今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

171 天野1(和歌山県)・・・西行が暮らしたというかくれ里

2008-10-29 23:48:25 | 奈良・和歌山

還暦が近づいて、リタイア後の計画を練っていたころ、《どうしても行ってみたい土地がある》と書いたことがある。《「天野」である。高野山へのメインルート「高野街道」が通じる和歌山県伊都郡かつらぎ町上天野。丹生都比売(にうつひめ)神社が鎮座する山中の小天地らしい。山路を行く覚悟を固めるため、休日はウォーキングを心がけ、地図を点検し、空想散歩で脳内ストレッチを繰り返している。今の気分は「早く来い、定年」なのである》

なぜそれほどに惹かれるのか。そこに西行がいるからである。《西行という人物は、日本史における「気になる人物」のトップテンに入るのではないか。私も歳とともに気になって来ている。「世俗を脱し数寄に身を任す」ということは、日本人(いや、女性は優れた現実家なので、ここでは男子に限る)のDNAに刷り込まれた永遠のあこがれではないかと私は考えている。

西行はその難事を、愛娘を蹴倒して出家し、数々の歌に命を刻みながら達成した。家庭人としては許されることではないけれども、自己の憧憬を貫いたのである。西行の人生に似た存在に良寛がいる。ただ良寛は、僧になるために出家した真摯な仏教者であった。これに比べ西行は、世俗から自由になる最も都合のいい手法として僧を選んだのだと、私には思われる。

だから私のような俗人にとっては、良寛はとうてい届かない高みの存在であるけれど、西行はもう少し近くにいて、ひょっとしたら自分にもその真似ができるかもしれないと大胆な思いにさせたりするのだ。よく知られる歌の一つ「今よりは花みんひとに伝へおかん世をのがれつつ山に住まへと」は、まさに定年を控えた私に呼びかるために詠まれた歌のようではないか》

その「天野(あまの)」へ行く日が来た。紀ノ川のほとりの街・橋本でわびしい一夜を過ごした私は、再びJR和歌山線の乗客となって笠田(かせだ)駅を目指した。その駅前から、天野行きの町民バスが出ることを調べておいたのである。それほど私を引きつけて止まない「天野の里」とはいかなる土地か。白洲正子氏の『かくれ里』を引用させていただくことが手っ取り早い。

《まだかまだかと思ううち、峠を二つばかり越えたところで下り坂となり、いきなり目の前が明るくなった。見渡す限り、まばゆいばかりの稲の波だ。こんな山の天辺に、田圃があろうとは想像もしなかったが、それはまことに「天野」の名にふさわしい。天の一角に開けた広大な野原であった。もしかすると高天原も、こういう地形のところをいったのかも知れない》

白洲さんはさらに「ずいぶん方々旅をしたが、こんなに閑でうっとりするような山村を私は知らない」「できることならここに隠居したい。桃源郷とは正にこういう所をいうのだろう」とまで書き、西行の「仏には桜の花をたてまつれわが後の世を人とぶらはば」の歌を、この地での作ではと推理している。そうまで言われたら、行ってみないわけにはいかないであろう。

通学の高校生に混じり、私の気分は高揚していた。朝食はまだだが、空腹が何だというのだ! お天気は上々である。「君たち、丹生都比売神社に行ったことがあるかい?」と声を掛けてみたくなるのを我慢して、川の対岸に続く稜線を凝視した。(2008.9.3)
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