
鳥の名前がついた地名は、全国にどれくらいあるのだろう。東京には「三鷹」がある。この名は江戸時代、将軍家など御三家の鷹場があったことに由来する。武蔵野台地の手付かずの雑木林を東西に、「人見街道」が延びていく途中、鄙びた集落が広がっていたのだろう。往時の末裔ではないだろうか、市内の井の頭公園には、オオタカが営巣しているという根強いうわさがある。
北はずれのJR三鷹駅あたりには「連雀(れんじゃく)」という街もある。江戸時代、神田連雀町の人々が政策的に移住させられて生まれた地名だ。現在は「上」と「下」に分かれていて、「年収1500万円以上の高所得者の多い町」という週刊誌の特集で、下連雀は都内第5位にランクされていた。住人である私にその実感は無い。
「鷹」と「雀」を組み合わせて「雀鷹」と書くと、「ツミ」というタカ科の鳥になる。よくよく鳥の名に縁の深い土地であるが、特に鳥がたくさん飛んでいる、というわけではない。多いのは作家・文人と呼ばれる人たちであろう。
森鴎外や太宰治、三木露風は墓も残っているし、山本有三邸は記念館として活用されている。道を隔てた武蔵野市に丹羽文雄氏が住んでいて、瀬戸内寂聴さんらお弟子さんが三鷹あたりに下宿したこともあったらしい。
JR三鷹駅は武蔵野市との市境を流れる玉川上水の上に建っていて、その遊歩道を下っていくと「玉鹿石」と書かれた赤っぽい石塊が置いてある。「青森県金木産」と書いてあるから、太宰の故郷の石なのだろう。入水死した彼らの墓標だと、私は想像している。命日には誰が供えるのか、サクランボが置かれていることもある。

三鷹という街には、もうひとつ悲しい歴史がある。三鷹電車区を舞台にした列車の暴走事故「三鷹事件」だ。戦後の混乱期、国鉄の労働争議がらみで仕組まれた事件といわれ、いまも「日本の黒い霧」として語り継がれている。
電車区のはずれ、上連雀の小さな児童公園の一角に、組合が建てた「三鷹事件50年の碑」がある。肩に力が入りすぎたような拙い碑文が事件のいきさつを語っているが、今もひっそりとたたずむその碑を読み返す人の姿は無い。

三鷹は吉祥寺の地続きでありながら、なお鄙びた風情を留めている街である。(2007.1.17)
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