今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

904 佐久(長野県)童らの歓声まさに佐久の鯉

2020-10-08 16:57:29 | 新潟・長野
どうしてその地に人が集まり、街が形成されて行くことになるのか、街にはその「生い立ち」の理由がある。経済が交通の要衝を生み、宿場町や湊町が整備される。時には覇者が出現し、城下町が築かれて街は拡大していく。だから街の形成にはワケがあり、歴史という生い立ちがある。12年前に小海線の旅をした際に立ち寄った「佐久市」は、なぜか「街の姿」が見えず混乱した。「生い立ち」が掴めなかったからだろう。



佐久市は長野新幹線の開業によって発展、人口は10万人をわずかに割り込んでいるものの、長野県では大きな自治体の一つだ。市域の南東端には「日本で海岸線から一番遠い」という地点がある。太平洋にも日本海にも遠い、つまり山の中ということである。ただ一帯は「佐久平」と呼ばれる広々とした盆地で、市街地をちょっと外れれば田園となって空が広い。一面に黄金色が彩るこの季節の風景は、穏やかで豊かだ。



まず市の美術館に行ってみようと駒場公園を目指す。開館までまだ1時間あるというので、隣の図書館に行くと休館日だった。借りた本を返却ポストに投函している若者に「佐久にはコスモスが綺麗なところがあるそうですね」と声をかけると、すぐに合点して適切にルートを教えてくれる。「この駐車場を出るときには、くれぐれも右からの車に気をつけて」とくどいほど念を押す。私は若者に心配される年齢になったのだ。



秋桜に埋もれた後、駒場公園に戻ってベンチに座る。若いママたちが幼児を芝生で遊ばせている。パターゴルフの爺さん婆さんが、点在するコースを移動しながら嬌声を上げる。もう少し若いおば様集団は、颯爽とウォーキングに出かけて行く。道路の向こうの幼稚園は秋の運動会だ。いい街だなあと私は思う。佐久といえば街ぐるみの健康医療活動で名高い。この眺めはそうした街の「生い立ち」を物語っているように見える。



大雑把に言えば、佐久は中山道の宿場町の集合体なのだろう。追分宿で北国街道と別れる中山道は、佐久平を東西に小田井、岩村田、塩名田、八幡、望月と、小さな宿場町が連続して行く。一方、盆地の中央を北上する千曲川に沿って、甲州へ遡る中込や臼田の街が点在する。確かに「中心」を特定し難い街のようだが、中山道の横軸と、佐久甲州街道の縦軸が交差する岩村田が、最も繁華な地域ということかもしれない。



長野新幹線が開通して「佐久平」という駅ができたけれど、従来、千曲川に沿って街を縦走している小海線に「佐久」という駅はない。それぞれが小さな宿であった街が、今は「佐久市」として有機的な暮らしを形成している。佐久平は日照時間が全国有数の地域らしいし、交通の便も良い。新型コロナ・パンデミックで在宅勤務が普及し、地方移住に関心が高まっている昨今、この街は格好の候補地ではないだろうか。



「旧中込学校」を眺め、ようやく街の姿が見えた思いになる。その近くで「救急指定病院」の病院名を見た瞬間、記憶は一気に50年遡った。「そうだ、彼女は佐久の病院の娘だと言っていた」。東京の物産展の学生アルバイトで知り合い、ビヤガーデンに行ってみたいというので案内した。飲み過ぎた彼女を背負ってタクシーに運んだ。佐久育ちの彼女は、今ではチャーミングなお婆ちゃんになっているだろう。(2020.9.30)
























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