今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

274 鎌倉(神奈川県)・・・哀しみの磯を染めつつ日は没す

2010-03-27 10:14:42 | 埼玉・神奈川

文化の日はやはり特異日であるらしく、秋晴れの一日は見事な落日で終わろうとしている。浜辺の人々は足を停め、晩照にシルエットを浮かべて恋人と戯れ、あるいは子連れの幸せを噛み締めている。独り佇むのは、私だけではないか。いや、私にも「連れ」はいるのだ。今は近くのホテルで知人の結婚披露宴に出席している。鎌倉への案内役の私は、しばし時間を潰すため、暮れなずむ由比ケ浜にやって来て、この絶景を堪能している。

鎌倉は、東京にとって貴重な街だ。奈良があり京都がある関西とは違い、東国で「古都」を自称することを辛うじて許される街が鎌倉だからだ。そうした風情に身を置く贅沢を楽しもうと思ったら、東京の人間は鎌倉に出かけるしかない。そこで休日ともなると人々が繰り出し、小町通りなどは原宿並みの雑踏となる。とはいっても由比ケ浜まで来れば、さすがの喧噪は遠のき、落日の一刻を心行くまで堪能することができるのだ。

それにしても時間とは有難いものだ。古戦場とも処刑場ともなったこの浜は、今も眠る白骨が少なくないはずだ。静御前が産んだ義経の男子も、幼い命をこの海に沈められた。そんなことを考え始めたら、この落日に向き合う心が浪立ってしまうが、だが何ごとも時間が帳尻を合わせてくれる。時間が全てを枯らし、恩讎も彼方へと連れ去って行くからこそ、人間は生きて行けるのだろう。還暦を過ぎると、そんなことがしみじみ身に染みる。

昼、私たちは鶴岡八幡宮にいた。「連れ」の知人の花嫁が、日本人の新郎と式を挙げるのだ。花嫁はイタリア娘。参道の行列が始まった。白無垢の角隠しが匂い立ち、美しさに参詣客は見とれて人だかりができた。イタリアからかけつけた一族の面々は、物珍しそうに境内を眺め、神楽殿での三三九度に臨んでいる。和服に着替えた母親は、デ・シーカ監督の映画に登場するような貫禄である。

私は勝手にカメラマン役を買って出て、遠くからたくさんシャッターを押していたのだが、その合間に石段を上り、拝殿で参拝してきた。途中の「公暁の銀杏」はまだ紅葉が始まらず、青々と葉を茂らせている。この巨木が4ヶ月後、春の嵐にあえなく倒れようとは、居合わせた誰もが想像できなかったことは断言していい。

昼の小町通りがギャルたちの天下だとすれば、その路地裏は夕刻より、おじさんたちが徘徊する場となる。随分以前に、鎌倉在住の漫画家・Kさんに案内してもらった居酒屋があったはずだと、由比ケ浜から戻った私は喉を潤そうと記憶を頼りに路地を歩き回った。「このあたりのはずだが」と行きつ戻りつしたものの、見つからない。あきらめようと思ったら、展覧会が開催中のギャラリーがあった。入ってみると何と、Kさんがいた。


彼と友人の漫画2人展で、今日が最終日だという。打ち上げが始まるところで、大勢の鎌倉人で賑わっていた。「あの居酒屋を捜していたんです」と言うと、「ここですよ」という答え。Kさんの隣りで笑っているのが元の主人で、居酒屋は閉めてしまったのだとか。かつての常連が集う、羨ましいばかりの古都の夜である。私も「越の寒梅」を振る舞われ、居酒屋気分に浸った。

月が出た。満月に近い。「連れ」を迎えるため、駅への地下道を潜ると、Kさんの師匠であるあの横山隆一さんの壁画があった。横山さんは土佐の出身。そういえば明後日、私は高知へ行くことになっているのだ。(2090.11.3)
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