今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

176 美唄(北海道)・・・炭鉱は消え地から湧き出す大理石

2008-11-18 09:52:08 | 北海道

「アルテピアッツア美唄」という名の彫刻美術館があることを知り、北海道・美唄(びばい)に出かけた。とはいえ、そのことだけで北海道に飛べるほど、私は優雅な暮らしをしているわけではない。旭川と札幌に所用ができ、その出張を利用して立ち寄れないかと考えたのだ。それにしても美唄とはどこにあるのか? 炭坑の街ではなかったか。地図を調べると、都合のいいことに札幌と旭川の中間ではないか。

美唄市出身の前衛彫刻家に安田侃(かん)という人がいる。長くイタリアにアトリエを構え、国内以上に海外で著名な方らしい。名前だけではつながらなかったのだが、私はその作品には国内のいろいろな所で出逢っていた。JR札幌駅とか、東京・高輪のマンションゲートであったりしたのだが、堅く柔らかい矛盾に満ちたフォルムは、いずれも強い印象が残った。

そしてここ美唄は、炭坑閉山による故郷の寂れを食い止めようとする、彫刻家の思いがこもった芸術広場(アルテピアッツア)らしい。廃校となった小学校跡地をそっくり展示スペースとし、木造校舎の一部はギャラリーと幼稚園に活用されている。訪ねた日、紅葉は終わろうとしていたが、この季節には滅多にないほどだという穏やかな好天に恵まれて、私は作品から作品へ、木々を飛び交うカケスの気分で贅沢に歩き回った。

前衛度合いが過激なあまり、作家の意図がわからない作品もあったけれど、いずれも極度に単純化された造形で、大理石の巨石を滑らかに削りあげたフォルムには思わず触れてみたくなる引力があった。とても優しい魂から生み出されたに違いないと感じられる作品群は、廃校の記憶とよく馴染んでいるように思えた。

2時間では不足だった。もっともっと、この大気の中に身を委ねていたかった。しかし帰りのバスがすでに時間待ちしている。薄くなった後ろ髪を精いっぱい引かれるような思いを残して、帰路に就いた。美唄市民バスの乗客は私一人である。気楽に運転手さんと会話する。

「遠くから見に来る人がいるけれど、私たちには子どものころから馴染みの場所。なぜわざわざ来てくれるのかなあ」「炭坑が盛んだったころは人も金もうなっている街だった。私の小学校は子どもが1500人いて、運動会は炭坑のグランドを借りてやったものさ」「美唄の繁華街で降りたい? そんなこと言われても、ナアンにも無くなったからなあ」

10万近かった人口が、3万人を割り込むまでに減った街は、確かに寂しかった。市役所前でバスを降りると、その向かいに児童公園規模の「中央公園」があって、神社の境内に続いていた。北海道の神社仏閣は、歴史が浅いせいかどこか大地に馴染んでいない。じっくり「地霊味」が染み込むには、あと300年ほどの時間が欲しい、などと考える。

「沼貝開拓記念碑」と書かれた巨大なモニュメントが天を衝いている。その姿は不細工だが、「開拓」の文字に勝手に感動する。鳥居を抜けると国道12号で、いくつかの商店が並んでいた。この辺りが「繁華街」なのかもしれない。ほどなく駅に着いたのだけれど、バスを降りて駅まで、誰ともすれ違わなかった。(2008.11.12)
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