度替り先生方の移動が多く、小中学校の教職員の中で僕は2番目の古株となってしまう。

これから先、何回アオウミガメの旅を歌えるのか分からないが、元気でいる間は用務の仕事頑張って続けたいと思っている(勿論、必要とされればの話だけどネ)。











春分の日、30年そしてハートロック

2011-03-21 16:46:53 | Weblog
今日は春分の日、30年前の今日我々は結婚した。まさか30年後の自分がこうして父島で生活しているなんて、全く想像していなかったが、健康でまあなんとか毎日島暮らしを送れている事、妻に感謝である。

そんな日だからと言う訳ではないのだが、久し振りにハートロックまで歩いてきた。今日は途中ワラビも顔を出しており、旬のワラビも少々ゲット。そして帰り道、男性のシンボルに似ている事から、それ系の通称で知られる岩の麓に寄り道。まだチョッと早いと思っていたのだが、ラッキーにも固有種の‘ムニンツツジ’の白い花を確認する事ができた。

面白かったのは、ハートロックへの登り口での事。オガマル入港中は、入山に関する諸注意の為に係りの人がいるのだが、そのお姉さんが我々を見て「何かの調査ですか?」よせば良いのに妻は(勿論冗談なのだが)「トレーニングです!」と返答。案の定可愛いお姉さんリアクションに困り「トレーニングですか・・・・」と言ったきり、沈黙してしまった。散歩です、くらいにしとけば良いのにネ。

そんなトレーニングの一日を御紹介。




























震災から一週間

2011-03-20 06:52:26 | Weblog
東北関東大震災から一週間あまりがたち、まだまだ被災地の状況は想像を絶する物があるようだが、それでも僅かではあるが、前向きの話題がニュースでも見られるようになってきた。

ここ父島での生活は、被災地の状況に比べれば、全く問題ないと言えるほど平穏なものだ。商店の食料品の棚に、ほとんど品物が無い状況のようだが、台風によるオガマルの欠航や、年に一度のオガマルのドック入り等で、品不足の状況には元々免疫がある。

とは言うものの、お米、玉子、牛乳etc全く在庫切れ状態のため、今日入港予定のオガマルにどれだけの物資が積まれて来るか、島民の関心が集まるところではある。積荷が降ろされ店頭に品物が並ぶ3時前、今日は日曜日と言う事もあり、長蛇の列が出来る事だろう。

所で、元々このブログ投稿を始めたきっかけは、内地に残してきた娘や息子に我々が元気でいる事を知らせる為の物だった。あれから5年たった今、息子は既に島民、そして内地は大震災でむしろ娘の状況をこちらが心配する状況だ。妻は毎日のように幕張の娘と連絡を取っている。

こんな御時勢に、呑気に南の島からブログ投稿と言うのもいかなる物かとも思うのだが、僕はこの島で自分の価値観を大切にして生きて行くしかない訳で、とりあえずそんな日々の様子を時々発信して行こうと思う。


最近妻がはまっている、ケーキ作りに手造りパン。






そして昨日の父島
















無事です

2011-03-12 13:45:52 | Weblog
昨日ブログ投稿を途中で放り出し、緊急避難。避難場所になている小中学校の体育館へむかった。

小学校の職員室のTVの画面を見てびっくり。次々と映し出される被災地の状況を見て、素人目にも大惨事と言う事は直ぐに理解できた。

そして、娘の住む千葉市の美浜区に液状化現象発生と言うテロップ。小学校の固定電話をお借りし電話してみると、ラッキーにも一発でつながった。かなりの揺れだったらしいが娘は無事、ただ余震が続き今も揺れいているとの事。そして市原石油コンビナート火災の炎が見えるらしい。大変な状況ではあるようだが、無事を確認でき妻と供に一安心。

その後高台に住む妻の友人宅にお世話になり、「そろそろ大丈夫じゃない」と勝手に判断(大津波警報は以前発令中)、10時過ぎ自宅に戻り一夜を明かした。

幸い父島の甚大な津波被害は無かった模様だ。しかし三陸海岸を中心とした内地の被害は皆さん御存知の通り、そして復旧作業が進むにつれその被害は恐らく拡大していく事だろう。

皆さんも感じていると思うのだが、明らかに地球規模で何かが起こっているような気がしてならない。人間はチョッとやりすぎたのかもしれない、自然からの警告。しかし、走り出した電車を誰も止めることは出来ないのだろう。

今回の被災、想像を絶する規模になると思うが、我々人間はきっと驚くべき速さで復興していく事だろう。自然との闘いは、これからも何度と無く繰り返されるのだろう。自然には到底敵わないような気がするのだが・・・


昨夜の避難所の様子




そして今朝はウェザーへ上がってみた。ここならどんな津波が来ても平気だかネ







大津波警報発令中が信じられないような、凪の海。今日もザトウがあちこちに現れ、気持ち良さそうにブロー。ニュースで何度も見た、町を飲み込む津波、これが同じ海とはとても思えない。

自然は怖い、そして偉大だ!


こちらは昨日使おうと思ったオガマルの出港風景。卒業式を終え、何人かの高校生が内地へと向かった。